『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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                 序(2101年)

 仄暗い仮設シートの中で光るのは、コクピットと繋がった通信装置の電源灯。隣には、内部からの緊急脱出用レバーだけが浮かび上がっている。
 衝撃吸収を優先させて詰め込んだウレタンの壁は、外で繰り広げられている激闘の騒音も吸い込み、何処か遠くの出来事のようにも感じる。
 激しく上下に揺れる機体も、今の身の上にとっては心地よい揺り籠のようであった。
〝大統領、御無事ですか〟
 トミー・パリス大尉という若者だ。セイバリオンの剥き出しのコクピットに座り、敵の攻撃を巧みにかわしている。回避行動だけでも困難なのに、重荷でしかない私を気遣ってくれている。

 大丈夫、私は貴方を信じています。

 これほど安らいだ気分になるのは何年振りだろう。周囲は殺意が満ちているのに、私は何物にも縛られずに、身を横たえている。
 私の成すべきことは終わった。
 終わってしまった。
 絶望もした。
 口惜しくもあった。
 でも、為政者としての持ち時間は終わったのだ。
 罪の償いは充分に果たしたはずだ。残りの時間は、私のために使わせてもらおう。

 幼い日、母や祖父、村のみんなと過ごした時間。
 王女として、いっぱいの愛情を注がれ過ごした時間。
 人質同然に、暗い大地に閉じ込められていた時間。
 妻として、全てを捧げて愛するひとを支えた時間。
 母として、無上の愛を我が子に注いだ時間。
 大統領として、民衆を率いた時間。
 軍の総司令官として、戦いに明け暮れた時間。

 でも、わたしにとって、いつまでも終わらない時間がある。
 私はルイーズ・エレナ・キャムフォード。
 忌むべきムーロワの名を捨てても、拭えなかったこと。

 私は、ゼネバスの娘ということを。




(2051—2052)
1(2051年)


 海風が、少女の頬を刺すように吹き付けていた。

 空一面を覆う鉛色の雲から微細な雪の粒が舞い、忽ち背後へと流れ去って行く。

 激しい向かい風に今にも吹き飛ばされそうな痩身を必死に堪えつつ、少女は海を見つめ続けていた。

 肩に羽織った純白のコートが、音を立てて激しくはためく。

 衣服の間から垣間見える少しだけ日に焼けた素肌は、少女が北の大地の住人ではないことを物語っていた。

 彼女自身にも聞こえないほど、小さな声で呟いた。

「お父さま」と。

 岸壁に砕け散る波涛はうねりを上げ、全てを飲み込むように逆巻いていた。

 

 2051年3月。春の訪れが程近い北の孤島で、ゼネバス帝国は滅亡した。中央大陸デルポイをヘリック共和国と二分した巨大な国家は、幾許かの残滓を歴史に刻んで消え去っていった。

 波涛の前に佇む少女は、その残滓の一人である。

 エレナ・ムーロア。皇帝ゼネバスの娘であり、玉容とも呼び倣わされる美貌の持ち主である。本人の望んだことではなくとも、その才媛は広く帝国臣民から慕われ、武骨な軍事国家のゼネバス帝室に咲いた一輪の花蕾であった。

 帝国は、兄ヘリックⅡ世の興した共和制国家と敢えて対抗するように、様々な面で古い世襲制度を残していた。皇位継承権は、ゼネバスの父ヘリックⅠ世が定めた男子による継承のみに固執した帝室典範のため、エレナに皇位が譲られることは無かった。典範を改訂し、正式に皇位継承を承認させる審議も何度かされたが、帝室内での元老同士の対立や、権力を巡る派閥の確執があり、共和国との戦争継続による混乱も加わり改正の叶うことはなかった。

 私的な時間にゼネバスが嘆いた言葉を何人もの側近が耳にしている。

「エレナが男だったら」

『歴史は繰り返さないが、韻を踏む』。ある小説家の言葉だが、皇帝ゼネバスと同じ嘆きを時代の為政者達が何度となく韻を踏んできた。世襲制の専制国家において、一刻も早く後継者を育てることは肝要であるが、ゼネバス帝国はそれを成し得ず、結果として帝国滅亡の遠因にもなったのである。

 

「エレナ姫、お身体に障ります。もうお戻りください」

「もう少し。もう少しだけ見せて」

 鉛色の空と、沸き立つ白い波の先に横たわる故郷デルポイを臨むべくもなく、黒いゾイドによって撃ち抜かれた父ゼネバスの行方も知れるはずもない。

 それでも少女は、肩まで伸びた淡いブロンドの髪を雪交じりの風に叩かれながら、波涛を見つめ続けていた。

 彼女は名目上〝保護〟されていた。

 国家併呑という形での究極の援護を行った暗黒軍団ガイロス帝国の最大の誤算は、優秀なゼネバス帝国軍人に忠誠を尽くさせるための象徴たる皇帝を葬り去ってしまったことであった。

 皇帝専用ゾイドの機体が、デスザウラーもしくはアイアンコングという情報の錯綜も災いした。重力砲による圧倒的な破壊力の差を見せつけたデッドボーダーの操縦者でさえ、初めての中央大陸での戦闘に緊張していたという理由もある。

 何より、皇帝自らがゾイドに搭乗し決戦を挑んで来ることを、暗黒軍の兵士全員が予想だにしなかった。彼らは勇猛果敢な戦士ゼネバスを知らず、後継者も決められぬ、老いた君主ゼネバスのみしか想像できなかったからだ。

 ほぼ全員が生死を共にした皇帝親衛隊の中、重症故に殉死の叶わなかった捕虜から皇帝戦死の事実を伝えられた時、暗黒軍ニカイドス島上陸部隊司令はすぐさま代替策を練り直す必要に迫られた。

 皇帝に代わる象徴を〝保護〟すること。武装を解除され、捕えた帝国軍兵士、及び最後までニカイドス島にまで付き従ってきた非武装の民衆に向けて呼びかけた。

「ガイロス帝国は、皇帝の遺児、エレナ姫を丁重に保護したい。所在を知る者は名乗り出よ。報告者には相応の褒賞を用意しよう」

 最後まで皇帝に従ってきた忠臣ばかりであり、暗黒軍の見え透いた策略に乗るほど愚かではない。民衆にも、彼女の所在を告げる者は一人としていなかった。

 一日経ち、二日経ち、三日を経過した時、上陸部隊司令はたちまち痺れを切らした。このままでは、自分がガイロス皇帝に粛清される。彼は部下に命令した。

「捕虜を拷問にかけてでも、エレナの行方を探せ」

 

 捕虜たちが見守る中、捕虜の兵士から長身の青年が引き立てられた。

 彼が彼女をよく知り、彼女も彼をよく知っている。そしてその事実を暗黒軍もよく知っていた。

 エレナ姫はこの中に必ずいる。それを話しさえすれば、楽になる。暗黒軍は、全ての捕虜に聞こえるように、青年に語りかけた。

 兵士は無言であった。ただ、鋭い視線を投げかけながら。

 予想した行動である。暗黒軍は予定された作業を開始した。

 衆人環視の中での拷問である。その方法を語ることは避けたい。

 それでも青年は、歯を食い縛り、流れ出る血潮にも耐えていた。そして叫んでいた。

「自分は平気です。エレナ姫はここにはいない。顔も知らない」

 暗黒軍にとっても、これは賭けであった。拷問という原始的な尋問で結論が出せなければ、暗黒軍の真意を知られることになる。名目とはいえエレナ姫の保護と謳っている以上、力ずくでの方法は危険でもあった。

 誰もが青年の姿に目を背けていた時、一人だけ真正面を向いていた少女がいた。その瞳には、燃えるような怒りが浮かんでいる。隣にいた女性が、思わず口にした。

「姫様いけません」

 

「やめてください」

 少女は立ち上がった。周囲から、絶望とも諦観ともつかない声が漏れた。

「わたしがエレナ・ムーロアです。その人を解放し、治療をしてください」

 

 当初の目的を達成し、安堵の表情を浮かべる暗黒軍の司令の姿があり、どんな仕打ちにも耐えていた拷問台上の青年が、がっくりと膝を着いて座り込んだ。

「エレナ、貴女はいつも僕の気持ちを裏切るんだ」

 そう呟いて。

 

 暗黒軍に保護されたエレナは、申し訳程度に仕立てられた帝室専用のホエールカイザーの一室に詰め込まれ、アンダー海、トライアングルダラスの彼方の暗黒大陸ニクスに向けて連れ去られた。

 新たな悲劇の始まりを嘆く様に、夜空に流星が舞っていた。

 

 


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