すみれ色の瞳の乙女─天馬の章─   作:つきしまさん

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【11話】騎士の誓い/起動

 バーテローの駐屯地でミハイル・レスターが訓練に励む。

 ミハイルに命じられたのは待機の命令ととわずかばかりの休暇だった。これ以上の辻斬り事件の捜査は本来の任務から逸脱したものであるとの通達を受けての休暇だ。

 上役に食ってかかった所でミハイルは己の立場を思い知らされる結果となった。 

 バル=バラと呼ばれる獲物が空を切り、標的に命中した後に戻って地面に突き刺さる。それを拾い上げたのは鍛えられた硬い手だ。

 

「外れたか……」

 

 同期のフィスが得意とした武器であった。ミハイルはいつも競っては負けて奢らされていた。そのフィスも今はいない。

 バル=バラを拾い上げると獲物の具合を確かめる。状態は問題ない。再度、標的までの距離を測ると投げ放つ。

 高速で回転する獲物が、今度は狙いを外さずにかかしの胴体を真っ二つにしていた。分断してなお勢いを持ったバル=バラが旋回して予測した地点に突き刺さる。

 

「戻るか……」

 

 それを拾い上げミハイルは宿営地に顔を向けて歩き出した。

 バーテローの騎士団駐屯所に戻ったミハイルを兵舎から出てきた騎士が呼び止める。

 尋ね人が来ていた。誰かと迷ったが、詰め所の小屋に入ると中年男がミハイルを出迎えた。

 その青銅騎士を表す肩章にミハイルは敬礼で返した。ここの上役よりも上の人間が自分に用とは何であろうか。

 

「お前がミハイル・レスターか?」

「私がそうですが?」

「俺はオリバー・メッシュだ」

 

 その名前には聞き覚えがあった。オリバー・メッシュはウモス騎士団の青銅騎士の中隊長を務める人物だったと記憶している。

 つまり、実戦部隊のエリート中のエリートだ。その彼が自分に何の用事があるというのだろう。

 差し出された手に握手を返す。ミハイルはこの訪問者の意図を量りかねてメッシュを伺う。

 ミハイルが所属するバーテローの駐屯騎士団は中央の青銅騎士団の指揮管轄下にはない。わざわざ、ミハイルを尋ねてくる理由がわからなかった。

 

「明日の日付けを持って、バーテーロー駐屯騎士団は俺の指揮下に入る」

「はぁ……」

 

 すぐにピンと来た。中央が辻斬り事件に介入することを決定したのだろう。

 国境付近での辻斬り多発。あざ笑うかのように犯人は拿捕の手を逃れ、逆にこちらが手痛い目を受け続けている。

 国家の威信に関わる問題だった。六年前のレスターの不手際はウモス側の手抜かりとして非難を浴びるきっかけになっている。

 いずれ乗り出してくると思っていたが、介入に訪れたのがオリバー・メッシュというわけだ。

 

「お前のことはホランから聞いている。腕のいい騎士だとな」

「恐縮です……」

「レスター、ホランは俺の義理の弟だ」

「っ!?」

 

 ミハイルはオリバー・メッシュを見つめ返す。すぐに失礼だと視線を外した。

 

「そ、そうでしたか……」

「お前に辞令がある。ミハイル・レスター。青銅騎士団への再編入を行う。辺境任務を解く。これから中央へ戻れとのことだ」

「そ、それは……しかし、今の任務は……」

 

 青銅騎士への復帰。任務の解任。その意味すること──

 

「俺らと入れ替わりだ。復帰、おめでとさんだな、レスター」

「は、はい……」

 

 肩を叩いたオリバーの声をミハイルは上の空で聞いていた。

 想定外の辞令。青銅騎士の叙任。喪われた名誉の回復。それは求めていたもののはずであった。

 だが、胸中に沸き上がってきたのはこれでいいのかという想いだ。

 それは重くのしかかってミハイルを押し潰す。

 それではどうなる?

 今までのことは?

 辻斬りは?

 フィスやホラン先輩の敵討ちは?

 歯を食いしばる。自然、握った拳に力が篭る。

 吐き出せない何かがミハイルの胸の内でモヤモヤを吐き出していく。

 

「気持ちはわかる……奴は俺の仇でもある。これ以上はのさばらせやしない」 

 

 メッシュの力強い手がミハイルの肩にのしかかる。

 それをミハイルは無言で受け止めた。とうてい、喜ぶ気持ちにはなれそうもない。

 

「後は任せろ。わかったな、レスター?」

 

 諭すようなその声にミハイルは無言で頷く。

 言葉にするには重苦しい胸の内だ。本来ならば喜ぶべきはずの中央騎士の復帰。だが、暗い何かがミハイルの胸に落ちている。

 フィス──ホラン先輩──俺は……どうしたらいいんだ?

 ポッカリと胸の奥で塞がったはずの空洞が開いたような気がした。

 

 

「マスター?」

 

 パルスェットが帰宅した主を出迎える。帰宅したというのにミハイルがすぐに入ってこないので玄関へ出ていた。

 ミハイルは狭い玄関で佇んだままだ。

 

「おかえりなさい、マスター。お酒を召してるんですね?」

 

 突然、ミハイルがパルスェットを抱きしめて壁際に身を寄せる。近い距離でお互いの息遣いが伝わってくる。

 荒々しい呼吸と心拍数。鼻につく酒の匂いは相当量のアルコールを摂取している。

 

「あの……酔っているんですか?」

 

 廊下の暗がりで、見上げたパルスェットの瞳がミハイルを見つめる。

 

「ああ……」

 

 荒く酒臭い息を吐きだしてパルスェットを離す。

 ファティマの目に正面から耐えられず、ミハイルは視線をそらしていた。

 

「酔ってなんかいない……」

 

 それだけ呟いて、ファティマに背を向けると乱暴に安物のソファに腰を下ろす。

 強いアルコール臭が室内に満ちていた。

 

「お水持ってきますね」

「ああ……」

 

 オレは酔っているのか? タチの悪い冗談で酔っているのか? 意味のない問いを朦朧と胸の内で繰り返す。

 騎士は薬物やアルコールに耐性を持つものの、酔わせるためだけの酒というものはいくらでもあった。

 ミハイルは酒場で強い酒を何倍も煽って酔っ払っていた。バーテンダーに止められなければ潰れるまで飲んだことだろう。

 いっそ、安い酒で悪酔いしてこのまま消えてしまいたかった。酷い気分だ、これ以上ないくらい。

 

「本部から、青銅騎士に復任しろだとさ……」

「はぁ……」

 

 その報せは喜ばしいことのはずだが、沈んだミハイルの様子にパルスェットの声も小さくなっていた。

 マスターの心を占めているのは辻斬り事件のことに違いない。

 砂ばかりの辺境任務は何もないと普段から冗談は言っていたが、いざ戻るとなれば、躊躇いも生まれるのだろう。

 二人の間に沈黙が落ちた。

 コップの透明な水ごしに映るパルスェットは心配そうに自分を見つめている。

 険しい顔でミハイルが見返した。水を飲み干すと胸に詰まって激しくむせる。

 背中に当てられたパルスェットの手を乱暴に振り払う。構われるだけ自分が惨めな気持ちになっていくのを抑えられなかった。

 

「なあ、パルセット。お前、何で俺なんかについてくるんだ? エリート街道のはずが一気に落ちこぼれた……ここで俺が何て呼ばれてるか知ってるか? 間抜けのレスターだ。俺が何年もこんなとこにいたのは何でだ? 俺は、ずっとただの晒し者だった。六年間だっ! その間、俺は何をした? この岩と砂ばかりの町で?」

「マスター……」

「何もしなかったんだっ! 何もだ……その俺が中央に戻れだと。戻ってどうなる……戻って、フィスとホラン先輩が戻るわけじゃねえ……なあ、パルスェット、俺は、俺はどうしたらいい?」

 

 酔った声で、すがるような目の青年がパルスェットを見つめる。ひどく気弱な少年に戻ってしまったような変化だった。

 

「マスター……」

 

 マスターのその表情は知っていた。六年前もそんな顔をしたことがある。そして彼はパルスェットの膝の上で泣いたのだ。

 

「私はマスターに何があっても側にいます。けして側を離れませんから……どんな決断をなされても、私はついていきますから」

 

 そう応え、パルスェットはミハイルの頭を胸に抱いた。かつてそうしたように、また、彼を抱いていた。 

 それは、偽らざる本物の気持ちだ。だからこそ、パルスェットはそれを忘れたくないと思う。いつか戦場で記憶をなくしたとしても、今の自分でなくなったとしても、それだけは忘れたくなかった。

 

「……そうだよな。お前たちはそうだ。ファティマなんだから俺に不利なこと言えないよな……」

「私……マスターから離れません。ずっと一緒にいます」

 

 パルスェットとミハイルが見つめ合う。ミハイルの手にパルスェットは自分の手を重ねた。

 

「畜生……いっそ、罵ってくれたほうが良かったよ。お前なんかマスターじゃないってよ……」

「マスターは、私がマスターと選んだ人です。自分を信じてください」

「自分か……」

 

 黒衣の老人の姿を思い出す。彼は六年前の傷ついたファティマを抱えた姿でミハイルの前に立っている。

 過去の亡霊はもう自分を悩ませる存在ではない。夜、飛び起きて汗ぐっしょりになった悪夢を見ることももう無くなるだろう。

 

「はは、俺は大馬鹿野郎だ。ファティマに……女にここまで言わせて、何が騎士だ……」

 

 乾いた笑いを浮かべる。その背をパルスェットが抱きしめていた。

 

「なあ……俺、騎士団を辞めるかもしれないぜ?」

「はい、ついて行きますから。マスターが嫌でも……」

「パルセット、苦労するけどいいか?」

「はい」

 

 くしゃり、とパルスェットの髪をミハイルが撫でていた。暗い室内で二人は共に天井を見上げる。

 ここ数年間をここで過ごした。後悔しかない場所を出て行くと決めたのは逃げるためではない。

 

「悪いな、こんなマスターで……」

 

 苦笑いするミハイルの表情に先ほどまでの苦悩の色はない。

 わかっていたことだ。わかっていて、あんな問いをファティマに投げかけた。それこそ、自分の背中を押してもらいたくて、卑怯な台詞を吐いたのだ。

 自分はとことんまでに弱い生き物だ。だったら、弱いなりに生きてみようと思う。

 

「大丈夫……」

 

 ミハイルの手にパルスェットの細い指が重ねられる。

 ボンボンのエリートだった自分はもう終わりにする。これからは違う自分として生きてみよう。償いの人生であったとしても、それは俺が選んだ道だ。

 

「俺は……今日を限りにミハエル・レスターとして生きる。ボンボンのミハイルはどっか行っちまったよ。辞表は間に合いそうもないから、命令違反は仕方ねえ。たぶん首扱いだ。当分は傭兵稼業をすることになるが、それでも構わないか?」

「はいっ!」

 

 勢いよくパルスェットは答えていた。

 ミハイルに先程までの、この六年の間に背負ってきた暗さはもう無い。その目には輝きが戻っていた。

 パルスェットが初めてマスターを見つけ出したときのあの頃の目をしていた。それがとても嬉しかった。

 

「ったく、主が首なのに嬉しそうな顔をするファティマがいるかね?」

「炊事洗濯はかなり覚えましたし、どこに行っても平気ですっ!」

「はは、頼りにしてるぜ、パルセット」

 

 どこか嬉しそうな顔のパルスェットに苦笑いで応える。

 

「マスター、何度も言いますけど、私、パルスェットですからっ!」

 

 

 城の地下では期待に満ちた視線が新造MHへ向けられている。

 かつてウォータードラゴンと呼ばれた機体はほぼ完成に至っている。後はエンジンに火を入れるだけだ。

 

「よーしっ! お色直しの装甲付けたし最終起動チェックするよ~~~っ!」

 

 くま目に徹夜でハイテンション気味のソープがフラフラになりながら宣言すると、作業中だった周囲の人々がわらわらと集まってくる。

 

「ええと……ウォーター MkII(まーくとぅ~)? そいや、まだちゃんと名前考えてなかったな……まあいいか、改良型がちゃんと動いてくれますように。ポチッとな」

 

 ソープがイレーザーエンジンのスイッチを点火する。先程まで調整をしていたバクスチュアルも後ろに控える。

 そこにグラン・コークスの姿もあった。

 人々が見守る中でイレーザーシステムが立ち上がり、工場にモーターエンジンの音が響き渡る。

 

「ありゃ?」

 

 ソープがすぐに異変を察知する。イレーザーのエンジン音に首を傾げる。

 感じ取ったのは異音だった。低く唸るような低調な起動の響きから、一向に噛み合うエンジン音に移行して行かないのだ。

 

「あれれ? 何かおかしくない~~~? エンジントラブルか~? パワーが上がらないよ、バシクー」

 

 本来ならばとうに安定しているはずのモーター音が不規則な音を響かせている。

 

「ソープサマ……コノコ……トテモコワガッテル……ジブンノアシデ……タツノ……トテモコワイコワイ……コワイ……メヲトジテ……クライトコロ……トジコモッテル……」

 

 胸に手を当ててバクスチュアルが答える。

 

「でえぇぇ……ここまで来たのに…………何が気に入らないわけ~~? 全然パワーが上がらん~~?」

「言わんことではない。目覚めが悪いのは人もモーターヘッドも同じと見える」

「う~~~」

 

 テンパリ気味のソープがじろりとコークスを睨み、頭をかきむしりながら計測器を覗きこむ。全く異常は見当たらない。

 

「うーん? 最終工程のチェックはすべてオールクリアしてるのに何でー? やっぱアパッチのデータとか入れなきゃ良かったのか……? うるさいから切って原因を探ろう……」

 

 イレーザーを切り、収束していくエンジン音。周囲から落胆の声が上がる。

 

「ん?」

 

 ソープが振り向くと、コークスの側にファティマスーツに身を包んだエディがいた。

 その美しい光沢のあるスーツは白を基本の下地にしていて、張り出したダブルショルダーは青いラミネートコーティング金属によって縁取りが飾られ、伸びる袖とスカート部には白いベルベットがあつらえられている。

 全体的に純白を強調する服装となっていた。エディのファティマとしての正式な姿だ。

 その後ろにゴーズの騎士らがいる。

 

「おー、そうかそうか。マスターを選んだんだねっ! で、どっちなのー? レオパルト? それとも……」

 

 マスター選定の場にソープは立ち会っていない。誰をマスターに選んだのかはまだ知らなかった。

 

「残念ながら陛下。自分はハズレのようです」

 

 真面目顔に答えたのはゴーズの制服のレオパルト・クリサリスだ。後にクリサリス家の総領となる彼も今は若手騎士の一人でしかない。

 すぐ後ろにいるアイシャも同じゴーズ騎士の制服姿だった。 

 

「アイシャか」

 

 ソープの目線を照れているのかアイシャが顔をそらした。エディが進み出てソープの前に立つ。

 

「マイスター、レディオス・ソープ様。どうか、私にあの子と話をさせてください」

「もちろんいいよっ! 君のために作った相棒なんだしねぇ。今は引きこもってるみたいでね」

「ありがとうございます。もう一度エンジンを入れて欲しいのです」

「わかった。君が何とかしてくれると助かるよ」

「はい」

 

 エディがソープに丁寧に頭を下げる。すると、バクスチュアルがエディの元に歩み寄る。

 

「バシク?」

 

 バクスチュアルから積極性を示すことは稀である。同じファティマに対しても。

 

「アノコハ……アナタダケガ……アヤセマス……ワタシ……デハ……アノコヲ……チャントオコセナカッタカラ……ズット……アノコハ…アナタヲマッテル……クライセカイデ……ズット…マ…マヲマッテタ」

 

 バクスチュアルの言葉をエディは正面から受け止める。

 

「あの子の面倒を見てくださってありがとうございます。大丈夫、あの子は芯は強い子ですから」

「ガンバッテ……」

「はい……」

 

 エディとバクスチュアルが顔を合わせるのはこれが初めてだ。それが初めから分かり合う仲のように会話をしていた。

 その光景をソープは不思議そうに見つめる。

 

「何だか分かり合ってるし~?」

 

 バクスチュアルとの短いやり取りを終えてエディは歩き出す。真っ直ぐ背筋を伸ばし、気弱でおどおどとした印象は微塵にも感じられない。

 

「ねえ、グラン。ちょっと、ボクの知ってるエディと雰囲気違うよねっ!」

「アレのスイッチを入れろとけしかけたのは貴様であろうに……」

「いや、でもさあ……」

 

 少し不満そうな顔をするソープ。何だか除け者にされたような感じである。

 コークスは両目を覆うグラスアイで表情を見せず、不動の姿勢で前を見たままだ。

 

「全く違うファティマに見えるね、彼女。おどおどしたところが全然見えない。人格が切り替わったみたいだ」

「アレが本来の姿と言っていい。マスターを得ることで保護プログラムである仮想人格が吸収され、眠っていた主人格に蓄積していた情報を明け渡す。アレはたとえマスターを失っても、主を探すための人格を作り出し、自らの意思でマスターを探すことができる。お前の知っている人格がそうだ。ファティマとしての制約であるダムゲートは状況に合わせてアレが条件付けをするようになっている。マスターが存在しないときのアレの能力は一定することがない。条件付け次第でいくらでも変動する。その幅はわしもよくわからん。最下限のDII(ディーツー)から上限は不明だ。それも安定すれば本来の数値に戻る」

「そんなファティマは見たことも聞いたこともない……もしかして騎士以上ってことなのかな? バランシェがそんなファティマの可能性を語ったことはあるけどね。ダブルイプシロンとか? 彼の母が造った光のタイフォンがそうらしいんだけどね」

「ダブルイプシロンか、いや……」

 

 ソープの言葉にコークスは首を振って自分の言葉を否定してみせる。

 

「ダブルイプシロンではない。だが、それに近い存在かもしれん。かつてわしが得た因子は予想もしない進化を遂げた。その秘密さえバランスの一族は解き明かしているのやも知れぬ」

「君ってバランシェのこと嫌いなんじゃなかったっけ? 娘のプリズムが彼に弟子入りして一悶着したじゃない?」

「バランス家の話をしただけだ。それと、娘のことは関係なかろう? あいつは勝手に出て行っただけだ」

「あれ、怒ったの? 仲直りしたらどう? こっち来る前に会ったけど、彼女、気にしてるみたいだったよ?」

 

 グラン・コークスの娘であるプリズム・コークスはクローム・バランシェの元に押しかけ弟子をしていた。

 若くもマイトとしての才能を開花させた少女は父親に反発して家を出て行ったのだ。

 マイトとしてファティマ製作のためのお手本とするには父親の研究するものが異質すぎたと言えた。

 父親は星団を飛び回り、家で親らしいことをしたことなど一度もなかった。

 よりによって宿敵たるバランシェのところに行ったということも、プリズムの父親への当てつけとも見れたが真実はわからない。

 

「知らぬ」

「頑固爺……」

 

 ソープの呟きをコークスは無視する。そして先程切った言葉の続きを始める。

 

「精神的に不安定な問題は、マスターを選び出し、統合された人格を得ることでアレは安定する。すでにアレがファティマであるのか、そうでないのはわしも判断がつかん。複数のファティマの情報遺伝を共有しながらも、それぞれの人格が破綻することなく存在している。ダムゲートを自らの意思で条件付けするなど、本来ならばありえんことだ」

「創造主にもわからないファティマか……モラードのエストとは違うようだけど?」

「……S.F.S(シンクロナイズド・フラッター・システム)そのものは研究における偶然の産物にすぎん。エストは二人以上の情報体を再現するには至らなかった。アレもまたエストとは違う。モラードがアレのことでいくつか打診してきたがな」

「でも、クロスビンはモラードのエストを選んだんだよね? なぜなんだい?」

「わしのは未完成……いや、S.F.Sの基礎だけはできていた。それを独自に完成形まで持っていったのがモラードだ。どちらが早いかかなど問題ではない。わしが一〇〇年かけても未完成だったものと比較するようなものでもない。わしは時代遅れの凡人にすぎぬ」

 

 その言葉は自嘲なのか、ソープには窺い知れない。

 弟子のモラードが若くして名声を得ると、グラン・コークスはシュリーズを去ったのだ。その進退は様々な憶測を生み出したものだ。

 

「元は同じでも行き着くものは別だったってことだよね? 君って、まだ何か隠してるっぽいけど。まあ、それはおいおいわかるのかなぁ?」

「さあな」

 

 イタズラっぽいソープの視線をコークスは無表情で受け流す。

 

「ったく、食えない爺さんだなぁ……」

 

 ソープの呟きに、あくまでもコークスはポーカーフェイスを崩さない。その瞳に映るのはエンジンを震わせる白い巨人だった。

 

 

 再び心臓に火が灯される。彼はその音を遠くで聴きながら胎児のように心を丸めていた。

 嫌だ。誰にも起こされたくない……

 子守唄を囁いてくれたバシクお姉ちゃんは今はいない。誰かがボクを無理やり起こそうとしている。

 嫌だ。ボクはまだ起きたくない。

 このままずっと寝ていたいのに、ボクをいじって起こそうとする……

 

「久し振りだね君──あの頃とは随分変わったけれど、私を覚えていて?」

 

 ファティマルームに乗り込んだエディが制御コンソールキーに触れた。青白い光がその姿を照らしだし、アイレンズに反射して感情のない瞳を映し出す。

 ここに入ると、自分がただの機械に戻った気持ちになる──

 それを否定していた自分は今は胸の内にいる。

 ダムゲートにも完全制御できない人格がもう一人のエディである。その彼女は今でもMHに乗ることを怖がっている。

 

「大丈夫……大丈夫……落ち着いて……「私」」 

 

 エディは胸に手を当てて目を瞑る。トクントクンと心臓が音を立てている。

 震える響きを伝えるのはもう一人の自分自身の心だ。MHと接触して拒絶されることを恐れている。

 心配ないよ。さあ行こう──

 自分に言い聞かせてMHの「声」を聞き取ろうとする。

 エンジン駆動音が、まるで鳴き声のように響いている。まるで、生まれたての赤子がグズるようなそんな響きに聴こえていた。 

 

「私と君、ずっと一緒だったのに忘れちゃったのかな? 私は思い出したよ、君のこと……」

『……ダレ……バシク……オネエチャン……ドコ?』

 

 拒絶感のこもった応え。MHの意思が頭の中に響く。

 ファティマはMHと意志を通じることができる。機械であるMHにも意思というものは存在した。知性と呼ぶには幼い心は人工AIともまた異なるものだ。

 

『ココ……キライ……サムクテクライ……ボクノカラダヘン??』

「全然変じゃないよ? 目を開けて周りを見てごらん? 前と違うボディだけど、君は君……新しい体は嫌い?」

『……マエノホウガ…ヨカッタ……』

 

 ポツポツとMHが意思をエディに向け始める。肌がざわつく感じがした。MHからの意志の伝達は心を丸裸にする。

 エディの一挙一投足が「彼」に見られているのだ。

 今ならわかる……私も閉じこもっていたからだ。君のことを忘れて、表に出ることを怖がっていた。

 だから君に拒絶された。もう一人の私の記憶を私は共有している。

 エディはコクピットルームの天井に両手を当てる。より声を聞き取ろうと指先から足の爪先まで意識を集中させる。

 

「もう怖がるのはお止めなさい。みんなが君を見ているよ? 怖がらないで、君には私がついてるから」

『ボクヲ……イジメナイ?』

「みんな、いじめてないよ。君のこと心配してるんだよ」

『ナゼ?』

「君のことをみんなが大好きだからだよ。君のことをみんなが待ってる。私が一番、君に会いたかったの」

『ナゼ? オネエチャン??』

「君の体を造った人が、新しい体に「君」を入れて、その記憶と向かい合うのが怖かった……私が死ぬ瞬間を思い出すのが怖かった。でもね……私、全部思い出したの。マスターがいて……そして君には私がいるの。ねえ、だから思い出して。そして……私に力を貸して。君だけが私のすべてを預けられるから。私が君のママだよ」

『マ…マ。ママなの?』

 

 低調で不安定なMHのイレーザー音を聴きながら、エディは覚醒めのためのある言葉を囁く。それは彼女だけが知る起動パスワードだ。

 

「だからね、いい加減に目を覚ましなさいな「アパッチ君」?」

『っ!?』

 

 ヴォン──とMkIIの目が開かれる。外部に向けて一気に覚醒する意識。そしてありとあらゆる情報を彼は感じ取っていく。

 自分が何者であるか──何であったのか──忘れていたこと──そしてママの存在── 

 

『アアッ!……セルマ……マーマ?? ソウ……ボクハズット……マッテタンダ……ドウシテキテクレナカッタノ?』

「目を覚ましたかな? そう、ゆっくりでいい……今の君の姿を見てみよう。今の君は昔と少し違う……だからびっくりしないでよく見ようね。ゆっくり、ゆっくり体を動かしていこう」

 

 諭すように優しく、子どもに語りかけるように続ける。絵本を読み聞かせるように。

 孤児院の子達に読み聞かせた経験がエディの声に柔らかさと抱擁さをもたらしていた。統合されながらも、以前のエディとしての記憶と人格が自分の中で生きているのだ。

 

「さあ、息を吸って、ふう~~ 落ち着いてきたかな? 君がドキドキしてるからみんな君が心配。ほら、あそこに君を造った人がいるよ。ご挨拶なさい」

『パーパ?』

 

 MkIIの焦点が金髪の青年に合わせられズームアップする。低い唸りから徐々に高鳴っていくエンジン音。イレーザーエンジンが本来の駆動音を響かせ始める。

 

 

「やったっ! イレーザーが回り始めたぞっ!!」

 

 MkIIを見上げソープが叫ぶと周囲から歓声が湧き上がる。疲れきった男たちの顔に笑顔が浮かぶ。

 

「うーん……何だか見られてる? ボク?」

「アノコ……ソープサマニ……ゴアイサツ……デス」

 

 ソープの隣でMHに向けてバクスチュアルが手を振る。

 

「君たちファティマってそういうところがすごいと思うよ。僕にはわからないもの。少し羨ましいね」

 

 そう言って笑うソープにバクスチュアルはわずかに頭を傾げて小さく頷く。

 

「ハイ……マスター……」

 

 MkIIを見上げるバクスチュアルの横顔はどことなく嬉しそうだ。

 

「あそこの黒い人が私のお父様」

 

 周囲を観察し続けるMkIIが次に黒衣の老人をズームアップする。

 

『ウン……グラーンパ……ゴアイサツ……スル』

 

 チカチカと目を光らせるMkII。キラキラと光の粒子が舞う。

 制御コントロール掌握──MH制御の全権コントロールがエディの手に委ねられる。今やMkIIの制御はエディの思いのままだ。

 

「ご挨拶は済んだかな? じゃあ、君の機能を少しずつ開放していくからね? お勉強の時間始めよう。いっぱい覚えることあるからね?」

『ウン……ママ』

 

 ファティマルームの座席にエディは座り込む。青白い光の中で膨大な量の情報が整理されていく。

 エディの指が高速でコンソールキーを叩き、新しい学習プログラムを構築する。

 

「OSに君の癖を上書き……前と変わらないくらい君は動ける。ずっとずっとボディはパワーアップしてる……最初はびっくりしちゃうからちょっとずつ行くからね」

『ママ……ボク……ガンバルっ!』

 

 MkIIは張り切ってエンジン音で応える。

 彼に戸惑いはもうない。暗い檻の中から自ら出て、エディを自分のママの「セルマ」と認めた。

 会いたくて、会いたくて、ずっと待っていた人にようやく出会えたのだから──

 MHが無事に動き出した頃、事態は急変を迎えようとしていた。衛星からの監視映像が新たな局面をソープの元に報せてきたのだ。

 

「え? ブルーアーマーが集結してドンパチ始めそう~~~!? クソ~やられたか~」

 

 辺境の地での大捕り物が始まろうとしていた。




※オリバー・メッシュ
オリバー・メッシュ・ジュニアは魔導大戦に出る

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