『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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15(2051年)

 漂着した兵の遺体から借り受けた、尉官の階級章が付いた軍服は、長身で筋肉質のゼネバスには窮屈だった。逞しい頸部にはきつく、襟を閉めることが出来ない。添え木の付いたままの左足も入りきらず、止む無く足の部分を切り裂いて穿いている。迂闊に見つかることの無いように、ゼネバスの紋章を象ったペンダントは添え木の中に埋め込んだ。布生地の傷みが著しいため、彼の姿は敗残の兵の出で立ちそのものであった。 

 あの漁村の純朴な若者のことが、心に刻まれていた。

「ならば私もお供いたします」

 説得が叶わないと見たタクチェルは、自らブラキオスでの敵基地突入を申し出てきた。彼が暗黒軍の基地を襲い、その混乱に乗じてゼネバスを捕虜収容所に侵入させようと言うのだ。それは余りにも無謀であった。

「貴殿の気持ち、ありがたく受け取っておく」

 ゼネバスは、素朴で未だに自分を皇帝として心を寄せてくれるこの若者を、自分の都合の為にこれ以上巻き込むことが出来なかった。ブラキオスで島まで送り届けてくれること、それだけを彼に願った。彼は不服そうではあったが、尊崇する元皇帝の言葉に逆らうことなど出来ず、素直に舳先をニカイドスに向けてくれた。

 ゼネバスは、この青年の恩に報いる為、何か礼ができないかと考えた。しかし、今の身の上では何一つ与えるものなどない。唯一手元に残っているのは、妻エーヴとの想い出でもあり、娘エレナとの繋がりを示すゼネバスの紋章だが、それを手放すわけにはいかなかった。聞く所によれば、漁場は残骸で荒らされ、思うように漁ができなくなっているという。ふと小さな悪戯(いたずら)心が浮かんだ。

 いずれ進攻してくるであろう共和国軍に、漁場の残骸を処理してもらえばいい。そのためには一寸した細工が必要だ。彼は一通の手紙を認めた。内容は次のようなものだった。

〝この海域には、ゼネバス帝国軍が開発した秘密兵器が沈んでいる。敵を再度打ち破り、この地に戻ってきたときに引き上げて利用する為、海底の残骸の中に隠しておいた。残骸を全て回収しなければ絶対に見つからないだろう。くれぐれもこの手紙が、敵の手に渡ることのないよう注意せよ。ゼネバス・ムーロア〟

 意味深に皇帝のサインを残し、流出した機密文章と思わせるように暗号化した。乱数表など無いので、記憶の奥に残っていた、かつて兄と戯れに作った少年時代の暗号を使ったのだ。

 解読するのは容易だろう。所詮子供の作ったものだ。

 これを兄が見れば、共和国軍は必死になって海底の残骸を回収する事だろう。この暗号は、兄と彼しか知らないのだから。

「共和国軍がここまで進攻してきたら、この手紙を渡すのだ。あるゼネバス軍の将校の死体から見つかった、とでも言えばいい。きっと貴殿にとって良いことがあるはずだ」

 静かに微笑むゼネバスから薄汚れた手紙を押戴いたタクチェルは、有り難くも不思議そうな表情を浮かべていた。

 別れ際、その漁民がブラキオスの背中の操舵席から身を乗り出し、いつまでも手を振り続ける姿を思い出し、思わず目頭が熱くなっていた。

 こんな自分でも心を寄せてくれる民がいる。この気持ちを何としても次の世代に繋ぎたい。

 エレナであれば、必ず成し遂げてくれるだろう。それは親の主観ではなく、皇帝としての客観的な視点から判断できるものだ。娘を救い出したい、その思いが彼を突き動かした。叶うならば、兄ヘリックの元に身を寄せても構わない。この中央大陸を治める為に、彼女は必要な人材になると確信していた。

 タクチェルから伝えられた、島の岸壁に作られた天然の隧道を抜け収容所の内部への侵入に成功した。地元の者しか知らない、下草に覆われた出口を右足で蹴破ると、仮設の収容施設群の裏手の雑木林の中に出た。脚を引き摺りながら地表に出たが、周囲に監視する兵も無く、また戸外に出ているゼネバス兵もいなかった。

 人気が絶えている。

 既に大方の兵士たちを収容し、残っているのは搭載数の限られるデスザウラーのみであった。宿舎の窓から、ゼネバスはそっと中の様子を覗いた。部屋の中には、数十人の抑留兵が無気力に座り込んでいる。視線は虚ろで物憂げに沈んでいる。ガイロスの警備兵はここにもいない。彼は思い切って中に入って行った。

 彼の姿に注目する兵はいなかった。ただ無言で座り込んでいる。その精気のなさに、ゼネバスは改めて自分の犯した罪を痛感していた。

 戦に勝つことだけを目的にしてきた兵士には、敗戦、そして心の支えとして来た皇帝の喪失が無気力を形成してしまったのだろう。部屋の一画にある壁際に腰を下ろすと、ゼネバスはそのまま眠りにつくような姿勢で、周囲を窺い続けた。

 彼の座った先、一番近い距離に、階級章もないまま俯く兵士がいる。ゼネバスは事態を一刻も知りたいため、思い切って小声で話しかけた。

「エレナのことは判るか」

 言ってから、敬称を付けていなかったことに気付いた。不審気に顔を上げたその兵士は、気怠そうに答えた。

「エレナ様ならもう暗黒軍に連れていかれたよ」

 既に知っている情報である。ゼネバスは重ねて問いかけた。

「いつ頃かわかるだろうか。それに我々が移送される時期も」

 視線を合わせないまま兵士は語った。

 友人らしき兵への拷問に耐え切れず、名乗り出たこと。そのまま早い時期に移送されたであろうこと、そして自分たちが移送されるのも、さほど遠い時期ではないことも。

「あんたはどこの部隊の所属だ」

 判り切っている事実を聞き返す老兵に、疑問を抱くのは当然であったが、兵士は直ぐに自分で自分の言葉を遮った。

「どうでもいいことだな。皇帝は死んだんだ。もう所属部隊など意味のないことだ。今の質問は忘れてくれ」

 そしてまた俯いた。

 丁度その時、食事の時間らしくゼネバスの座った反対側の宿舎の机に、か細く湯気の立ち上がる幾許かの食料が運び込まれてきた。給仕を担当させられているのも抑留兵らしき者達だった。人数の割には量が少ない。不審に思ったが、その理由はすぐにわかった。

 誰も手を付けないのだ。虚無に囚われた人々の群れは、ガイロスから提供される食料など食べる気がしないということだ。数十分後に一切汚れることの無い食器類が回収されていく。

 ゼネバスには耐えきれなくなった。娘の救出は必要だが、第一に救うべきは、この多くの抜け殻のような抑留兵であると。暗黒大陸に連れ去られた兵は、ここに残る者達以上に虚無感に苛まれていることだろう。今はこの敗残の姿を隠れ蓑に暗黒大陸に渡り、娘を救い出すと同時に兵達へせめて自分の生存を知らせ、少しでも生への執着を取り戻させることが必要だと痛感した。

 彼自身、その決断が矛盾と無謀に満ちていることは承知していた。

 果たして、長年に亘って戦を続けてしまった元皇帝を受け入れてくれるだろうか。

 受け入れたとして、自分の存在が再び戦乱への兵の動員に繋がることにはならないか。

 娘を探し出す手立てなどない。いままで自分の周りを取り囲んでいた側近は一人も無く、老いた身体と引き摺る左足を携えて、どこまで使命を果たせるのか。

 なにより、これからの移送途中で、自分が元皇帝と察知され、娘と同様に拉致されてしまえば、全ての計画は敢え無く頓挫するだろう。

 だが彼は動き出していた。止めることは出来ない。それが彼自身の持つ、最大の能力であったからだ。

「エレナ、待っていろ。必ずお前を救い出してやる」

 左足の添え木に手を当てながら、ゼネバスは呟いた。

 程なく、ホエールカイザーによる、最終移送が開始された。

 

 雷雲渦巻くトライアングルダラスの近傍を掠め、次第に弱まる陽の光を感じながら、ゼネバスの乗ったホエールカイザーはアンダー海を渡っていく。眼下に広がる海の色が、暗緑色から灰色へ、そして空も赤みがかっていった。

 寂しい場所だった。暗く冷たい北の大地に閉じ込められた人々の住む場所に向かう中、抑留された兵士達は激しい寂寥感に襲われた。一度渡ったら二度と戻れない。この冷たい場所で、死ぬまで戦わされるのかと。

 変化のない水平線を見続けて約半日の行程が経過した。エンジンが音を変え機体が下げ角を取り始めたことで、兵達は漸く絶望的な旅路が終着点を迎えたことを感じ取った。

 機体底の小さな窓から、暗黒大陸の地表が現れる。デビルメイズ、ゴッドクライ、ブラッディゲート。クレバスに沈む地形は、それが地の底まで続くような深い裂け目を刻み、ここが故郷と同じ星かと思えるほどの異様な光景を顕していった。

 着陸脚が降ろされたのだろう、ガタガタと機体の底から機械音が響く。鹵獲されたデスザウラー全てが、機体の振動に同調したのか、激しく軋みながら揺れている。装甲板を拘束するチェーンが不快な摩擦音を上げ、今にもデスザウラーごと倒れ込んでくるような不安に襲われる。

 ホエールカイザーは意に介さず着陸態勢に入り、僅かの振動を伴っただけで静かに着陸を終えた。エンジンが停止しデスザウラーさえそのまま収まる巨大な格納扉が開かれると、目の前には暗黒大陸に広がる陰鬱な軍事基地が横たわっていた。

 風が肌寒く、兵達は皆一様に襟をたて、肩を竦めて格納庫から大地に降り立った。

 無数のホエールカイザーが駐機し、それと同様の大きさの巨大な格納庫らしき建物も林立している。首都ダークネスに近い、ここは暗黒軍の一大軍事拠点となっていた。

 中央大陸と大きく違うのは、基地の周辺に人々の生活の香りが感じられない事だった。

 一部の秘密基地などを除き、通常その周辺には基地で勤務する兵員達の家族や取引をするための商店など、ある程度の賑わいを伴うものだった。しかしここには何もない。無味乾燥という言葉がそのまま当てはまる寂しい場所だった。

 進路を指し示された兵の群れは、格納棟らしき建物に向かって歩かされていく。ゼネバスにとって、この光景を見るのは二度目だったが、このような格納棟は以前には存在していなかった。明らかに、D-day以降建造されたものだ。「何のために」。その疑問はすぐに明かされた。

 鹵獲されたゾイド群が整然と並んでいる。真っ先に目につくのは、かつて動く要塞と称された機体、暗黒軍によって強化改造されたダークホーンであった。

 既に量産体制へと移行しており、次々と配備が開始されていた。そしてその傍らには、新たに生産されるのではなく、暗黒軍仕様の機体の改造を施し強化されつつあるアイアンコングと、異様なまでに頭部の肥大化したデスザウラーがあった。

 コアに緑の燐光を放つディオハリコンが注入され、休眠状態にも関わらず悶え苦しむように低い咆哮を続けている。コアとの適合性を無視して出力上昇を強制的に行っていることがわかる。兵達は目を背けた。

 暗黒軍側が旧ゼネバス軍ゾイドの接収と改造に力点を置いたのは、使い慣れた機体をゼネバス兵に操縦させることにより、予想される共和国軍との緒戦を有利に運ばせようとしたからだ。後発のダークホーンが、デッドボーダーの生産数を上回ったこともその証明といえるだろう。同様の理由でデスザウラーやアイアンコングが改造の対象になっていたことは言うまでもない。改造の過程で失敗し、廃棄されたゾイドも数多い。ギルベイダーやガンギャラドが本格的な量産体制に移行しても、圧倒的にゼネバス兵を戦線に投入し続けた暗黒軍に於いては、最後までデスザウラーとアンアンコングが改造ゾイドの素材として利用され続けた。

 改造用の格納棟を抜け、仮設の無数の宿舎が並ぶ場所に着いた。所属の確認を事務的に行われた後、人数ごとに宛がわれたナンバーの宿舎に入るよう指示された。

 ゼネバスは、正体を明かすわけにも行かず、咄嗟に思い浮かんだ偽名を記入した。

〝ガンビーノ〟と。

 暗黒軍が最重視したのはゾイドのパイロットであった。操縦していたゾイドの機種により振り分けられ、それによって宿舎のランクも変わっていくようだった。

 ゼネバスは敢えて、歩兵の少尉として申告をした。監察官は露骨に嫌な表情をして、歩兵に宛がわれる宿舎を指示した。それは古びた建材で作られた、仮設宿舎としてもいまにも壊れてしまいそうな建物だった。中に入れば、所々から隙間風が吹き込んでいた。三段に作り付けられた簡易ベッドが左右に二列、合計6人の収容だが、中央の床にもう一人が横たわることで7人を収容することになっていた。

 ベッドは固く、薄い毛布が3枚しかない。暗い灯りと中央のスピーカーのランプだけが部屋を照らしていた。

 屈辱的であった。抑留されてきた兵士達にとっての苦悩は計り知れない。

 長旅の疲れも重なったのか、誰しも無言で寝床に潜り込んだ。時折乾いた咳と、鼻をすする音だけが響いていた。

 ゼネバスにとって注目もされない一兵卒として潜り込めたことは、エレナの居場所を探り当てるために有利に働くことと思えた。

 いずれ必ず機会が巡って来る。そしてその望みは、呆気なく実現へと向かっていった。

 移送の翌日のことである。宿舎から出て、抑留された兵士達は収容所の中央広場に集められた、幽鬼のように気力を失っている兵に向かって、監視塔に取り付けられたスピーカーから仰々しい口調での放送が流れ始めた。

「勇敢なるゼネバス帝国の同胞諸君に朗報である。

 貴公らの為に、今は亡き貴国皇帝の御息女にして、玉容と呼び倣わされし姫君、エレナ姫がこの施設を訪問なされることとなった。姫様に於かれては、父の仇を取るためにもヘリック軍との徹底抗戦を主張されておられる。このニクスの地に身を寄せ、健気にも諸君らの為にいらして頂いた。詳細な時刻は追って通達するが、明日、姫様が御出でになること、まずはお知らせしておこう」

 水を打ったように静まり返っていた兵が、放送が終了した瞬間一斉に歓喜の声を上げた。

 エレナ様が、姫様が御越しになられる! 俺達の為に、ここに来てくれる! 暗く打ち沈んでいた兵士たちの、一転して喜びに溢れる姿があった。

 人は誰かに出会うだけで、ここまで変わることが出来ることに、ゼネバスは驚愕していた。そして娘がどれほど兵士達に慕われていたことも。

 自分には及ばないと思った。やはり世代は変わりゆくものなのだと。

 兄ヘリックも子どもを授かった。兄の性格からして、嘗ての父ヘリックⅠ世の犯した過ちを繰り返さないように、恐らくその子に政治も兵士の道も進ませることはないだろう。

 それでも自分の帝国は兄の国とは違う。親の罪を娘に負わせるのは忍びないが、いまゼネバスの民を纏められるのはエレナしかいない。

 沸き立つ兵士たちの姿を見ながら、ゼネバスは、明日再会できるであろう娘の姿を思い描いていた。

 

 翌日エレナは現れなかった。

 通達では、姫は急病のため急遽訪問を取りやめることになったとだけ、連絡が流れた。

 エレナの来訪を心待ちにしていた兵士たちの落胆の様子は痛々しかった。それはゼネバスとて同じである。彼らは知らない。エレナが前日「父はガイロスに殺されました」と叫んだ事で暴動に発展し、一時巡幸を見合わせることになったのを。

 急病とは何なのか、果たしてエレナ姫は無事なのか。様々な憶測が飛び交い、大きな期待を破られた反動で、兵達は一層無気力になって行く。そしてその虚無感が、あらぬ方向に向かって暴走しようとする様を、ゼネバスは目の当たりにしていた。

 

「暴動だ」

 一人の兵が言った。誰もが口にしようとしなかった言葉が湧き上がったのだ。

 丸腰の敗残兵に、暴動を起こしたところで勝機はない。だが彼らは自暴自棄的な感情に支配されていた。

「死んでも構わない」

 それもまた言ってはならない、そして誰もが思っていた禁断の言葉であった。

 ゼネバスは、このままでは全員が殺戮されることを予測した。拉致されたとはいえ、かつては自分を慕い自分の為に戦った仲間である。皇帝の地位など意味はない。もし自分が名乗り出れば、あるいはエレナと同じように兵達にも生きる希望を与えられるかもしれない。

 もしかしたら敗戦の責任を問われ兵たちに責められ、彼自身が殺されてしまう危険性もあった。

 それでもいい。自分一人の犠牲で兵の不満が解消されるのであれば。

 これまで決して肌身離さずに携えてきたゼネバスの紋章が、今こそ役に立つときだった。

「エーヴ、私はエレナを守れないかも知れぬ。その時は死した後、死の国で詫びさせてもらおう……だがなエーヴ。お前は天国に行っているだろうが、私は地獄行きだ。死後に出会うことも叶わぬかも知れぬがな」

 彼はもう一つ決心していた。ガイロス皇帝と再び見え願いを通すとしたら、ただ一つを望むつもりだった。

 彼がガイロスの下に身を寄せる代わりに、エレナを解放することを承認してほしい。人質となるのは、彼だけで充分であることを強調し、この大陸の何処かに囚われているエレナを自由にする事だけを望もうと。

 

「看守棟に行ってくる」

 ゼネバスはぼろぼろの軍服と、左足を曳きずりながら収容所の最高責任者のいる建物に向かって歩き出して行った。

 


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