全てを語り終えた後、コウはしばらく上を向いて黙っていた。何も喋らず、シミひとつない天井をじっと見つめていた。
しばらくして、また口を開く。
「これで、昨日あったことは全部話したよ」
「…いや、話したよって…。だ、大丈夫なのか?」
「大丈夫なわけないよ。でも、もう、いいやって感じ。なんでも、どうでもいいよ。ごめんね、心配かけたみたいで」
「いや、いやいや、ちょっと、ちょっと待って 。なんでそんな諦めた風なんだよ。おかしいだろ。俺たち今からこの状況なんとかしようっつって、それで」
「別にいいよ。これは私一人の問題だから」
「それは違うだろ。俺たち三人で解決すべき問題だ。…要は、一年前のコンペの溝がまだ埋まってないって話だろ?もう一回話し合ってきっちり納得しあえばいいじゃないか」
「だからいいって。もうこれ以上何もしなくていいから」
「そんなわけには行かないだろ?なあ、なんでそんな投げやりなんだ。これからのイーグルジャンプにも、フェアリーズストーリーにも、お前は必要なんだ。…頼むよ」
「…これは、私ADを降りればいい話だよ。後任は山本さんにやってもらう。明日葉月さんにも話す。これでいいでしょ?」
「なんだよこれでいいでしょって。なんで俺に確認取るんだよ。ADを降りるだって?そんな勝手が許されるのか?」
「でもみんなこれを望んでるよ」
「みんなって…。そんな関係ないだろ?お前はどうしたいんだ」
「私は…」
コウは続く言葉をつっかえた。そして静かに涙を流した。
「私、は…ADを降りたい」
「…ああ。そうかよ」
司は強張った体を脱力させた。
「じゃあいいや。よくわかったよ。お前が望んでないなら、俺は何もしない。りんにでも頼めば?」
「りんにも頼まないよ。これは、私一人の問題だから」
「…そうか」
コウは言い終わると自分の荷物をまとめだす。
「じゃあね。心配してくれてありがとう」
「…」
司は黙ったままだ。
コウはそんな司を尻目に、玄関まで行き、出て行った。
「…なんで、なんも言わないんだ?」
「…昨日、コウちゃんから相談されたの。明日私が言うことに納得してって。口を挟まないでって」
「それは相談とは言わないだろ」
「でも、これで私は助かるのって言われたら、何にも言えなくなって…」
りんは今にも決壊しそうな目で司を見る。
「ねえ、このまま私たちが介入してかき回したら、それこそコウちゃん、困っちゃうんじゃないかな?私、コウちゃんの言ってること、案外間違ってないと思うの。このままADを続けるなんて言ったらそれこそ反対意見が出てくるでしょ?これが一番角の立たないやり方じゃないかな?」
「…」
確かに、りんの言ってることは一理ある。ここまでこじれた場合、それしか方法が無いと言っても過言ではない。しかし、それならコウは?ADをやめて、味方もほとんどいないキャラ班で、ずっとやって行くのか?
きっと、コウは大丈夫だろう。大丈夫と言い続ける。心配しないで。私なら平気なの。慣れてるから。泣きそうな顔で言うに決まってる。本当は辛いのに。
「…ふざけるな…」
ポツリと呟く。許せるはずがない。こんな状況になってしまったことも、それを放置することも、一瞬たりともそれを思ってしまった自分自身も。
「ならどうする?どうすれば正解だ?」
「…司くん?」
りんが心配そうに覗き込んでくる。
「司くんこそ大丈夫?無理してるんじゃない?少し休んだら?」
「いや、待ってくれ。もうちょっとで考えがまとまるんだ。もう少しで…」
「…司くん。もう、やめましょう?」
「なんで?」
「さっき言った通りよ。今最優先すべきはゲームを作ること。一社員の都合で遅らせるわけにはいかないわ」
「それがコウでも?」
「……」
「迷ってるんだったら、自分の好きな方を選ぶべきだ」
「……」
「……」
「ごめんなさい。私、帰るわね。ちょっと頭がこんがらがってて…」
「…ああ、送ってくよ」
「いいわよ。ちょっと、一人で考えたいの」
「そっか。じゃあ玄関まで行くよ。俺も考えたい」
玄関までついて行く。
「じゃあ、またね。明後日」
「ああ。じゃあ」
扉が開き、ゆっくりと閉まって行く。
さあ、考えるか。
つま先がつっかえる。
風景がスローモーションで再生される。
ゆっくりと床が迫ってくる。
「……え?」
意識が黒く染まる。
#
#
#
#
#
「こんにちは。私は遠山りんっていうの。同期は私たちだけみたいね。あなたは?」
「…八神」
「八神さん!よろしくね!下の名前はなんていうの?」
「…コウ」
「じゃあ、コウちゃんね。よろしく、コウちゃん!」
「な、名前呼びは、ちょっと…。恥ずかしい」
「か、かわいい!その照れ顔、かわいいわ!」
「ちょ、ちょっと、やめてよ…」
「ごめんなさい。つい面白くて。でもこれから長い付き合いでしょ?よろしくね、八神さん」
#
#
#
「ひどい、ひどいよ!八神さんは悪くないのに!l
「と、遠山さん。泣かないで。私は、大丈夫だから…」
「大丈夫なんて言わないで。嘘つかないでよ」
「う、嘘なんかついてないよ」
「じゃあ、なんで泣いてるの!?」
「……」
「お願いだから、嘘はつかないで、自分自身につく嘘ほど、悲しいものはないから」
#
#
#
「やったね、コウちゃん!メインキャラクターデザイン担当おめでとう!」
「うん。これも、りんの応援のおかげだよ。ありがとう」
「ううん、そんなことないよ。コウちゃんが頑張ったからよ。私はただ側で見てただけ…」
「その応援が、私の力になったんだ。側に大事な人がいるなんて、それだけで頑張れるよ」
「コウちゃん…」
「今度は私がりんの力になるよ。だからこれからもよろしくね」
#
#
#
「…はは。心配、かけないつもりだったんだけどな」
「コウちゃん…」
「ごめんね、こんなことになっちゃって」
「…なんでコウちゃんが謝るの?」
「え?」
「これだけは言わせて。私は、あなたの味方。どんな状況でも、何を言われても」
「…ぐすっ」
「よしよし。もう、泣かないの」
「ごめん。ごめんね、りん」
「違うの。こういう時は、ありがとうって言うのよ」
「うん。ありがとう、りん。大好きだよ」
#
#
#
「聞いた?話」
「聞いたわ。あなたに反発してた人たちが一斉に辞めるんでしょ?」
「うん。でも、これでよかったかもしれない。言い方悪いけど、これで仕事しやすくなったよ」
「…でも、ずっと戦力だった人がいきなりいなくなるのは、流石にきついんじゃない?」
「それは、後輩指導しかないよ」
「コウちゃん、それは」
「わかってる。でも、葉月さんがADとキャラ班リーダーの分業化してくれることになったし、専門学校からも何人か良い子はいるの」
「……」
「もうフェアリーズは終わっちゃったけど、私、変わるよ。もっと明るくなって、みんなから慕われて、頼りにされる先輩になるよ。…だから、もし昔の私に戻っちゃいそうなら、りんが引き戻してくれる?」
「もちろんよ!だって私、コウちゃんの味方だもの!」
#
#
#
#
#
「…っ!」
目が覚めた。頭がいたい。なにやら濡れているようだ。生温い。
「血…」
「ちょっと、司くん!大丈夫!?」
玄関の扉が激しく開かれ、血相を変えたりんが飛び出て来た。
「いきなり大きな音がして…。ち、血が出てる!きゅ、救急車呼ばなきゃ、えっと、110番かしら119番かしら」
「…はは」
不意に笑いが出る。
「笑って!?これはいよいよ危ないわ…!ちょっとまってね、もうちょっとの辛抱だから」
「いや、いいよ…」
「そんなこと」
「いいんだ。それより、聞いてくれよ。いや、ほんと笑わずにはいられねえよ…」
「…頭打ったからおかしくなったのかしら…?ー」
「そうか、そうかもな…。だってよ、俺がいなくても良かったんだ。きっと、あれが正しい歴史なんだよ。俺はいらない存在なんだ」
血とは違う、透明で、しょっぱくて、なぜか無性に悲しくなるものが溢れてくる。
「司くん?」
「俺がいなくたって、コウはなんとかなってた。完全にじゃないけど、ある程度うまくいってた。俺が何かしなくたって、よかった。あいつは、笑ってた」
なにかを耐えるように。
「頑張るって。変わるって言ってた。俺がいなくても!」
「つ、司くん、落ち着いて」
「ちっくしょう…。なんだよ、俺が出来ることはないのかよ」
あの顔をさせたのは誰だ。
「俺が出来ること…」
あの顔をさせたのは誰だ。
「あの時、俺は、なにを誓ったんだ…!?」
それは、ーーーだ。
「りん」
「は、はい!」
「すまんが、協力してくれ。今回ばっかりは、りんの意見には乗れない」
「どう言うこと…?」
「正しい歴史を変えるのさ」
そいつにあって、頭を叩くまで。
「変えてやる…!」