暴走龍、とな。ふむ。何度も時を繰り返す内に、パティエンティア先輩方と行動する事も、幾度かあった。しかし、そのような噂は、聞いた覚えがない。
「いや、知らぬな。新人には、縁のない話ではないかな?」
こう答えると、少女のまとう空気が、一瞬にして、剣呑なものとなった。ふむ。よく分からんが、拙い回答じゃったか?
「嘘は、やめて下さい。貴女の身のこなし、ずっと見ていましたが、新人の動きとは、到底思えませんでしたよ」
「見ていた? 何じゃ、急いどるように見えて、暇なのか?」
「質問をしているのは、こちらです。答えて下さい」
むぅ。早速、水掛け論の様相を呈しつつあるな。この少女、妾なんぞを見張る割には、随分と、急いておるらしい。ちと、落ち着かせる必要があるか。
「まぁ、待て。まずは、誤解を解こう。妾は、間違いなく新人じゃよ。照会すれば、確認出来るぞ?」
「……本当でしょうね?」
「嘘を言うたところで、妾には、利がない。ほれ、急いどるのじゃろう?」
疑わしげな目のまま、少女は端末を取り出し、操作し始めた。ふむ。アークスの端末を持っておると言う事は、こやつも、アークスか。
「新光暦238年2月21日、正式就任……。馬鹿な、では何故、あんな動きが……」
「色々あって、な」
「聞かせては、もらえないのでしょうね」
「お互い様じゃろ? まぁ、誤解が解けたようなら、何よりじゃ」
少女の雰囲気が、柔らかくなるのを感じた。しかし、表情から察するに、敵意はないものの、警戒はしているらしい。全く。同じアークスだと言うのに、物騒なやつじゃ。殺伐とし過ぎじゃろう。尤も、妾も、人の事は言えんが。
ともかく、話を戻そう。
「改めて、言おうか。妾は、暴走龍なぞ知らぬ。初耳じゃよ。で、それがどうかしたか?」
「故あって、私は、暴走龍……、その中でも、特に強い個体を追っています。その最中に、あなたに会ったのです」
少女が言うには、妾と出会い、一時は身を隠したが、どうにも、頭に引っ掛かっていたらしい。腕利きの雰囲気を漂わせていた、と。それで、こっそり後をつけてみたら、サンプル回収に集中するアフィンを、見事な手並みで守り切る妾を見たそうな。
と言う事は、こやつは、昼間にアフィンと共に見た、あの記憶に残らぬ少女か。こうして相対しても、初対面としか感じぬ。シオンのような幻術を使えるのか?
「これだけ腕の立つ方ならば、もしかすると、暴走龍と遭遇しているかも知れない、と思ったのです」
「なるほどのぅ。そりゃ、買い被り過ぎじゃな」
そも、妾は、ここだからこそ、十分以上に戦えているに過ぎぬ。言わば、井の中の蛙のようなもの。それが証拠に、先輩方の、経験に裏打ちされた技術には、いつも舌を巻いている。件の暴走龍なぞ、出くわした日には、五体満足で帰れるかも、怪しかろう。眼前の、底知れぬ手練が追っている程の、敵性体じゃからな。
「そう、ですか……。気分を害されたなら、済みません」
「かかか。事実を言ったまでじゃよ。むしろ、励みになったわぃ」
やつとの戦闘は、先が見えぬ。こうして、手練から評価されるのは、嬉しいものよ。
「で、じゃ。その暴走龍とやら、妾は、どんなものなのか、全く知らぬ。これでは、遭遇したとしても、分からぬよ」
「確かに、そうですね。"クローム・ドラゴン"。データベースに、載っています」
「ふむ。後で、確認しておこう。お主は、その暴走龍の中でも、特に強い個体を探しておるわけか。まるで、お伽噺のようじゃな。強い龍を探し出し、討ち滅ぼす。子らに聞かせたら、目を輝かせようて」
悪い龍を退治する。まさに、王道ではないか。これに勝る英雄譚など、そうはお目に掛かれぬ。だと言うのに――
「……そんな、格好良いものでは、ありません」
――この少女は、何故こんなにも、悲しげな顔をしているのだろうか。
「それも、先に言うておった、都合か。まぁ、良い」
唐突な出会いに、一杯の珈琲。その程度の間柄なのだ。妾も、少女も、事情がある。隠したいのなら、探る必要もない。それで、良い。
「コーヒー、ごちそうさまでした」
「ん、構わぬよ。妾が、勝手にもてなしたのじゃからな」
少女が、腰を上げた。両腕の刃が、一層、希薄さを増す。何なのじゃろうな、これは。大剣や長槍には見えぬし、かと言って、自在槍にしては、小さ過ぎる。レンジャーやフォースの武器とも思えぬ。
「縁があれば、また、聞きに来るかも知れません。ですが、今日のところは、気にせずに探索を続けて下さい」
「……お主が、覚えておればな」
「……? それは、どう言う?」
「なぁに、新人の戯言じゃよ。ろくな実績も積んでおらぬ妾を、お主程の手練が、果たして覚えておれるか、とな」
思わず口を衝いて出た言葉を、意地の悪い文句を言って茶を濁したが、実際には、覚えていられたとしても、27日の昼頃までじゃろう。妾がナベリウスへ行けば、時間が巻き戻ってしまうのだから、この出会いもまた、なかった事になるであろうな。
「忘れませんよ」
しかし、少女は、言った。
「貴女のコーヒー、美味しかったですから」
その一瞬、少女の瞳には、人間らしい光が宿り。整った顔に浮かんだ、歳相応の小さな、可愛らしい笑みに、妾は、目を奪われた。
「……そう、か。気まぐれで、入れてやったかいがあったわ」
我に返り、苦し紛れの憎まれ口を叩いてみたが、語気は、自覚出来る程に、弱々しかった。
「私も、気まぐれで座ったかいがありました。では」
少女が、背を見せる。その瞬間、脳裏に、妙な光景が浮かんだ。少女が腕を振ると、その姿が、周囲に溶け込み、見えなくなってしまう、と言う、荒唐無稽な光景が。
「待て!」
自分でも驚く程、大きな声が出た。右腕を掲げようとした少女の動きが、止まる。
「あー、いや……。ついでじゃ、これを持って行け」
そっぽを向いたまま、アイテムパックから密閉容器を取り出し、差し出した。中身は、クエストの合間に摘もうと思っていた、煮付け。
「……朝食、まだなのじゃろう? 妾の手作りじゃ。腹が減っては戦は出来ぬ、と言うしの」
「腹が……? 戦……?」
「良いから、持って行って食え! ちゃんと、食うのだぞ。空腹で倒れても、知らんぞ!」
「は、はぁ……、分かりました……」
おずおずと容器を受け取り、失礼します、と言い残して、少女は、消え失せた。その消え失せ方は、脳裏に浮かんだ光景と、寸分違わぬものだった。
ちろちろと、小さく燃える焚き火を見つめ、大きく、ため息をついた。
「帰還まで、煮付けはお預けか……」
愚痴を零しながら、少女の外見を思い出そうとしたが、やはり、何も思い出せない。目を奪われたはずの、あの笑顔も。記憶領域の記録も、乱れ放題。
「まぁ、良いか」
全てが、なかった事になっても。あの、感情を感じさせぬ少女が笑った事実は、妾の記憶に、残るのだ。一方的ではあるが、妾にとっては、珈琲一杯の関係ではなくなったな。
妾は、思ったのだ。あの少女に、笑って欲しい、と。あの少女には、笑顔こそ相応しい、と。例え、見る事が叶わずとも。妾の記憶に残らずとも。
……それで渡したのが煮付けなのは、己らしいと笑うべきか、他になかったのかと呆れるべきか。
つつがなく、三日に渡るクエストを終え、帰還。早く煮付けを食べたい、とテレポーターへ駆け出したところで、端末が鳴った。
「えぇい、邪魔するでない!」
などと悪態をつきつつ、しかし緊急連絡の可能性もあるので、足を止めて、端末を引っ張り出す。画面には、コフィー殿からのメッセージを示す印が、表示されていた。
内容は、クラスリミットが一段階緩和された、と言うものだった。それに伴い、クラススキルの新規習得、もしくは習得済みスキルの強化が、許可された、との事。
ふむ。久々に、許可が下りたな。何か、新しいスキルを習得しようか。それとも、すでに習得したスキルを、強化しようか。
これまでは、仮面被りとの戦闘において必要と考えたスキルを習得していた。故に、今の妾は、自在槍の扱いも、スキルも、我流と言えよう。少なくとも、それで侵食体やダーカー相手に、不利を感じた事はない。
しかし。結局のところ、現在のスキル習得状況は、全て後手と言って良い。仮面被りと戦い、その過程に合わせてスキルを習得し、確かに生存時間は延びた。だが、それだけなのだ。最後には、殺されるか、自害。何の解決にもなっていない。
我流ばかりでは、手の内は限られる。ならば、現状を打破するには、どうすれば良いか。
「助言を頼むが、吉かのぅ」
独りごちて、では、誰に頼むかを考える。まず第一に浮かんだのは、ゼノ殿。妾に、実戦経験の尊さを教えてくれた、頼れる先輩。あの方ならば、的確な助言を下さるじゃろう。早速、端末を操作して、通信を入れようとした。が、
「クエスト出撃中……。出撃は、本日午前10時……、帰還予定は、明後日の、午後か……」
とても、呑気に聞ける状況ではなかった。現在は、2月24日の夕方。明後日は、2月26日。これでは、間に合わぬ。ゼノ殿から助言を受け、スキルを習得しても、そのスキルをものにする時間がない。翌日には、巻き戻るのだから。
ゼノ殿が駄目となると、思い浮かぶのは、あの方しかおらぬ。ハンターをこよなく愛し、普及活動にも余念のない、熱血漢。彼をよく見掛けるのは、ゲートエリアじゃったな。早速、訪ねてみよう。
やはり、いてくれた。深緑の戦闘服を着込み、明緑色の髪を後ろで括った、屈強な大男。
「オーザ殿、お久し振りです」
「ん? おぉ、楓か。今日は、一人なのか?」
ショップエリア三階に繋がる、中央ポータルの、その裏手。声を掛けると、オーザ殿は、気さくに片手を上げて、歓迎してくれた。
「えぇ、まぁ。しかし、その言い草。妾が一人なのは、それ程珍しいでしょうか?」
「お前の金髪は、一際目立つからな。そして隣には、いつも、件の相棒がいる」
「ふむ。そう聞くと、確かに珍しいですな」
「納得するのか……。いや、良いんだ。それで、今日はどうしたんだ?」
納得しては、いかんかったのじゃろうか。それはともかく。オーザ殿に声を掛けたのは、四方山話をするためではない。要件を伝え、教えを請わねばな。
「……ふむ。強敵と戦うに当たり、重要なクラススキル、か」
「えぇ。ハンターとして、どのスキルを取るのが良いか、教えていただければ、と」
ハンターを生業とする者は、二種類に分かれる。攻撃面を優先する者と、防御面を優先する者。クラススキル習得には順序があり、前提となるスキルを習得、もしくは一定の段階まで強化せねばならない。例えば、
「教えるのは構わんが、その前に、聞かなければならんな。楓、お前は、その強敵とどう戦いたい?」
「どう、と言いますと?」
「お前には、頼れる相棒がいるだろう。俺も、普段はハンターこそ至上であると言っているが、後衛の火力は、認めている。その上で、お前は、どのような役割を担うんだ?」
役割、か。仮面被りとの戦いには、役割など、存在しない。妾一人で、やつに相対せねばならぬのだから。あえて言うならば、守護であろうか。アフィンと娘は、いつも物陰に避難させている。二人を守っておるのじゃから、そうなるかのぅ。
「……あら、楓の選ぶ道なんて、決まっているわ」
「うおっ!? お前は、フォース女!」
「おや、マールー殿ではありませんか」
横から、小さい声。物静かながらも、オーザ殿同様、
「……悪の秘密結社の怪人みたいな呼び方は、やめてちょうだい。それより、楓のスキルよ」
ずいっ、と前に立ったマールー殿は、妾の目を、じっと見据えた。
「……あなたは数少ない、効率を理解しているハンター。だったら、答えは一つ」
「お、おい、何を吹き込む気だ?」
「……静かにしてくれないかしら。私は、この子と話してるの。……ねぇ、楓。分かるわよね?」
語気を強めながら、また一歩、寄られた。近い、とにかく近い。人と人の会話に適した距離を、完全に割っておる。
マールー殿の求める回答。先日、妾にとっては遠い昔に、マールー殿は、何と言うた?
「効率を求めるならば、火力、でしたか。……であるならば、
ハンターにとって、最も攻撃的なスキル。防御フォトンの出力を抑え、その分を攻撃に回す。マールー殿の言う効率を重んじるならば、これ以上の回答はあるまい。しかし、マールー殿は、肩を竦めてため息をついた。間違っておったか? 妾の知らぬ攻撃的なスキルが、他にもあるのか?
「……考え方は合ってるわ。でも、それだけでは20点。強敵と戦うなら、フォースに転向するのよ。圧倒的な火力で、有無を言わさずに叩き潰す。……これ以上に効率的なやり方は、ないわ」
ないようじゃ。それに、やたらと採点基準が厳しい。
「おい、フォース女! 楓は、ハンターとして強敵と戦う、と言っているんだ! それを、フォースになれだと!?」
「……私の考える最善を述べたまでよ。楓は第三世代のアークス。私たちのように適性に縛られない。なら、フォースへの転向も、選択肢に入るのではなくて?」
「そう言う割りに、選ぶ道は一つ、などと言っていたろうが!」
「……言葉の綾よ」
オーザ殿の追求に対し、しれっと言ってのけた。思っておった以上に、マールー殿は強かなようじゃな。
しかし、フォースは、やつに対して有効ではなかろう。ただでさえ、こちらの攻撃の機会がないのだ。火力を発揮する為のフォトン充填など、許されまい。
「マールー殿。オーザ殿の仰る通り、妾は、ハンターとして戦いたいのです。せっかくの助言ですが、お気持ちだけ頂戴します」
口論を続ける二人に割り込み、頭を下げた。妾の背後で、オーザ殿がしきりに頷く気配を感じる。
「……そう。なら、私から言う事はないわ」
元々、マールー殿は表情の変化に乏しい。それでも、落胆の色は見えた。
「……だけど、私は諦めないわよ。貴女は、フォースでこそ輝く。……選ぶのなら、フォース。忘れないで」
じゃが、次の瞬間には、決意に満ちた表情を見せる。根の部分はやはり、オーザ殿に似たものを感じるのぅ。
踵を返して立ち去るマールー殿の背に、オーザ殿が、苦言を呈する。
「全く。何を考えているのか分からんな」
そうでもないが、の。まぁ、プリセットに頼る妾が言えた事ではないが。
さて、話を戻そう。己は盾に徹する、と伝えると、オーザ殿は、ならばうってつけのスキルがある、と笑顔を見せた。
「前提となるスキルが必要だが、その効果は折り紙付きだ。少しばかり、扱いが難しいがな」
「ならば、ものに出来るまで、鍛練を繰り返すのみです。して、それはいかなスキルなので?」
「うむ。それはな――」
オーザ殿から、スキルの名と、その効果を伝えられた。ほぅ。これは、打てる手が増えるな。否。これまでに捨てていた手が、使えるようになった、と言うべきか。
オーザ殿と別れ、クラスカウンターで、件のスキルを習得。幸いな事に、前提となるスキルはすでに習得し、十分に強化してあった。焼け石に水で、まるで役に立たなかったが、まさかこんなところで、日の目を見るとはな。
続いて向かったのは、ショップエリアのアイテムラボ。何でも、このスキルに合わせた武器改造をしてくれるんだとか。事前に話を通しておく、とオーザ殿が言っておったが……
「君が、楓君かね?」
店の前に差し掛かると、口ひげを蓄えた黒髪の壮年男性に、呼び止められた。
「フッフッフ、アイテムラボへようこそ」
不敵に笑いながら、店員の男性は、手招きして見せた。
ドゥドゥと名乗る店員に、己の
「整備班の仕事は、装備を長持ちさせる事。我々の仕事は、装備をより良くする事。同じ物を取り扱っていても、仕事は違う。だから、こう言う形で、連携をとっているのだよ」
む? 妾は今、口に出しておったか?
「ここに来る新人諸君は、みな、同じような疑問を持つようでね。君も、そんな顔をしていたよ」
なるほど。読心ではなく、経験か。
「さて、では早速、見てみようか。……ふむ、なるほど」
カウンター越しに、改めて、己の得物を眺めてみる。細かい傷は付いているが、新品同様に見えるのぅ。仮面被りも娘も見なかった、最初の修了試験の後に戻るからじゃろうか?
「ワイヤーの封印とは、面白い細工をしているね。自在槍を使う者は多いが、こんな事をしているのは、君くらいじゃないかな?」
「よく言われますよ。ですが、こうでもしなければ、まともに扱えぬもので。……もしや、これから行う改造は」
「あぁ、いや、心配はいらんよ。これから組み込む物は、ワイヤーに干渉しないからね。安心したまえ」
そう言いながら、ドゥドゥ殿は引き出しから小さな機械を二つ取り出し、ワイヤードランスの外装の一部を外した。そして、慣れた手付きで、その機械を中に取り付ける。
「良し、作業完了だ」
がちん。外装が閉じられる音に、思わず肩が跳ねた。目の前で繰り広げられる、淀みない熟練の妙技に、つい見入っていたらしい。
「部品を追加しているから、もしかすると、使い心地が変わっているかも知れん。どうしても違和感が拭えないなら、言ってくれたまえ」
「承知いたしました。しかし、見事なお手並みでしたな」
素直に賞賛の言葉を述べると、ドゥドゥ殿は、豪快に笑い飛ばした。
「私も、ここに勤めて長いからね。もう20年になるか。それだけ経てば、染み付くと言うものさ」
20年、か。妾も、それだけ繰り返せば、仮面被りの動きに、完璧に対応出来るようになるじゃろうか。
いや、その前に終わらせる。例えドゥドゥ殿と違って、同じ時間を繰り返していようと。
「亀の甲より、と言うやつですな。ところで、お代はいかほどで?」
「お代は結構だよ。スキルに対応する装備改造は、無料サービスだからね」
ふむ、無料とな。多少は蓄えがあるが、無料ならば、それに越した事はない。ありがたく受け取ろう。
「それ以外の改造は、お代を頂く事になるがね。なぁに、それに見合う仕事は、させてもらうよ」
「その折には、頼りにさせて頂きますぞ。では、妾はこれにて。感謝致します」
「構わんさ。また来たまえ」
ぺこりと一礼して、店を後にした。これにて、準備は完了。後は、このスキルを己の身体に染み込ませる。習得しただけでは、意味がないのだ。
翌日から、妾の鍛練内容は変わった。習得したスキルを主軸にした戦法は、これまでのそれとは真逆と言って良い。無論、不安もあった。
しかし、上手くスキルが発動するたびに、不安は薄れて行った。今までとは違う、確かな手応えを感じる。これならば、きっと、やつに追い縋れる。
隙を晒したガルフの頭を砕きつつ、無個性な仮面と、倒れ伏した娘を思い浮かべる。今度こそ、やつを退け、助けてやるぞ。
いつものように、2月27日を迎え、一方的なシオンの言を聞き流し、ナベリウスへ向かう。テレプールに飛び込めば、そこは、2月20日の修了試験。この一連の流れも、もう何度目であろうな。
他人行儀のアフィンを伴って十字路を東へ進み、娘を発見。そこで、仮面被りの、身を刺すような殺気を感じ取る。同じく殺気を感じたアフィンを促し、気を失ったままの娘と共に、物陰に隠れさせた。
いつも通り、舞台は整った。動力炉の最終安全装置を解除し、深呼吸を一つして、心を鎮める。
そら やつを食らうのじゃ
あの甘露を 舌に刻み込め
「黙っておれ。貴様には屈さぬと、言うたはずぞ」
妾を誘惑せんと語り掛ける内なる声へ、小声で、ぴしゃりと言い放つ。全く。懲りんやつじゃ。
また しぬのかや?
さむいのじゃ いやなのじゃ
「ふん。毎度、死なぬように気張っておるつもりじゃ」
今にも泣き出しそうな幼い声へは、気休めの声を掛けておく。
仮面被りが、姿を見せた。ゆったりとした足取りで、じわじわと近付いて来る。仮面越しでも、やつの視線を感じる。妾を殺気の篭った目で睨め付けているのが、分かる。吹き出す圧力が、容赦なく妾を打ち据える。
じゃが、負けぬ。貴様は知らぬだろうがな、この殺気も、視線も、何度受けたと思うておる?
「そこの黒いの。お主、アークスか? アークスならば、所属艦と名を述べよ」
どうせ、会話など成立せん。しかし、すぐそこにはアフィンがおる。問答無用で攻撃を加えるのは、後の事を考えると、ちと不味い。故に、毎度こうして、無意味と理解した上で声を掛けておるが、
「貴様は……」
こう返される。そして、
「貴様とは、不躾な。新人に掛ける言葉とは――」
――死ね。
心を研ぎ澄ます。目を見開く。
やつの体が、揺れる。右腕が、ぶれる。
見える。やつの動きが、見える。
己を目掛けて、黒い軌跡が奔る。
ワイヤードランスを、眼前で交差させる。
禍々しい紫色の刃が迫る。
想像を練り上げる。強く、強く。
「――思えんなッ!」
想像を、開放。瞬間、空気が爆ぜた。
「……貴様、何度目だ?」
「さぁて、な。貴様のお陰で、数えるのが億劫でのぅ。……忘れてしもうたわッ!」
湧き上がる興奮に任せ、『無傷の』ワイヤードランスを振り払い、仮面被りを弾き飛ばした。
視界を埋め尽くすはずの警告は、その全てが脇へと追いやられ、少しばかり、風景を赤く染めるのみ。
五体に満ちる力は、今か今かと、開放される時を待ちわびている。アレンよ、本当に、良い仕事をしてくれたな。
良いぞ 良いぞ 昂りを感じるぞ
そのまま一息に 食らい尽くせ
しにたくない ひとりはいやじゃ
だから がんばれ がんばれ
妾の感情に呼応するかのごとく、内なる声どもも、騒ぎ立てておるわ。
腰を落とし、得物を構える。仮面被りも、こちらを敵と見定めたようで、武器を構え直した。
さぁ、来い。勝とうと負けようと、貴様を、妾の糧としてくれようぞ!
今でこそ初期習得済みですが、スキルツリーに手が加えられる前は、このスキルはポイントを消費して覚えないと使えなかったようですね。不便だなぁ……。