キンシコウのあとについて道なりに進むと、人工物らしきものが見えてきました。広場にそびえ立つ木を囲うように作られた、壁が崩れ落ちた家でしょうか。
三人以外にフレンズの気配はなくて、風が通る音だけが鳴ります。
「ここです、ここがとしょかんです」
「博士は今いるのか?」
「呼んでみますね。コノハちゃんはかせー!いますかー!」
返事はありません。外出中でしょうか。
「博士は未知のフレンズの調査で森に出ているのです。キンシコウ、どうしたのです?」
背後から声が聞こえて、ゴーグルは咄嗟に尻尾を構えます。尻尾も剣と同じく研ぎ澄まされた刃なので、剣を落としても戦えるのです。
「…おお、ヒグマが言っていた特徴と一致しているのです。カモがネギを背負ってやってきたのです」
「あ、ミミちゃん助手!」
声の主は茶色いコートと茶色の羽毛の髪をもつ、光を吸い込むような瞳のフレンズでした。尻尾を降ろして向き直ります。
「赤と濃紺で長い尻尾、逆立つ甲殻のような髪、目を覆うゴーグル…そして、この常識はずれの大剣…間違いないのです」
「この人が博士か?」
「いいえ、助手のワシミミズクちゃんです。どうやら博士はあなたを探しに行ったようですね」
「そのとおりなのです。まあ、博士が戻るまで待つですよ」
「待っていられる状況ではない。こいつが足をケガして大変なんだ」
助手の視線がゴーグルの肩に担がれたフレンズにいきます。
「これまた見たことのないフレンズなのです。このフレンズをどこで?」
「すぐ裏の湖で。流木に打ち上げられていたので助けました」
「……ふむ」
ぐるっとゴーグルの周りを飛んで助手はフレンズの容態を確認します。時々ケガした部位を注視しその場で停止したりします。頭から生えた翼で飛ぶ姿に、ゴーグルは違和感しか感じませんでした。
「これは大変ですね。足の壊死が進行しているのです」
「…?」
「外傷がひどく、細菌も入り込んでいるのです。それに、長時間水中で放置されたみたいなので体力も落ちているのです」
「端的に聞く、どうすればこいつは助かる?」
「壊死がこれ以上広がる前に、足を切り落とすしかないのです」
この言葉に、ゴーグルは耳を疑いました。キンシコウも口を押さえてショッキングな顔をしてます。
しばらくしてハッと我に帰ったゴーグルは、助手の胸ぐらをつかんで声を荒げました。
「ふざけたことをぬかすとあなたの足を切り飛ばすぞ」
「事実なのです。壊死した部分を治療する方法はありませんし、このまま放置すればどんどん広がりますので」
「歩けなくなったら生きていけない」
「罠にかかったオオカミは、自分の足をくいちぎって抜け出すというのです。確かに障害が出てはきますが、足を失っても生きていく方法はないわけではないのですよ」
「………………」
助手の言葉は確かに論理性を帯びています。
足がなくなっても、命はそこで尽きるわけではありません。狩りや争いにはしげく不利になりますが、このジャパリパークではそれを避けることもできなくはないのです。
そこまで理解して、ゴーグルは掴んだ手を放します。助手は表情一つ変えることなくコートを整えました。
「…ですが、体力が落ちている今切除するのはリスキーなのです。最悪ショック死しますね」
「……そうか」
「としょかんで経過を観るのです。…さて、色々と調べなければならないことが増えたのです」
助手はゴーグルの横を通りすぎて、建物へ向かいます。手首をちょいちょいと振ってゴーグルのことを誘導しているようにも見えます。
ゴーグルは黙って彼女の後ろについていきます。このフレンズを救うには、助手の指示に従うしかないのだから。
「ありがとう、キンシコウ。あとは私に任せてくれ」
「そんな、でも…」
「あなたにはハンターの仕事もあるだろう。それに、明らかに現状に嫌悪感を持っている。…これ以上関わるのはあなたのためにならない」
顔色の悪そうなキンシコウを振り見て、ゴーグルは自分自身を大切にするように促しました。こういうショッキングなことに耐性がないのだと一目瞭然なので、これ以上は可哀想に思えてくるのです。
「…大丈夫だ。必ずあいつを助ける」
「…なぜそこまでこの子にこだわるのですか?」
「なぜだろうな。…ヒトとして…フレンズとして、これまでできなかったことをしたいだけなのかもしれないな」
彼女がフレンズになって感じた最初の違いは、慈愛の心なのかもしれません。
縄張りに入ってくる連中を、その刃と熱で叩き伏せるだけの存在…それが元のゴーグルでした。刃を鍛える技術も、獲物を追い詰める知恵と技もそのためのもの。
でも、今はそうではありません。自身を倒した、尊敬すべき“ヒト”になれたのだから。仲間と苦難を分かち合い、乗り越えていく種となったのだから。それに順応するための心が与えられたのだと、ゴーグルは結論付けたのだから。
「…わかりました。私の仕事をおしつけるようなことになってすみません」
「構わないさ。あなたは他のなすべきことをやってくれ」
頭を下げるキンシコウに後ろ向きで手を振ってとしょかんの中に入りました。剣をその場に突き刺してキンシコウも背中を向けます。
プラムを一緒に食べたかったなと思って、次あった時狩りにいこうと記憶にメモを取りました。
____________
「…これは何なんだ?あちこちに人工物があるが」
「本、なのです。ヒトの思考や発明を文字や絵で形にしたものなのです」
革張りのソファに漂流したフレンズを寝かせました。休むにはそれなりに充実した設備ではないでしょうか。
ゴーグルは建物の中を見渡します。壁に無数に棚が取り付けられ、その上に色とりどりの本が並べられていました。助手はその中の一つをとってページをめくります。
「お前の正体を調べる前に、そのフレンズの処置をどういった手順で行うか調べなければなりません。わかるまで大人しく待っているのです」
「わかった」
ゴーグルも一つ本を手に取りました。パラパラとページをめくって眺めます。
「………………。…もじ、というのはわからないな」
その本は写真と文字が入り乱れる資料集のようなものでした。なぜか人工物を首に取り付けられた犬や、かごから解き放たれる鳥などなど。
ゴーグルは文字は理解できませんでしたが、写真を見て想像を巡らせることはできます。
「…?これは…」
一つの写真が目にとまりました。下肢の片方を失った犬でしたが、鉄の棒をなくした足の付け根に取り付けて走っています。その表情に陰りはなく、何ら正常な個体と変わらないように見えました。
「………………」
地面を擦っていた尻尾が、自分の血の熱さで限界を越えて赤熱していくようでした。あてのない砂漠へ研磨剤を探しにいく前に、硬い甲殻の蟹が狩られにきた時のような、役得感があります。
ゴーグルの目標は決まりました。鉄ならば加工できるはずだと、ヒトの叡知を授かったならできるはずだと、彼女の心は熱く燃え上がります。
「…なあ、助手」
「どうしたのです、私は忙しいのですが」
「これ、使えないか」
「……?」
助手は静かに羽ばたいて彼女の隣に降りてきました。そして、ゴーグルの持った本のページを覗きます。
「お前は文字を読めるのですか?」
「いや、もじはわからない。だが、この絵の意味はわかる」
「ふむふむ…義肢、ですか」
「ぎし、というのだな」
「そうなのです。肢を失った生き物に、人工の肢を取り付ける。…着眼点は悪くないのです」
助手はそのページの文字を目で追っています。
「……ですが、パークにはもうこれはないのです。ヒトはもう、いないのですから」
「なら、一から作る。鉄を鍛える技術なら持ってる」
「…本当なのですか、それは」
「ああ。あの剣だって最初はか細いなまくらだった」
入口から見える突き刺さった大剣は、青く光を反射しています。助手から見ても、残された人工物と比べても遜色ない出来上がりだと感じています。
「…つくづくお前はわからないフレンズなのです。としょかんの本を見渡しても全く手がかりを得られないばかりか、ヒトの作り出したものを自分も作りたいと」
「ですがその知性へ挑戦する姿勢は、パークに新しい価値観をもたらすと思うのです」
「博士…戻ったのですね」
入口から白いコートのフレンズが入ってきました。助手にそっくりの、表情に乏しいフレンズがゴーグルを見上げます。
「あなたが博士か」
「いかにもなのです。アフリカオオコノハズク…コノハ博士なのです」
「自分の名前もわからないフレンズだが、こいつを助けたい気持ちに嘘はない。…手伝ってほしい」
「もちろんなのです。ですからその前に、新しい仲間に新しい名前をあげるのです」
博士の手には分厚い本。そのページをめくって一つの写真をゴーグルに見せました。
「……これは?」
「お前の名前なのです」
「??」
そのページには、夜空のように星々がきらめく写真が載っていました。ただ、大きな星が炎を放って爆散している写真もあります。
全く意図のつかめないゴーグルは、疑問符を頭の上に浮かべるばかりでした。
「お前の正体はここにある書物ではわからないのです。実際に存在していたかどうかすら疑問があるのです」
「………………。…どういう意味だ」
「ですが、事実今ここに、目の前にお前はいるのです。我々の観測できないところでお前という星は燃え尽きて、その輝きはこのジャパリパークで再びサンドスターの子となったのです」
「………………」
「スーパーノヴァ。星が燃え尽きる瞬間。宇宙に星の誕生の可能性を与える波。お前にふさわしい名前だと思いませんか」
博士の言葉の意味は半分もわかりませんでしたが、自分が正体不明の新しい存在というのはわかりました。
そして、“ノヴァ”という言葉を、あの時のハンターたちが使っていたような気がしました。何かの運命なのかもしれません。
「…ノヴァ、か。その名前、気に入ったよ。燃え尽きた私にぴったりだ」
「ええ、ノヴァ。我々に感謝するですよ」
ゴーグルのフレンズ…ノヴァは満足そうな表情をしました。自分が本当の意味で仲間として認められることが、こんなにもうれしいことだと初めて思いました。唯我独尊、目の前の生き物は例外なく斬滅する存在だった彼女には、知り得なかったことです。
「ああ、ありがとう。博士、助手」
「お前と、そのフレンズの正体もしっかり暴いてやるですよ」
「我々はかしこいので」