年は過ぎゆき、今と同じものはない。
全てが変わっていき、「新しい」と言うものをただ繰り返す。
人の思いも、関係もまた然り。同じ瞬間など二度とないのだ。
何が言いたいのかと言うと、もうすでに11月だという事だ。司もコウも無事十九歳になり、来年には二十歳になる。
六月からコウは会社に出てこない。事態を知った葉月がコウに自宅作業を命じたからだ。しかし、コウがいなくなったところで仕事場の空気が良くなることはなく、誰も話さない、ただ作業をして定時に上がる、という状態がずっと続いている。一部では、この状況の真の原因は、自体を収束しようとしないプロデューサーとディレクターだという話が出回っている。最近は、プロデューサーからの催促も無視され、スケジュール調整が厳しくなっている。
そんな中、その渦中にある例のプロデューサー、宮前司は、自分のデスクに座ってただ黙々とタイプしていた。ある作業の締めに入ろうとしたのだ。これから彼は、一世一代の大勝負に出ることになる。
「お疲れ。どう?進捗は」
「りん」
不意に声をかけて来たのは、同僚である遠山りんだ。愛知出身で、同郷である。
「ああ。もうちょっとで終わる」
「そう?でも少し休んだら?そんなに気を張ってたら疲れちゃうでしょ?」
そういえば、肩がえらく凝っていることに気づいた。どうやら疲れたと自覚しないと疲れない体らしい。
「それはまだ若いからでしょ」
「お前だって俺と同い年だろうが」
「はいはい。じゃあ肩揉んであげるわね」
そう言って司の肩に手を置く。その絶妙な力加減は、思わず昇天してしまいそうだ。
「あ〜あ〜あ〜」
だから、こんな声も出てしまう。
ふと、りんが心配そうに訪ねてくる。
「…今更だけど、本気なの?」
「うん」
「…そっか。そうだよね」
「別にお前までそこまでしなくてもいいんだぞ」
「協力してもらうって言ったの司くんじゃない」
「まあそうだけど…」
「大丈夫よ。私も出来るわ。だってこれも全部コウちゃんのためなんでしょ?」
「まあな。知られたら怒られそうだけど」
そう言って二人で笑い合う。
「…良し。出来た」
「よかったあ。間に合わないと思ったよ」
「それより、どれくらい集まってくれた?」
「予想よりだいぶ多いよ。今までの司くんの積み重ねね」
「良し。じゃあ決戦は二日後だ。一斉メールよろしく」
「任せて。…せっかくだから今日はもう休んだら?司くん、ここ最近ずっと根詰めてたから。コーヒー持って来てあげるから、それ飲み終わったら帰ってね」
「ああ、じゃあお言葉に甘えてそうしようかな」
「よろしい。じゃあ持ってくるね」
りんが嬉しそうにデスクを離れる。話す相手がいなくなるといよいよひどい疲れを感じた。本当に休んだ方がいいかもしれない。
「少しよろしいですか」
うつらうつらし始めると、誰かから声が掛かった。見れば、焼けた肌に意志の強そうな目の持ち主が。
「阿波根さん」
「うみこって呼んでください。阿波根はやめてと言いましたよね?」
「あ、はい。すみません」
この年上のやり手プログラマーは二週間前、他のゲーム会社から移って来た。最初は企業スパイか?と噂されていたが、彼女の確かな腕は、このイーグルジャンプに必要不可欠なものになった。が、未だに会社に馴染めていないようだ。司が言えた話ではないが。
「それで、どうしたんですか?うみこさん」
「ああ、そうです。話が逸れてしまいました。…あのメールは、いったいなんですか?」
「それは、二日後に説明するつもりだったんですけど…」
「添付された資料は読みました。でも、まだ今やってるものも完成してないのに、新しいものをやる意味が、果たしてあるのですか?」
「ありますよ」
沈黙が二人を支配する。
「それは、いなくなったというメインキャラクターデザイナーのことですか」
「そうです」
「八神さん、でしたっけ。彼女は負けたんでしょう?負けた人間はどこまでも逃げ続けますよそんな人間を、連れ戻す価値があるのですか?」
「いいえ、ひとつだけ間違ってます」
うみこを見据える。
「あいつは、まだ戦っているんです」
「……」
再びの沈黙。しかし、今度はそう長く続かない。
「分かりました。明後日、楽しみにしてます」
「はい。期待していてください。最高の出来ですから」
うみこは会釈してブースを離れて行った。
しばらくして、りんが戻ってくる。
「くる途中に阿波根さんとすれちがったけど、もしかして喋ってた?」
「ああ。あと、阿波根さんじゃなくて、うみこさんって呼んだ方がいい」
「なんで?」
「命の保証はされなさそうだから」
#
あれから、司は仕事で行けない日もあるが基本的に毎日、コウの部屋の前に来ている。りんがしょっちゅう来ていると行ってもどうせコンビニ弁当とかインスタントラーメンとか体に悪いものを食べてるだろうから、健康にいい食材を使った手料理を持参して。そこで今日あったことをただひたすら話すのだ。しかし、いくら話しかけても中から返事すらも返って来ない。最近は近隣の人々から一人で扉へ向かってずっと話しかけてるやばいやつと認識されてるらしい。一度本気で通報されかけた。
「なあ、コウ。今日は早めに帰るから聞いてくれよ。近々大きな説明会があるんだ。まあ、非公式だけど。そこでうまくいったらお前に正式に依頼がある。ぜひ、受け入れて欲しいんだ」
返事はない。
「楽しみにしてくれよ」
扉の向こうにそう投げかけ、歩き出す。
決戦の時は近い。
#
「……っ」
扉の向こうの声を聞くたびに心が擦り切れそうだ。
彼は決して、嫌味とか、恨みつらみでここに来ているわけじゃないことは充分わかってる。
わかってるからこそ、自分の弱さが浮き彫りになる。
恩を返す、二人のとなりに並びたいとぬかしていたくせに、いざとなったら逃げた卑怯者。
その事実が自分の内側を掻きむしって、死にたくなる。
けど、その勇気もないんだ。
だれか私を笑ってよ。
そうすれば楽になるから。
お願い、司。