そろそろ静ちゃんの時代が来たんじゃないですかねぇ……?
俺の担任の平塚静は、今時珍しいタイプの教師である。
昨今の腰の引けた教育者たちと違い、己の意思をしっかり持って行動している。
悩んでいる生徒などがいれば、彼女なりの方法でケアだってする。
かといって、独りよがりな方法で解決しようとするわけでもない。
時には強引なやり方も見受けられるが、臨機応変さも持ち合わせている。
だからだろう。基本的に、生徒全般に信頼されているように見える。
しかし、浮いた噂を聞いた試しがない。
かっこいい系の美人だから、さぞかしモテるのだろうと思いきや、アラサーで未だに独身である。
心に芯が通っていれば、モテるというわけではないらしい。いきすぎれば変人なのだ。
女子アピールも下手なのであろう。たまにノリが熱血アニメみたいな所があるし。
結局の所、人におせっかいばかりやいているうちに、婚期を逃してしまったのだろう。
それが俺――比企谷八幡の平塚静に対する認識だった。
学校ではクラスメイトの名前すらロクに知らない俺である。
基本的には人間関係は破棄しているが、平塚先生とだけは因縁があったりする。
腹立たしくもあり、こっ恥ずっかしい因縁が。
あれは、ちょうど高校2年の新学期が始まった頃だった。
桜の花も幾分落ちて、ゴールデンウィーク迄あと少し。そんなある日の昼休み。
俺はベストプレイスである屋上で青空の下、小町の手作り弁当を頬張っていた。
マジうまい。小町最高最愛最正義。
それはさておき。どうやら、お客様がやってきたようだ。
件の平塚先生である。
「――なぁ、比企谷。部活にでも入ってみないか?」
いきなり、平塚先生はそんな事を言ってきた。
「 い や で す !! 」
部活とか冗談じゃない。俺にはやりたいゲームとか、読みたい漫画があるんだ。
マジレスすると、超能力がバレるのが嫌なので、人と関わり合いになりたくないんですけどね。
「そ、即答か。だが、せっかくの高校生活なんだ。友人を探すのもいいんじゃないか?」
「まぁ、そのうちに」
「……はぁ。君はあまりにも他人と関わろうとしないな。というか……」
苦笑していた平塚先生の顔に、一瞬だけ迷いの影が差す。
何か、言い辛い事を言おうとしているのか。
しかし、すぐに覚悟を決めたのが分かった。
俺の心に踏み込む事を決めたのだろう。
めんどくさい事になりそうだと、小さな溜息をついた。
「君は他者との接触を完全に拒絶しているな」
「……そう見えますか?」
どういう風に追っ払おうか、頭をフル回転させて考え始める。
なるべく穏便な方向でお引取り願いたい。
「ああ。正直……私は君が何を考えているのかさっぱりだ。色々な生徒を見てきたが、君のようなタイプは始めてだよ」
「そうですか」
俺の事を気にかけていてくれたのか。それだけは感謝しよう。
「クラス内では、見事に空気になっているな。時々、担任の私ですら見失うぞ」
普段から認識阻害の力を使ってるからな。
おかげで、授業中にゲームとかしてても全然バレないのである。
「本当にいいのか? このままで」
真剣な顔で、平塚先生は問いかけてくる。
だが、俺の答えは決まっている。
「俺には家族がいますから」
「これからずっと家族と一緒にいられるとも限らないだろう。もう少し、他者との関わり方の訓練をしたらどうだ?」
「それなりに上手くやってると思うんですけどね。俺は空気みたいなもんです。人に好かれてはいませんが、嫌われてもいない。まぁ、中にはキモいとかぼっちとか言う輩もいますが、普段は俺の事なんか忘れてますよ」
「……確かにな。君はまるで問題を起こさない。成績だって数学を抜かせば悪くない。教師から言わせれば手のかからない良い子だよ」
「なら、いいじゃないですか」
「でも、人は誰かの力を借りなければ生きてはいけない。学生生活というのは、社会に出てからの予行練習になるとは思わないか?」
「んな大袈裟な。社会ってのは、大抵はこちらがギブすれば、相手もテイクしてくれる。それなりに真面目にやってれば、上辺だけの人間関係でも、充分に生きていけるでしょう?」
大人は時に危機感を煽って、子供を操ろうとする。
そんなのに釣られはせんぞ。
苦々しい顔をしながら、平塚先生はそれでも言葉を絞り出す。
「不本意だが正論かもしれん。だが……寂しいとは思わないか?」
「…………」
イラっとした。
「い、いや……すまん。口が過ぎた」
俺の苛つきが伝わったのか、平塚先生が緊張したのが分かる。
いくら教師とはいえ、素の感想をそのまま口に出すなよ。
可哀想で見てらんなくて、つい口出ししちゃいましたって事か?
やっぱりこういう流れになったか。うぜえなぁ。
もし俺が、超能力なんて持たない普通の学生で。捻くれたぼっちのガキだったとしよう。
そしたら、あんたのその接触方法は間違っちゃいなかったろう。
最初はめんどくさがるけど、いずれは感謝すらしたかもしれない。
でもな。違うんだ。俺はそうじゃないんだよ。
――――超能力者なんだよ。
平塚先生が、そわそわと居心地悪そうにしている。
しかし、まだ去るつもりはないようだ。
手っ取り早く、精神に干渉をして、この場から追い出す方法もある。
けれど、彼女は『敵意』や『悪意』を持って俺に近づいて来たわけではない。
そうくるなら、腹立たしいが俺も普通の人間として接しよう。それがマイルールだ。
「……先生。例え話をしていいですか」
「あ、ああ」
「例えば、先生が絶対にバレてはいけない秘密を持っていたとする」
少しだけ、核心に近い話をする事に決めた。
「秘密か」
「例えば……そうだな。先生が恐ろしい感染病を持っていたとしましょう」
「感染病?」
ぎょっと目を剥く平塚先生。「あくまで例えです」とフォローを入れておく。
本気にされて、医療機関にとかに連れて行かれても困るしな。
「病気が世間にバレてしまえば、すぐに社会から隔離されてしまうでしょう。一瞬で身の破滅です」
「……そうかもしれないな」
「もしそんな状態だったとして、友人など欲しいと思いますか?」
「……それは」
「秘密が知られたら、そいつは逃げるかもしれない。裏切ってバラすかもしれない。そんな強烈なストレスを感じなきゃいけないなら、安全なコミュニティで小さい幸福を守りながら細々と生きていきたい……そう俺なら思いますけどね」
沈黙する平塚先生。
俺の例え話が何を意味するのか、慎重に考えているようだ。
「たとえば、の話ですけどね」
例え話といえども、牽制にはなるだろう。
俺が何か秘密を持っていて、故に他者との接触を拒んでいる。そのくらいの推測には至るはずだ。
通常の大人であれば「何を馬鹿な」とか「中二病ってやつか?」とか懐疑的な目を向けてきそうだが、平塚先生は何か別の考えを抱いているようだ。
まぁ、そんな事はどうでもいい。
俺の前から、とっとと消えてくれればそれでいい。
「まぁ、ぶっちゃけ……教師の矜持とか大人の義務とか。そんなもん持ち出されても迷惑なんですよ。自己満の為の教師ごっこなら、もっと騙され易そうなガキ相手にやってください」
「ッッッ!!」
平塚先生が目を剥いて硬直する。
俺の明確な拒絶と敵意に、大分ショックを受けているようだ。
(――言ってやった)
年下のガキにこんな言い方されたら、プライドのある大人だったら誰だって激怒するだろう。
彼女の矜持と人間性を踏みにじってやったのだ。ある意味、最低の行為だ。
しかも、相手からしたら善意、親切心のつもりなのだろうから。
大抵、手を差し伸べようとするものは、自分が唾を吐かれるなんて微塵も思っていないものだ。
胸が痛い。
何でこんな事を言わせるのかと平塚先生を憎らしく思った。
もういいだろう。俺の事は放っておいてくれよ。
だが、平塚先生は立ち去らない。
不審に思って覗き込むが、彼女の表情は窺えない。
「……確かにな。私には君の悩みは分からないし……私はちっぽけな人間だよ」
静かに、平塚先生は語り始めた。
罵声が飛び出すと覚悟していたので、肩透かしだった。
「だがな。君の悩みが小さかろうと大きかろうと、一つだけ言える事がある」
「なんですか?」
己の唇の端が、歪に釣り上がるを感じた。
さぁ来いよ。罵倒してこい。そうしたら俺も罵倒してやる。
それでお終いにしようじゃないか。
「――――私は教師だ。そして君の味方だ」
「はっ?」
何を言われたのか分からなかった。
「これだけは約束する。私は絶対に君を裏切ったりしない」
そう言って、平塚先生は真っ直ぐに近づいてくる。
正体不明の恐怖感を感じて、腰が引けそうになるが、
「だから安心して、君は私に甘えていいんだ――このひねくれ者め」
――――ぎゅっ。
おかまいなしに、抱きしめてきた。
柔らかくて、温かくて、力強い。タバコの匂いがしたが、不快ではなかった。
思考がショートして、拒絶の言葉すら出て来ない。
「今の君の顔を、鏡に映して見せてやりたいよ」
耳元で先生が囁く。
「あんなに強く私を罵っておきながら、逆に罪悪感に打ちのめされている。難儀な奴だ」
俺はそんな顔をしていたのか。
確かに、あんな酷い事は言いたくなかった。
俺が未熟なのか、この人が優れているのか分からない。
でも、結局俺の心は看過されていた。
これが、出来た大人って奴なんだろうか?
10秒か、30秒が経過したか。
少しずつ思考が戻って来た。
先生の腕の中に包まれながら、疑問を投げかける。
「何でここまでするんですか」
「わ、私にも分からん」
「え?」
分からないって? 何だそれ。
「おかしいな。初めはここまで踏み込むつもりじゃなかったんだが……」
状況に流されて、感情的になってしまったのか。
優しい人だからな。そういう事もあるだろう。
「まぁ教師だからな。悩める生徒は助けると決めているのさ」
「じゃあもし。俺が他の生徒達と大喧嘩したとして。俺だけの味方でいてくれますか?」
「そ、それは……」
顔は見えないが、先生の動揺が伝わってくる。
そう。結局は彼女の切った見得なんてその程度のもの。
言葉だけはかっこいいが、矛盾と欺瞞だらけの脆弱な理想論なのだ。
「……なんてね。そんな『IF』的な問いかけは無意味ですよね」
けれど、この人は嫌いになれない。この人はこのままでいい。
願わくば、ずっと理想の中で生き続けていってほしい。そう思う。
ハグ一つでこんな気持ちにさせられるなんて。何て俺はちょろいんだ。
「ふん。君は意地悪な奴だな」
そう言って、平塚先生が俺から離れようとする。
「あっ」
無意識にぎゅっと、しがみつく。
平塚先生の温もりを失いたくないと、身体が勝手に動いてしまった。
視線が交錯する。
澄んだ先生の瞳が、驚いたようにこちらを見ていた。
瞬間、強烈な羞恥心が襲ってくる。
その羞恥が伝染したのか、先生の顔にも朱が差す。
「そ、そんな捨て犬みたいな目をするんじゃない!」
「し、してませんよ!」
うわぁ、俺は今そんな目をしているのか!
居た堪れなくなって、身を翻そうとする。
「もっ、もう少しだけだぞ!」
逃がさんとばかりに再び抱きしめられた。
「……ったく、なんなんだ君は。だ、誰にも……言っちゃダメだからな」
平塚静は、優しく、強く、公平な教師だ。
だから、誰に対しても教師の役目を全うするのだろう。
泣いている生徒がいれば、抱きしめてあげるのだろう。
それが彼女の仕事なのだ。彼女はそういう人なのだ。
俺が特別というわけではない。勘違いするなよ。
――――それでも。
俺は平塚先生に感謝した。
生涯、あの温もりを忘れないだろう。
だから、恩返しじゃないけれど。
いつか彼女が困っていたら、きっと力になろうと誓った。
「ばっ、化け物だああああああああっ!」
「化け物が戻ってきやがった!」
「火炎瓶あったろ! 持って来い!」
桜色の回想が、激しい罵声によって妨げられた。
雪ノ下妹の報告を聞き、平塚先生の様態を知るために、俺もベースキャンプに戻って来た。
森の中に不時着した飛行機。それを基準にしてベースキャンプは作られている。
ジェット機には目立った外傷も無いし、雨露を防ぐには充分と言えた。
「彼は問題無いわ! それより静ちゃんはどこ!?」
混乱する集団に、陽乃が一喝する。
生来のカリスマのせいか、瞬時に場が沈静化した。大したものだ。
「今は機内に寝かせているよ……でも……」
金髪のイケメンが、陽乃に事情を説明している。
確かあいつは、うちのクラスの人気者だ。葉山だったか。
「分かった。すぐに行くわ。それと怪物が出たって聞いたけど、今はどこに?」
「平塚先生に攻撃した後、すぐに森に姿を消したよ」
怪物か。気にならなくもないが、今は平塚先生の方が優先だ。
情報はこれくらいで充分。一刻も早く先生の所に向かわねば。
「どけ」
棒キレを持って、俺を取り囲んでいた連中を一睨みする。
「「「ひいっ」」」
割れた人垣の真ん中を通って、飛行機に一直線に向かう。
「ま、待ってよ!」
陽乃も急ぎ足で連いてきた。
機内のビジネスクラス。
通路の床に毛布が重ねて敷かれ、その上に平塚先生は寝かされていた。
先生の傍では、三人の女子生徒がせわしなく動いている。
お団子ヘアーの女子。金髪ロングの女子。赤ブチ眼鏡の女子。
こいつらも、確かクラスメートだったはずだ。葉山とよくつるんでいたような。
お団子は、半泣きになりながら、先生の腹部に枕を押し付けている。
その枕は、傷口から流れ出た血のせいか、ぐっしょりと赤く濡れていた。
金髪は人口呼吸を。赤ブチは心臓マッサージをしている。
みんな必死になって、平塚先生を救おうとしてるのが伝わってくる。
しかし、平塚先生は心臓停止しており、既に呼吸もしていない。
もはや、死んでいると言われてもおかしくない状態だ。
けれど、三人は一向に救命措置を止めようとしない。
そもそも救命措置は、病院に搬送されるのを前提に行われるもので、こんな医療器具もない無人島で行ったとしても、ここまでの重傷であれば無為に近い。
だが、ここにはチートサイキッカーがいる。
「――――よくやってくれた。後は俺に任せろ」
そう言いながら、俺は三人を優しく押し退けた。
お団子が、俺の顔を見てしばらくした後、何故か泣き出した。
それに釣られて、金髪と赤ブチも泣き出した。解せん。
よくわからんが、よっぽど精神的に張り詰めていたんだろう。
「……ぐすっ。ほら。やっぱりヒッキー来てくれたでしょ……?」
「う、うん。結衣の言う通りだった。あーし、もう駄目かと思ってた……」
「さっきまで『はや×はち』かと思ってたけど『はち×はや』でも……いいかも」
何か三人娘がワケわからん事言ってるが、今はそんな事を気にしてる場合じゃない。
ただ少し、お団子の言った『ヒッキー』ってワードが気になった。
「……いけるの?」
心配そうに陽乃が俺に聞いてくる。
「ああ。何度かこういった経験はあるからな」
「本当にチートね、あなた……静ちゃんをお願いね」
「任せろ。お前の大切な平塚先生は俺が助けてやる」
「……馬鹿ね。ふふっ」
強張っていた顔から力が抜け、陽乃は少しだけ笑った。
「さぁ。やるか」
平塚先生。今、あなたを助けます。
あなたはこんな所で死んでいい人じゃない。こんな死に方、絶対に俺は認めない。
あなたは、めちゃくちゃ長生きして……沢山の生徒達に見守られながら、笑って死ななきゃ駄目なんだ。幸せにならなきゃ許さない。
「――絶対に死なせねぇからな!」
「我が名はモブキラー。モブを輝かせる為に命を燃やす男ッ!」
って言うか、軽く書こうと思ったのに前後編だよバカぁ!
しかしアレですね。妄想を書くのは超楽しいんですが、もう少し時間を上手く使って書く研究が必要かもしれません。感想お待ちしています。