『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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13(2046年~2051年)

 エーヴが逝去したのは、エレナが12歳の誕生日を迎えた春であった。

 人が孤独を感じるのは、決して一人きりでいることだけが理由ではない。例え周りに誰も居なくとも、心の繋がっている誰かを思うことができれば、寂しくはないものだ。対してどれほど周囲に人間が溢れていても、心が通わないのであれば一人きりで居る時以上に孤独感は増す。家族という絆で繋がれているはずの父と娘は、同じ王宮に居ながらも、その広大な佇まいにも似た希薄な関係へと帰着していった。

 母の死を境に、親子の間に心の溝が深く刻まれることを互いに感じていた。

 エーヴの死因は、慣れない王宮での生活による心労といわれている。だが、ゼネバスが暗黒大陸に亡命中も父カジミェシュの工房で働き、心身ともに健康であったエーヴが容易に心労で倒れるとは信じがたい。

 ここで、当時まことしやかに流れていた噂に、彼女が毒殺されたという情報がある。

 帝国は決して一枚岩ではない。前年にレッドリバー戦線をヘリックⅡ世自らが操縦する改造巨大ゾイド「ケンタウロス」によって突破され、帝国による中央大陸支配に陰りが見えてきた時期なだけに、地底族のエスノセントリズムを唱える集団が虫族出身の側室エーヴを暗殺し、再び地底族の正室を迎え入れようとしていたとの説もあるのだ。勿論、彼女の偶然の死を利用して、敢えて帝室に揺さぶりをかけるために流された後付けの噂ということも考えられる。現在に至っても、真相は薮の中である。

 ゼネバスの悲しみは大きかったはずだ。もし帝国が攻勢を仕掛け共和国を圧倒していれば、必ず彼は側近の眼も憚らずに嘆いたことだろう。しかし、共和国が地力を発揮してじりじりと旧支配地奪還を繰り返していた頃である。加えて帝国占領下の共和国首都に於いて、共和国の頭脳とも呼ばれたゾイド開発主任のハーバート・リー・チェスター教授が共和国特殊部隊によって奪取されてしまったことも、帝国の威信を大きく傷つけていた。

 ゼネバスは君主として、そして軍の最高権力者として規範を示さねばならない以上、悲しみを押し殺してでも陣頭に立たなければならなかったのだ。

 それに反し、少女エレナには母の死を受け入れることが出来なかった。

 そして肉親の死にも悲しむ姿を見せない父に、言い知れぬ憤りを抱いたのだ。

 以前から、父への不信は募っていた。祖父カジミェシュとともに過ごしたケック村の生活では、母は輝いていた。ところが帝都の王宮入城以降、母は確かに心労が重なっていたのだ。デスザウラーの戦線投入により共和国首都が陥落し、支配領域の増えた分戦意高揚のための各地への巡幸や、皇帝に代わっての政務の処理、恩賞の授与など、勝利が彼女への負担も増やしていた。平民出身の母には、王宮内には夫であるゼネバスしか頼るべき人はないのに、反攻を続ける共和国軍への迎撃に手一杯の皇帝は、いつも母の側にはいなかった。そしてそんな父の立場を理解できるほど、エレナは大人ではなかったのだ。娘の気持ちを感じ取れぬほどゼネバスは愚鈍ではないのだが、家庭と軍事作戦を同時に成り立たせるほどにも器用でもなかった。

 前年に結ばれたヘリックⅡ世とローザの間に男児が誕生し、叔父となったゼネバスが祝福の証としての腕輪を送った背景には、彼が亡くしてしまった己の伴侶への罪滅ぼしの意味合いも入っていたのかもしれない。

 エーヴの逝去以降、母の担っていた政務が、思春期を迎えた少女の肩に背負わされることとなる。エレナがもし、普通の家庭に生まれ、普通の生活をする、普通の少女であれば、恐らく父の仕事を嫌って部屋に閉じこもったことだろう。不幸にも彼女は充分に聡明であり美しく、そして自分の置かれた立場を弁えていたため、普通の少女の様な我儘を通すことができなかった。

 この頃エレナは、ニクスで父がもう一人の女性と結ばれていた事実を知った。それも彼女の母エーヴが先に結婚したにも関わらず、虫族出身というだけで第二夫人の地位に置かれ、後から結婚した女性はガイロス皇帝の血を引く名家出身の地底族のために、正室第一夫人の地位を得ていたこともである。その女性との間には継承権を持つ王子の誕生を得なかったため、周囲ではエレナには敢えて伝えることを控えていたのだが、折り悪く思春期の揺れ動く少女の潔癖を重んずる心に大きな衝撃を与えてしまっていた。彼女には、父の行為を理解できたが許せなかったのだ。

 華やかなライトパープルのドレスを纏った愛らしい王女が戦地を巡幸する。

 エレナが手を振れば、兵士もそうでない者も歓喜の声を上げる。

 煌びやかな金糸に連なったゼネバスの紋章が輝くと、力の象徴ゼネバス皇帝と、優しさの象徴エレナ王女という帝国の誇りの双璧が帝国の大衆の心に描かれた。余談だが、この巡幸時、エレナの背後には常に侍女キャロライン・ラーレナスが寄り添った。凛々しくも、常に控えめな姿で王女の背後に立つ当時17歳のキャロラインは、一部ではエレナ以上の支持を受け“バレッタ(髪飾り)”と呼ばれ、その二つ名が定着していったという。

 笑顔で手を振る姿の心の中で、エレナは、ケック村であれほど思い慕っていた父ゼネバスを、自分がいま信じられないほどに憎んでいることに気付いていた。

 憎んでいるのに、父の責任の一端を負っている。地底族の標として、自らの肌を晒すような姿であっても、それは父を愛した母の為であって、決して父のためではないのだと言い聞かせながら。

 そして呪っていた。ゼネバス・ムーロアの娘として生まれたこと、忌むべき裏切りの一族の血を引いてしまったことを。その証拠に、侍女キャロラインは王宮で一切の言葉を交わさず擦れ違う父と娘の姿や、私室で祖父カジミェシュが作ったデスザウラーの玩具に向けて、紙屑の玉を投げつけ囁いていたエレナを垣間見ていた。

「デスザウラーなんて嫌い。お父さまは大嫌い」

 彼女にとっては、帝国の支配地を拡大させたデスザウラーは母の仇に思えていたのかもしれない。

 

 少女にとっては過酷な、親しき者との次なる別れが訪れた。

「マイケル先生……」

 王宮外苑広場に佇む真紅のゾイドを前にして、エレナは言葉を詰まらせる。

 デスファイターはデスザウラーの改造機であったが、制式塗装の黒と異なることと、なによりマイケルが設計した機体であることが大きく印象を変えていた。

「行かないでください。嫌な予感がするのです」

 それでも不安は拭えない。漸く絞り出した言葉は彼女の気持ち全てであった。

 マイケルも、目の前の母を失ったばかりの少女を支えてやりたかった。だが同時に、皇帝ゼネバスへの恩義と軍人としての義務、そしてなにより技術者としての好奇心が、彼を留める術を失わせていた。

〝塔の上の悪魔〟と呼ばれたアイアンコングをたちどころに葬ったゾイドとは何なのか、その正体をこの目で見届けたい。もはや勇気と呼べる行動で無いことを彼自身も気が付いていたにも関わらずに。

「もう……もう……帰って来てくれないような。お母様だけじゃなく、先生までいなくなったら、私は……」

 途切れ途切れに続く言葉が何を伝えたいかはわかっていた。マイケルは出来る限りの優しい声で嗚咽を堪える少女に語りかけた。

 自分自身の抱える葛藤を隠しながら。

 悲しいまでに、自分が狡い大人であることを実感しながら。

「エレナ様は僕を信じてくれないのですか」

 俯くエレナは無言である。

「父が設計して、僕が改造して僕が操縦するデスファイターが、そんなに簡単に倒されてしまうと思うなんて、心外だよ」

 エレナの嗚咽が止まった。恩師へ向けた疑念の言葉に気付いた瞬間だ。

「エクスカリバーにダブルキャノン。ショルダーホバーだって装備されています。出力も通常のデスザウラーの二倍近い。例え共和国の新型ゾイドがどれ程強力でも、僕のデスファイターに敵うものなどないと思いませんか」

 背部に括り付けられた巨大な電磁剣は、陽射しを乱反射させて輝いている。確かに帝国に存在する全てのゾイドの中でも最強であることは、他ならぬエレナにも理解できた。

 もしかすると杞憂に過ぎないのかも。恩師マイケルが、負けるはずなどないではないか。自分はただ、母の死の直後であったために気落ちして不穏な予測を抱いたにだけではないかと。

「必ず帰ってくると、約束して頂けるのですね」

「やっとお顔をあげてくれましたね。勿論です。お約束します。帰ってもう一度、姫様たちと勉強しましょう」

 涙を拭うエレナの前で、マイケルは凛々しく敬礼をした。

「マイケル・ホバート技術少佐、ただいまより首都防衛の為に出撃します」

「御無事でお帰りください。私の心からのお願いです」

 エレナはマイケルの厚い胸に抱きつき、その温もりに顔を埋めた。パイロットスーツに機械油の匂いが染みついていた。

 兄の様に慕っていた恩師との、やはりそれが永い別れとなった。

 

 デスファイターが滑るように進撃していく方向を、エレナは視界から消えても暫く見つめていた。そして思った。

 父と、伯父ヘリックⅡ世の始めた戦争の原因とは一体何なのだろう。

 互いに人民の幸福を得る為に始めたものではなかったのか。

 戦争という究極の暴力が生み出した結果は、幸福どころか不幸しか生まれてこない。

 この星に飛来した地球という星の人々は、核兵器という最悪の破壊兵器を所有したという。しかし、ここゾイド星では、それを生成する技術も、材料も生み出されることも遂になかった。ただあるのは、より強力なゾイドを大量に生産し、戦うことである。放射能汚染という何千年にもわたる恐ろしい被害はないが、人の命を奪うことにかわりはないだろう。

 この戦争が、いかに多くの才能の、伸びるべき運命を滅ぼし去ったか。悔やんでも悔やみきれない。それは帝国が、死竜「デスザウラー」を開発した時に、既に気付いておくべきであったのかもしれない。

 彼女が初めてデスザウラーを目にした日を思い出す。マイケルの父、ドン・ホバート博士が実験場に臨席していた。居並ぶ王族や軍の首脳を前に出現した黒い巨大なゾイドは、名前に違わぬ凶悪な容貌をしていた。禍々しいまでに研ぎ澄まされた破壊衝動が、機体の全てから放出されている。凶悪さと美しさが同居していたからと思っていた。敵に勝つには、凶暴さも必要なのだと。

 それはこのゾイドの最大の武器を見るまで抱いていた感情である。

 賞賛と誇りは、一條の光によって奪い取られた。

 光芒の中心で輝く青白いチェレンコフ放射光。周囲には荷電粒子発射により原子核構造を破壊されたプラズマが纏い、撃ちだされる粒子の摩擦熱によって熱せられた空気が赤く縁取りを残す。光圧が射線上の気体分子を切り裂いて、野獣の咆哮にも似た轟音を発する。

 命中した先に残る物はガラス状に変成した砂状の残滓のみで、全ては無人の荒野と化した。

 大口径荷電粒子砲の、恐るべき破壊力だった。

 エレナは、これがゾイドの持てる力なのかと身震いした。禁断の力、開いてはならないパンドラの箱を解放してしまったと。そしてこのゾイドが敗れる時は父の帝国が敗れる時となる事も。

 

 奇しくもエレナの予想は的中した。ゼネバス帝国最強の改造ゾイド、デスファイターの敗北とマイケル技術少佐の戦死(この時点では、帝国側に於いて彼の生死が確認できなかったため)は、孤独な皇帝ゼネバスを打ちのめした。

「兄には妻もいる、子も産まれた。だが、私の周りには誰もいない。たった一人の甥をこの手に抱くことさえできない。マイケル、私には、君が本当の弟の様に思えてならなかったのに」

 両手で顔を覆い、慟哭するゼネバスの姿は、まさに帝国の現状そのものであった。ゼネバスを支えるべき妻は無く、友人を失い、娘は自分を拒んでいる。

 彼には誰もいなかった。その孤独感が「新しい友人」と称した暗黒軍を招き入れる原因となったのだ。

 エレナがその時の父の姿を知るのは、ニカイドス島に立て籠もった後のことであった。最後の決戦にデスザウラーで臨んだ父の姿を遥か遠くで見送った後、彼女は自分が取り返しの付かない仕打ちを父にしていたこと、父を追い詰めたのが娘である自分自身だということに気付き、心底から後悔の念に苛まれるのであった。

 


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