気が付くと、シャーレイは真っ白な空間に居た。
本当に気が付くと、真っ白な空間に立っていたとしか言えない状況だった。だが、それが夢だと気が付いたのはひなたを抱き枕にして眠ったのを思い出したからだ。だから、これは夢に違いないと。そう思った。
「……シャーレイ」
後ろから、声をかけられた。
その声は、とても聞き覚えのある声で、今のシャーレイがこうして存在している理由だった。
「……シャロンちゃん?」
後ろに立っていたのは、シャロンだった。
そして、確信した。これは夢だと。
何故なら、シャロンは死んだから。あの日、ヴォルグに撃たれ死んだ。死体は昨日埋めた。だから、シャロンがこうして肉体を持って話しかけているなんて有り得ない事だからだ。
「もう私無しでも生きられるか?」
シャロンは笑顔で問いかけた。
それは、何かを喜んでいるような表情だった。
「……うん。一人じゃ無理だけど、ひなたちゃんと一緒なら」
「そうか。なら良かった」
シャロンはその言葉を聞き、満足気に呟いた。
シャーレイはシャロンに近寄ろうとしなかった。近づけない、と本能的に察せたから。もう、シャロンには触れられないと分かっているから。
「……私、泣かないよ。悲しいけど、私は過去を乗り越えるから」
だから、安心させるためにシャロンに告げた。
シャロンの死を、泣きやしない。泣いたら、シャロンが心配してしまうから。もう休んでいるのに、心配させてしまうかもしれないから。だから、泣かない。
シャロンの死を乗り越え、未来を見続ける。時々振り返るかもしれないけれども……それでも、未来だけを見て生き続ける。ひなたと共に。
「……うん、安心した」
「だから、ゆっくり休んで。私も、もう少ししたら会いに行くから」
「そうだな。それまでは、天国のVIPルームでシャーレイが羨むような生活していてやる」
「そうしてて。私は、もっと悩んで悲しんで苦労してから、そんな生活をしているシャロンをひっぱたきに行くから」
「ひっでぇ」
シャロンは笑ったままだった。
シャーレイも泣きそうになるが、笑う。
もう生きている内には会えないが……きっと、また会えるから。
「……あのひなたって子。結構泣き虫だから支えてやれよ」
「うん。二人で手を取り合って、生きていくよ」
「そうか。なら、もう行ってこい。もし、どうしようも無くなったら自分がどうしたいか、何をしたいかを優先して動け。後悔しないように、自分の中の道を往け」
「……シャロンちゃんもそうしたの?」
「あぁ。死んじまったけど、シャーレイが命を継いでくれた。それだけで満足だ」
「そっか……分かった。私は私の道を往くよ」
「私は天国でその土産話、待ってるからな」
「うん。何十年先になるか分からないけど、待ってて」
シャロンはそれに頷いた。
シャーレイはシャロンの満足した笑顔を見てから、背を向けた。ここから先は、困難だらけの道なのだろう。だけれども、進む。真っすぐ、ひなたと共に。
シャロンの命を継いで。シャロンの分まで生きるために。
****
翌日の朝という物は、実に気分が良かった。
血を落として綺麗さっぱり。二人抱き合って寝たからか、ひなたの朝の目覚めはかなり良く、特に寝ぼける事無くベッドから降りてシャーレイが起きるのを待っていた。しかし、昨日シャロンを食ってしまったからか食人衝動は前回のように大きくなっており、シャーレイを愛おしく思うと同時に美味しそうとも思ってしまう。
そんな自分の頭を一回壁に打ち付け、すぐに煙草を手に取って火を付けた。その状態で鏡を見てみると、また眼は吸血をした後のように紅に染まっており、煙草を吸っても片目だけが翠に戻るという事は無かった。やはり、人一人食ったのは煙草だけではどうしようも出来ないらしい。
食人衝動は大分落ち着くが、吸血衝動の方は余りよくならない。吸血はあくまでも食人のオマケ的な物だが、衝動が無い訳ではない。行儀が悪いと分かりながらも貧乏揺すりをして衝動を誤魔化す。吐いた煙が消えていき、煙草の臭いが蔓延する。もし、シャーレイが煙草嫌いだったらこの時間は地獄のような時間になっていたかもしれない、と苦笑いしながら妄想し、再び煙草を吹かす。そして、ふと思い出す。ひなたが食人鬼になった原因の男……ブラッドフォード伯爵の事を。
「……勝てないんだろうなぁ」
呟いた。
自分の力に関しては、どれだけの物かは自覚している。だが、ひなたは一人だったから、全盛期の状態でも手も足も出なかったブラッドフォード伯爵に己が牙を突き立てようとしてきた。
しかし、今のひなたはゾンビにすら手も足も出ない状態だ。回復魔法で回復こそ出来るが、戦闘から数時間経った今でも、もしシャーレイに思いっきり殴られたら腹に穴が空く。人肉を食う事で多少の体の再生こそ出来るが、それは充てにならない。今のひなたが人肉を毎日食っても完治までは恐らく一か月以上はかかる。食ってない今なら、一か月半だろうか。それまでは激しい運動はせずに絶対安静でなければコロッと逝ってしまうかもしれない。
ゾンビ相手にこの大怪我だ。その親玉であるブラッドフォード伯爵に今の状態で勝てる訳がない。
何故なら、ブラッドフォード伯爵はひなたを遥かに上回る化け物だからだ。
「……『真祖ブラッドフォード』。吸血鬼の中の王、か」
それが、ひなたの追うブラッドフォード伯爵の真の名前。そして、如何にブラッドフォード伯爵が化け物かを表す名前。
あの時、村を滅ぼしたのは、真祖だった。急にやってきたと思ったら何時の間にか村は壊滅し、一部の人間はゾンビとなった。そして、ひなたは真祖ブラッドフォードの血を浴び、吸血鬼となる筈だった。しかし、真祖ブラッドフォードはそれを許さず、ひなたから吸血鬼としての弱点を消し去り、吸血鬼としての特性も吸血と再生能力以外を消して新たな属性を付与した。
それが、食人。
人を食わなければ本来の力と吸血鬼の再生能力を行使する事が出来ず、普段は本来の力の十分の一しか解放できない。吸血では半分しか解放する事が出来ず、再生能力も破れた毛細血管に薄い膜が張られる程度。そして、人肉を食った時は多少の怪我と骨折なら治す事が出来る。そのため、ひなたは腹を貫かれ、シャロンを食った時、背骨とその周りの肉を再生し立ち上がり、残りを回復魔法で回復させた。
だが、それが精一杯だ。真祖ブラッドフォードが椅子に座って片手だけで相手をすると言ったとしても勝てない。吸血鬼としての弱点が完全に消え、吸血鬼としての力を数倍に高めて振るう真祖には、ひなたでは勝てない。いや、人間の中でも勝てる人間はいないとも言える。それ位に真祖ブラッドフォードは強い。
「……ねぇ、みんな。ボクさ、疲れちゃったよ」
空にいる恩人とかつて共に笑いあった友人達に届けるために、声を出す。
その声は疲れ果てた声だった。
勝ち目のない相手への復讐。数か月の旅で尻尾の先端しか掴めず、見つけ出したとしても勝てない相手への復讐心を抱き続ける事に、疲れてしまった。
「……休んでも、いいよね? ボク、シャーレイっていう大切な子を見つけたんだ」
あの人達は復讐は望んでいないだろう。
少なくとも、共に生き、笑いあったひなたには生きていてほしいと言うだろう。中には復讐を願う者も居るだろう。だが、あの人達だけは。それを望まないだろう。幸せに生きてほしいと願うだろう。
「バーニーさん、エリザさん……貴方達の命を吸って、ボクは生きるよ」
女になって狂乱したひなたを拾い、育ててくれたバーニーという男性とエリザという女性。初老に近い二人は子供がいなかった。だからか、たった一人だったひなたを保護して短い間だったが、家族として迎え入れてくれた。
バーニーはこの世界で生きる術を……魔弾の使い方を教えてくれた。起爆銃も譲ってくれた。エリザはひなたが元男だと知りながらも女としての行儀やら言葉使いやらをみっちり叩き込んでくれた。そして、最後はゾンビと化したバーニーがエリザを食い、ひなたに自分を殺させた。
壮絶な最後だった。悲痛な最後だった。しかし、最後にバーニーは笑ってひなたの頭を撫でた。
「確か……最後の言葉は、何だっけ」
ずっと、忘れていた気がする。最後に聞いた言葉を。
……あぁ、そうだ。思い出した。
「『俺達の分まで生きてくれ。幸せにな』……だっけ」
そうだ。ずっと忘れていた。
復讐心という炎がその言葉を焼き尽くしていた。
違っていたとしても、それに近い事を言っていなければ笑顔で頭を撫でやしないだろう。バーニー、エリザ夫妻はひなたが……娘として扱った少女が自分達の分まで生きて、最後には幸せだったと言える人生を送ってほしいと願ったんだ。親として、バーニーがその願いを託したんだ。
じゃあ、休もう。今は、シャーレイと共に。傷ついた心を癒しあって、舐めあって生きていこう。それが、この禁忌に穢れた体でも育むことの出来る幸せだから。
「……けど、復讐は諦めない。いつか、ブラッドフォード伯爵を殺して、あの世の皆の前で土下座させる。いつになるかは分からないけど」
それまでは、休憩。
椅子に深く腰を落とし、目を閉じ煙を味わう。
今は、この煙と共に復讐心を吐き出す。いつもと同じ筈なのに、ちょっと美味しくなった煙を吸い、吐き出す。この工程が気持ちと心を落ち着けてくれる。
過去を一旦切り離すと、心がより落ち着いた気がした。それに安らぎを覚え、二本目の煙草に火を付け、何回か煙を吸ったところでベッドの方からゴソゴソと音がした。目を開けそっちを見ると、シャーレイが小さく声を上げながら上半身を起こしていた。その仕草が何処か色っぽく感じ、思わず目を背ける。
「……ごめん、バーニーさん、エリザさん。二人から見たらアブノーマルな方向に進むかも」
主に、百合の花が咲き乱れる的な意味で。
昨日からシャーレイが凄く可愛く思えるし色っぽく思えてしまう。近いうちに彼女を押し倒してしまうかもしれない。未遂で済ませれば許してくれるだろうけども、最後までヤったら流石に許してもらえないかもしれないから我慢こそするが、確実に外面はアブノーマルな方向にこれから進んでいく事だろう。
若干の顔の火照りを感じながらひなたは比較的穏やかな表情と声色でシャーレイに声を投げた。
「おはよう、シャーレイ。よく眠れた?」
「……うん」
なら良かった。とひなたは呟いた。
「……夢の中でシャロンちゃんと会ったよ」
急にシャーレイは呟いた。
その言葉を聞き、ひなたは黙った。沈黙でそれに相槌を打った。
「シャロンちゃん、笑ってた。後悔はない。私は、私の道を往けって」
「……」
「それに、ひなたちゃんは泣き虫だから支えてあげてって」
「……可笑しいなぁ。まともに会話した事なんてないんだけどなぁ」
ひなたは苦笑いしながら煙草の煙を吐いた。
シャーレイの言葉から感じるのは、その夢は悪夢ではなかったという事だ。シャロンは、シャーレイに命を託したのだろう。だから、後悔無く逝った。シャーレイに言葉を託して。
魂だとか幽霊だとかは信じないが、それでもシャロンは、死んでなおシャーレイに言葉を届けたのだろう。己の遺言とも言える言葉を。それを受け取ったシャーレイの表情はとても晴れやかで、過去には縛られてはいなかった。その表情は、ひなたを安心させた。
「……ひなたちゃん、何かあった?」
起き抜けのシャーレイがそんな事を聞いてきた。
が、ひなたは特に何もしていない。強いて言うならば煙草を吸っていた位だ。
「ん? 何もしていないけど?」
「そう? なんか、憑き物が取れたような感じがして……」
「……憑き物、ねぇ。そりゃ気のせいだよ、気のせい。寝ぼけてるんだよ」
「そこまで否定しなくても……」
ここでさっきまでの事を話すのは、何だか恥ずかしい。
煙草を吸いながら気のせいだと言い続け、ちょっと感じた恥ずかしさを煙草を灰皿に押し付ける事で紛らわす。幸いにも、カートンで買ってきた煙草には余裕がある。今日明日では無くならないだろう。
「……そうだ、シャーレイ。今日、不動産屋に行かない?」
「不動産……?」
「家を買うんだよ。二人で暮らす家を」
約束したでしょ? と言うとシャーレイはちょっときょとんとしていたが、すぐに笑顔で頷いた。
金ならある。足りなかったらまた稼いできたらいいだけだ。魔獣を倒すだけなら地雷を撒いて本を読んでいたら半自動的に終わる。それに、ひなたが望んだんだ。シャーレイと共に生きる事を。そのためなら、金も惜しくはない。
もう、彼女がいない生活なんて考えられない位にひなたはシャーレイに依存していた。自分の禁忌を許してくれる陽だまりのような存在がひなたを予想以上に依存させている。
「じゃあ、お昼になったら行こうか。多分、ちょっと街の外れにある家なら一括で買えるから」
「へぇ……っていうか、結構お金持ってるんだね」
「駆除連合の依頼って、結構報酬がいいんだよ」
一日で一週間分以上の生活費全般を支払える位稼げるのだから、駆除連合での仕事は止められない。
それに、情報屋から情報を買うためにひたすらに金を稼いでいた時期もあった。しかも、知っていれば危ないレベルにまで入るブラッドフォード伯爵の情報を。
だから、家一軒買える位の金は常に持っている。それをぱーっと使って家を買う位にひなたは心に余裕を持っていた。
これから、何年も二人で生きていくのだろう。お人好しから始まった関係は、共依存へと変わって、もう二度と自らは離れられない関係になって。だけど、構わない。
今日から人生は、きっと復讐だけを考えていた時よりも明るく、楽しい物になる筈だから。
「……これからもよろしく、シャーレイ」
「急にどうしたの?」
「別に。そんな気分だっただけ」
少し歪だけど。二人の道は重なって、ゆっくりゆっくりと、二人で手を取り合って歩いていく。
二人一緒でなければ生きられないけど、二人一緒なら、この人生は楽しい物になってくれると、そんな確信があったから。
それから間もなくして、ひなたの体からはかつての傷跡は、綺麗さっぱり消えた。
まだ二人の話は続くんぢゃ