午前が終わる時間帯、入り口に準備中の札を下げた青雷亭の店内には二つの人影があった。
「正純さん、もうちょっと割りの良いバイトでちゃんと食った方が良いと思うんだけどねぇ。学問系ばかりが人生の経験になるわけでもないだろうし、男装の女の子が倒れてたら、ファンもつかないよ?」
「私の事、女だと知ってるのは父とその知り合いや、後は嵐位ですよ。店主だって夏場に私が倒れてるのを介抱してくれるまで気付かなかったし」
「いや、前々から怪しいとは思ってたよ?だからP-01sと二人で脱がしたんだけど」
「…………あれは嫌な思い出です」
言いながらも正純は思う。あの一連の流れが有ったからこそ自分は気兼ね無く此処に来れてるのだと。
そう言えば、嵐の奴は初見で気付いていたことを思い出す。
「どうしたんだい?そんな難しい顔して」
「いえ…………嵐は私が女だと初見で気付いてた事を思い出したんです」
「ああ、アラシ坊の事かい?あの子は勘が良いからね。最初に正純さんを担いできた時に気づいたんじゃないかい?」
そうなのだろうか?
とにもかくにも嵐は何かと正純を手助けしていた。見た目優男で口は悪いが根が優しい鍛練バカ。
「それにしても、正純さんはアラシ坊が気になるのかい?」
「い、いえ!そんな訳では…………」
ない、と続けようとするが続かない。
実際のところ、気になる。
一度彼の上衣を預かったことがあるが見た目普通の男子制服でありながら、鉄の塊でも渡されたのでは?と思うほどに重かった。
聞けば鍛練の為に荷重の術式を凡そ100、最大重量でかけているらしい。それも彼の持つ衣服の大半に、だ。
そして、上着、シャツ、ズボン、下着が基本の男子制服。嵐は基本の着こなしであるためその四つ。合計その体には凡そ400の荷重術式がのし掛かっているのだ。
「そういえば、正純さんはこれから何処に行くんだい?生徒会の仕事ってのは分かるんだけど」
「…………はっ!え?あ、ああ、そう、ですね。これから副会長として、酒井学長が三河に行くのを関所まで見送ります。その前に時間が空いたので、母の墓参りに行こうと思ってるんですけど」
「はは、これから教導院に行っても授業に間に合わないだろうしね。理由、聞いてもいいかい?」
「私も、怪異の犠牲になった母も、三河が故郷だったので。…………降りる前に参っておこうと」
「…………怪異の犠牲?やっぱり最近、皆がひそひそ話してる末世の影響?」
「Jud.、公主隠しというやつです。墓にも母の身に付けていた装飾品等が埋まっているだけです」
「そうだったのかい…………」
少々、しんみりとした空気になってしまった。
何というか自分は話題運びが苦手だと正純は苦笑いする。
っと、そうこうしている内にパンを食べ終わり、食後の水を飲んで手を合わせる。
「あの、毎度すみません。集ってるみたいで…………」
「気にすることないよ。ウチには上客も居るからね」
「えっと……嵐の事ですか?」
「そうそう。あの子大食漢だからね。体鍛えてるせいかけっこう燃費悪くて。一通り買って、お釣りを受け取らないのさ」
「そ、それは良いんですか?その……嵐の家計も含めて…………」
「そう思って最初のうちは返してたんだけどねぇ。返した翌日にお釣りを上乗せした代金渡されちゃったのよ。それを何度か繰り返したから、あの子の好きなようにさせてるのさ」
店主は笑っていたが何処か寂しそうな横顔に見えて仕方のない正純。
話を掘り下げるか、否か、その葛藤をしている間に話は変わる。
「そういえば、正純さんはどうして生徒会長に立候補しなかったんだい?」
「…………生徒会長には、総長の葵が立候補していたからです」
そこで言葉を切り残った水を飲み干して再び口を開いた。
「ここに来て一年という新参の私よりも、この武蔵生まれの彼の方が皆にとっては人となりも解ってるでしょう。聖連も葵の入学時の成績から見当をつけていたようですし」
「あれは馬鹿だからねぇ。この前の入学式も在校生の挨拶の時火を着けた式典用の尺玉花火を抱えてゲラゲラ笑いながら式場に飛び込んでったんだって?」
「ええ、新入生を追いかけ回していました。式場はパニックで、でも最終的に新入生が協力して葵を倒して花火をあげて、強引に感動のエンディングを迎えましたよ」
因みにその時の酒井学長の挨拶は『皆、今日の事をよく覚えておけよ』である。
忘れたくても忘れられない入学式だ。
更に補足すると、大はしゃぎしたバカはほぼ一日教導院の屋上から吊るされていたりする。
「あのバカは相変わらず、バカなのかねぇ。昔も…………いや、今もそのままバカのまんまかね」
「今?葵や皆もここはよく来てるではないですか」
「ああ、十年ぐらい前から去年まで、トーリは来なくなっちゃってたんだよ。昔はトーリと姉の喜美とアラシ坊、それから近所の子が一緒に朝食を摂っててね」
「それが十年より前?じゃあ去年から、九年ぶりに葵が来ていると……」
「アラシ坊は来てたんだけどね。契機はあの子だよ。P-01sが働くようになってから。何だかトーリはあの子が気になるみたいなんだよ」
「…………は!?」
自動人形に恋をする人間。
それは、何とも
「何て無駄というか………マニアックな」
「無駄だと、良いんだけどね」
「…………え?」
「多分、アラシ坊もP-01sの事を気にしてるんだよねぇ」
「ら、嵐もですか!?」
これは驚いた、と正純は目を見開く。
自動人形は感情を理解できない。人に仕える本能はあれどもそれは感情とは別のものなのだ。
そんな自動人形を気にする二人。
「えっと……聞いても?」
「そうだねぇ…………正純さんは皆と親しくなりたい?」
「別に親しくないわけでは…………」
「じゃあ、もっと親しくなりたいと思わない?」
「それは…………」
思う、だろう。
武蔵に来て一年、親しくないことはないが何処か皆との壁を感じてしまう。
母を公主隠しで失ってからか一人になる事に少々抵抗のある正純は素直に頷いた。
店主は笑い再び口を開く。
「それじゃあ、“後悔通り”について調べてみるといいよ。トーリやアラシ坊、皆の事が分かるだろうさ」
「えっと…………ホライゾン、という少女の事ですか?」
「おや、知ってたのかい?だったら話が早いよ。調べるのは十年前かねぇ。その時の大改修で事故が起きたのさ。あと一歩。あと一歩踏み込めば、この武蔵の事や皆の事が分かるよ」
頑張りな、とパンの入った袋を手渡され正純は店を出た。
とにかく、動こう。と彼女は歩を進める。まずは、花屋だ。
■◇◇◇■◇◇◇■
場面変わって教導院。動物園もかくやと言う喧騒まみれの梅組前の廊下では一組の影があった。
片方は背が低く、男子の制服を纏った少年。
問題はもう片方だ。カールした髪の毛、尊大な髭、動きにくそうな格好、豪奢な杖。言い表すなら、そう、トランプの13、キングのカード。それがそのまま肉体をもって現れたような姿なのだ。
「武蔵の民は薄情である。東宮君がご帰還だと言うのに麻呂以外に出迎えもないとは」
「何だか騒がしいし……皆大丈夫かな。どう思う?ヨシナオ教頭」
少年の指摘通り梅組の教室からは悲鳴やら絶叫やら何かが吹き出す音や殴打する音、その他諸々とにかく酷いことになっている。
『おいおいおいおいグルグルー!何隠してんだよ!男なら堂々としてようぜ!』
『バッカヤロー!テメェと違って俺は羞恥心をだな…………』
『ちょ!嵐!体隠さないでよ!私が描けないじゃない!』
『ガっちゃん、欲望に忠実~。ランちゃんもっとしゃっきりしなよ~!』
『ほら!ほらほら!もっとピシッとしなさい!そしてこの賢姉様にポージングを晒すのよ!』
『バカだろ!?お前らホント色々と酷すぎるだろ!?』
『ええい!隠すな金蔓!お前が体を晒せば儲けは確実なんだ!』
『ランちゃんヌギヌギしてねぇ?そしたらシロ君も私も幸せだよ~』
『女なら恥じらい持てよ!?何で全員俺に視線集中してんだ!特に智!テメェ巫女だろ!止めろよ!?』
『み、見てません!見てませんよ!私は何にも見てませんからあ!』
『指の隙間からチラチラ見てんだろうが!』
『おいおい!お前ら!俺だって脱いでるんだぞ!見よ!この肉体美!』
『『『…………はっ』』』
『鼻で笑いやがった……だと……!』
酷い。何がどう酷いか表せないがとにかく酷かった。
現にこの騒ぎを廊下で聞いていた東宮こと、東は頬を赤くしてアワアワとしている。見た目と相俟って女の子の仕草にしか見えない。
そんな状況など知らず、教室内はヒートアップしていく。
『てか、先生!もういいだろ!いい加減止めろよ!』
『ええ~、良いじゃない。君、体鍛えてるし。少なくともトーリよりは見れた体してるわよ?』
『別に見せつけるために鍛えてる訳じゃねぇよ!?』
『ほら、嵐!こっちに目線ちょうだい!情けでかっこよく描いてあげるわ!』
『あ!俺も!俺もカッコ良く描いてくれよ!』
『総長を……カッコ良く……?』
『あ、ヒッデェ!何で首傾げるんだよ!酷くねぇかグルグル!皆が揃って首を傾げやがった!』
『俺に触んな!テメェのせいでこうなってるだろうが!』
『ゲブァ!?』
そんな会話の直後、扉を突き破って何かが教室からは飛び出してきた。
何かはヨシナオと東の隣を抜けて壁にぶつかりめり込む。
「あーあ、何やってんのよ嵐。扉壊しちゃって」
「知るかってんだ!文句あるやつは全員外へぶん殴ってぶっ飛ばァす!」
カオスだった。それはもう、何というか色々とカオスすぎた。
飛んできて壁にめり込んでるのは全裸のバカ(股間が輝いてる)。そしてそのバカを殴り飛ばして扉を粉砕したのはこれまた全裸の筋肉質の暴力装置(股間が輝いてる) 。
色々と酷い。
「んお?東じゃねぇか。久々だな」
「い、いいい五十嵐くん!?ま、前隠して!」
「不本意だが、バカの術式で大事なところは見えないんでな。不本意だが!不本意だがな!」
やれやれと額に手をやる筋肉質の全裸。その肉体は特殊な性癖がなくとも人の目を一身に集めている。
現に殴り込もうとしていたヨシナオもその筋肉に眼が釘付け、というか唖然としていた。
「先生ー、東来てるぞ?」
「へ?…………ああ!もう昼か!」
バタバタと駆け寄るオリオトライは扉の位置で仁王立ちする嵐の背に飛び付き頭の隣から顔を出す。
「やっ!東、はいる?よね?」
「先生、アンタ仮にも女だよな?全裸の男に飛び付くってどうよ?」
「なにー?先生に欲情でもしてるのかしら?」
「しねぇよ。知ってんだろ?」
「そうよねぇ…………まあ、良いわ。そこの壁にめり込んでるバカ連れて戻ってきなさい。あ、こんにちは、王様。それじゃ失礼しますねぇ」
「んじゃ、先に入れよ東。俺はこのバカを連れてくから」
「う、うん…………えっと、久しぶりだな、五十嵐くん」
「今さらだな。ま、久しぶり。ほれ、さっさと入れ」
嵐が促し、オリオトライに手を引かれて東は教室の中へ。そして嵐は壁にめり込んでいるバカを回収し肩に担ぐと吹き飛んでいた扉を空いた手で掴み教室へと戻っていく。
嵌め直された半壊した扉を見てヨシナオは呟く。
「…………何これ」
お前、キャラどうした。
そんな突っ込みもなく。ヨシナオはただ一人、廊下に立つのみだった。
■◇◇◇■◇◇◇■
「何だか、また、距離が離れた気がする。そして美味しい場面を見逃した気がする……!」
霊園の中にて正純は教導院の方角へと振り返り眉を潜めていた。
因みにその時間帯は丁度バカ二人の脱衣ショーと片方のバカへの折檻が執り行われていたりする。
とはいえ、この場にいる正純に確認する術はない。それよりも気になることが彼女にはあった。
「こそこそ」
『こそこそ こそこそ』
(突っ込んだ方がいいのか?)
チラリと振り返れば木の陰に覗く見覚えのある銀糸。先程からつけられていた。
一歩進めば、一歩寄ってくる。
『ばれてない?いけてる?』
「ばれておりません。いけてます」
「…………いや、バレバレなんだが……」
「なんと……!」
『な、なんと!』
何で驚く?
首を傾げながらも正純はやって来るP-01sと彼女の手に収まる黒藻の獣を待つ。
「嵐様の貸してくださった本の通りにしたのですが…………」
『しっぱい?らん しっぱい?』
「失敗です。ここは大人しく待ち受ける方が良かったですね。流石脳筋の嵐様が貸してくださった本ですね。知性派の正純様には通じませんでした」
「いや、そもそも嵐は本を読むのか?アイツ私が見るたびに鍛練してるし、あの制服スゴく重いよな?」
「嵐様は基本的に脳筋ですが時偶哲学書などを読んでおられるみたいです」
似合わねぇ~~~~と正純は思うが言いはしない。
何となくだが片手で逆立ちしながら哲学書を読む嵐が想像できたのは秘密だ。
「それにしてもお前と此処で会うとはな。自動人形はやはり何処でも掃除するのが好きなの多いって言うし」
「Jud.命題の一つとしてそれもあります。ここの掃除は日課としております」
墓周りの雑草を抜きP-01sは積み上げた雑草の山やらを近くの側溝に放した黒藻の獣に与えている。
自然と行われる餌付け風景。
『ばれない?おーけー?いけそう?』
「Jud.、大丈夫だと判断できます。我々の活動は完璧です。嵐様も親指立てて賞賛してくれる筈です」
『らん しょーさん?』
「Jud.」
────根拠ない上にガッツリばれてるんだが!?というか嵐に対する信頼の高さ!
思いつつも指摘しない。面倒はゴメンだ。
その一心で墓石を磨きその周りの草を抜いていく。
「正純様は、こちらの墓石の手入れをよくされておられますね」
「母のでね。遺骨はなくて遺品が納められてるだけなんだけど…………自動人形は、魂から生まれるから分かりにくいかもな」
「Jud.。しかし、率直に推測を申し上げますが、正純様は、お母様が好きなのですね」
P-01sの言葉に正純は考える。
恐らく、自分は母が好きで大切だった。しかし、その事に気づいたのは、母が公主隠しで消えた後だったのだ。
思考の渦に捕らわれる彼女の耳にふと、歌が届く。
それは誰しもが知っている“通し道歌”。
澄んだ歌声の其は正純の記憶を更に呼び起こす。
それから自然と口が動いていた。
自分のこと、故郷のこと、父との確執のこと。
つらつらと、それこそ武蔵に来てから誰にも話したことが無いようなことが自然とこぼれ続けた。
そして、同時に涙も頬を濡らす。
「……正純様、泣いておられるのですか?」
「ッ!泣くとは格好悪い話だ」
「そうなのですか?」
────此処で泣かれる方を見るのは二人目です。
そう続けてP-01sはフムフムと頷き、あの方も格好悪いのか、と一人納得していた。
少々気になることを言っている気もするが、泣いた手前話題を逸らすことを優先する。
「ああ、…………出来れば何処かに隠れたいものだな。ここじゃそうもいかんが」
「Jud.新たな知識をありがとうございます。同時に正純様への疑問が1つ解けました」
「?それは?」
「率直にもうしまして────正純様の男装は趣味ではなかったのですね」
「……………………は?」
結構重い話だったのに、着眼点そこ?
口には出ないが正純の表情と雰囲気が語っていた。
何だか疲れたよな気がする彼女の溜め息は誰にも聞かれることなく昇っていく。
ふと、空を見上げればどうやらステルスが終わったらしく元の空へと変わっていた。
同時に現れるのは三つ葉葵の紋が刻まれた客船、そして武蔵のあらゆる拡声器が音を流す前の独特の高音をあげる。
『やあ、久しぶりだね武蔵の諸君、先生の顔を覚えているかい?』
流れるのは男の声。それは何処か…………なんだろうか?
とにかく、テンションが高い?
『毎度毎度、私が────三河の当主、松平・元信だ。先生と呼んでくれて結構だとも』
この時、誰一人として気付いていなかった。気づくはずもなかった。
終わりの足音は着実に、淡々と、直ぐ近くまで迫っていたことを。
日常など簡単に。それこそ絶妙なバランスの上にあり、容易く壊れてしまうことを。
誰一人として気付いていなかった。