すみれ色の瞳の乙女─天馬の章─   作:つきしまさん

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【5話】エディの夢

 これは夢だ。この夢でエディは自分ではない誰かの夢を見る。視点は「誰か」のものと重なって映し出される。

 しばらくぶりの休暇。任務から帰れば温かい家庭が待っている。春の陽気の暖かい日差しに包まれた家だ。

 色とりどりの花が咲き誇る花壇と白い壁。戸を開ければ、そこはマルサラの我が家だ。

 マルサラ? 行ったことはないはず──

 

「ほら、挨拶なさい。イリヤ。お父様よ。あなた、お帰りなさい」

「だぁだ?」

 

 花壇が見えた。淡い日の光が差し込む中庭。刈られた青い草が揃いの長さで広がり花壇まで続いている。

 幼子が数歩歩いて芝生へ座り込む。貴婦人がそれを見守って刺繍の手を止めて見守る。そんな絵に描いたような風景。

 「彼」が幼い少女を抱き上げた。そして高い高いをすると、幼子から伸ばされた手が彼の無精髭が残る顔を触った。

 すみれ色の瞳が同じ瞳の娘を映しだす。

 彼の近くにファティマがいる。カーテンの向こうで彼女は家族のひとときを邪魔せぬようそこに立っていた。

 少し風が吹いてカーテンが翻る。漆黒の髪と同じ黒曜の瞳の少女が親子の団欒に混じることなく控えている。

 私……?

 混乱する。これは「誰」の夢なの?

 

「だぁ……」

 

 娘の小さな手を大きな手が包み込む。

 

「ほうら、肩車だぞ」

 

 父が担ぎ上げるとキャッキャッとはしゃぐ声を上げる。そのまま娘を連れて庭をゆっくりと一回りする。

 ただ、時間はゆっくりと過ぎていく。

 

「昨日はシャーリィとプルースが遊びに来てたのよ」

「ああ、もう三年は会っていないな。背も伸びたろう。プルースには武芸を教えろとせっつかれてたな」

「あなたが忙しいから……」

「仕方ないだろう? 我がランダース家は貧乏騎士。出稼ぎしなきゃ食っていけん。次の仕事が終わったらしばらく腰を落ち着けるさ。士官の口もな」

 

 まどろみはそこで遠ざかり夢はそこで途切れる。聞こえるのは窓ガラスに当たるパラパラという砂の音と風の響きだ。その音がエディの意識を覚醒させる。

 冷たい風が吹き付ける。少し前まで吹雪と言えるほど氷の混じった風が吹いていたのだが、今ではその名残の風でしかなかった。

 それを聴きながらエディはベッドの中の温もりを手放していた。

 

 また、あの夢を見ていた──涙? 頬に伝わった雫の跡にエディの指が触れる。

 身を起こすと毛布が落ちてその白い素肌が露になる。冷えた室内の空気が容赦なく触れた先から体を冷やしていく。

 その肩も身も未熟な少女のものであるがすべてが整いすぎているほど整っている。その横顔も細い肉体もだ。

 あえて女として完成されていない、少女らしい瑞々しさと清楚さを強調するような透明で白い肌。すらりと伸びた手足と曲線を描く腰には余分な脂肪さえついていない。

 ファティマの体型は完全な食事によってコントロールされている。太ることはまずないのだ。 

 

 私は役立たずのファティマ。私は私以外のファティマを知らない。

 城の使用人は除くが、町の住人が向けてくるのは好奇の視線だ。無遠慮な視線であるが彼等から話かけて来ることはあまりない。必要だから話しかけてくるに過ぎない。

 それでも表に出てお父様の手伝いをしていると無邪気な笑顔や言葉をもらうこともある。それはどこか温かいものであった。

 ファティマは道具だ。道具として扱われることに慣れておけ、とお父様はよく言うが、城では誰もそう扱ってくれないのでお父様だけがエディによく命令をしていた。

 館ではきまぐれなご領主に付き合えるのはエディだけなのでいつも感謝されていた。

 エディ、いつまでぐずぐずしている! そんな叱責は日常茶飯事だ。

 フルネームで呼ばれるよりエディと呼ばれる方が好きだ。All D2という名前はあまり好きではない。

 

 お父様は理不尽を言うことも押し付けることもしない。エディにできることはできることとして仕事を手伝わせていた。

 おかげで近頃では注射の針を患者に挿せという試みを命じられたが、それは恐ろしく勇気の要ることであった。

 泣きじゃくる子どもをあやすなどとは次元が違うことである。人の腕に太い注射針を刺して、管の中に赤黒い液体が溜まっていくのを見て初めて貧血というものを体験した。

 気がつけばベッドの上で患者さんに見下されている自分がいた。ひどく情けない気分になったことは覚えている。お父様の看護婦失格だ。

 再度息を吐き出してエディは灰色の空の下で霧にもやる城下町を見下ろす。世界が白い霧に包まれたような幻想的な風景だ。

 

「お客様?」

 

 エディは呟いて胸元に下げたヘッド・クリスタルを無意識にいじる。このクリスタルは取り外しが可能で、クリスタルを介してファティマはモータヘッドを操ることができる。

 ヘッド・クリスタルは宝石としての価値もあったが、情報伝導体としての価値の方が重要であった。ヘッド・クリスタルはファティマの第二の頭脳とも呼ばれている。

 坂を上りきって城の門をくぐった救急用の大きなディグが見えた。その姿は木々に隠れてすぐに見えなくなる。

 部屋の戸を開けて下の気配を伺う。静寂と照明のついていない階段だけが見えた。戸を閉めると箪笥から服を取り出して着替える。

 黒を基調とするロングスカートに白いブラウス。その上に黒い上着のみを羽織って部屋を出る。

 ファティマの服装は星団法により厳格に定められているのだが、お父様が外出時のエディの服装を指定しているからそれに従うのだ。ここではお父様が一番偉い。 

 

 工房にはいない……階下の人気の無い暗い室内を見渡す。その存在感を表す黒衣の老人がいないと室内はだだっ広いだけの空間でしかなかった。

 朝食の支度をしていないとお父様はすぐに不機嫌になる。その本人がリビングにいないのでは決めてきた覚悟は泡となって消えてしまった。

 ご飯……どうしよう……

 

 リビングにつけっぱなしの端末が見える。エディはデータを覗きこむ。

 風の観測データ?

 シュロ周辺及び、この地域一帯の風の観測データだ。シュロの風力発電のためのもののようだ。

 エディはヘッド・クリスタルを頭にセットし風速データをコピーして記憶に焼き付ける。何かに役立つのかもしれない。

 端末を消し、キッチンにおける作戦遂行能力を試すつもりであった計画はどうしたものかと迷ったが、城へと下りる階段を降りていた。

 

 

 館の一室。閉められた扉の前でエディは扉を眺める。中では今頃手術が行われている。 

 あれは急患の類だったのだろう。塔にある工房よりも館の執務室の隣にある医療室の方が手術のための設備は充実している。

 エディが調整を受けるときはいつも塔の工房が使われるの。

 緊急の手術だろうか……

 いまだにレーザーメスを操作するような仕事は任されたことはない。それでも近頃は看護婦らしくもなってきたのだが、何だか除け者にされたようだ。

 その感情さえも平坦にしようとする思考へのアクセスがある。強いものではないので抗う必要もない。

 感情という微妙な浮き沈みは強いものであればすぐに沈んで平静に戻される。それ以外のくすぶるような小さな感情は消えずに胸の内にこもった。

 ダムゲートと呼ばれる感情抑制装置。すべてのファティマにはそれが組み込まれている。それは、ファティマを正常に動作させるためのシステムだ。

 普通の人は感情を完全制御するシステムを持たない。

 

 街に出なくても館で働く人々の喜怒哀楽を目にし耳に聴くこともある。そんなとき決まって彼らは泣いたり笑ったりするのだ。

 それは特別なことではない。人に許された自己主張であった。ファティマに自己を表すための感情の発露は許されていない。

 ダムゲート・コントロールはそうした心の動きを抑え込む。ファティマの精神は人に逆らえぬほど脆弱だ。その本来の用途は、脆弱なファティマの精神をコントロールして戦場におけるあらゆるストレスを排除することにあった。

 それゆえに少女タイプの幼いS型ファティマに施されるコントロールはより強いものが求められる。無個性な人形と揶揄される由縁でもある。

 しかし条件付けを変えれば、ファティマでも故意に人を殺める指令を受諾させることもできた。

 シュロの市民を守るという指令は、優先順位を上げれば相手が騎士であろうが刃を向けることができるのだ。

 私のような壊れファティマはダムゲートがなければ正常に機能することもない──

 エディは戦場で壊れ、お父様の手によって再生された。以前の記憶というものはない。マスターがどんな人物であったとか記憶には一切残されていなかった。

 

 その代わりおかしな夢を見るのだ。

 街を歩いている親子連れに惹き付けられることがある。それは一度や二度ではない。そして懐かしさのような奇妙な感覚に包まれることがたびたびあった。

 子どもが好きだという自覚はない。むしろそういったものは触れるのも怖いものであった。

 一人の少女と出会った。両親を亡くした少女──

 その背中は忘れられないものとして記憶にある。誰とも交わらずに絵本を読む少女の姿は深く胸の内に刻まれていた。

 少女を孤独にしてしまったのは自分である。もっと早く助ければ少女は傷つかず、彼女の両親も救えたかもしれない。

 イリヤ、とは誰なのだろう?

 そしてランダースの名前。

 イリヤ・ランダース。夢で見た少女の名前。ここではないどこかの幸せな家庭の風景──

 あれは……私の記憶なのだろうか? なぜあんな夢を見るのだろう?

 

 そして長い廊下を振り返る。敷き詰められた赤い絨毯に高い天井。使用人がカートを運んでいく姿を遠くから見守る。

 アーチを描く鉄の扉がすぐ側にあった。それを開けば地下へと続く階段がある。その扉の認証コードを解除して開く。そして暗く冷たい螺旋階段を眺めた。

 エレベータ-も存在するのだが、直接地下へ降りるルートはキーを必要としていた。それをエディは解除する。階段を使うことは苦痛ではない。

 この城が持つもう一つの顔がこの下にある。迷うことなく螺旋階段を下っていた。

 

 

 それは鋼鉄の巨人だ。装甲部分が丸出しになったその機体はモーターヘッドと呼ばれるロボットだ。

 ジョーカー星団で生み出された最強無比のロボット。戦場における決戦兵器とも呼ばれるもの。

 暗いその広い空間に彼は座してエディを迎えていた。物言わぬ巨人を見上げる。わずかに差し込む光がヘッド部分を照らし出す。

 MH(彼)の素顔が垣間見える。

 

「こんにちは……また、会ったね……」

 

 その呟きに「彼」は答えない。 

 きれい──

 この機体を見るのは二度目だ。お父様に連れられて初めて見たのだ。そのとき抱いた感想は今も同じだ。

 

『アマテラスのやつに押し付けられた』

 

 お父様はそう言って興味がなさそうにそれをいじっていた。

 シェル(コクピット)であるファティマ・ルームを改造するのだと言う。その意味をそのときははっきりと認識していなかった。

 MHを操作することをエディはまだ知らない。

 いや、おそらく動かすことはできる。だがその自信はない。できるならば誰か別のファティマに動かしてもらいたかった。

 ファティマがいなくてもMHを動かすことは可能だが、それはたいがいエトラムルという人工ファティマのサポートを受ければというものだ。

 エトラムルにMHの遠隔操作などは当然できないし、エミュレート演算による行動予測もできない。彼らはただMHを動かすことだけを考えるのだ。

 でも、そうしたくはなかった。

 ファティマ・ルームで「彼」はエディを拒絶した。調整を受けているはずなのにシンクロを行うことができなかった。

 私はMHが怖い──

 その時の拒絶がエディを混乱に陥れた。私ではダメ、動かせない。

 今でも怖かった。暗いコクピットに残されることがとても怖い。なぜかはわからない。自分が自分ではなくなりそうで怖かった。

 頭の中が何も考えられなくなって──「彼」は私を締め出したのだ。

 静寂の中でエディは冷たいその脚部に触れる。

 機械──私と同じ彼はマシーンなのだ。戦争をして人を殺すための道具。私も同じ存在──

 

「やあ、君か。エディ、よく来たね」

 

 その声に弾かれたようにエディは顔を上げる。人の気配など今までなかったのだ。振り返ればそこにレディオス・ソープが立っていた。

 硬いエディの表情がわずかに揺らぐ。彼にはどう対応していいのかよくわからない、心臓がドキドキしてしまうからだ。

 思うように言葉が口から出てこなくなる。肝心なときに限ってダムゲートの働きが遅い。

 

「乗ってみるかい?」

「え?」

「改装するんだけど、ぜひ参考意見が聞きたくてさ。君のシェルの調整をしようかと思って」

「私の……」

 

 お父様が作ったのはエディ専用のコクピット制御システムだ。それに乗ってエディはMHへの干渉を試みたのだが失敗に終わっている。

 ソープに興味をなくした風を装ってエディはMHにも背を向ける。ソープを見ているのも少し辛い。この青年は眩しすぎるのだ。美しすぎる人間がいる。

 ダムゲート仕事して──感情の揺らぎはようやく抑えられる。

 

「どう? ダメかい?」

「今は乗りたくありません」

「想定外な答えだね……どうしてだい?」

「苦手……なんです」

「へ?」

 

 ソープが一瞬だけ詰まる。

 

「モーターヘッドは苦手です。私はこの子に嫌われてるから」

 

 ゆっくりとエディはもう一度告げる。

 

「う、うん。そうだねえ。ファティマにも苦手はあるよねえ……でも、モーターヘッドがファティマを嫌うのかなぁ?」

 

 頬をかくソープ。無言になった二人の間に静かな沈黙が生まれる。その問いに対してどう答えたらいいのかわからない。

 

「私、行きます……」

「またね、エディ」

 

 声をかけたソープに一礼してエディは背中を向ける。エレベーターのスイッチを押してようやく一息ついた。MHもレディオス・ソープも苦手だ。

 ダムゲートがちゃんと仕事をしてくれないから。いや違う……

 ずいぶんと長い時間を過ごしてしまった。手術は終わっただろうか?

 エディは地上の光をしばらくぶりに浴びる。あそこは冷たすぎる鋼鉄の空間だ。ル=フィヨンド館の赤い絨毯を踏んで手術室へ向かっていた。 


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