『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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14(2051年)

 ニカイドス島に死竜が舞い上がった。

 

 内臓が口から飛び出るような不快感。外の景色が猛烈な渦を巻いて眼下に流れ去って行く。体中の血液が逆流して頭部に流れ込み息苦しい。

 嘔吐感と眼球の充血、意識が遠くなる。間接が軋み、金属の引き千切られる音が響く。デスザウラーが悲鳴を上げる。重力を遮断され機体全体に不均等な捻れが生じた巨大ゾイドは、生きたまま八つ裂きにされているのだ。空中で散った残骸が舞っている。あれは腕、あれは脚、あれは、あれは……。

 突然、身体に重さの感覚が戻って来た。あの暗黒ゾイドの放った光線の影響が無くなったのだろう。自由落下、というものか。空を飛べない機体で、空から海面に叩きつけられるのだ。

 人生が走馬灯の様に流れるというのは本当だった。脳裏に武芸を重んじた父、美しい母、優しくも競い合った兄、愛しい妻と娘、その他無数の人々と戦いの記憶が、自分の野心に満ちた人生を責めるよう駆け巡って行った。

 首に提げていたペンダントが目まぐるしく回転するコクピットの中で煌めいていた。初めての妻に送ったゼネバスの紋章を象った美しい首飾りであり、エーヴの遺品であった。エレナも同じものを持っていたはずだ。彼の幸せの絶頂期にあった頃の思い出だった。

 あっけないものだ。人の最期とはこんなものなのか。虚無の余韻に浸る暇も無く、デスザウラーの胴体に繋がれたままの頭部コクピットごと、灰色の海面に叩きつけられた。

 

 記憶が飛んでいる。全身が痛い。淡い陽の光が見上げる水面から射し込んでいる。皇帝専用の特殊な機密式コクピットが直接の水没を防いだのか。キャノピーの隙間からは次第にひび割れが広がり微細な水滴を滴らせている。

 デスザウラーは陸戦ゾイドだ。水中からの脱出機能は備えられていない。一刻も早く脱出しなければ機体ごと圧壊してしまう。

 耳が痛い。気圧が上がっているのだ。万力で頭を締め付けられるような痛み。

 キャノピーを蹴る。思いきり蹴る。これが生への執着なのか。もう充分生きた。でも、死にたくない。

 もう一度蹴る。また蹴る。爪先が痛い。だが、蹴る。

 

 ハッチが開いた。水が鏡面の様に留まっている。内部気圧が高いため一時的に空気と水とが吊り合って、機内に流れ込むのを防いでいたのだ。

 それも数秒のこと。怒涛の様に流れ込んだ水流は、機内の残された空気と共に身体ごと機外へ吐き出して行った。

 

 息が続かない。肺が水圧で圧迫される。それでも淡い光を放つ海面は頭上のすぐそこだ。あと少し、あと少し。まだなのか、空気がある場所まで。

 

 ぽっかりと海面に顔が浮かんだ。兄と遠泳を競い合った頃を思い出す。周囲には無数の残骸と機体から流れ出た油膜がギラギラと光っている。浮かんでいる残骸に捉まろうとしても油で滑って捉まりにくい。それでも漸くオイルタンクのフックのような部分に足を引っ掛け、立ち泳ぎの姿勢で海面に半身を出すことに成功した。

 ニカイドス島が燃えている。時折輝く緑色の光はデッドボーダーの重力砲だ。

 私の部下が殺されていく。私のゾイドが破壊されていく。私の野心も奪われた。

 生き延びてしまったことを心底悔やんだ。呪った。

 

 ただ、一つだけ心残りがある。

 島に残してきた愛娘、エレナのことであった。

 

                 ※

 

 ニカイドス島での戦闘により行方不明となったゼネバス・ムーロアの生存が確認されるまでの約2年の空白期間にも波乱の展開があった。

 操縦していた皇帝専用デスザウラーより脱出した彼は、同島の西岸に満身創痍の状態で打ち寄せられた。失血による意識の混濁と低体温症による身体能力の低下により、冷たい大陸の北で動けないまま4日間意識を失っていたのだ。

 彼が生死不明となっている間、暗黒軍はエレナを発見し同島からの撤退を開始すると、撤退の間隙を縫って周辺海域ではゼネバス帝国に所属していた海族の漁民たちが非武装の水上ゾイドで出漁を始めた。

 表向きには、春季の潮流の変化に伴い一刻も早く漁業の再開を望んだものと、暗黒軍に拿捕された折に漁民たちは説明していた。だが実際はゼネバス兵生存者を救出する為に行われた自発的な行動であった。

 というのも、彼らの居住する中央大陸北西のニカイドス島からウラニスク海沿岸地域には、先の暗黒軍デッドボーダーの重力砲で海上に投げ出されたゼネバス軍の兵士が多数漂着していた。その多くは水死していて遺体は痛々しく欠損していたが、2割ほどは生存しており、その場合漁民の手によって手厚く保護され暗黒軍の目の届かない場所で療養された。最期まで勇敢に戦ったゼネバス兵は、旧帝国領の漁民にとっては英雄であり、彼らの名誉にかけても必ず救い出さなければならない命と考えたからだ。

 

 海族の漁民タクチェルは、初めて出漁してからまだ半年しか経ていなかった。

 出征した父の戦死により、先代からの漁場と退役したブラキオスを改造した漁業用ゾイドを譲り受けたが、父から充分に漁の技を伝えられなかったため、毎日不漁に泣かされていた。追い打ちをかけるように、帝国軍・共和国軍、そして暗黒軍の漁場への侵入である。潮目にある好漁場も、落下したゾイドの破片によって荒らされ、漁獲量は父の代の半分以下に減っていた。

 その日彼はいつものように定置網を仕掛けた後、周辺の漁場に漂うゾイドの残骸回収を行っていた。少しでも元の漁場に戻すために、鉤状の金具をワイヤーの先に結び付け、海底に沈んでいる残骸を回収していた。残骸は魚の産卵場所となり好漁場となるといわれるが、ゾイドの装甲板の中には、腐食せずいつまでも鋭利な刃物のまま海底に残り、仕掛けた漁網を引き裂いてしまう場合が往々にしてあったからだ。

 タクチェルは沖合からニカイドス島の沿岸にブラキオスの舳先を向けた。

 ふと、島の岩だらけの海岸にくたびれた海草の塊のようなものを見つける。彼は、海草の塊のようなものに目を凝らした。

 他の漁師たちが、何人もの兵士とその何倍もの水死体を連日漁村に運び込んでいるのを見ていた。

 海草にはあり得ない、宝石のようなものが光る。彼は身震いした。ゼネバス兵に違いない。水死体か、それとも生きているのだろうかと。

 岩礁の僅かな足場にブラキオスを上陸させ、横たわる兵士の生死を確認する。顔に深く刻まれた皺に砂が入り込んでいる老兵だった。パイロットスーツの端々が破れ、夥しい傷が露わになっている。首にゼネバスの紋章を象った美しいペンダントを提げ、その輝きがタクチェルを導いたのだ。

 死人と同じ顔色だが僅かに息がある。肌が氷の様に冷たい。彼は横たわる長身の兵士をやっとの思いでブラキオスに運び込むと漁村へと急いだ。その兵士の正体が誰であるとも知らずに。

 タクチェルが運び込んだ兵士は、すぐさま漁村の集会場の裏の納屋に運び込まれ、駆け付けた村医によって治療が施された。左足が骨折し、全身が細かい傷で覆われていた。骨折の治療と共に傷の化膿を防ぐための消毒が行われ、彼は全身包帯まみれの姿と化した。部屋の中が暖かくなるに伴い、皮膚感覚が戻ってきたのだろうか、時折低く呻き声をあげた。

 ぼろぼろの軍服では、階級の判別はできなかった。それと、これまで見たことの無いゼネバスの紋章のペンダントを持っていたが、その価値がどれ程ものかを知る者はいなかった。

 兵士は記憶が混濁しているらしく、村人への問いかけにも反応は薄い。少なくとも佐官クラスであることは予想されたため、警戒はより慎重になった。

 これまでにも、村には何度も暗黒軍の部隊がやってきて、脱走もしくは負傷している兵士がいないかを探していた。その度毎に、診療所からは患者を納屋などに移し、探索の目を逸らしてきた。代わりに水死した死体を見せて、引き取りを願うと、殺し合いに慣れていない暗黒軍兵士は長居もせずに戻って行った。今回も、同様の手段で保護をし、療養が済んでから、彼の処遇を考えればいい。村人たちはそう思っていた。

 兵士が意識を取り戻したのは、救出されてから更に4日たってからであった。包帯まみれの右腕が、何かを掴むかのように天井に向かって延ばされているのを、様子を見に来たタクチェルが気付いたのだ。

「兵隊さん、気が付きましたか」

 その声に応じて、彼の瞳が開かれる。タクチェルは顔中にも巻かれた包帯の隙間で、瞳孔が一気に収縮するのをはっきりと見ていた。

 彼は少しの間首を巡らし、周囲を確認していた。ゆっくりと伸ばした腕を降ろそうとして、頽れるよう右手を倒した。苦痛の為か、呻き声が高まった。驚いたタクチェルは、診療所へ医者を呼びに走っていった。

 

 見覚えのない天井。

 潮の香りと、生臭い漁具の匂い。

 引き戸の隙間から射し込む光が、ここが衛生施設を完備した、軍の建物ではないことを示していた。

 僅かに動く包帯にまみれた右手をかざしながら、彼は考えていた。

 

 生き残ってしまったのか。

 

 全身が痛い。どうやら左足は折れているようだ、感覚が鈍い。一体あれからどうなったのだろう。マイケルが戦死してからのことが、よくわからない。一時的な記憶喪失というものか。それにしても、私は誰だったのか。ガイロス? ヘリック? 誰だそいつらは。

 まだ、思い浮かぶ人がいる。エーヴ? マリー? 思い出せない。

 もう一人いる、明るい笑顔を湛えた少女だ。私の娘だ。名前は、名前は……

「エレナ!」

 

 叫び声と共に、彼は半身を跳ね起したが、その反動でまた床に臥せってしまった。

「意識が戻ったようですね」

 気が付くと、周囲には幾つかの人影が取り囲んでいた。身なりから、海族の漁民であることだけは判ったが、自分の置かれた状況はまだ呑み込めなかった。

「ここはどこだ」と言おうとしていたが、なぜか上擦って声がうまく出ない。彼の脳裏では会話するための文が組み立てられているのに、口をついて言葉が出てこないのだ。

 乳児の喃語のようにしか話せない彼に、村医は静かに語った。

「肺を圧迫されて、一時的な発声障害を起こしています。慌てずに療養すればすぐに回復します。安心してください」

 強い大陸北部訛りの口調を聞いて、彼はニカイドス島の戦闘までの記憶を一気に取り戻した。そして叫んだ少女の名前が誰であるかということも。見守る漁民たちの様子から、どうやら彼をかつての皇帝と知る者はいない。であれば、体調が回復するまでここで暫く様子を見るのも可能だと思った。添え木を当てられた左足を左手でそっと確認し、緊張していた全身の筋肉の力を抜いて、深く息をつく。引き戸の隙間から、煌めく波涛に浮かび上がって、古ぼけたブラキオスが見えた。

 ゾイド、この星になくてはならない金属生命体。きっとあの機体が、私を助けてくれたのだろう。

 久しぶりに味わった人々の温もりに包まれながら、彼は再び眠りについていた。

 

 日を措かずに見舞いに訪れる漁民の会話から、病床でもゼネバス帝国のその後の様子が窺われた。ニカイドス島に集められたゼネバス軍残存兵力は現在も暗黒大陸への移送が続けられ、間もなく全兵力が移動を完了するらしいとのことだった。表面上は沈黙を守っているヘリック共和国も、何れはこの場所まで進出してくるに違いない。衝突を避けるためにも、一刻も早く暗黒軍は撤収作業を完了しなければならなかったのに、これほどの時間がかかったのは、大型ゾイドの移送の問題であった。

 暗黒軍としては、ゼネバス帝国最強ゾイドであるデスザウラーを、一機でも多く接収したかった。後に様々な改造を施される機体として必要なゾイドであったからだ。但し巨大輸送船ホエールカイザーであっても、デスザウラーの搭載数は限定されていた。頻りに哨戒を繰り返すレイノスを脇目に、薄氷を踏む思いで移送作業を継続していたのだ。

 その中で気掛かりな話を漁民から聞いた。彼は敢えて、漁民の訛りの強い言葉が聞き取れないような素振りをして、表情を動かさず床に臥せっていた。

「エレナ様が捕まったそうだ」

 毛布の下で身を固くした。戦闘の混乱の中、久しく音信が絶えてきた娘の所在が、遠く海を隔てた暗黒大陸に移されたことを初めて知ったのだ。娘の身上を憂い枕元に置かれたペンダントを見つめた。

 ガイロス皇帝は、ゼネバス兵を動員するために決してエレナを殺すことはないだろう。しかし、まだ少女といえる娘に、北の大地での生活はあまりに酷い。親の責任を娘に負わせるのは親として受容できることではなかった。なんとしても暗黒大陸に渡り、娘を解放するためにガイロスと交渉しなければならない。

 漁民が去った後、彼は納屋にあった作業服を探し出し、引き戸の外へと抜けだした。

 納屋にあった手ごろな棒切れを杖代わりに使ったところ、左足の添え木は完璧に歩行を補った。痛みを感じることは少なく、体中に負っていた傷も老齢ながら普段の鍛錬の賜物なのか、忽ちの内に回復していた。顔の包帯を取り去ると、渚に停泊している旧式なブラキオスを視止めた。

 その時タクチェルは、また引き揚げたゾイドの残骸を集めていた。

 目の前には山と積まれた破片が散らばっている。

 漁場の復元は程遠いと実感し、溜息をついた。「今日も不漁だ」と。

 ふと渚に目をやると、自分のブラキオスに誰かが乗り込もうとしている。(くせ)も強く、父と自分以外には懐かなかったゾイドだ。慌てて駆け寄っていったものの、人影はブラキオスの長い首に軽く跳ね飛ばされていた。

「大丈夫ですか」

 見るとあの老兵だった。あの怪我からこれほど短期間で回復するとは驚異的であった。もしかすると暗黒軍の追っ手を気にして脱走しようとしたのかもしれないと思い、タクチェルは倒れたままの彼に話しかけた。

「兵隊さん、あんたを売るような真似をする村の人間はただの一人もいませんよ。なにせ、皇帝陛下がお亡くなりになり、エレナ様も連れ去られたんだ。身体を大事にしてくださいよ。もしかしたら、ヘリックの奴らと戦う時、力を貸してもらうかもしれないのだから」

 倒れた兵士に手を差し出すと、兵士は予想以上に強い力で握り返してきた。

「頼みがある。私をニカイドス島につれていってはくれまいか」

 これが怪我人の力、そして敗残の兵かとは思えないほど力強かった。

「無茶を言いますね。戦争は終わっています。兵隊さんみたいな人が行ったら、忽ち捕まって暗黒大陸に連れていかれますよ。ここで大人しく養生してください」

 タクチェルの言葉に反し、老兵が思いきり立ち上がった。

「他言無用だ。私がその皇帝ゼネバスだ」

 暫しの沈黙。見覚えのある肖像がタクチェルの脳裏を過る。鋭い眼光。(やつ)れているのに威厳が残る。嘘をつくにも他に言い方があるはずだ。まさか目の前のこの人物は。

「皇帝……陛下?」

「ゼネバス・ムーロアだ」

 バネ仕掛けの様に跳び退くと、タクチェルは砂浜に平伏した。ブラキオスに捉まりながら立ち上がったゼネバスは、近寄って再び身を屈めると、タクチェルに話しかけた。

「助けてくれたこと、改めて礼を言わせてもらう。敗残の身の上ゆえ、恩賞を渡すこともできず、遺憾に思う。その上危険を冒させるのは気が引けるが、先の私の願いを受け入れてはくれまいか」

 恐縮しきっている若者には、ゼネバスの言葉が聞こえていないようだった。それだけ純真なのだろう。繰り返し言葉を重ね問いかけた。

 漸く返答を受けたのは、それから数分を経てからだった。

「皇帝陛下さまの御命令であれば従います。ですがあの島にはまだ暗黒軍の連中が残っていて、帝国兵を根こそぎさらっています。皇帝陛下さまのお命が危険でございます。この地で私どもの皇帝さまとしてお残りいただけないのですか」

 ゼネバスは、ゆっくりと水平線の先に浮かぶニカイドス島を見つめた。

「気持ちはありがたく受けよう。だが、私にはまだやらねばならぬ仕事が残っているのだ」

 その時また、一隻のホエールカイザーが飛び立っていった。

 急がなければなるまい。手にしたペンダントと、灰色の巨鯨型輸送ゾイドを交互に見ながら、彼は水平線の向こう側に横たわっているであろう暗黒の地を睨んでいた。

 

 


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