聴覚を直接破壊するような咆哮の後、火山弾のような光源がいくつも異形のセルリアンに降り注ぎました。豪雨をもろともせず大爆発を連鎖させて、中道は爆炎に包まれます。
その様子を崖の上から見ていたフェネック。土砂を飛び越してセルリアンへ突っ込んでいった影も、しばらく耳が使い物にならなくなるくらいの咆哮の主も、その眼で捉えていました。
「…えっ……ノヴァ、さん…?」
直後、黒煙を切り裂く赤黒い閃光が崖の向こう側へと放たれました。対岸の壁にあっという間にひびが走って、一帯を崩落させてしまいます。あんなものに当たっては遺体も残らないだろうと、フェネックも周りのメンバーも身震いしてしまうのも無理はありません。
「ど、どうなったんだ…!博士は…!」
「………………」
フェネックは言葉を失いました。煙が去って中道に残ったものを見て、皆絶句しました。
「…返せ。それは…私のだ」
「……え…?ノヴァ…?」
「…返せと言っている」
再びまぶたを開いてヒグマが視界に捉えたのは、燃え盛る大火でした。あらゆる箇所が赤熱して雨を蒸発させて、空間を歪めるくらいに陽炎をまとう大火。
彼女はヒグマから熱を失いかけた大剣を奪い取ると、それだけで刃は燃え上がりました。その様子を確認する間もなく構え直して、再びセルリアンの方へ視線を向けます。
「…ウヴァァァァァァッッッッッッ!!!」
咆哮。これが彼女のものだと頭が理解するまで、かなりの時間を要しました。いつも理性的で慈しみの心を大切にしていたノヴァから、魔物のような本能のままの咆哮。まるで、元の動物に戻ったかのようです。
そう考えている間にも、大火は辺りを炎上させてセルリアンを飲み込もうと牙を向けます。自身が砲弾になったかのごときスピードでセルリアンへ突っ込んで、ヒグマも重いと感じていた大剣を片手で振りかぶりました。
触腕で防ごうとしたセルリアンでしたが、防御は意味を為しませんでした。彼女の腕に黒い煙と閃光が走ると、振り下ろす大剣はさらに熱を帯びて加速します。
刃に触れた腕は熱で焼けるどころか赤熱し始めて、切断されてしまいます。たまらずセルリアンも悲鳴のようなものをあげてたじろぎました。触腕も痛みを表現するかのごとくうねってのたうちまわります。
「ど、どうなってるんだよ…!」
「あれが…ノヴァ、なの…?」
「こ、怖い……」
大火は尚も攻勢を緩めません。真っ赤に燃える手でもう一つの触腕を掴んでぶら下がって、刃を失った尻尾を何度も打ち付けます。熱はどんどんセルリアンを染め上げて、深い青色は熱っぽい赤色に濁されていきます。
触腕に攻撃している間も、口からはすすの砲弾を絶え間なく放たれて異形の顔も彼女の色に塗られていきます。砲弾は時間差で爆発して濁った青い液体をばらまきました。
フォッサも、ジャガーも、ヒグマも、目の前の大火の魔物に恐怖を抱かざるをえませんでした。自分たちが逆立ちしても勝てない相手を一人で圧倒しているのもそうですが、彼女から本能的に忌み嫌うものを感じずにはいられないのです。
「これが…あいつの野生解放なのかよ…?」
彼女の背中の傷があった場所からは、キラキラ輝く結晶が陽炎に揺られて舞っています。ヒグマたちと同じ、野生解放したときに発せられるものです。
でも、彼女が放つものはそれだけではありません。剣を持つ腕からは真っ黒な煙が立ち込めて、彼女の眼を守るゴーグルからは暗黒の煙と真っ赤な閃光が走っています。
まるでそれは、セルリアンが放つものと同じ物質のようでした。
「ガアアアァァァァァァッッッッッッ!!!!」
我を失って暴れる魔物は、とうとうもう一つの触腕をもぎ取ってしまいました。地面に落ちた腕は灰になって雨に流されていきます。
…そこにいた誰もが、動けなくなってしまいました。どうすることもできないのです。大火が放つ恐怖は、誰の行動も許さなかったのです。
ただただ、豪雨と雷鳴だけが流動を許されます。そして、その雷鳴の主も。
「ちっ!なにやってんのよ!!あんたら!!!」
「その声…ライなのか!?」
空をつんざく激しい声が崖道に響き渡りました。
「ゴオオオォォォォォッッッッッッ!」
「バっカじゃないのっ!!あんたはぁっ!!」
緑の側撃は大火を捉えました。その二又に分かれたハサミのような尻尾で彼女を捕らえて宙に放り出します。そのまま抱きかかえて、半円を描くように飛んでヒグマたちの目の前に降りてきました。
「上のやつら!!!足止め用の土砂を落とすのよ!!!早くっ!!!」
魔物の咆哮にも劣らない大きな声で叫びました。ライらしからぬ必死な叫び。どれだけ切迫した状況かは嫌というほど伝わります。
「あ、ああ!わかった!!いくぞぉ!!!」
「しょ、承知しましたわぁ!!」
「せーのっ!!」
「はいやぁ!!!」
攻撃隊にライの指示は伝わったようでした。丁度足止め用の土砂を落とす場所に、セルリアンはいたのです。
リーダー不在で指揮を失っていた攻撃隊ですが、王の血筋を持つヘラジカの号令で堰を切りました。事前に穿った穴の付近で力自慢の四人が地面を叩き付けると、穴と穴の間に亀裂が走って崩落を起こします。
「消え去りなさいっ!骸の化け物!!」
動けなくなったセルリアンに降り注ぐ土砂をどうにかする方法はありません。物量に押し流されるまま、激流の谷底へと落ちていきました。
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「……ど、どうにか、なった、わね…」
「!!し、しっかりしてライ!」
「…野生解放って……こんなに、辛いのね…」
尻尾で標的を押さえつけつつ片足でバランスを保っていたライは、光の結晶が消え去ると膝から崩れ落ちました。片足がない彼女は野生解放してなんとか飛んだり立ったりしてのですが、想像以上に消耗してしまったようです。
「……ああ、コノハ…。…あなたの犠牲は無駄にしないわ…」
「!!そ、そうだよ!!博士が!!」
「…勝手に殺すななのです」
ヒグマの腕でかかえられていた博士がかすかにまぶたを開いて、ノヴァに覆いかぶさるライと視線を合わせました。身体や衣服のあちこちが正体不明の何かに蝕まれて黒く変色していますが、生命は続いているようです。
「…私はいいのです…。それより…ノヴァ、は……?」
「いいわけないだろ!博士、こんなにケガして…!」
ヒグマは大声をあげて博士をしかりつけました。ノヴァのあの戦いは確かに異常でしかありませんが、生命の危機に瀕しているのは博士なのです。
ノヴァを押さえつけるようにしてたライも、ころんと転がって彼女の隣に横になりました。
「…あんた、…コカインやったでしょ」
「……こかいん…ああ、助手が麻酔に使った……」
「あれはすごい危ない薬なのよ…?依存性が強くて、あれ無しじゃ生きていけないくらいに…」
横たわるノヴァの熱はもう引いています。過度の興奮状態が引き起こした代謝の異常だったのでしょう。反動で気だるそうな顔をして、緑の雷光が引いた赤い瞳を覗いて息をつきました。
「……まあ、結果は私たちの勝ち、だ。…文句はあとで聞くよ…」
“そやな。この決戦はあんさんらの勝ちや”
“けど、勝負はうちの勝ちやでー”
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そこにいた誰のでもない、少し間の抜けた声が聞こえました。未だ恐慌状態から復帰しないヒグマとフォッサ、そしてジャガーは動揺を隠せません。意識の薄くなった博士やノヴァも考えを巡らせることができません。
はっとしたライが周囲を警戒した時には、もう遅かったのです。
“ディノバルドはもらってくでー。次はキミやよ、ライゼクス”
その声と同時に、ノヴァは崖の底に落ちていきました。いえ、引きずり込まれたというのが正しいです。
「えっ…ノヴァっ!!」
反射的にライは崖の底を覗きます。
ノヴァの片手には彼女が切り落とした触腕が巻き付いていました。腕から彼女の身体へと巻き付いてがっちりと締め付けて放しません。
「ノヴァっ!ウソよっ!!ノヴァぁぁぁぁぁ!!!」
ライでなくても、この後ノヴァがどうなるかは察してしまいます。冷たい激流に飲まれれば、彼女は体温を維持することができずに力尽きてしまうことでしょう。
「まだよっ!!まだあたしがっ…!!!」
渾身の力を振り絞って透けた翼を広げますが、フレンズたちの光の結晶はライの身体を飛ばすことはありませんでした。既に彼女はサンドスターを使い果たしているのです。
そしてついに、ノヴァは谷底の激流に飛沫を立てました。握りしめていた大剣もとうとう手放して…。
「ノヴァぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
…ライの叫び声は、雷鳴にかき消されてしまいました。
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「…ぬ?また雷なのだ。…ライさんが戦っているのか?」
「ライが戦えるわけないのです。片足がないのにどうして戦えるのですか」
「わぁっ!助手っ、驚かせないでほしいのだ!」
ケガもなんのそので崖道を走るアライさんの上から、音もなく助手が飛んできました。どうやら追い付いてしまったようです。
「しかし雨が止む気配がないのです。ノヴァにとっては致命的な天候なのです」
「ノヴァさんだって、戦えないのだ。ヒグマに自分の剣を託していたのだ」
「………………」
「助手は何か隠しているのだ。アライさんにも教えるのだ」
「………………」
助手の視線は崖の下にずっと向かっています。激流に運ばれる破片が視界に入って、気になっているようです。もしかしたらもう作戦が終わってしまったのかも、と。
心ここにあらずな助手の反応に、アライさんは不服な様子です。頬を膨らませて少し上を飛ぶ助手の視界に入ろうとジャンプしています。
「こっちを見るのだ!」
「…なんなのです?もう戦いは終わってしまったのですか?」
「無視はダメなのだ!」
「……え…あれは…」
助手がその瞳に捉えたのは、濁流の中では目立つ青く光る金属質な物体。崖の上から見えることを考えれば、かなりの大きさのようです。
心当たりは一つしかありません。しんりんの大木をいとも簡単に両断したあの大剣。それが、谷底の川に流されているのです。
それだけの情報があれば、賢い助手は予想をいくつも浮かべられます。自分が打った最後の秘策も、それによって起こりうる最悪の結末も。
「……ノヴァの、大剣…」
「…え?ノヴァさんの大剣?」
「…!!」
青い漂流物は、それだけではありませんでした。もう一つを見た助手は、青ざめて目を見開いてしまいます。
“へへ、やっと二人きりになれたなぁ、ディノバルド”
激流に飲み込まれたノヴァの体温は、すでに危険なところまで下がっています。さっきまで雨を蒸発させていた炎は消えて、美しいまでに研磨された青い鋼は濁流で汚されていきます。
泳ぎ方など知らないノヴァは、ただ流されるだけでした。息の仕方も浮き方もわからず、浸食してくる水が彼女の体力をあっという間に奪ってしまいました。
薄れていく意識の中で、何者かの声だけが鮮明に聞こえてます。やっと二人きりになれたと。
“あんさんのこと、ずっと気になってたんや”
(………?)
水の浸入を許さないゴーグルのおかげで、ぼやけてはいますが視識は生きています。ノヴァの目の前に何かが現れるのがわかりました。
身体に絡み付いていた巨大セルリアンの触腕はいつのまにか姿を変えて、フレンズのようなシルエットになったようです。
“みんなはキミの剣や甲殻がキレイって言うけど、うちはキミ自身が美しいって思うんや”
「ノヴァが…流されているのです…!」
「!!!本当なのかっ!助手っ!!!」
「助けにいくのですっ…!」
「当たり前なのだっ!!!」
自分の眼で確認する前に、アライさんは崖から飛び降りました。情報が思考回路を巡る前に、情報が身体に信号を送るのがアライさんなのです。激流に飛び込むこと自体自殺行為であることなどすっぽ抜けて、すごい知恵と技を持つ友達を助けにいきます。
助手も後を追って降下します。この状況を作ったのは恐らく自分であろうという感じたことのない不安な気持ちと、単純にもう一人の尊敬できるフレンズを失いたくない気持ちが濡れた重い羽毛をはためかせます。
「これくらいの川っ!アライさんの敵じゃないのだっ!!!」
「ノヴァっ…!無事でいるのですよっ…!」
二人の輝きは濁流を、岸壁を照らしました。
「…ふう。ここまで下ればフレンズたちも追ってこれへんやろ」
じゃんぐるのはずれ、さばんなちほーに程近い川の下流。広い岸にノヴァと変形したセルリアンは打ち上げられました。
日は落ちて暗雲の切れた端から星空が見えます。じゃんぐるの気候とさばんなの気候が対流を起こさず共存している、奇妙な光景です。
発光する青い影…フレンズの形をとったセルリアンは次第に姿をはっきりさせていきました。緩やかなフォルムの斑点の入ったドレス。両手にはめた乳白色の長い手袋には尖った骨がちりばめられ、同じ色のシューズもまるで頭蓋骨のような意匠です。
「…こんなこと、ほんとはしとうないんやけど…。ほんとはキミと一緒に…」
後ろで二つに縛られた髪は青く光を放って、少し荒れた毛先は乳白色に染まっています。
その姿は、さばくの地底湖にいたフレンズでした。ですが彼女はしゃれこうべの仮面を取って、素顔を露にしました。
肌は“ヒト”の色をしていません。透明感のある青い肌と、ギラギラと輝く黄色の瞳。長く伸びた横髪が仮面の内側からするりと抜けて、あのセルリアンの口腕のように動き始めます。
「……堪忍してな。また会う時は、きっと…」
かすかな息しかしていないノヴァの上にそっと座って、青い彼女は顔と顔を近付けます。
彼女はノヴァ自身が美しいと言いました。フレンズたちとは違う見解。美しい羽根や毛並みや鱗を持つフレンズに比べればノヴァの容姿は荒々しくて傷だらけです。実用のみを求めてきた結果ともいえます。それを美しいと評するのは、彼女がノヴァのことをよく知っていて、特別な感情を抱いているからでしょうか。
憂いたような恍惚としたような表情をして、彼女は顔をさらに近付けました。
「……ごめんな」
悲しげに独りごちた瞬間、彼女の身体は上流の方へと大きく飛ばされました。じゃんぐるの木に叩き付けられます。
「んなっ!だ、誰や!…水?」
「ぼくだよ~、ぼく」
どうやら高圧で発射された水を浴びせられたらしいです。着弾した頬から水と光る粘液がぽとぽと落ちてます。
下流の方へと視線を向けると、いたずらの犯人が川から顔を出しました。そのまま飛び出して青い彼女の前へと降り立ちます。
「またキミか…。うちの邪魔ばかり…」
「まぁね~。これも言い付けだからね~」
悪態をつく青い彼女は、忌々しそうに睨み付けました。
落ち着いた高貴な色合いの紫のセーラー服。その上から多彩な色に見える白いパーカー。同じくプリズムを放つ白い鱗とシックな紫の毛で覆われた尻尾は、泡立った液体を纏っています。
イヌ科のフレンズのように大きい耳は花のような美しい桜色。調和をはかるようにグラデーションの入った白い髪は、波のようにいくつも段を為して後ろに流れています。
視線を華麗な彼女の眼に合わせますが、彼女の瞳を見ることは叶いません。なぜなら、彼女の傷ついた眼はもう光を捉えることはないのだから。
「いまキミの相手しとるヒマはないんよ。いねや、タマミツネ」
「うん、きみも一緒にね~。一緒に海までいこ~よ~」
タマミツネと呼ばれた彼女の尻尾からは、泡立つ液体が染み出ていました。気付けば青い彼女の足元までも浸して、滑りをよくしています。
そうなればタマミツネの独壇場です。足を払ってやれば川へ落ちます。
「へぶっ!ちょっ!海はあかんて!もううち海にはいかれへんのやー!」
「大丈夫だよ~たぶん」
後を追ってタマミツネも川へダイブ。青い彼女を両腕でがっちり押さえて下流へと泳ぎ始めました。
青い彼女も泳ぎは得意なのですが、疲れからかタマミツネへの抵抗もかなわず引っ張られるままです。
“…頼んだよ、アライさん”