『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

12 / 61
12(2042年~2089年)

 マリーは、後宮のバルコニーから夜空に欠けた三日月を見つめ苦悩を募らせていた。

 胎内に育まれている新たな命は、紛れもなく海の向こう側に渡ったひとと繋がっている。共に過ごした日々の間には、望んでも得られなかった愛の標が、その別れの直後に訪れる皮肉な運命を呪った。この世に生まれる子供は、生まれながらにして父を知らず、そして名目を重んじる家で、母親の元からさえも引き離されるかもしれない。

 マリーは自らの身体を傷つけ堕胎することを考えたが、理屈では割り切れない感情が、彼女の行動を妨げた。期せずして得られた唯一の血の繋がりを断ち切ることが出来なかったのだ。

 解決する手段も得られないまま、やがて月が満ちた。

 マリーが産み落とした嬰児は、銀髪・白い肌・緋色の瞳を持つ地底族の身体的特徴のない男子であった。名家プロイツェン家は神族に連なる家系を持つため、父親側の血を強く引く子としてその出自を疑う者はいなかったが、生物学上での理由は異なっていた。

 常染色体劣性遺伝の偶然によって生み出されたアルビノ、別名先天性色素欠乏症と呼ばれる症状であった。紫外線耐性が弱く、重度の場合日光を浴びることさえ危険であるが、生まれた男子の症状は軽度のもので、弱い陽射しの暗黒大陸での生活には全く影響ないものだった。生気に満ちた産声をあげ、産後の経過も良好なその子は、プロイツェン家の将来を担う貴重な継嗣として一族より最高の祝福を受けた。しかし、彼女の心だけは穏やかではなかった。専門的医学知識を持たない彼女にとって、生まれた子どもは呪われた血の縛りが招いた結果と思われたのだ。

 数日が経過し、漸く見開かれた嬰児の緋色の瞳に見つめられたマリーは、偽りを重ねてしまった己の業の深さと、本来の夫である人物の血の呪縛を感じずにはいられなかった。それでも抱いた小さな命が精一杯の背伸びをする姿を見つめると、母としての無償の愛情が留まることなく溢れ出た。

 愛した人との愛の結晶。誰が唱えるともなく何百回も聞かされてきた陳腐な言葉と考えてきたことが、現実にはその言葉通りであるのを実感していた。

 この子を立派に育てよう。そしていつの日か時が訪れた際に真実を語ろうと。

 その子はギュンター・プロイツェンと名付けられた。

 

 マリーの新たな夫となった男性は、権力欲に取りつかれた哀れな人物であった。

 ゼネバスの去った後、ガイロス皇帝から提案された婚姻を逡巡することなく受け入れた。その姿は権力に逆らわない為というよりは、時の権力に媚びるようにも見えた。

 しかしそれを彼の素性だけに押し付けるのは酷である。

 誰もがガイロスの猜疑心を恐れていた。他愛の無い行動でも、容易に粛清の対象に転化することは、周囲の数多く事例が示していた。

 またプロイツェン一族にとっても、彼が宮廷に要職を得る事への多大な期待を背負わせ続けて来たのだ。皇帝仲介の婚姻を機会に、その後の権力の掌握を考えれば、自分自身の意思など抱く余地は無かった。

 表面上、彼は彼自身の息子とされたギュンターを愛おしんだ。ただそれは皇帝ガイロスの知る範囲までで、権力闘争に明け暮れる日々の中、いつしか仮の父と息子の関係は距離を置いたものとなっていった。

 後に思春期を迎えたエレナがゼネバスを激しく憎んで避けたのは、彼女が父を愛していた感情の裏返しである。だがギュンターとその仮の父とは、愛情も憎しみも無い、その本来の位置づけの他人の関係だった。彼にとってどこかで、ギュンターが自分の血の繋がらない息子であることを察知していたのかもしれない。母子の元から常に離れて政争に明け暮れた彼は、惑星大異変の最中に行方不明となり、未だ消息は掴めていない。

 マリーは母親として、そして時には不在の父親役として、優しくも厳しくギュンターを育てた。熱心に教育に情熱を傾ける母の姿に、プロイツェン家の一族も諸手を挙げて協力をした。学問から武芸の鍛錬、そしてゾイドの操縦技術。本人自身も知ることの無い、遺伝的な障害さえ感じられることなく、ギュンターは逞しく成長していった。

 マリーはその子を抱いた時から誓った約束を遂行する為、いつの日にか告げるであろう真実を書簡に纏め、人知れず隠匿した。天変地異でも起こらぬ限り、自分以外には開かれることの無い場所へ。

 

 ガイロス皇帝は、通常世襲君主にありがちな一夫多妻の婚姻形式を取らなかった。それは生涯妻とした女性は一人きりであったということではない。一人の女性のみへの愛を貫きたいというような誠実さではなく、後継者が複数誕生することを極度に恐れたという理由からだ。

 この稀代の覇王は、徹底した粛清と恐怖政治によって一代で部族対立の続く暗黒大陸を統一した。その戦い方は、僅かでも抵抗の姿勢を示した部族の指導者血族全員を抹殺し、その傘下にあったゾイド全ても破壊するという徹底した殺戮であった。

 暗黒大陸には、中央大陸と異なり、古代ゾイド文明にも連なる言語を有する民族が存在していた。彼らはオーガノイドシステムとは別のテクノロジー――ディオハリコンを利用する技術や、ギルベイダーの素体となるドラゴン型ゾイドの成育など――を継承しており、それが第一次大陸間戦争時の暗黒軍優勢の要因にもなった。そこでガイロスは、彼らの技術が今後流出する可能性を恐れ、ガンギャラドの完成後には技術を継承してきた彼らを全て抹殺してしまった。

 後の西方大陸戦争開始時に、ドラゴン型ゾイドの投入とディオハリコン搭載ゾイドの再生産が行われなかったのも、この時の古代ゾイド文明を引き継ぐ民族の消滅により、テクノロジーが断絶していたという理由があったからだ。

 

 ヘリック・ゼネバスの抗争に明け暮れる中央大陸にとって、ニクスは暗黒大陸と呼ばれる謎の存在であったが、ニクスにとってデルポイの戦乱の情報は、ゼネバスの亡命時に詳細に伝えられ、詰る所それが血族同士の争いに過ぎない事を知っていた。

 ヘリックⅠ世による統一と、その息子ヘリックⅡ世とゼネバスによる抗争は、猜疑心の強い皇帝ガイロスに、複数の継嗣を持つことをためらわせた。もし後継候補者同士で対立が発生すれば、漸く武力で捻じ伏せてきた各部族の軍閥達が再び蜂起するかもしれない。皇太子は一人で充分という発想も、中央大陸戦争の経過を見守ってきたからこそであろう。

 皇帝ガイロスが最初に授かった男子は心身に障害を持っていた。理由はゼネバスとマリーの間のそれと同じである。そして後継者として役に立たないと判断したガイロスは、誕生したての嬰児を即刻処理してしまったと言われる。その子は最年少で粛清された一人に数えられることとなった。

 長寿のゾイド人にすれば、長期に亘り後継者誕生の可能性がある。仮に最初の何人かが不適であっても、見極めた上でその成長の度に粛清し、新たな皇太子の誕生を待つこともできる。更に、もし妻である皇后が受胎の生物的な能力を失ったとすれば、スペア部品を交換するように新たな王妃を迎えればよいだけのこととしか、ガイロスは考えていなかった。そこには恋愛感情というものとは程遠い、ただの子供を産む機械としての認識しかなかった。

 それが本当に二番目に生まれた、最初の王妃との間の子であったかどうかという確証はないのだが、次に生まれた男子は、幸いにして心身ともに健常だった。ガイロスはその子を仮の後継者として、極力健康状態に留意し養育していった。

 残念ながら、彼の個人名は伝わっていない。正式に皇太子の地位となっていたのか、それとも全く後継者の地位に就くことはなかったのか、憶測は様々であるが、後の皇帝ルドルフの父である事だけは確かである。便宜上ここでは仮に、彼を〝皇太子〟と称することとする。

 この時期の、ガイロス帝国内での動向の殆どが不明となっているのは、やはり惑星大異変による資料や記録の散逸の為である。元来秘密主義のガイロス帝国に加え、大陸が二分され、首都もダークネスからヴァルハラに遷都された混乱により多くの情報が失われ、ガイロス帝室での動きを把握することは現在至難のこととなっている。

 やがて皇太子は成人し、生涯の伴侶を得た。彼は父ガイロスに似ず、妻を精一杯愛していたといわれる。そして彼が嫡子ルドルフを得たのが、未だに惑星大異変の混乱の残る2089年であった。

 この頃彼は、極度に自分の行動全てに干渉し、信頼の置ける旧来の忠臣であっても依然次々と粛清を続ける父ガイロス皇帝に対して疑念を抱く様になっていた。

 ガイロスの統治の仕方は、かつてゾイド星での部族間抗争が繰り返されていた頃であれば維持できたのかもしれない。だが、ヘリック共和国という仮初にも共和制を謳った国家が成立し、市民権思想が暗黒大陸にも流布していた以上、一部の貴族層からも皇帝への反感が高まっていた。

 父との確執を抱えた皇太子に対し、共和制を目指す貴族グループの一団が、皇太子を掲げたクーデターを画策した。皇帝ガイロスの廃位と、新たな皇帝の擁立である。

 皇太子自身の与り知らない所で計画された陰謀は、理想主義に燃える貴族知識層の未熟さと、彼らの団結力の弱さに阻まれ、決行以前に敢え無く鎮圧され、連座した者達は一様に粛清された。

 巻き込まれた形となった皇太子も、父の粛清の憂き目に遭ってしまった。この時ガイロスは、初めて人を殺すことに躊躇いを見せたと言われる。それまで行ってきた粛清が、皇太子と雖も例外を認めるわけにはいかなくなっていたからだ。

 帝室に衝撃が奔ったのは言うまでもない。間もなく後を追うように王妃が自害し、残されたのは、ガイロス本人と、未だ乳飲み子であるルドルフ(幼名は不明)だけとなってしまった。謀反を起こした皇太子の子であったため、ルドルフの後継者としての地位も危ぶまれたが、長寿のゾイド人としてもさすがに老いを自覚していたガイロスは、ルドルフの廃位を決断できず、結局、新皇太孫として擁立されることとなった。

 このクーデターの恩恵を最も受けたのは、他ならぬギュンター・プロイツェンである。皇太子が粛清され有力な後継者を失い、やがて訪れた皇帝の崩御と幼帝の即位によって摂政の職を獲得。権力を掌握し、その間、着々と反乱の総仕上げを行ったのであるから。従って誰もが、裏で謀略を巡らしていたのは彼であると想像する事だろう。

 クーデターの責任を負って粛清された首謀者と思しき貴族に、謎の資金源が存在していたことが判明している。それは決してギュンターが提供したものではないことも、彼の残した記録により証明された。

 手掛かりとなるのが、クーデターを計画していた貴族の所有ゾイドの中に一機だけ、非常に珍しい機体が存在していたことだ。

 メガトプロス。かつてチェスター教授救出に活躍した、ゲリラ戦には最適の2080年代には絶滅寸前の貴重な機体である。惑星大異変以降、帝国共和国の所有ゾイドの垣根は曖昧にはなっていたが、反乱に非常に有利なこの24ゾイドを、果たして彼らは何処から入手したのであろうか。

 このことから、謎の資金源に加え、反乱の背後には未だに正体の掴めない共和国諜報機関破壊工作部隊の暗躍(※『消された死竜』参照)もまことしやかに語られているが、真相は不明である。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。