『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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10(2039年)

 第二夫人エーヴとの馴初めを語った以上、第一王妃マリーとの逸話を語らなければならないだろう。脱出したゼネバスが正室を迎えたのは捲土重来を誓った時期と重なっていた。

 ゼネバスは来るべき中央大陸への再上陸に備え、ディメトロドンなどの新型ゾイド開発に専念し、中央大陸から秘密裏に脱出していた旧臣たちを集め、上陸予定地バレシア湾の地形確認などを精力的に行っていた。エレナ達が無事であることは把握していたが、安全を優先させ接触は最低限のものとし、書簡のやり取りなども途絶えていた。

 故郷を逐われ雪と氷に閉ざされた異郷の地で雌伏する孤独な君主には往々にして心の支えが必要である。

 ガイロス皇帝はとある提案をする。ゼネバスと姻戚関係を結ぶこと、つまり政略結婚である。相手はゼネバスの母デキツェリと同じく地底族の出身で、叔父ガイロスに連なる名家の娘、マリーであった。

 ガイロスは猜疑心の強い皇帝である。デルポイとは比較にならない厳しい自然の中、絶えず反乱の萌芽を抑圧し続け、一代にして大陸統一を成し遂げるには病的な慎重さが必要だったのかもしれない。そして行き過ぎた猜疑心は容易に疑心暗鬼に変化する。ガイロスは常に側近に対する粛清を行い、多くの無実の犠牲者を生み出していた。

 敗残の皇帝ゼネバスを受け入れたのは義侠心などという綺麗事でない。ガイロスが望むのは、実り豊かな中央大陸デルポイの大地である。大陸を二分する戦争が終了し、一つの統一国家となってしまっては、来るべき中央大陸侵攻の障害になることは明白である。少しでも戦いを長引かせ、デルポイの兵力を疲弊させなければならない。

 ゼネバスの受け入れは互いの利害が一致した上での協力であり、常に距離を置いた関係を保っていた。その証拠に、ゼネバスは仮面の下のガイロスの素顔を一度も見たことが無かったが、ゼネバスもそれを不遜と思うことは無かった。

 政略結婚とは時代がかった黴臭い政策だが、古臭い世襲制度には有効であった。

 軍人ゼネバスは、敗残の地で妻を娶るのを不謹慎ではないかと葛藤した。何よりデルポイに残してきたエーヴへの気兼ねもある一方で、皇帝ガイロスの提案を無下に断ることはゼネバスの生命にも危機が及ぶ可能性さえある。

 彼は付き従ってきた側近たちに相談した後、ガイロスの提案を受け入れるべきとの結論に達する。

 その上でゼネバスは、真剣な顔で側近たちにもう一度相談したという。

「優しく美しい人であろうか、母上のように」

 その問いに即答できた者はいない。

 

 初対面の際ゼネバスは緊張し、マリーと視線を合わせるのに苦労した。エーヴとの馴れ初めとは異なり全く性格も判らない。ましてガイロスに連なる女性である。

「ゼネバス・ムーロワ様、お目通りが叶い光栄の至りです」

 正面を見据えた彼の前には、柔らかな微笑みを浮かべた女性が立っていた。ドレスの両裾を摘み敬意を込めた優雅なカーテシーをしている。貴族特有の立ち居振る舞いは、正室としても、帝国国民の前に立つ容姿としても申し分ない。ノースリーブドレスで露わになった肩の肌は、地底族の特徴である赤みを帯びた色を湛え、幾分褐色がかった黒髪が靡く。継母にあたるジェナス家出身のヘリックⅡ世の母にも似た、目鼻立ちがはっきりとした芯の強そうな女性である。

 マリーもこの婚姻が政略であることを納得していた。彼が海の向こうに先妻を娶っていることも承知済みだった。婚姻の拒否が自分を含めた一族全てに災いを被ることも知っていたが、それとは別に、初めて出会ったこの敗残の皇帝が人間味に溢れた一人の男性ともわかった。一目逢った時から、マリーはゼネバスを愛することができた。これもまたゼネバスの魅力であろう。ゼネバスが望んだように、彼を母のように受け入れる気持ちも固まった。

 残された問題は、ゼネバス自身である。申し出は男からするもの、という妙な執着により、婚約の儀は遅れに遅れたという。その過程を全て記述していると別章を設ける必要が生じるため、説明は割愛する。

 

 二人は結ばれた。

 

 大陸への帰還を準備する傍ら、後継者誕生への期待は大きく高まった。私生活の面でゼネバスは戦争と離れ、妻を愛する満ち足りた時期を過ごす。ゼネバスはマリーを心の底から愛し、マリーもゼネバスと同じくらいに愛した。二人は幸せだった。家庭生活に於いては、何の問題もなかった。

 しかし、最大の懸念があった。

 時間が足りなかったのかもしれない。過剰な期待が、母体に負荷を与えていたのかもしれない。ただの偶然かもしれない。そして考えられる最大の理由は〝血の縛り〟によるものかもしれない。

 二人の間に子供が生まれることがなかったのだ。

 最初、夫ゼネバスは気に病むことはないと慰めた。ところがニクスでの生活が半年たち、一年たっても懐妊の兆候が見られない。いや、厳密に言えば懐妊しても生を受けないまま早産したことが2回続いたのだ。医師に相談しても互いの身体に問題はなかった。問題は、互いの血にあったのだ。

 ゼネバスの母デキチェリとマリーは同じ地底族の名家出身であり血脈が繋がっていた。マリーとゼネバスとの間にはいわゆる遺伝上の障害があり、後継者を誕生させることができなかった。専門的には劣勢弱有害遺伝子(生存力ポリジーン)のホモ結合による発育不全である。

 マリーは女としての務めが果たせない事に落胆した。それは彼女の身体の問題ではなく、ゼネバスとの血縁上の障害である以上、彼女に責任は一切ないのだが。

 同様に落胆したのは、後継者誕生を望むガイロス・ゼネバス両帝国の側近である。政策としてしかマリーを見ていない人々にとって、彼女は価値のない存在となった。マリーは悩んだ。そんな妻を夫ゼネバスは常に庇ったが、彼自身も庇いきれない歴史の流れが再び動き出そうとしていた。

 D-day、中央大陸再上陸の準備が整ったのだ。

 ゼネバスは再びデルポイに戻らなければならない。後継者が誕生していれば再上陸と帝国首都奪還の祝賀に、堂々と正室マリーを発表できたろう。ところが暗黒大陸で娶った後継者を伴わない見知らぬ正室に、臣民がどのような感情を抱くか懸念された。

「マリー、私とデルポイに行こう」

 周囲の意見になど気にかけないゼネバスは、愛する妻に声をかけた。

 だが、マリーは決して首を縦に振ることをしなかった。

 彼女は自分が夫と共にデルポイに渡れば、この不器用な夫は彼女を気遣い決して第三の側室などを娶ることをしないのを知っていた。そしてデルポイには最初に愛した女性と娘が待っていることも。

 皇帝として何より必要なのは後継者を設ける事であり、それが出来ない以上重荷になることは耐えられなかった。夫ゼネバスは、自分以上にゼネバス帝国を愛しているからだ。

 旅立つゼネバスの背中も見ずに、マリーは私室に閉じこもった。皇帝の地位を思えばこそゼネバスとはもう会えない。そして彼との別れを決意した。

 マリーは実父を通じ、訣別の意思を込めてガイロス皇帝にゼネバスとの離縁と新たな婚姻の斡旋を願った。ガイロス皇帝も継嗣の出来ないマリーの事は伝え聞いており、彼女の申し出を断る理由もなく、次の夫となるべき貴族を選び出した。

 適任者は直ぐに決まった。ガイロス皇帝の側近として長く仕え戦いにも長けていた神族の名家、プロイツェン家の子息である。

 婚姻への段取りは滞りなく進んでいた直後、マリーは自分の身体の変調に気が付いた。

(まさか……)

 それは、去って行った者との愛の結晶であった。

 


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