温泉街へと向かう朝は、結構手短に訪れた。ひなたが先に余裕をもって目を覚まし、多少の眠気を覚えながら着替え、顔を洗って目を覚ましてから本来起きる時間にシャーレイを起こした。
「シャーレイ、朝だよ。起きて」
「むぅ……うぅん……」
シャーレイは朝に弱い。それを見越して起きる時間はかなり早めにしていたが、それは正解だったようだ。シャーレイは上半身を起こして目を擦って何度も瞬きをしながらひなたの方を見ている。
何を考えているのかは分からないが……或いは何も考えていないのかもしれないが、それでも起き抜けの顔が可愛らしくて小さく笑ってしまう。何で笑われたのか分からないシャーレイは首を傾げていたが、目が完全に覚めていないシャーレイは理解できないままひなたは笑うのを止めた。
「ほら、今日は温泉街に行く日だよ。顔洗って、着替えよ」
「ぅん……」
優しくシャーレイに言うと、シャーレイはベッドから降りてその場で服を脱ぎ始めた。が、これは何時もの事なので気にせずにひなたは部屋から出ていく。着替えに関してはこの部屋のタンスの中に全部仕舞ってあるから特に気にせずにひなたもひなたで忘れ物が無いかの最終チェックに入る。
そして、完全に忘れ物が無いかを確認してからソファに座って煙草を咥えてライターで火を付ける。煙草に関しても事前にカートンで買って鞄の中にぶち込んであるから宿で煙草切れでシャーレイの血を吸う事はまず無いだろう。特に馬車の中で吸血をする訳にはいかない。誰か見ていたらひなたの色んな物が一気に終わる可能性がある。それに、ひなたがヘビースモーカーだという事を見せれば自ら近寄ろうとする人間は少なくなるだろう。
シャーレイは美少女だ。そして、ひなたも見てくれは美少女だ。腕が無いが、一部の特殊な性癖を持った男性には魅力的な体をしているっちゃしている。そんな二人組に近寄ろうとする輩が出てこないとも限らない。その内の一人が物凄く柄が悪い上に煙草まで吸っていたら近寄ろうとする気も失せるだろう。ひなたは関わろうとはしない。面倒な事になりそうだから。
暫し煙を堪能していると、居間にシャーレイが入ってきた。余所行き用の可愛らしい服を着ている。
「あ、ひなたちゃん、またそんな可愛くない服着てる」
「いや、そう言われましても……」
言われ、自分の服を再確認する。確かに、何時も通りの戦闘用の服に身を包んでいるし、太腿にはホルスター、腰にはポーチ。誰がどう見ても可愛くないと思える服装に誰がどう見てもこれから戦闘に行きますと言わんばかりの服装だ。
だが、それの何がいけないのか。何時もの事じゃないか。
「もう……偶にはスカートとか履いたら?」
「絶対嫌。あんな防御力皆無のヒラヒラ」
流石に知らない男とかに下着を見られても恥ずかしくないとは言えない程度の羞恥心は持っているからこそ、スカートは嫌だ。何であんな寒そうだし下着まで見られる布切れを履くのかがひなたには分からない。
それに、戦闘の邪魔になる。ズボンの方が変にフワフワしないから気にしなくてもいいし、下着を見られる心配もない。長袖は邪魔じゃないのか、と言われると邪魔でしかないが、これは戦闘用に耐えられるようにデザインされた服だし、何よりも見た目以上に動きやすい。
話は逸れたが、そういった理由に加えて元男という抵抗があるため、スカートだけは絶対に履きたく無かった。素材は良いと自負はしているから似合うのだろうけども、絶対に嫌だ。
「ひなたちゃん、可愛いから絶対に似合うのに」
「ボーイッシュで十分ですよ」
スパー、と煙を吐いて大分短くなったのに気が付いて灰皿に煙草を押し付ける。
この後は朝食を食べてから馬車の停留所へと向かい、馬車に乗って一日ちょっとの移動を経て温泉街へ。日本なら車で数時間程度の距離を馬車を使って日単位で向かう。こうして異世界に来ると日本の移動方法がどれだけ凄かったかが分かる。これも魔法が無い故に科学力に偏った結果だろうか。
「まぁ、趣味趣向は人それぞれって事で」
と言いながら二本目の煙草を咥えて火を付ける。そして煙を吸って息を吐く。
が、その時後ろに何時の間にか回り込んでいたシャーレイがひなたの煙草を奪い取る。油断していたひなたは抵抗できずに煙草を持っていかれた。
「あっ!?」
「もうちょっとお洒落とかにも興味持ったら? 煙草に首ったけになるんじゃなくて」
と言いながらシャーレイがひなたに反論させる間もなく煙草を咥えて息を思いっきり吸った。
その結果、喉に送り込まれる熱い煙によってむせてしまい、シャーレイは苦しそうに煙を無理矢理吐き出した。
「えほっ、えほ……な、なにこれぇ……」
「そりゃ最初だしそうなるよ……」
「うぅ……胸の奥に何か詰まってる感じがするぅ……」
シャーレイの人差し指と中指に挟まれている煙草を奪い取って咥えてからシャーレイの背中を擦る。
ひなたも最初はこうだったが、何日も吸っている内に慣れていった。それなのにシャーレイがすぐに吸えるようになるわけがない。そもそもシャーレイはまだ十四歳だから法律的にも吸っちゃいけない。
「それに、これ初心者向けでも何でもないし」
ひなたが吸っているのは結構重い煙草だ。将来は肺がボロボロになるんだろうなぁ、と恐怖しながら吸っているが、吸わなければやっていけないからついつい吸ってしまう。
「……知ってるんだよ。ひなたちゃん、最近煙草の銘柄を頻繁に変えてるでしょ」
「うっ……そ、それが?」
「聞いてみたら、今吸ってるやつ、初めて会った時に吸ってたやつよりも体に悪いやつなんでしょ」
「は、ははは……知らないなぁ……」
言えない。最近昔吸っていた銘柄では物足りなくなってきてしまったから色々な銘柄を試しているとは。その結果行き着いたこの煙草は最初に吸っていたやつよりも遥かに重い物だという事は。
最近、趣味の欄に煙草と迷いなく書けそうになっている事は。
「……ヘビースモーカー」
「否定できません……」
ジト目で言われても反論が出来ない。
その情熱をお洒落に使ったらどうだ、というシャーレイの言外の圧力に屈して目を逸らして煙を吹かす。煙草を咥えたまま口から煙を吐いた結果、視界が煙で染まる。
「もう……健康に悪いんだよ? 吸血なんて気にせずしてくれればいいのに」
「い、いやー……こう見えてボクも良識とかはありましてね? 流石に毎日毎時吸血してたらシャーレイの負担がヤバいなぁって……」
「いっつもチロチロ飲むくせに」
「そ、そうでもないけど……」
「最初の時よりも遥かに飲む量少なくして煙草で紛らわせてるくせに」
「な、何のことかなぁ……」
「私がオ……ね、眠れずにモゾモゾしている時にいっつも吸血し足りないから煙草で紛らわせてるの知ってるからね?」
バレてる。実は本当に少ししか飲まずに後は煙草で我慢しているのがバレている。
毎日吸っているから、という事で少ししか飲まなくなった結果、吸血し足りずにいた結果、煙草を吸う量が増えた事がバレてる。
シャーレイがゴソゴソしていた時に吸っていたが、シャーレイが見ていなかったためさっさと吸っていたが、それでもバレていたらしい。しかも、その理由まで。確かに血を吸われた方が吸われる量が少なくなっている事は分かるのはよく考えれば明白だった。
「……それでも、貧血寸前で止めてたら体にも悪いだろうし。この間だってガッツリ吸血したら貧血になりかけてたし」
「だとしても。少しは我慢しようよ。長生き出来ないよ?」
「そう言われると何も言い返せない……」
だが、少しは喫煙量を控えないと本当に早死にしてしまうかもしれない。回復魔法で肺をどうにか出来るのでは、と思われるかもしれないが、この世界の回復魔法はそこまで便利ではない。自然治癒能力を極限まで高めて傷をその間魔力で作り上げた脆くもしっかりと役割を果たす代わりの器官や肌で死なないように延命させる、という代物だ。だから、再生させながら煙草を吸ってもどうにもならない。ただの魔力の無駄に過ぎない。
そのせいで回復魔法を使った状態で動き回ると傷が開くし腹に穴が空いた状態で魔法を使ってる状態で腹パンされたら軽く穴が空く。
流石に早死にはしたくないし煙草を吸ってばかりだと少し運動しただけで息が荒くなりそうだし、少しは控えた方がいいだろう。
「少しは控えようとしてよね?」
「頑張ります……」
なお、出来るとは言っていない。
「じゃあ、朝ご飯作ってくるから。トーストとベーコンエッグでいい?」
「うん、大丈夫。ありがと」
もうシャーレイがひなたのお母さんとか嫁さんみたいになってしまっている。ひなた的には嫁さんになってほしいのだが。
流石にこの外見でシャーレイが好きと言ったらガチレズと思われて引かれるかもしれないから言わない。もし受け入れられたら嬉しい事には嬉しいが。
「……精神的には普通なのに外見的には異常ってキツいなぁ」
この世界に来たばかりの頃はそんなに気にならなかった。むしろ、そんな事を考える前にとっとと元の世界に帰る手段を見つけようと思っていた。それに、恋愛感情なんてそう簡単に抱くとも思わなかった。
だが、こうして恋愛感情を抱くとこれがどれだけキツイ物かが分かる。思わず強めに煙草を灰皿に押し付けてしまう。
「片思いの同性愛者ってこんなに辛いのかぁ……今までニュースとかでは軽く受け流していたけど、結構辛いのか……」
流石にこうして当事者になると溜め息が出てしまう。思わず口にも出てしまう。
体だけの関係なら押し切ればどうにでもなる。だが、心まではどうしようもない。
「……シャーレイと恋人関係、かぁ」
想像してしまう。何時もは余り変わらないが、夜は一緒の布団でキスしたり裸でくんずほずれず……
「……やっべ、ムラムラしてきた」
想像したらムラムラしてきた。この世界に来てからこの方、下の事……つまりはナニをナニしたらもう男として終わるかもと思ってしまったがためにしていない。それに、村が壊滅してからそういった事を全く考えずに復讐のためだけに生きてきたため、そんな事をする暇があったら自分の安全確保とかに費やしていた。そして忘れようとしていた。
だが、こうして平和に身を置いたがためにそういう事を考えてしまう。今までは吸血で場を凌いでいたが、どうしても欲求不満感は考えてしまうと沸いてきてしまう。
男の時のようにやらないと死ぬかもしれないレベルではないが、それでも一年近くご無沙汰なのだからどうしてもムラムラしてしまう。
「……温泉、一緒のお湯に入って我慢出来るかなぁ……多分、バレはしないだろうけども」
男の時のように股間にナニが無いからバレる事はきっと無いのかもしれない。
だが、もしかしたらシャーレイの裸体に我慢できずに押し倒してしまうかも……
白くて傷の無い肌と歳相応とは少し言えない胸と――
「……ボクぁ欲求不満じゃないぃ!!」
考えて壁に頭を打ち付ける。何度か見てしまっているから想像が容易になってしまっているのも何だかなぁ、と思ってしまう。
軽く荒れた息を収めながら気持ちを落ち着ける。
「……ひ、ひなたちゃん? 何か凄い音か聞こえたけど」
「な、何でもない……何でもないんだ……」
心配して見に来たシャーレイに何でもないと何度も言って追い払う。
この温泉旅行は体は休まるかもしれないが、心は休まらないかもしれない。荒れた息を収めながらひなたはそんな事を思っていた。
温泉行くまででこれって温泉から帰るまでに果たして何話かかるのやら