日々が過ぎて
年が過ぎて
大切な人達が過ぎて
急がなくちゃ 急がなくちゃ
なんだか焦って つまずいて
もう駄目だ
動けねぇよ
うずくまってても時は過ぎて
考えて 考えて
やっと僕は僕を肯定して
立ち上がって
走り出して
その時見上げたいつもの空
あの頃とは違って見えたんだ
あの日の未来を生きてるんだ
全てを無駄にしたくないよ
間違いなんて無かったよ
今の僕を支えてるのは
あの日挫けてしまった僕だ
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朝、起きると、不意に頬が濡れていることが。よくある。自分の本当になりたい者のなれなかったからだ。今日もまた、濡れている。なぜだ?これからも、泣き続けるのだろうか。
シャワーを浴びて、身支度をし、家を出る。いつものバイクに乗って阿佐ヶ谷まで向かう。会社に着いて、タイムカードを通す。いつもの決まった行動。ルーティンワークだ。だが、この決まった行動の中にも、変化したことが多々ある。
「司、おはよう」
「うん、おはよう」
コウが明るくなったことだ。かつてそれを相談されたときは正直、呆気にとられたが、やはり好きな人が毎日笑っていると気持ちいいものだ。後輩に頼られ、先輩から信頼され、同僚からは友愛の念を持たれる。私のなりたい私に近づいてる気がする、と笑顔で漏らしていたことを思い出す。
「本当に今度こそは、司たちに恩返しがしたいの。だから、私は、私の誇れる私になりたい」
その言葉が今でも胸に焼き付いている。
俺は、俺のなりたい俺に、俺が誇れる俺になれてるだろうか。
思えば、腐ってた時期からここに至るまで四年ほど、がむしゃらにやってきた気がする。後ろを振り返る暇も、これで正しいのかと思い直す時間も余裕もなかった。フェアリーズⅡの製作が落ち着き、フェアリーズ外伝の製作に入ってからも、超がつくほどの優秀なスタッフが集まったお陰で、やることはもうほとんどない。会社に行ってからも、たまに入る確認作業をこなすだけだ。活気付くチームの面々を見ていると、企画、声をあげたことに誇りも感じられる。
ただ、過ぎて行ってしまうなあ、という後悔とも心残りともとれない、奇妙な残りカスが自分の中に沈殿しているだけだ。
会社から上がり、家に帰って煙草を吸いながら資料や、スケジュールを整理して、自炊して風呂入って寝る。ただそれだけの生活で、時間が過ぎて行くのは、勿体無いような、それでいて幸運なような。自分の身体だけ浮遊しているような感覚だ。
ベッドに入り寝ると、決まって夢を見る。鮮明な夢だ。はっきり細部まで思い出せる。自分の過去をまざまざと見せつけられるのは、どうも嫌な気分になる。
どこにでもあるような話。俺の両親は死んだ。交通事故。俺が七つの頃。俺だけ助かった。その後引き取られたのが、母親の同僚だった葉月しずくという女性の姉夫婦だった。姉夫婦は不幸にも子供が出来ない体質だったようで、俺のことをほんとうの家族のように迎えてくれた。
俳優になろうと思ったのは、些細なことだ。母さんがテレビを見て、「この人、かっこいいわねえ。演技も上手で」と漏らしたからだ。その俳優になんとなく母さんをとられた気がして、ムキになった記憶がおぼろげにある。どうやら俺には才能があったようで、幸運にも、認められるまでに時間はかからなかった。そんな俺を両親は誇りに思ってくれたし、俺も両親から褒められることが生きる糧になっていた。
そんなある日、母さんのお腹に命が生まれた。滅多に泣かない父さんが泣きじゃくっているのが印象的だった。俺が十五の頃だ。両親が、「お前にやっと弟を見せてやれる」と俺を抱きしめてくれた。本気で一晩中泣いた。
病院に行くために両親が乗った電車が脱線事故を起こし、両親が亡くなったと知ったのは、その二日後だった。
目が覚める。
やはり頬が濡れている。
もう吹っ切れたと思っていたが、まだ悲しみに溺れているらしい。
俺がなりたい俺の答えを、きっとこの夢は持っている。
だから、俺は泣いているのだ。
俺がなりたい俺を。
大事な人に誇れる俺を。
だからと言って、何か出来るわけでもなく。
時間が過ぎて行く。
いつしか随分と完成が近づいた。
世間の期待度も桁違いだ。
そんな中で、俺は自分の問題を抱えている。
その摩擦で、どこかが痛い。
なぜか、いたい。
自分だけが、置いていかれるような、痛みが。
「父さん、母さん。おはよう」
両親の墓に、手を合わせる。
「なんだか最近、変なんだ」
ここだと、自分の思った気持ちを正直に話せる。
「まだ始まったばかりなのに、半年しか経ってないのに、なんだか終わりみたいな気分なんだよ」
墓に手を置く。まだあったかい気がした。
「…また会いたいよ」
そのままうずくまってしまった。悲しいのか、寂しいのかよく分からない。ただ、ここには漠然とした不安と焦燥と諦念があって、それが汚く混ざりあった絵の具みたいになって、自分の心のキャンパスを塗りたくっているようだ。
俺は、まだ温かみが欲しい。
人の温もりを感じたい。
自分が生きていると思いたい。
そんなどうしようもない強い欲望が、俺を動かしたがっている。
「……」
冬の差し掛かりで、少し寒い。木枯らしが吹き抜け、どこまでも透き通るはずの青空は、曇っていた。
やがて雨が降ってくる。突き刺すような鋭い痛みが、身体中を襲う。俺を蝕んでいる苦しみが、雨に変わったのか。雨曝しだ。
ふと、地面を踏みしめる音が聞こえた。音はだんだん近づいて、俺の身体を影で包んだ。
「司くん」
「…りん」
俺の大事な友人、遠山りんだった。
「やっぱりここに居た」
「なんで分かった?」
「なんかモヤモヤしたらここに来るって言ってたじゃない」
「…言ってたっけ」
「言ってたわよ」
「…そっか」
未だに風は強く墓地を吹き抜け、雨は次第に強くなる。
「なんか、用があるんだろ?なんだよ」
「用っていうか…うーん。喝を入れに来たっていうか」
「喝?」
「だって、司くん、なんだからしくないから」
「らしくない、か…」
自嘲気味に薄く笑う。
「俺らしいってなんなんだよ…。わかんない、わかんないんだ…」
「大丈夫よ。自分がなんなのか分かってる人なんて、いないから」
「でも、俺らしくないって」
「だって、司くん、何かあったら相談してくれてたじゃない。みんなで解決しようって、そう言う人でしょ?でも、最近は私たちのこと避けるし、寂しくて」
「そんなことかよ…」
「そんなことって何よ。私たち、一緒にいるって、ずっと前に言ったでしょ?」
「…そっか」
「そうよ。だから、いま何か抱えてるなら、言ってよ」
「…ありがとな」
それから、りんに全てを話した。自分のどうしようもない願望のこと。自分と周りの摩擦。話した後も、りんはいつもと変わらず、優しい微笑みを浮かべてくれた。
「前に、コウちゃんが今の司くんとおんなじようなことを言ってたの。やっぱり似た者同士ね」
「そうかな」
「司くん、忘れないで。司くんが辛いと思ってること、嫌だと思ってることは、みんな辛いし、嫌だって思うの。キミは普通よ。だから安心してね」
「うん、ありがとう」
素直に感謝の言葉が出た。まだ雨は晴れてないけど、この苦しみの雨曝しでも、それでも、背負いながら進んで行きたい。
もう一度りんに礼を言って、俺は走り出した。
昼下がりのイーグルジャンプ。ずぶ濡れのまま帰って来て、そのままコウのデスクまで直行する。
「話がある。来てくれ」
「え、何?ここじゃダメなの?」
「ダメだ。大事なことだ」
「…分かった。良いよ」
ちょうど作業がひと段落したところのようだ。不承不承と知った感じでついてくる。着いたのは、俺たちが始めて会った場所。第一会議室。
「コウ、好きだ」
たった五文字に全てを込め、言い放った。
「………」
コウは少しの間フリーズした後、頭の先から首まで真っ赤にして、バグを起こしたように挙動不審になった。
「な、な、なん、な…」
「コウが好きなんだ」
駄目押しのもう一発。
コウは口を手で隠しながら、テーブルに手をついた。
「ど、どうして…」
「前に言ったよな?確か。一目惚れだ」
「でも、でも、私、ぜんぜん、司に釣り合わない…」
「俺の方こそ、お前にはぜんぜん釣り合わないよ。でも、好きなんだ」
「はうう…」
コウはしばらく固まっていたが、やがて俺をしっかりと見つめる。
「私も、好きだ」
「うん。良かった。振られたら死んでた」
「そんなこと言わないでよ…」
コウに向き直る。
「これから、よろしくお願いします」
「うん。よろしくお願いします」
二人揃ってお辞儀をして、たまらず吹き出した。
これが終わりで始まり。
一人が終わり、二人の始まり。