その日エディが長い廊下を抜けて執務室の扉を開けて一番に聞いた声は叱責だった。
「エディ、遅いぞ」
「申し訳ありません。お父様……」
お父様に頭を下げて謝る。
お庭に遊びに来てた仔猫さんが可愛くて構ってただけなんです……
エディはお父様に言い訳を考える。命じられたらすぐに動かなければこうして叱責が飛ぶのだ。
その厳しさは城の使用人にも徹底されているので、普段は陽気な人も主の前では厳格な使用人となる。
お父様から満点をもらうことはかなり難しいのだ。
「お前に仕事をしてもらう。届けてもらうものがある」
「町にですか?」
お父様のお付きで出かける任務は週に一度。それ以外で城の外に出たことはない。
「いや、炭鉱町の方だ。届けるのは薬だ」
「はい」
机の上に置かれた処方箋の薬が入った袋を受け取る。書かれた住所の場所は知っている。特に辺鄙で町の人間は寄り付かないような場所だ。
元々炭鉱町として栄えたシュロも今では観光が主体となっている。炭鉱町には細々と暮らす人の集落がまだ残っていた。
炭鉱町は特に貧しい人々が暮らしている。エディもまだ一回しか行ったことがない。
でもお仕事を単独で任されるのは初めてだ。これを完ぺきにこなせばお父様が「よくやったエディ。お前は最高の娘だぁ」って言ってくれるかしらん?
……訂正。絶対言いませんね。
「終わったらまっすぐ帰って来い。寄り道するな」
「はーい」
袋を抱え張り切ったエディが走って館を出ていく。その姿を窓越しにグランは眺めてカーテンを閉じた。
◆
そしてシュロを目指す一人の旅人がここにいる──
波打った砂を風がさらって細やかな粒子を振りまいていく。そこは広大な砂の海だ。
その足元から崩れる砂を踏みしめる。砂丘を越えて荒涼無人の地を歩くのはコートで身を覆った男だ。
もっとも顔もフードですっぽりと覆っているから男なのか女なのか定かではない。吹き付ける砂礫は人の肌を容易に傷つける。
ブーツが砂にとられ一歩進むにも難儀する。足は踝までズブズブと沈み込む。ここまで歩いてくるにもかなりの労力を費やしていた。
「ひい、ふう……」
砂地に転々と足跡を残し彼は高い岸壁を見上げた。
吐き出した息は白い。大陸の南といっても今は冬だ。
崖は自然の風が創り上げた超自然の産物だ。
ディグのエンジントラブルで放り出されていなければこの景色をゆっくりと眺めていられたのだが。
「近道だと思ったら道なんて全然ないじゃないか……さすが辺境地帯だよ」
強い風にフードを押さえ青年が呟く。言葉を風がさらってあっという間に谷の狭間に運んで行った。
谷の回廊──彼が目指すのはその先にあるシュロの町だ。
ふと足を止めて周囲を見回す。そして常人の耳では捉えきれない音を拾っていた。
「面倒事……かな?」
いったんはその方向から背けてシュロの方を見る。
「まあ、なんだ。放っておくのもあれだしね……」
それがブラスターが発射された音であると理解する。そして走り出す。一ッ跳びで最初の短い渓谷を横断する。
遠目に見えたのは小さな集落だ。岩肌を何度も蹴って跳んで辿り着いた。
そこに土色の壁に同じく土を固めて作った屋根を持つ家がある。突き出した煙突があり納屋か倉庫として使っているであろう別の建物も見える。
のどかに見える田舎の風景のようだが暴力が行われた形跡が見て取れる。貧しさを表す粗末な家財と破壊された家具の木片が飛び散って砂に埋もれていた。
慎重に岩場を降りて近づく。家の中の気配を察知して足を忍ばせて家の中を覗く。破壊された扉入り口に額を貫かれた男が無残な骸を晒している。
この家の主だろうか。その手にはブラスターだ。先ほどの銃声はこの銃だと思われた。
その奥で二人の男が女を犯していた。
ドラッグ──
一目で彼は男らが薬物に汚染されていることを見抜く。女はすでに事切れていた。その手足は異様な方向に曲がり骨は砕かれている。
死骸を犯すなどまともな神経ではとうていできない所業だ。
騎士の力を持った者が一般人を力任せに犯せば結果は見えている。それもドラッグで破壊された脳では理解などできまい。
辺境のあぶれた騎士の犯罪など珍しいことではないが、現場の凄惨さは目を背けたくなるものだ。
「なんらぁ、てっめえ?」
「薬か……」
一人が濁った瞳でフードの青年を睨みつける。濁った目で下半身をさらし猥雑なものをぶら下げている。もう一人も死体を犯し漁るのに夢中だ。
家の中に漂う匂いに青年が眉をしかめた。フードを深くかぶって固定しているのでその顔は見えない。
「酷いことをする」
「あぁん?」
男が次の言葉を洩らすことは二度となかった。ほぼ同時に二つの首が跳んで乾いた音を立てて青年の足元に転がる。
目にも留まらぬ早業だ。青年の手に光剣(スパッド)が握られている。
事切れた死体が四つ並んだ。埋葬をしなければならない。
「ごめんね……」
裏手から派手にものが崩れる音が響き野太い男の声が聞こえた。女の悲鳴の後沈黙する。
「あっちもかっ!」
家を飛び出して走る。家の裏手の少し離れた倉庫がある。凶行がそこで振るわれていた。
家畜が逃げ惑い血に濡れた地面に倒れ伏した男女の姿があった。組み伏せられた少女はまだ幼いと見て取れる。
納屋の前で溢れ出た藁の前に膝を突き粗野な男が少女に馬乗りになっている。
「ぎひひ、こいつはおーあたりだぜぇー」
「……っ!」
涙に濡れた少女の顔が歪む。男の汚らしい一物がまだ幼い少女を貫いて男は歓喜の笑いを響かせて腰を沈めた。
「ひゃっは~~!」
悦楽の笑みを張り付かせたまま男は息絶えていた。ゆっくりと倒れたその首をレーザー剣が貫いている。青年が投げたものではなかった。
「誰?」
青年の誰何に風車のある塔の影から少女が戸惑うようにこちらを見ている。
そのほっそりとしたシルエットは風よけのマントを羽織っていてもよくわかった。騎士にしては線が細すぎる。
ファティマ?
いや、だけど?
ファティマが人を殺すものか?
青年は戸惑いながらもその少女を観察する。
「君が投げたものだね? 僕は彼らの仲間じゃないよ。取りにおいで」
光剣を拾って青年はファティマに掲げて見せる。もう危険はないし害を加える存在でないとアピールする。
強い風が風車を回して音を立てる。マントごとさらっていってしまいそうな風だ。この地を支配するのは風の暴君だ。
死体が転がる横で青年は少女を介抱する。少女の年の頃はまだ幼くジョーカー年齢で三〇を越えないくらいの少女だ。
ショックで気を失っているのだろう。そのあどけない顔が凶行に晒された少女の悲惨さを強調していた。
股から血を流した少女の体をすっぽりとマントで包んで抱き上げる。
野ざらしに無残に転がる三つの死体。少女の両親であろう男女は息絶えていた。
黒髪のファティマが死んだ親の側に座って顔を確かめている。その少女に青年がスパッドを差し出す。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます……」
スパッドを受け取り──エディは礼を述べた。青年の顔を見る目をそらせない。
あまりにも美しすぎる青年がいる。中性的で女性でも通りそうな声。長い栗色の髪を編んでひとまとめに束ねている。
一目見て女性かと見紛うような人物だ。このような人は館にもシュロの町にもきっといない。
「食いっぱぐれた連中か。国境近くにはゴロツキが多い」
「あの、騎士様」
「え? あ、僕は騎士じゃあないんだ……」
「え?」
エディの瞳が揺れて青年を盗み見る。
どういう意味だろうか? 騎士ではない?
騎士以外であの動きはできないことへの疑問がそこにあった。身体能力は明らかに自分を上回っているはずだ。
しかし、騎士ではないと言われればそんな気もしてしまう。それはエディの勝手な騎士のイメージからだったが。
強いのかもよくわからない。ファティマとしてのマスターを選ぶ本能が機能していない。
お父様が仮のマスターだからだろうか?
それともただの壊れファティマだからだろうか?
エディにはその区別がつかない。
「僕はマイスターなんだ。駆け出しのモーターヘッド・マイスターでね。名前はレディオス・ソープ。君は? ファティマさん?」
ソープがエディを見つめる。その美しい瞳にエディは一瞬だけ言葉を失う。
「AD……エディです」
名前を告げる。そして付け足す。ここにいることの説明だ。
「えと、お薬をお父様から届けるように言われてきました。シュロの人たちは守らなければいけません……」
「なるほど、ファティマが独断で人殺しなんてできないものね。じゃあ、この子のことは知ってるんだね?」
「はい……」
エディは頷く。ソープに言ったようにエディは薬を届けに来ただけだ。
この場所は崖な上に傾斜が多く困難な場所なので普通の人があまり訪れない場所だ。炭鉱で働く二組がここに住んでいた。
お父様から聞いた話によると、この近辺で働く人々はボォス星から来た人々の末裔らしい。シュロは各星から来た移民が作った町でもある。
この家の生活様式はナカカラ様式と呼ばれていて独自の文化を感じさせるものだ。住民は無残にも殺害されてしまったが。
少女の名前までは知らなかった。前に来たときは見なかったからだ。幼い娘が一人いるということは知っていた。
この辺境地帯では観光客以外はシュロにはやってこない。国境を越えて入り込んだならず者がやってくることもある。
自警団もあるのだが騎士は皆無だ。騎士警察(ナイトポリス)など当然ここまで来ることもない。
エディに与えられたコードはシュロの住民を脅かす者と戦うことを許すものだ。それはマスター命令と同様の権限だ。
ダムゲート・コントロールもその命令には作動しない。
しかし騎士が三人もいてはエディではどうすることもできなかった。助けを呼ぼうと思ったとき青年が現れたのだ。
その青年は騎士ではないというが騎士を殺害している。それは正当防衛だろう。この辺境では何が起こるのかわからないのだ。
「ここに警察なんていないよね……」
「自警団がいます。もう呼びました」
「良かった。実は迷子でね。ディグが故障しちゃって」
「位置を教えてくだされば回収します」
「お願いするよ」
ソープが笑って片目をつぶってみせる。
あわわ……
エディの回路が混乱する。どう対応していいのかよくわからない。
◆
シュロ市内のセントラル広場にソープは立つ。
「さっすが辺境。民族色彩豊かだな~ 異国って感じがするよね~」
ボスっと音を立て紐のついたナップザックが石畳の床を軽く叩く。様々な色合いの石が組み合った石畳が目を引いて楽しませる。
観光客が居つくにはわりと居心地は良さそうである。国境地帯なので覚悟はしていたがここは安全そうだ。
ソープは能天気に周囲を見回す。
その外見は一見すれば女性と間違えられることが多いが彼にとってそれは日常茶飯事なので慣れっこだ。
もっともこういうところでは余計なトラブルがやってくることもある。
「はぁーい、お姉さん。宿はどう、もう決まってるの? 安くしとくよ」
「ありがとう、でも平気、宿はあるからさ」
客引きをあしらいベンチに腰掛けるとシュロ市の観光パンフレットを開く。
「うーん、お腹減っちゃたなぁ……にしても、ここって紛争地域って印象とは違うなぁ。自治領主殿の手腕ってとこかな?」
そう呟き市内バスから降りた人々が歩き去る街路を眺める。多くの人々が行きかい露天も多く見られる。
数時間前は荒砂漠にいたのだがこの街の活気は悪くない。道の脇には水路があって綺麗な水が流れている。
標高があるわりに水をふんだんに使えるのはいいことだ。
「あの、レディオス・ソープ様」
エディに呼びかけられソープは振り向く。
連絡したシュロの自警団が到着して彼らに引き継いで二人は町の中央に向かっていた。そこで身分証明やら何やらを提出し、ついでに入国手続き申請も済ませたのだ。
シュロは小さいながらも国境地帯にある独立小国である。他国からの干渉を受けることはなかったし、観光客はIDを提示しなければならない。
「お帰り、エディ。もう終わりだよね」
「はい。お時間を取らせて申し訳ありません。レディオス・ソープ様」
「ソープでいいよ」
「はい……ソープ様…?」
エディは緊張気味に言い直す。
呼び捨てにすることはできない。若いけれど敬意を持って呼ばなければならないのである。
マイトやマイスターは貴賓扱いするのが常識だ。
「うん」
エディはちらりとソープを見てからディグを遠隔操作して広場まで誘導する。
「領主閣下のお招きでね。会うのは久しぶりなんだよね」
「では、お父様とはお知り合いなのですか?」
「古い付き合いだよ。シュロにこもってからは一度も会ってなかったんだ」
ディグに乗り込んで走り始める。運転するのはエディだ。風がソープの髪をかき乱す。
谷の上にある城を眺める。夕暮れの日差しがいくつもある尖塔と外壁を赤く染め上げている。
ル=フィヨンドはシュロの観光資源でもある。星団ガイドブックにもシュロの城のことは写真付きで紹介されている。
「お姫様を眠りから解き放つのは白い騎士か、それとも──」
意味深なその言葉はすぐ隣りの少女には聞こえない。風が音をさらった。
そしてソープはそんな自分の台詞に笑うのだった。