『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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11(2041年)

 バレシア湾は朝凪の時刻を迎えていた。僅かな気温と気圧の変化によって沿岸地域には朝靄が立ち込める。視界は20m以下に閉ざされ、海岸線は白い闇に包まれていた。

 鏡の如く鎮まった海面に、停泊するウルトラザウルスの影が映り込むことはない。その飛行甲板から1日の始まりを告げる新兵訓練の掛け声が聞こえてきた。

 静寂を切り裂いて、海面から放射状の火箭が広がった。空中で放物線を描き標的に殺到する。燃料タンクに命中したのか、炸裂音が連続して発生し基地に黒煙が立ち昇った。

 低い機械音が響いてくる。沖合から巨大な何かが接近しているのだ。朝靄の中、巨大な口を開いた輸送艦から、次々と赤と黒の新型ゾイドが吐き出された。

 D-day、中央大陸再上陸作戦発動。

 ゼネバスが海の向こうから帰ってきた。第二次中央大陸戦争の開始である。

 想像を超えた出力で電波妨害を行う新型ゾイドディメトロドンの大量投入と、シーレーンを分断するウォディックの沿岸での遊弋は、連動して旧帝国領での残存勢力の再蜂起を促し、進駐する共和国軍を掃討してしまった。

 短期間に共和国が中央大陸全土を管理支配することに無理があった。占領政策が完全に整っていない中央大陸旧帝国領での通信網の遮断は、統治する共和国軍にとって致命的であった。なぜなら占領方針に於いて軍と政府の確執が少なからず存在し、結果大統領直接の指示に従って漸く運営していたという実情があったからだ。そのため、占領軍は極力武装を抑えた形で統治に当っており、帝国領全土を掌握するには充分な兵力がなく、進出してきた帝国軍に対抗できなかったのだ。更には故郷を遠く離れた帝国領に派遣されていた共和国の兵士達の間にも、戦闘終了の後も占領地での緊張した月日を送る事への厭戦感も募っていたのだ。帝国軍の進攻は、彼らの故郷への帰還の理由としては充分すぎた。引き波のように去って行く共和国占領軍を尻目に、旧帝国領の人々は歓喜した。

 ゼネバス皇帝が帰ってきた。「我々の皇帝陛下がお戻りになられた」。旧帝国領の人々は口々にその名を叫んだ。

「ゼネバス帝国と皇帝陛下に栄光あれ」と。

 帰還した帝国軍は、瞬く間に大陸の中央山脈西側半分にあたる旧領を回復してしまった。

 

 ゼネバスは、真っ先に妻と娘の待つケック村に向かいたかったはずだ。だが、中央山脈付近に位置するこの虫族の村は、まだ充分な国力を回復していない帝国にとって、共和国による再侵攻の危険性も残っていた。もし彼がケック村に直進すれば、その先に隠遁されている妻子の所在も明らかになる可能性がある。

 彼は敢えて帝国首都と王宮の奪還を優先し、大陸の西側を大きく迂回する形で中央山脈付近への進出を行った。

 但し、この皇帝自らの発案による作戦行動の背景には、或いは暗黒大陸で結ばれた地底族の女性との関係を気遣い、最初の妻への言い訳を考えていたのではないかとも囁かれている。

 

 連日の帝国軍勝利の報せに、エーヴは夫の帰還を待ちわびていた。

 再上陸から早くも1か月が経過し、帝国領の回復も達成された。軍の内部でも身を隠している彼女たちの所在を詳しく知る者は少ない。後は秘密裏に帝国の使者が出迎えに来ることを待つばかりである。

 ところがゼネバスの性格をよく知る彼女でさえも、夫の行動全てを予測はできなかった。出迎えに来たのは、代理の使者ではなかったのだ。

 ある朝、村にレッドホーンを引き連れた部隊がやってきた。解放戦以降のよくある単純な軍の巡回と考え、エーヴ達は遠くでレッドホーンの赤い機体を眺めていた。

 赤いゾイドの周りに軍を慕って駆け寄った村人たちの人垣が出来ていたが、不意に海が割れるが如く人垣が開かれた。中央に体格の良いパイロット服の男性が立っている。脱いだフルフェイスのヘルメットの下から現れたのは、長く待ち焦がれた顔だった。

 エーヴはその場に立ち尽くしていた。声が詰まって出てこない。

「お父さん、お帰りなさい」

 先に声をあげたのは、祖父に漸く作ってもらったアイアンコングの玩具を手にしたエレナであった。

「ただいまエレナ。大きくなったな」

「うん、たくさん食べて遊んで、(※小声で)勉強していました」

 逞しい肩がエレナを持ち上げ、少女は歓声を上げる。

「……重くなったな」

「お父さま、レディに失礼ですわ」

 エレナは6歳になっていた。

 娘に先を越され、駆け寄るタイミングを失ったエーヴがゆっくりと歩み寄る。

「お帰りなさい。ゼネバス皇帝陛下」

「エーヴ、それに父上殿。待たせて済まなかった」

 家族再会の瞬間であった。

 一歩引いて(かしず)く祖父カジミェシュたちを目にして、エレナは青い円らな瞳で、怪訝そうに父を見た。

「なぜお祖父ちゃんがお父さんに頭をさげるの。目上の人は大事にしろと教えてくれたのに」

 ゼネバスは笑った。

「そうだなエレナ。父上も顔を上げてください」

 エーヴも笑った。カジミェシュも、周りの村人たちも一斉に微笑んだ。ゼネバスは国民の心の中に帰ってきたのだ。

 エレナは、肩の上で父の温もりを感じていた。

 

 ゼネバスは帝国領回復の余勢を駆って、一気に共和国首都攻略を目指した。最終目標は中央大陸の統一である。積年に亘る共和国と兄ヘリックⅡ世への雪辱に燃えるゼネバスは、アルメーヘンでの国境の橋争奪戦を代表とするように各地での激戦を制し、帝国の領土拡大を盤石なものにした。しかし、単に共和国への憎悪だけがこの戦勝の原動力とは思えない。ゼネバスの行動には、来るべき暗黒軍の侵略に一刻も早く備える必要を感じた上での戦略と思える節がある。

 亡命中も決して心を許さぬ冷たい大地の独裁者ガイロスに、ゼネバスも大きな疑念を感じていたことだろう。それを防ぐためにも、一刻も早く中央大陸を統一しなければならないと。

 武骨な彼には、兄との和平という手段を選ぶことだけは受け入れられなかったのではないか。兄を屈服させたうえで、兄を守る。軍人として歩んできた義務を必要以上に自分自身に課した、彼の悲劇だろうか。

 

 一方、宮廷に戻った家族にとって、共和国との戦い以上に重要な問題が持ち上がっていた。エレナの教育である。

 ゼネバスの暗黒大陸脱出中に、祖父の元でエレナは他人への思いやりや、ゾイドの修理作業を通じての生きる力を会得していた。されど継承権はない王女であっても王族としての教育は必要である。

 まず、家臣の娘であるとして5歳年上のキャロライン・ラーレナスが選ばれ、学問を含めた身の回りの世話をする年の近い学友となった(※前述の通り、実際は女性部隊〝ミンクス〟所属の少女兵)。肝心の指導者であるが、このころのエレナはゾイドの改造に勤しむ、少女とはおよそかけ離れた趣味に没頭していた。大部分は祖父カジミェシュの影響だが、操縦する事よりも内部の機関の仕組みに興味を持って、時間が許す限り解体と組み立てを繰り返していたのだ。気性の強さは両親譲りで、自分の気の向いた時以外は決して机に向かおうとしない。様々な家庭教師をつけてみたのだが、全員が二日を待たずして根をあげていった。

 

 エレナが7歳の誕生日のことである。彼女の誕生祝賀会とは別件で、王宮に見慣れた訪問者が現れた。

「マイケル少佐、いや、博士と呼んだ方が良いか。一体なにが起こったというのだ。そんなに息を切らして」

「マイケルで結構です。それより皇帝陛下、折り入ってお願いがあります。共和国の新型ゾイドの件です」

 マイケル・ホバート。帝国ゾイド開発のトップであるドン・ホバートを父に持ち、自らも様々なゾイド開発を行う若き技術将校である。また、彼はゼネバスの数少ない心許せる部下であり友人でもあった。彼の手には、不鮮明な画像を印刷したものが握られていた。幾分呼吸が整った頃、(おもむろ)に語り出した。

「共和国が、サーベルタイガーのフレームをコピーした高速ゾイドを開発したという情報を得ました。すぐにでもサーベルタイガーの強化策を練るとともに、共和国の技術的な解釈を知りたいのです」

「青いゾイドの話は聞いている。まだサンプルは集まっていないが、データが収集され次第、すぐにでも連絡する。それまで待っていたまえ」

 この若い技術者は、常に偉大な父の影を追ってきたため、少しでもそれを超える業績を得ようと懸命であった。彼にとっての新型ゾイドの登場は、共和国であれ帝国であれ興味をそそられる事件であったのだ。

「マイケルおじさま、ごきげんよう」

 気付くと、足元でピンクのスカートの両端を掴んで会釈する少女がいた。宮廷の庭で遊んでいた彼女は、マイケルの姿を見た途端に駆け寄ってきていた。

「これはエレナ様、お誕生日おめでとうございます。でも僕はまだ〝おじさま〟と呼ばれたくはないのですがね」

 エレナは、ゾイド技術者のマイケルが大好きであった。彼は彼女の興味のある全てを教えてくれていたから、また、ゾイドについて熱心に興味を持つこの王女に対し、マイケルも頻繁に知識を与えていたのだった。

「今日はどんなことをお教えくださるのですか」

「皇帝陛下とお話をしてからだね。少々お待ちください」

「マイケル、高速ゾイドの件は了承した。あとはエレナの相手をしてくれたまえ」

 父の言葉を聞いて、彼女はマイケルの腕を引っ張りながら、お気に入りのゾイドの前に駆けていく。苦笑しながらも走って行くマイケルとの姿は微笑ましかった。まるで本当の兄妹のように戯れる姿を見て、ゼネバスには一つの考えが浮かんでいた。彼女にとっての最高の誕生日プレゼントである。

 

「僕がエレナ様の家庭教師に?」

 マイケルは目を丸くして激しく首を左右に振った。

「冗談は止めてください。一介の技術者に、王女様の教育など責任が持てません。他に専門家がいるでしょう。それに今は父の開発した巨大ゾイドの運用試験中なのです」

「それに関しては、トライアウトをトビー・ダンカン中尉に任せてあるから心配はない。それよりも、姫の教育者に関しては、思いつく限り試した結果なのだ。私からの頼みだ。娘に立派な知識を伝えてやってくれないか」

 皇帝に頼まれては、マイケルに断ることなどできなかった。

「身に余るお言葉です。承知しました。皇帝陛下の御命令であれば御受けします。

 でも、知りませんよ。将来エレナ様がゾイドを設計するようになっても」

「それもいいだろう」

 ゼネバスは見上げるエレナの背中に触れた。

「これからマイケルがエレナの先生だ。しっかり学ばせてもらいなさい」

 既に家庭教師の件を伝えられていたエレナは、満面の笑みを浮かべている。

「マイケル先生、よろしくおねがいします」

 少女の可憐な笑顔は、もはやマイケルの選択肢を全て奪っていた。彼は、ゾイド開発とエレナの家庭教師とを兼任することとなった。

 彼はエレナの興味が向いている分野を手掛かりに、言語や歴史など他の分野も織り交ぜて知識の裾野を広げていった。学問とは学ばされるものではなく学ぶものであり、自分の興味がある部分を伸ばすには、自ずと苦手な部分も取り入れる必要があることを伝えていった。結果として分野によっての好き嫌いの垣根は取り払われ、乾いた大地が水を吸収するように、エレナはありとあらゆる知識を会得していった。優秀な素質と、優秀な指導者の賜物ともいえるが、それ以外にも新たな要因が加わっていた。

 剃刀のように鋭い視線をした少年だった。一つ歳は上だという。子どもというには、常に暗い影を引き摺っている。

「シュテルマーだ。王宮の親衛隊付で面倒をみることとなった。見た通りお前と同じくまだ勉強が必要な年頃だ。キャロラインと共に、マイケル先生に指導をしてもらう。仲良くしてやってくれ」

「シュテルマーです。エレナ姫様、並びにキャロライン様。よろしくお願いします」

 父ゼネバスが紹介し終わると同時に、少年は静かに挨拶を交わす。はにかみや恐れなどが全くない。そして紹介した父にも、何某かの蟠りの様なものが受け取れる。

 罪滅ぼし。後に彼の父との過去の軋轢を知ってからのことではあるが、少年は父と繋がる「ガンビーノ」の姓さえ捨て去られ、シュテルマーという別姓を名乗らなければならなかった。生い立ちの厳しさが、冷徹な性格を育んだのかは定かではないが、少なくともエレナが持っている子どもの無邪気さを完全に抜き去ってきたような姿だった。

 シュテルマーはエレナに劣らず優秀だった。ただ彼女と異なるのは、学習を通して新たな知識の発見や技術の習得に喜びを感じているのではなく、彼がただ機械的に知識を会得しているということであった。エレナにはゾイドのシステムの一つ一つを理解するたびに喜びが生まれたが、シュテルマーにはそれがない。ただ語彙が一つ増えるだけだった。

 それでも、エレナには大きな出来事だった。マイケルの授業は楽しかった。それ以上に、大人たちに囲まれた環境の中、同年輩の男の子と一緒に勉強できるのが新鮮だった。カジミェシュのもと、中央山脈の村に隠遁していた時期以来である。

 負けず嫌いのエレナは、一つ年上のシュテルマーに負けないように熱心に学習に励んだ。シュテルマーは将来の親衛隊付となるための訓練とエレナの護衛職を兼ねていたため、学習時間は彼女ほどとれなかったのだが、それでもマイケルの授業と提出される課題の全てを期限までに終了させていた。

「姫様もシュテルマーも勉強し過ぎです」

 決して能力は低くないキャロラインだが、競い合うように学習する二人に根を上げていた。

 ゼネバスの思惑は的中した。あれだけ机に向かうことを嫌がっていた娘が、二人の学友と一人の優秀な科学者を付けることで、見違えるように学習を始めたのだから。そして幾度となく呟いていた。

「エレナが男子であったならば」

 


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