出来損ないの最高傑作ーNT   作:楓@ハガル

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戦闘描写と同じくらい、心理描写も難しい。作者は脳筋なのに、どうしてこうなった。


第十六話 牢獄の中の決意

 懐かしい。そんな印象を受けた、夢。じゃが、あんな風景は、見た事がない。あんな目に遭うた覚えも、ない。記憶と感覚が、噛み合わない。何とも、不可思議な夢じゃった。

 

「夢、か。ふむ。そう考えるのも、良かろうて」

 

見渡す限り、真っ白な空間。そこに、女性が立っている。紅葉柄の扇子で、口元を隠して。

 

「ここは、どこじゃ?」

 

間の抜けた質問を投げ掛けると、女性は、

 

「そなたが妾を見たのは、夢の中であろう? ならば、ここもまた、夢の中。違うかえ?」

 

と、尤もな答えを返した。

 

「なるほど、道理じゃな。かかか」

 

「うむ、道理じゃよ。かかか」

 

妙に納得が行き、それがおかしくて、笑ってしまう。女性も、釣られたように、笑い出した。

 

「……苦労を、かけるな」

 

 ひとしきり笑った女性が、ぽつり、と言った。

 

「苦労、とは?」

 

「内なる衝動。そして、そなたを苦しめる、声」

 

扇子で隠されているが、苦々しい顔をしているのが、容易に想像出来る、声色。

 

「あれは、妾の一部。そなたに取り憑いた、許されざる*の業」

 

また、雑音。夢の中でも、何かを隠すように、幾度となく鳴った、雑音。

 しかし、業、とな。これはまた、大きく出たものじゃ。夢で見た限りでは、この女性は、追手の男を一人、殺めておった。じゃが、あの状況では、致し方ないとも思える。なにせ、相手は殺意を込めて刀を振り回し、続いた者どもも、躊躇いもせずに、女性を刺し貫いた。経緯は分からぬが、あの場面のみを切り取れば、正当防衛と言えるのではなかろうか?

 

「経緯を知れば、そうとは言えぬよ。あの男どもが、妾を討ち取らんと躍起になっていた理由も、の」

 

むぅ? こやつ、妾の考えを、読んだか? 随分と的確に、返事をくれよった。

 

「かかか。そのような面を、するでない。ここは、夢の中ぞ? 何が起ころうと、不思議ではなかろ?」

 

「まぁ、な。あまり、良い気はせぬが」

 

「性分ゆえ、許しておくれ。詫び、と言うてはなんじゃが、いくつか、そなたに助言しよう。それで、手打ちにしてくれぬか?」

 

不満を隠さずに返すと、女性は、愉快そうに笑った。何とも、難儀な性分じゃな。

 

「その助言とやらを聞いてから、決めよう。利がなければ、損じゃからな」

 

「ほんに、抜け目ないのぅ。まぁ、それくらいの方が、良かろうて」

 

 ぱちん。扇子を閉じた女性が、妾を見る。夢の中だから、などと抜かしておったが、この瞳に見つめられると、心の底まで見透かされておるような、心の防備が自然と解かれるような、そんな感覚を覚える。ちと、居心地が悪い。

 

「あの声に、そなたは人間か、と聞かれたな? 安心せよ。そなたは、人間じゃ」

 

「ほぅ、それは安心じゃな。妾を人間と定義する証があれば、じゃがの」

 

保証もなしに信じる程、妾も、莫迦ではない。あれだけ心を乱されたならば、なおさらな。しかし、女性も、当然の反駁だ、とばかりに、頷いた。

 

「妾の保証……、と言いたいが、納得はせぬじゃろうな。では、こう問おうか。人肉は、美味かったか?」

 

「聞くまでもなかろう。あんな物、二度と味わいたくないわ。だのに、あやつは、極上の甘露、などと言いおった。気でも違うたか?」

 

あの味は、二度と思い出したくない。否。味だけではない。ぬるりとした血の舌触りも、得も言われぬ歯触りも。だと言うのに、頭から、離れてくれぬ。記憶にこびり付いて、じわじわと、己が蝕まれる錯覚すら覚える。

 

「……人は、人を食うようには、出来ておらぬ。同族を食うてはならぬ、とも学ぶ。ゆえに、そなたは人間じゃ。この答えでは、不服かや?」

 

不服は、ない。しかし、新たな疑問は、湧く。この論に従うならば、あの声の主、ひいては、眼前の女性は、もしや……

 

「……察したか。そなたの、考えの通りじゃよ。疑問などと、茶を濁すまでもなく、の」

 

寂しげな顔で、女性が言う。しかし、それも一瞬。先程までの、食えない笑みを、また浮かべた。

 

「そなたが気にする事ではないさ。では、二つ目の助言……いや、これは、助言と言うよりは、お願いじゃな。……あの声を、あまり、嫌わんでやっておくれ」

 

「無理、じゃな」

 

「即答かえ。まぁ、そう来ると思っておったがの」

 

嫌わないでくれ? 土台、無理な話よ。確かに、共感出来る部分も、否定出来ぬ部分も、あった。しかし、先のあれは、拒絶に値する。

 

「そなたの考えも、尤もじゃ。そなたはあの声に、大きく影響されておる。ゆえに、嫌うのも、当然と言えよう」

 

「影響、じゃと? そんなふざけた話が――」

 

「――死への恐怖の欠如。人肉食いの快感。これらは、あの声の主によって、もたらされたもの」

 

「……ッ! それこそ、ふざけておる! そんなものを与えられて、嫌いになるな!? 冗談も、休み休み言えっ!」

 

堪らず、激昂した。夢の中でなければ、警告が、視界を埋め尽くしていたろう。否。あるいは、現実の肉体は、警告を発しておるかも知れぬ。

 

「……あれも、悪意から、そなたに語り掛けておるのではない。そなたを、己と近しい者にする為。己と同じ力を持って欲しいが為に、ああしておるのじゃよ」

 

「そんな物、いらぬ! 真っ平ごめんじゃ! 妾は、人間ぞ! 人外の力なぞ、欲しがるものか!」

 

怒りに任せて、吐き出した。人である事を捨ててまで、欲しい力なぞ――

 

「――仮面被りは、強いぞ」

 

ため息をつき、女性が言った。やつの名前を出され、たじろいでしまう。あの戦闘の――蹂躙の記憶が、頭を過る。

 

「あやつは、人外に、片足を突っ込んでおる。今のそなたでは、勝てぬ。ゆえに、あれは、そなたを唆したのよ」

 

飄々とした様子は、鳴りを潜めた。今の女性は、冷徹な目で、妾を見据えている。その様が、妾の怒りを、一層掻き立てた。

 

「では、お主も言うのか!? 妾に、人の肉を食え、と! 他ならぬ、妾を人間と言うてくれた、お主が!」

 

「それで、仮面被りを打ち倒せるのならば、やむなし。あの女――シオンが言うには、あの娘を助けねば、全てが終わるのであろう?」

 

眉唾と言ってしまえば、それまで。じゃが、妾は、シオンは信ずるに値する、と見た。この世ならざる体験をした。事ここに至り、全ての終わり、などと言う曖昧な結末は、妾の中で、動かねば起こり得る事象となっていた。動かねば、終わる。

 だが、人外の力を以て挑まねば、仮面被りを打倒する事能わず。女性も、言っていた。今の妾では、あやつには、決して勝てぬ、と。現に、一週間程度の鍛練では、まるで足りなかった。仮面被りが、どれ程の修羅場を潜って来たのかは、知らぬ。しかし、確かなのは、付け焼刃では、あやつに到底届かぬ、と言う事。

 

「……最後の助言じゃ。人外の力が欲しいならば、あの声を受け入れ、委ねよ。さすれば、仮面被りを倒し、娘を救えよう。代償は、そなたの、人としての生。人間である事を、捨てよ」

 

 人間である事を、捨てる。全てを存続させる為に、人の世の、人柱となる。

 世界は、続く。人の世は、続く。妾も、その中にある。しかし、境界は、生まれる。人と、人外の境界。妾一人が、境界の外に立つ。

 それは即ち、孤独。人の中にあろうとも、明確な線引きが、妾を孤独にする。それは、決して、消える事はない。

 

「随分と、悩んでおるな。先にも言うた通り、手に取るように分かるぞ。じゃが、ここで結論を出す必要はない。後二、三回死ねば、腹も決まるじゃろうて」

 

女性が、背を見せ、歩き始める。伝える事は、全て伝えた。背中が、そう語っていた。

 

「二、三回死ねば、じゃと? 待て、どう言う事じゃ?」

 

その背中に問うと、女性は足を止め、視線だけを、こちらに寄越した。

 

「何じゃ、気付いておらんのか? 五日後、シオンは再び、そなたの前に現れる。因果が収束している、ナベリウスへ向かってくれ、とな」

 

五日後、2月27日。

欠片が一つ、落ちて来た。

 

「ナベリウスへ行けば、そなたは再び、修了試験の場へと(いざな)われ、そこで娘を発見する。そして、仮面被りに殺され、自室で目を覚ます」

 

あねさまが、言っていた。あの娘は、保護されていない。

また、欠片が一つ、落ちて来た。

 

「そなたは、囚われたのよ。この五日間(牢獄)に。ナベリウスへ行けば、殺される。行かねば、全てが終わる。随分と、素晴らしい選択肢ではないか」

 

では、今は、いつだ。考えるまでもない。今は、最初の修了任務の、二日後。鍵となる偶事を全て拾い終えてから、最初の晩。

次々と落ちる欠片は、組み合わさる。

 

「第三の選択肢。仮面被りを打倒し、娘を助ける。その道を辿るのに、そなたは何度、死ぬのかのぅ?」

 

五日後に、ナベリウスへ行き、2月20日に戻る。そこで死ねば、2月22日まで時間が進む……、いや、鍵を集め終えた日まで、戻る――

欠片は、もう、落ちて来ない――

 

「そなたの心次第、かの? あれは、早うこっちゃ来い、と、思うておるじゃろうが、まぁ、時間は、たっぷりあるでな」

 

――力を、技を、心を。その五日で得た物を、全て引っ提げて。

――欠片は、一つの絵を描いた。

 

 時間など、いらぬ。分かったのならば、選ぼう。他に、道はない。

 

「決めたぞ。進む道も、腹も」

 

女性が、視線だけでなく、体ごと向き直って、妾を見た。

 

「ほぅ……?」

 

「妾は、人間のまま、あの娘を救う。人外の力など、不要じゃ」

 

その女性の瞳を睨み付け、はっきりと、言ってやった。赤い瞳が、すっと細まり、妾を見る。その眼光から、仮面被りのそれに匹敵する程の圧力を感じたが、怯まぬ。ここで怯むのなら、仮面被りに立ち向かうなど、夢のまた夢。

 

「……夢の中だからと言って、寝惚ける必要は、ないのじゃぞ? 言うたよな? 今のそなたでは、あやつには勝てぬ、と」

 

「あぁ、確かに、言うたな。"今の妾"では勝てぬ、と。では、"五日後の妾"なら、どうじゃろうな?」

 

「五日後のそなた、じゃと? ま、待て。そなた、まさか……」

 

「それでは足りぬか? では、十日後なら? 半年後なら? 一年後なら、どうじゃ?」

 

待ったが掛けられた。しかし、待たぬ。構わず、捲し立てる。お主の望んだ、妾からの答えじゃぞ。耳の穴をかっぽじって、よく聞くが良い。

 

「望み通り、死んでやろう。何度でも、何度でも、死んでやろう。己を鍛え、仮面被りと戦い、死んでやろう――」

 

 女性の言葉の中に、答えは、あった。妾は、囚われている。仮面被りを倒さぬ限り、抜け出す事は出来ない。死ねば、2月22日まで、戻される。五日間の鍛練の時間を、与えられる。

 そして、戻されても、得た物はなくならぬ。これは、あねさまのお部屋で、確認した。2月27日までに得た実績、緩和されたクラスリミット、習得したクラススキルは、全てそのまま。言うに及ばず、記憶までも。

 無論、限界はあろう。クラスリミットも、クラススキルも、ナベリウスだけで鍛練するならば、先輩方には、遠く及ばぬ。

 じゃが、経験は、積める。ゼノ殿も、言っていた。戦って、生き残って、更新し続けろ、と。生憎、死を挟む事になるが、仮面被りとの戦闘は、幾度も経験出来る。幾度も更新出来る。

 何と言う、僥倖。何と、恵まれた環境か。過日は、たった六日だと思っておった鍛練の期限が、実際には、無期限だったのだ。

 

「――あやつに、勝てるまで」

 

女性は、黙したまま目を閉じ、扇子で、口元を隠した。そして、静かな口調で、語り掛ける。

 

「一度死んだからと、ヤケになってはおらぬか? 確かに、そなたは、死への恐怖を感じぬ。じゃが、死に至る痛みは、刻まれるのじゃぞ?」

 

「腹は決まった、と言うたろう。それに、痛みの伴わぬ鍛練など、鍛練とは言わぬ」

 

「うつけが……。そも、鍛練で命を落とすものか」

 

「言い方の問題であろう? 自宅に帰るだけじゃよ」

 

あの声の影響が、まさか吉に転ずるとは、思わんかったがな。図らずも、この女性の願いを、聞き入れる事になりそうじゃ。

 

「……何が、吉なものか。あの声を受け入れれば、労せず、仮面被りを倒せる力が、その手に入るのじゃぞ?」

 

先程まで、受け入れろと言っていた女性の声は、弱々しくなっていた。最早、妾を誘い込むのは無理と、悟ったか?

 

「労せず得た力に、何の価値があろうか。そんなものに縋って得た勝利に、何の意味があろうか」

 

「……では、人のまま得る力の価値と、その力で得た勝利の意味は、何ぞや?」

 

ふん。妾の心を、見透かしておるのではなかったのか? そんな事も分からんのか。これでは、どちらがうつけか、分からんのぅ。

 

「人の身で、家族を守る。それが、妾の力の価値であり、勝利の意味じゃよ。人外となっては、全ての終わりを食い止め、家族を守り切っても、共に笑い、共に過ごす事は叶わぬ。それ以外に、何があろうか」

 

「家族、か……」

 

そう呟き、女性はしばし、沈黙した。呆れたのか、怒ったのか、それともまた、別の想いか。目を閉じ、口元を隠した顔からは、感情が読み取れない。

 

「……最後に、問おう。その道は、勘定が合うのか?」

 

「愚問じゃな。合うかどうか、ではないよ」

 

そう。今のままでは、勘定は合わぬ。

 

「本来ならば、妾は、解体されても、何らおかしくなかった。何も知らぬまま、生涯を終えていたかも知れぬ」

 

始まりの記憶の罪は、余りにも大きく。

 

「アレンの……、お父さんのお陰で、妾は、生き永らえた。家族のお陰で、妾は、人として成長出来た」

 

得たものも、余りにも大きく。

 

「だから、その恩に報いる。家族の為ならば、いかな道であろうとも、突き進む」

 

故に、合わせる。身命を賭して。

 

「それには、人の身でなければな。例え守れても、人外の力で成しては、それこそ、勘定が合わぬじゃろう?」

 

瞼の裏に隠された真紅へと、視線を合わせて、啖呵を切った。

 

「……ふん。先程まで、ぴーぴー泣いておったのに、抜かすではないか。力を得るか否か、悩んでいたとは思えぬわ」

 

「6歳児に、何を期待しておるのやら。妾が悩んでおったのは、己が人外の孤独に耐えられるか、それだけじゃ。根底にあるものは、変わらぬよ」

 

「こやつめ、言いよる」

 

 扇子を閉じた女性と、視線を交わす。あの圧力は、もう感じない。

 

「良かろう、好きにせよ。そなたの選んだ道じゃ。妾からは、もう口を出さぬ」

 

「ついでに、あれも黙ってくれると、ありがたいんじゃがな。羽虫が耳元を飛ぶのは、お主も、好ましくなかろう?」

 

「あれは、あれの好きに囁くのみよ。妾からは、干渉出来ぬのだ」

 

何とも、はた迷惑な事じゃな。まぁ、種は割れた。妾の心も、決まった。ならば、囀らせておくのも、また一興か。

 じゃが、あれにも、一言二言、言っておきたい。散々、妾を惑わせてくれたのだ。ここらで、意趣返しと洒落込むかの。

 

「ならば、あれに言伝を頼もうか。直接言うのも、ちと癪に障るでな」

 

「ふむ。まぁ、分からんでもないわ。良かろう、申してみよ」

 

「何じゃ、その上から目線は……。一つ。死への恐怖を奪ってくれた件。……不本意ながら、感謝しておく。お陰で、家族を守る目処が立った」

 

何故、このような事になったのかは、まるで分からぬ。何故、奪えたのか。何故、死への恐怖のみなのか。

 しかし、考えたところで、詮無き事ではある。事実として、妾からは、死への恐怖が、すっぽりと抜け落ちた。であるならば、有効に活用させてもらおう。

 

「二つ。貴様のもたらす快楽には、決して屈さぬ。今後、妾が人を食む事は、二度とない。心しておけ、妾はもう、惑わされぬぞ」

 

快楽を餌に、人肉を食わせたいのだろうが、思い通りになど、なってやるものか。妾は、人として、家族を守る。人外の力なぞ、いらぬ。

 

「分かった、伝えておこう。……さて、そろそろ、夜が開けるな」

 

 ふむ。こうも白一色、しかも夢の中では、夜明けの兆しなど、知るべくもない。しかし、女性が言うならば、そうなのじゃろう。

 

「そなたの選んだ道が、どのような結末を迎えるのか。妾は、ここで見物させてもらおう。見事、人の身で仮面被りを打ち倒すも良し。刀折れ矢尽き、人外の力に手を伸ばすも良し。いずれにせよ、この牢獄からは、抜け出せよう」

 

「ふん。言っておれ」

 

女性の挑発を、鼻で笑い飛ばした。そして、こちらも仕返しに、一言返そうとして、はたと気付く。扇子が、ない。夢の中には、持ち込めなんだか。

 

「扇子なら、ここにあるさ」

 

「何? お主が、持っておるのか?」

 

「いんや、ここじゃよ」

 

女性は、辺りを見渡しながら、ここじゃ、ここじゃ、と言うておるが、要領を得ぬ。第一、ここは、白一色で、他には何も、ないではないか。

 

「かかか。こちらも、楽しみにしておこうかの。ではな、楓」

 

笑いながら、女性が、別れを告げる。その姿が、霞掛かるように、白の中に溶けて行き――

 

 

 

 陽光が瞼を射し、それが、目覚ましとなった。目を擦りながら、むくりと上体を起こす。

 夢から覚めた、と思ったら、また夢の中。何とも、不思議な夢であった。あのような夢だったからか、あまり、眠った気がしない。

 じゃが、収穫は、あった。たった一晩の睡眠欲を犠牲に、価値あるものを、得られた。ならば、この眠気も、何と言う事もない。

 

 夢の中には持ち込めなかった扇子は、アイテムパックの中にあった。安堵の吐息を漏らしながら取り出し、開いてみる。そこにあるのは、やはり、染み一つない、見慣れた、白。

 

「おはようございます。懐かしいですね、それ」

 

 耳元で、あねさまの声。

 

「おはよ……っ!? あ、あねさま!?」

 

驚きのあまり、飛び退いた。そう言えば、ここは、どこじゃ? 確か、あねさまの部屋にお邪魔し、シオンとの経緯を話し、それから……。……それから、どうした?

 見下ろしてみると、寝台の上。そして、隣には、あねさまが横になっている。

 

「アレン先生から聞きましたけど、その扇子、楓ちゃんのカプセルに、一緒に入ってたそうですね。ふふっ、いつも、持ち歩いてましたっけ」

 

「え、えぇ。プリセットに、どう扱うのかが、記録されておりましたゆえ……」

 

妾の混乱をよそに、あねさまは、昔を思い出して、穏やかな笑みを浮かべている。

 寝台の上で、妾は、起きた。その隣で、あねさまが、横になっておられる。これは、つまり?

 

「楓ちゃん、こっちにおいで?」

 

状況を、脳内で整理していると、あねさまに手招きされた。言われるがまま、おずおずと寄ると、肩を掴まれ、がばっ、と引き倒された。

 

「な、なにを!?」

 

戸惑う妾を、あねさまは、抱き寄せた。顔が、丁度、あねさまの胸に収まってしまった。

 

「……ほら、あったかい」

 

しみじみと、あねさまが呟く。柔らかな言葉に、妾は、返す言葉を失った。

 

「楓ちゃんは、人間ですよ。こんなにあったかいのに、人間じゃないなんて、そんなの、嘘です」

 

その言葉で、思い出した。話が進むうちに、また聞こえて来たのだ。妾を、人外の眷属へ加え入れんとする、あの声が。

 夢の中で、話はつけた。己自身も、頭の中では、納得した。しかし、こうしてあねさまの腕に抱かれ、認めて頂けると、心の底から、実感が湧く。妾は、あの家で、家族に囲まれて育った、一人の人間である、と。あのような声は、些事に過ぎぬ、と。

 

「……ありがとうございます、あねさま。そのお言葉で、また、立ち上がれます」

 

あねさまの胸から抜け出し、翡翠色の瞳を見つめながら、己の決意を、口にした。

 もう、大丈夫。妾は、戦える。仮面被りと、何度でも。何度、命を落とそうとも。

 

「何だか、昨夜と違って、良い顔をしてますね」

 

「……? そう、でしょうか?」

 

「えぇ、とっても」

 

己の顔を、ぺたぺたと触ってみるが、よく分からぬ。そんな妾を見て、あねさまは、くすくすと笑った。

 

「きっと、良い夢を見れたんでしょうね。どんな夢だったのかなぁ」

 

「どんな夢か、ですか。ふむ……」

 

聞かれても、説明のしようがない。しかし、これだけは、言える。

 

「色々と、折り合いを付けられる夢だった……。と言ったところでしょうか」

 

きょとん、としたあねさまの頭上に、疑問符が見えた気がする。

 

 夢かどうかさえも、あやふや。女性が見せた幻覚、とも思える。じゃが、いずれにせよ、道は定まった。

 待っておれよ、仮面被り。貴様を叩き伏せ、あの娘を、助けてくれようぞ。

 

* * *

 

 一面の白。その中で、少女が眠っている。長い金髪を、結紐で一つに括り、安らかな寝顔で。

 少女が枕にしているのは、女性の膝。女性は、紅葉柄の扇子で、少女にそよ風を送っている。少女を見る顔は、慈母のように穏やかで、温かさに満ちていた。

 

 ――余計な事を、喋ってくれたのぅ。

 

 女性の傍らに、また別の女性が、音もなく現れた。見れば見る程、座する女性と瓜二つ。しかし、その顔に浮かぶのは、見る者を芯まで凍てつかせんとする、氷の微笑。

 

「はて、何の事やら。それより、もそっと静かにせよ。この子が、起きてしまう」

 

 ――とぼけるでないわ。妾に、時の繰り返しを教えおって。お陰で、妾を**に戻す算段が、全てぱぁ、じゃ。

 

「戻す、じゃと? かかか。たった六年の眠りで、耄碌したか? 楓は、人間として産まれたのじゃぞ? 戻すも何も、あるものか」

 

傍らの女性が、苛立ちを隠そうともせずに、座する女性を睨み付ける。しかし、座する女性は、どこ吹く風、と言った様子で、続ける。

 

「それに、妾が口出しせずとも、楓は、気付いたろうよ」

 

 ――貴様が、夢枕に立たなければ、あのまま取り込めたものを……。口惜しい……。

 

「おぉ、そうじゃ。楓から、言伝を預かっておるぞ」

 

 ――ふん、聞いておったわ。当てこすりのように、礼なぞ言いおって。実に、忌々しい話じゃ。

 

傍らの女性は、激しく舌打ちした。それを、座する女性は、愉快そうに見やる。

 

 一時の沈黙。やがて、傍らの女性は、視線を、眠る少女へと移す。

 

 ――そいつもそいつで、弛んだ寝顔を晒しおって。**としての誇りは、ないのか?

 

「誇りでは、心は満たされぬよ。この子は、楓が一人ではないと知れて、安心したのさ」

 

 ――呑気なものじゃな。妾は、これ程に憔悴しておると言うに……。

 

「などと言う割に、顔が緩んでおるぞ。全く、素直じゃないのぅ……」

 

指摘を受け、傍らの女性は、そっぽを向いた。そのさまが妙におかしくて、女性は、くつくつと笑った。




食人に関しては、諸説ありますね。食べると、致死性の高い病気に罹る、あるいは、特に病気にはならない。味の観点では、美味しい、であったり、不味い、であったり。試そうとも思いませんが。

展開が少々早いですが、あまりぐだぐだ進めるのもあれなので、ご容赦下さい。

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