「さあ…。これからどうするよ」
三人で一通り泣き喚いた後の、妙な倦怠感を身体中に感じさせながら、俺はそう切り出した。
現在午前十一時。もうそろそろ仕事に戻らないと、控えめに言ってかなり大変なことになりそうだ。
「八神、お前は…」
八神は俺を見つめる。
「私、行くよ。ちゃんと行って、解決してくる」
「大丈夫?なんだったら私が…」
「大丈夫だよ。二人がついててくれるんでしょ?もう一人じゃないもん」
「コウちゃん…!」
遠山は感極まったように八神に抱きつく。
「私もパワーを最大限まで注入してあげる!」
「もう…。まったく、りんは…」
八神は呆れたように、しかし慈しむように遠山の頭を撫でる。
「ほら、司くんも」
「司くん…?まあいいや」
八神の…コウの頭をグシャリとかき回す。
「わっ、ちょっと」
「ん。行ってこい。お前なら大丈夫だよ、コウ」
「…ありがとう」
俺は立ち上がる。
「さて、じゃあ仕事に戻ろう。そろそろ行かないと俺たちのまずい」
「そうだね…。コウちゃん、いける?」
「…うん」
その時の八神の瞳には、かつての輝きが、また、瞬いていた。
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『イーグルジャンプ』に着いた。その時は緊張で、俺はもう汗で、全身シャワーを浴びたかのように濡れていた。部署の部屋に入る時は、それが最高潮に達し、汗のかきすぎで寒かった。
「よし、着いたな」
「…うん。そうだね」
コウは俺とりんを見つめる。
「二人とも、改めて、本当にありがとう。二人のおかげで、私は前に進めるよ」
「ーー見守っててね」
瞬間、俺にはコウの背中がとても大きく見えた。この後、こいつはなにか変えるかもしれない。根拠なんてないが、そう思った。
「山本さん、押野さん。少しお話よろしいですか?」
コウが話しかけに行った相手。山本真弓、押野梨々香。コウに危害を加えた人間だ。
「…何よ」
不機嫌そうに返す右側の女、山本が言う。キツそうなキツネ目で、思わずたじろいでしまう。
「先日のお話の件なのですが…」
「だから何?あたしはもうあんたと話すことなんてないよ。それとも何?諦める気になった?」
突然ニヤニヤと口元を歪める。
「それはないです」
「…は?」
山本は信じられないというように言葉に詰まった。
「おいっ、フザケンナ!お前ーー」
「梨々香!やめてよ」
押野の声が響きかけたのを山本が止める。押野梨々香。背が小さく、なんとなく、いつも誰かの後ろにいそうな、そんなイメージを抱かせる人だ
「…分かった。話を聞くよ。前のところでいいよね」
「はい」
そうして出て行ってしまった。
「おい、どうする。出てったぞ」
「追いましょう。行くわよ」
コウ達に気づかれないように後をつける。
#
コウが倒れていた場所、つまり資料室に、コウ、山本真弓、押野梨々香が集まっていた。何やら話し声が聞こえてくる。
「で、なんなの、話って」
山本はすこぶる不機嫌そうに 言い放った。それをコウは静かに聞いている。
「私は、メインキャラデザの仕事を受けます」
「はあ!?」
驚いたのは押野だ。
「なに、あんた話が違うじゃない!」
「でも、時間くれるって言いましたよね」
「う…。でも、それは、あんたがもうとっくに諦めてると思ったから…!」
「そんなわけないじゃないですか。私だって、キャラデザの仕事を目指してこの仕事に就いたんですから。あんなことされたって、私の意思は変えられません」
「まあ、そうよね」
「真弓っ!?」
「でも、あたしだって、夢だった。デザイナーになって六年。やっと、チャンスを手にできたと思ったのに。あんたさえいなければ…!」
山本が語気を荒げる。
「あんたには先輩を立てるって考えがないわけ!?新人には新人の筋の通し方ってもんがあるだろ!」
「ないですよそんなもの!」
コウが二人を睨みつける。
「そんなもの、くだらない!先輩を立てる?筋?そんなつまらないものにこだわってるから、六年やっても結果が出ないんじゃないんですか!」
「あんた…!何言って!」
「私は、違う!私は上下関係なんて、考えてない!私は最初から、あの場にいる全員がライバルだと思って戦ったんだ!そして勝利を勝ち取った!それを、そんなくだらない理由で手放してたまるか!」
「だったらなんだ!お前の考えなんて聞いてない!あたしは、ただ、お前に譲れと言っているんだ!」
「いやだ!」
パアン…!
頰を叩かれた音が部屋に響く。
「ふざけんな…!」
「ふざけてない!叩きたけばいくらでも叩けばいい!あなた達がなにをしようと、私は、私の道を行く!それは、誰にも変えさせない!」
「…!」
山本があまりの迫力にたじろぐ。もう諦めたか。誰もがそう思った時、
「…いいの?」
押野が口を開いた。
「八神。あんた以外のキャラ班は全員買収してある。たとえあんたがメインになったとしても、誰もあんたに従わない。それでもいいの?」
「いいですよ」
「…は?」
「別に、私に従う必要なんてないです。メインの仕事は、矢面に立つこと。私に従わなくても、全員がいいゲームを作りたいと思えば、それは必ず、いい方向に進んで行く。私はそう、信じています」
「…」
押野はもはやなにも言うことができない。満を辞して出した最後の策が、まったく相手にされなかった。
「ま、まって…」
それでも、山本は引き下がった。縋るように手を伸ばす。
「お願い…。ずっと夢だったの…。私も、同じ目にあって、ずっと辛い思いをしてた…。やっと…。やっとここまで来たのに…!」
「…私は」
コウは山本に目線を合わせる。
「確かにあなたに起こったことは、不幸だったと思う。でも、これは当たり前だけど、自分がされて嫌だったことを赤の他人にやるのは、はっきり言って間違ってると思う。…私は、正直、ほんのすこし前までは、諦めるつもりだった。それでも私が抗ったのは、私を理解して、励ましてもらったから。背中を押してもらえたから。あなたと私の違いは、そこだと思う。…私が言うのは筋違いかもしれないけど
…どうか、諦めないでほしい」
「…」
「……ううっ」
「ふざけんなっ!あんたが言うなっ!そんなこと…!どの口が言うんだ!あたしがどれだけの思いで、今まで頑張って来たか…!頑張って頑張って…。………。がんばって…。
がんばって、あたしは…。なんだ?あたしは、ただ、嘆いただけ…。こんなはずじゃ、なかったって、ただ悔やんでいただけだった…。それを周りの所為にして、大事な人を傷つけた…だけ…」
「…あなたは、まだ、始まっていないんです」
コウがゆっくりと語りかける。
「諦めずに進んで行けば、あなたが目指すところに辿り着きますよ。目の前のことを、一個一個…。私も、一個一個やっていかないと」
コウは立ち上がる。
「私は、もう行きます」
「あっ…」
押野は、それを止めることができなかった。
#
コウが部屋から出てくる。
「コウ!」
「コウちゃん!」
急いでコウに駆け寄った。
「つかさ…。りん…」
全身から力が抜けたように、ぐらりと揺れる。
「おっと…」
倒れないように抱きとめる。
「大丈夫か?」
「うん。…ううん。やっぱ大丈夫じゃない。…少し、休ませて…」
「ああ。当たり前だ…。頑張ったな」
「うん、本当に…っ。頑張った…っ」
いつの間にかりんが泣いている。
「おいおい。そっちこそ大丈夫かよ」
「だいじょばないよおお…」
りんの目からぼたぼたと涙が溢れている。
「じゃあ、これから葉月さんのところに行ってくるね…」
コウはまだ気怠そうだ。
「しょうがねえなあ…」
コウを抱き抱える。
「うわっ、ちょ…」
「ほら、いくぞ。倒れられたら困るからな。付いてってやる」
「わ、わたじも…ひっく。いく…」
「はいはい。分かったよ…」
#
「まゆちゃん…」
押野が山本に声をかける。八神がいなくなってから、ずっと呆けたように項垂れている。
「まゆちゃん…。だいじょうぶ?」
「……りり」
「うん」
「私って、間違ってたのかな…」
「…」
正直、押野には答えられなかった。心のどこかでは山本を止めなければと思っていたのに。それでも、山本を一人にしてはいけないと思ったから、押野はここにいるのだ。
「わたしね。わたし、まゆちゃんのことが好きだよ。好きだから、まゆちゃんには嫌われたくなかった。あのことがあってから、わたしと、まゆちゃんとみゆちゃんが離れ離れになっちゃって…。美幸ちゃんは、今でも悔やんでる。わたしは、美幸ちゃんに頼まれてるんだ。まゆちゃんをお願いって。泣きそうな顔で…」
押野は山本の手を取った。
「今回のことは、正直、正しいとは言えなかったかもしれない。あの子の言う通り、わたしは、まゆちゃんの友達なのに、まゆちゃんの苦しみを、ちゃんと理解できなかった。だから、ごめんね…!まゆちゃん、ごめんね…!」
「なんであんたが泣くのよ…。質問の答えになってないわよ…。それにこれはあたしの問題なの。あんたには、どうこう言う資格はないの…」
「それでもだよ…!わたしは、まゆちゃんのそばにいるだけだった。いるだけで勝手に自己満足で、まゆちゃんの気持ちを分かってなかった!本当に、ごめん…!」
「…ばか」
山本は押野を抱き寄せる。
「そのいるだけが、どれだけあたしの力になったか。それこそあんたは分かってないよ。それに、あたしの気持ちを分かってないなら、これから知ってってよ。あたしも、あんたのことが分かりたい」
「うん…!」
山本は天を仰ぐ。
「とりあえず、一個一個か…」
「どうしたの?」
「…一個。手伝って欲しいことがあるの」
「なに?」
「ミユに、謝りたい。見守っててくれる?」
「もちろんだよ」
#
「私、メインの仕事、受けます」
「そうか…」
あの後、俺たち一行は葉月さんの元へ行き、無事に、コウがメインキャラクターデザインになることを告げることができた。
「考えさせてくれと言われた時は、正直どうしようと思ったけど、よかった」
葉月さんは不安そうな顔をする。
「…何か、あったのかい?」
コウは、一瞬迷うようにしてから、
「いいえ。何も」
そう、笑顔で答えた。
その後、約束通り三人で焼肉を食べに行った。明日も仕事があるのに、とコウが反対したが、そんなの関係ねえ!!とばかりに無理やり引っ張って行った。おそらく明日はニンニクの匂いで吸血鬼を撃退できるだろう。焼肉の最中、コウが今回の事件についてぽつぽつとこぼした。どうやら、キャラ班は、投票の結果を事前に知ることができるらしい。だからこそ、今回のようなことが起こったと言える。嫉妬が度を超えた結果、暴走してしまったのだ。まあ、もう過ぎた話だが。
「すいません。注文いいっすか」
近くの店員に呼びかける。
「ちょっと、さすがに食べ過ぎじゃない?」
「なーに、大丈夫よ。肉じゃねえから」
ずっと言ってみたかった言葉を、今こそーー
「生ひとつ」
「だめええ!まだ未成年でしょ!」
「ふふふ…!あははは!」
三人で結局日付が変わるまで語り明かした。りんに内緒で飲んだビールはとてもうまかったし、りんの過去の失敗談は本当に笑えた。コウもとても幸せそうに笑っている。
もう俺たちは学校に通っていない。立派な社会人のつもりだ。
でも、この時の風景に、思い出に、もし名前を付けるなら。それは、『青春の一ページ』だろう。
お仕事は、青春だ。