シュロの町の外れにあるセント・モルガナ孤児院の前に黒いディグが停まった。
二人の少女が降り立つ。石造りの小さなアーチ門をエディが車椅子を押してくぐった。
真上から照りつける日差しにエディは目を細める。 極めて透明に近い色合いのアイカバーが太陽光を反射してその表情を失わせて見せる。
その印象的で大きな瞳は真正面からでなければ見ることができない。
エディは孤児院の広場を眺めた。今日の訪問目的の一つである彼女の姿を見つけていた。
「ストップ。挨拶してきます」
フロリーをどうしたものか迷ったが車椅子の角度を傾けて段差を乗り越えると広場へ足を踏み入れる。
目的の少女は一心不乱に地面に何かを書き込んでいた。エディは車椅子を固定し座り込んでいるアイラの近くにゆっくりと歩み寄る。後ろからこっそりとだ。
砂の絵にほっそりとしたエディの影が落ちる。
「こんにちは」
「こんにちは……」
話しかけたエディに赤髪の少女が返した。アイラはまた地面に描いていた絵に視線を落とす。
アイラは町の診療所を退院の後、セント・モルガナ孤児院へ預けられていた。
少女が不自由なく暮らせているかがエディには気がかりだった。他の子たちに上手く馴染めていないようで心配だったのだ。
「お邪魔……でした?」
「ううん……」
枝先が角の先端を描き、ようやくそれらしい形が出来上がる。それは龍(ドラゴン)の姿に似ている。
突き出た頭のホーン。ドラゴンヘッドだ。砂の上の龍は化石から発掘されたばかりのようだ。
孤児院の敷地の広場で他に遊んでいる子どもは向こうに何人かいる。アイラはまだ馴染みが薄いのか仲間に入れてもらえてないようだ。
アイラは人見知りする子だ。そのことをエディは知っている。以前お見舞いしたときは全然話してくれなかった。
今は少し慣れたので、こうして挨拶くらいはできるようになった。
少しばかりの進歩です。
「みんなと遊ばないの?」
エディの問いに頭を振るとアイラは枝先で絵をかき回す。そしてまた別の絵を描き始める。
彼女は絵を描くのが好きだ。入院している間もスケッチブックに色々と描き残している。
その絵はどこか独特なものがある。それは押し詰まった何かをスケッチに溢れるように表現しようとしながら、今一歩技量が足らないもどかしさの中で生まれたものであった。
「かぶと?」
新しく描かれる線に注目する。黙々とアイラは絵を描く。エディはその完成を待つことにする。
今日は定例の読み聞かせ会があるのだが予定の時間より早く訪れていた。待つくらいなんてことはない。
車椅子のフロリーの方を伺うが特に問題はなさそうだが、思い直し寒くないかと足に毛布を広げてかけて戻った。
アイラの枝先は黙々と線を描いて形を作っていく。鎧のような姿に頭は兜。大昔の騎士のような姿。その姿はMHの姿に酷似している。
もーたーへっど?
エディはその絵のシルエットを見つめる。そのとき視界がかすんだ。
気のせいかとエディは頭を振った。
なのに青い騎士の姿だけが浮かび上がる。微妙なタッチの輪郭がぼやけていた。
剣を持った青い騎士が妙な厚みを持ってエディへと襲いかかってくる。
非現実な妄想。そう片付けるには現実感がありすぎた。それはただの砂の絵のはずなのに。
足は動かない。
脳は危険信号を発する。
危険、危険!!
どうして、どうして?
後ずさろうとした足を砂が呑み込んだ。
ああ、砂が足をさらっていく。
グルグルと世界は回る。
エディは立つのも辛くてふらつく。
ノイズが圧迫感となって襲ってくる。
これは何?
『回避不能っ!』
『脱出しろ!』
自分の声と叫ぶ男の声が重なった。
青い騎士がスローモーな動きでだんびらを振りかざす。
その動きはわかっているのに回避することができない。
砂が足を魔物のように呑み込んでいる。
衝撃と飛び散る血。
灼熱のエンジン音。
弾け飛ぶ装甲。
真っ暗になる視界。
壊れるのはわたし──
「や……だ……? 死んじゃうの…ダメ……ワタシ」
自分でも何を言っているのかわからない。ろれつが回らない。見えているのに現実感を失った地面。自分がよろめいているとわかる。
太陽と建物が作り出す光影が交差する。
誰かが自分を揺さぶっている。その現実感にひどく混濁していた意識がゆっくりと周囲の状況を知覚させていく。
「エディさん、大丈夫?」
肩に回された手。それは院長夫人の声だ。その声にエディはようやく自分が倒れていたことを知る。体を支えているのは院長夫人だ。
「私……何で?」
「どうしましょう。ここには医療施設はないの。ドクターを呼ばなくては」
「平気……です。立ちくらみ。想定外のエラーです。もう治りました」
何でもないと告げてどうにか立ち上がった。アイラがエディを見つめ返す。その大きな瞳がこわごわと見つめている。
心配されているのだと感じた。
「大丈夫?」
「うん……」
エディは地面に目線を落とす。そこにはもう青い騎士はいない。そこにあるのはただの線で描かれた砂絵に過ぎなかった。
吐き気とわずかながらの不快感が残る。体調はもうなんともない。
「ダメなら今日は中止しましょう。大事があってはいけないですから……」
「平気……です。みんなとの約束は守ります」
「でも……」
院長夫人に再度問題ないと告げる。「大丈夫なのね?」と念を押されるが意志は変わらない。
ここに来た目的を果たさなければ。今のはただのエラーで今はなんとも無い。エディはそう自分に言い聞かせる。
あれは私の中にある、私ではない誰かの記憶だ。だから怖くない。現実であったとしてもそれはもう終わったことであるはずだからだ。
今日はフロリーのリハビリも兼ねていた。アイラの様子を見るのもだ。これはお父様に言われたからではない。自分の意志で決めたことだ。
ならず者の騎士によって両親を奪われた少女。自らの躊躇いで暴行をその身に受けた。エディの中にあるのは罪悪感だったといえる。
お父様は、気にするな、お前の責任ではない、と言ったが。けれどエディの中でそれが消えることがなかった。
己の選択が罪もなく親を殺された少女を傷つけた。その罪悪はエディの犯した罪ではないとわかっていても、人の前で感情を現すことを禁じられた人形でも後悔を打ち消すことまではできなかったのだ。
「アイラ、お水を持ってきてちょうだい」
「うん」
戻ってきたアイラが差し出した水を受け取る。
「どうぞ」
「ありがとう」
そして何か言わねばと今日の目的を告げる。
「今日は絵本を持ってきたの。みんなに読んであげるからお部屋に入りましょう」
「うん……読んで」
アイラは頷くと素直に建物の中へ戻っていく。
これは絵本作戦です。アイラは絵本が好きなのです。みんなも絵本は大好き。こんな私が詠んでもみんなちゃんと聴いてくれます。
そのために私は来ました。
「アイラはあなたには懐いているようね」
「そう、ですか?」
あまり懐かれているという実感はない。
アイラはボォス星移民の子孫だ。このシュロの成立に一役買った一族であるらしく、かつては巫女として聖地ラーンで詩女に仕えた者の末裔なのだという。
町そのものがカラミティを含む各星の移民が作り上げたものだ。それゆえに民族色がいくつも交じり合った文化が残っている。
このセント・モルガナの建物も移民が造った異国の建造物である。
院長夫人を見るとニッコリとエディへ笑い返してくる。彼女はファティマだからといって態度を変えるようなことはなかった。
むしろ、普通の女の子のようにエディを扱うので返ってやりにくいこともある。
エディとフロリーは子どもたちのいる部屋に入る。彼女を連れてきたのは、例え話すことがわからなくても少しでも人がいる場所にいた方が良いと思ったのだ。
朗読するのは何度も練習したけれど、これだけ多くの人に聞いてもらうのは初めてのことだ。ドキドキはするけれど嫌なことではない。
これも自分でやると決めたことだ。
先ほどの体調不良はもう大したこともない。一呼吸吸い込んでからエディは言葉を紡ぎだす。
「むかしむかしのある日のこと──」
エディが選んだのは白馬の物語だ。表紙の赤い草原と白馬の絵がある絵本。先日、エディとパルスェットが選んだものだ。
親を亡くし、孤児となった仔馬が人に拾われるところからお話が始まる。
仔馬は同じ境遇の少年と出会い、仔馬と少年は共に育っていく。やがて仔馬は立派な白馬に、少年は大きな体を持つ青年となった。
馬と少年との友情。
運命のレース。
別れと再会。
そして終焉まで。
その間、とうとうとエディの朗読が続く。子どもたちはエディの一句一句を聞き逃さまいとジーっと動かない。
最後のおしまい、という一言で持って締めくくると、室内にようやくざわめきが戻ってきていた。
エディを静かな興奮が包んでいる。途中、子どもたちの反応が沈黙に変わったとき失敗したのだと思った。でも、終わってみればみんなに笑顔が見えた。
お話のおかげだ──ほっとしてエディは絵本を抱きしめる。
小さな手が伸びてエディの腕に触れる。目の前にアイラがいた。エディに初めて見せる意思のこもった行動だった。
「面白……かったよ……」
「この本ね。アイラに上げようと思って持ってきたの。気に入ってくれた?」
「うん。いいの?」
戸惑いがちなアイラに絵本を差し出す。
「どうぞ」
「ありがとう……」
おずおずとアイラが絵本を受け取る。贈り物はアイラにだけではない。孤児院の子に上げようと館から沢山の絵本を持って来ていた。
大量の絵本を見て子どもらが歓声を上げる。本を手に取ってはみんなで見せ合いっこをしていた。
配り終えた達成感の後、アイラがフロリーの側にいるのを見つける。周囲ではみんなが絵本に見入っていて二人を気にかける様子はない。
「アイラさん?」
エディが後ろから声をかけるが気が付かないのかアイラはフロリーから目を離さない。
不思議と大人びたアイラの瞳がどこか今ではない時を映し出す──その口から漏れるのは預言の言葉のようであった。
「今ではない時……砂塵が吹く五匹の龍の住む地……あなたは再会する……機械じかけの踊る人形……よこしまな牙は砕かれ……あなたはもう一対の牙を駆る……天馬(グライフ)と出会い……そのとき……あなたは、すべてを思い出す……」
その瞳に映し出される風景は今ではない未来のどこか。
両肩に巨大なアギトを持つロボットと「踊る人形」を冠したロボットがぶつかり合う光景──そしてもう一対の獣……
言葉を発した後、アイラは体を震わせると柔らかい絨毯に膝をついた。幻影から開放され呆けた顔になる。そして小さく息を吐きだした。
アイラの宣告に感情を見せなかったフロリーの睫毛がかすかに動く。そのわずかな揺らぎはすぐに消え去っていた。
「……ん?」
あどけない幼い顔に戻ったアイラが不思議そうに周りを見回す。
今しがた、何を話したのかも、何をしていたのかも思い出せなかった。自分が観たものが何であるかもわかっていなかった。
ただエディのみがその不思議な宣託を聞いていた。
◆
「その荷物はここに置いて。バイパス・チューブはすぐ使うからそこに開けておいて──」
快活な青年の声が広い空間に響き渡る。作業員がドーリーから運搬物を下ろし荷物の封印を解いていく。
ル=フィヨンド館の地下は主に倉庫として使われていたが、実際には工場として機能するだけの設備を兼ね備えている。
MHを組み上げることのできる施設であり、いったん稼動させれば、傭兵騎士を相手に商売する町工場並か、それ以上の施設と道具を扱うことができた。
そのための人員は今は十分なくらい揃っている。
辺境の城でこれだけの設備があるのもデルタ・ベルンのA.K.Dから投資を受けているからだった。
一つの惑星を丸ごと支配するA.K.Dでもカラミティの周辺諸国に対する国際的な発言力はこの地では全く及ばない。
現在は自治領主を置き独立都市としてあるが、過去はA.K.Dの飛び領地であったこともある。自治領主を置いてからは騎士団と呼べるものは置いていなかった。
原則、A.K.Dは紛争には不介入という立場を通し、シュロはサロモン・ルイ・ミッテラン子爵が支配権を持っていた。
アマテラスが城の地下に地下工場を建造したことを知る者は少ない。知るのは当の本人と何人かの関係者のみ。そして城の領主のみだ。
それも極めて私的な興味で建造されたことを知るのは本人のみだ。
ソープが連れて来たエンジニアは生粋の技術者で政治のことはまったく知らない。皆、彼が選んで連れて来た者たちだ。
人手がなくては工場も稼動はしない。ここ数年程は静かな空間となっていた。城にあるモノが持ち込まれるまでは──
何人ものエンジニアが梱包された包みを解いていくのをソープが見守る。亜麻色の髪が照明の光に輝きを返す。
モーターヘッド・マイスターとしてその名を継承する存在。その名を持つのは唯一人だけだ。しかし、今のところの「彼」はまだ世に名を知らしめてはいない。
それが意味するところを世間の人々はまだ知る由もない。彼が何者であるのかを。
「快適、快適。うるさい連中もここまでは文句言ってこないし! ライムと老クリサリスの鉄壁ガードをかわして、ルスは何とか誤魔化せたし。ふふーん、誰であろーとボクを止めることなんてできないんだぞっと!」
腕を組んでご機嫌に笑うソープ。
足りなかった人手はデルタ・ベルン本国から連れて来た。口も堅いしボーナスも弾む予定だ。
カラミティに星団法すれすれにこっそりと持ち込んだ代物はMHのパーツにエンジンと上げれば暇がない。
規格外かつ国家機密レベルのものを堂々と運べばいらぬ注目の的になる。
それを持ち込むための準備をばれないようにしてきたのだ。その集大成となる組み上げの段階までやっとこぎつけたのである。
それも、ひとえにこっそり抜け出すという行為を正当化するためだけにだ。そこに少しばかりのストレス発散が込められていることは否定のしようがなかった。
そのとき、ソープの目を後ろから塞ぐの女の手があった。
「だーれだ?」
「ん? えーと、もしかして……」
「アイシャちゃんどぇ〜すっ!」
「げげっ!? どーして……なにがあったのかな?」
ソープは振り返るがアイシャの惨状にどう形容しようかと悩む。
ゆったりタレ目の美少女はここに辿り着くまでにテンパ状態のヒッキースタイルとなっていた。
その経緯は、シャトルバスが爆撃炎上して犯人を捕まえそこなり、シュロまでの数キロを歩いて来たわけである。
「ソープ様っ! ソープ様ぁ〜〜!」
「ちょ、みんな見て……」
アイシャの嬌声とソープの悲鳴がこだまして何事かと周囲の注目を集める。
ここまで辿り着いたら仮名のサンドラ・イルケはかなぐり捨ててアイシャ・コーダンテとしてソープに甘えまくるつもりで来たのだ。
アイシャはコーダンテ家のお姫様でその跡継ぎである。あばずれ的な性格が災いしてか、いまだに夫はいない。
といっても学生の身であるので、両親からの結婚話などかなぐり捨て、あげくに家出までしていた。
バランシェ邸でメイド修行をしてはセクハラしてくる親父どもにキックをかます毎日を過ごしていたのだが、それにも飽きて不満の日々。
常々、アイシャに関しては問題のある行動と発言が横行しており、コーダンテ家の大事に成りかねない娘でもあった。
ついでに相性の良いファティマもいないのか、充てがわれたファティマを難癖をつけては何度も病院送りにしているという札付きのワルである。
周囲からは、夫はまだしもファティマすらいないのでは話にならぬと、嫡子問題にまで踏み込んだ内容で周囲を悩ませている状態だ。
つまるところ、アイシャ・コーダンテは問題児でソープ様が大好きということであった。
ソープはここまでの経緯の情報をアイシャから受け取る。
「──ミミバ? ボォスのらっぱがこんな場所にいるか……」
アイシャからの情報はこれまでの辻斬事件における隠されたベールの部分であることは間違いなかった。
鋼鉄の巨人の装甲が光を照り返している。それを眺めながらアイシャは記憶を辿る。どこかで見たことがあるような気がした。
「ああ、これが新しく作ってるモタヘ? あれ、この型(タイプ)、どっかで見たこと……」
「ようやく形になったしね。何せ、全部分解して、パーツ別にしてからこっちで組み上げたんだもの。フレームは元々置いておいた予備が役に立ったし」
「フロート・テンプルに置いてあったやつですの? ホーンドとは基本骨格違うし」
「開発はバランシェのとこで試験作を何度も運用していたからね。今回ここに運んだのは試験のためじゃないのさ。うち(A.K.D)の膝元じゃうるさいのが多いしね。ここなら、誰にも文句も言われないから」
国家予算級の資金が動いているのは間違いないのだが、それすらも個人資金のポケットマネーで動かせるとなれば話は別だ。
どれほどの金持ちであろうとも、ただの遊興にこれだけの金を動かせるわけもない。
それができるのが並外れた感覚の目の前の人物だけである。アイシャ・コーダンテの突拍子のなさも可愛く見えるレベルだ。
「ソープ様……戦争でもやるおつもりですの?」
「実戦テストをしようと思ってね。近頃、噂の辻斬りがいる。そいつを狩るんだ。こいつのお披露目代わりさ」
「本気〜〜!? 組み上げたばかりのモーターヘッドで? 乗る人ヤバイ……」
ジト目のアイシャ。それをソープは笑ってかわす。
「何にせよ連中は尻に火が付いてる。ミミバと連絡も取れなくなっただろうしね。あぶり出すのはウモスでもクバルカンでもいいんだけど、ここまで来たんだもの。こいつの活躍を見てみたくないかい?」
「ソープ様のモーターヘッドですものそりゃ負けるなんてありえないし〜〜?」
「こいつにはまだ騎士がいないんだ。君が乗ってくれれば怖いものなしだ」
「うええ? あたし!? 無理、無理無理! だってファティマだっていないもの」
デルタ・ベルンの問題児。
ファティマ病院送り常習犯。
夫などいらぬと突っぱね、後継者など作るつもりなし。
今回も反省を兼ねた名目でメイド修行中だったバランシェ邸からとんずらこいてソープの後を追っかけてきたのである。
国元もアイシャ・コーダンテの行方を巡って騒動になっているかもしれない。
両親が聞いたら激怒すること間違い無しだ。
ここでさらに問題を起こしたら、コーダンテを廃嫡になってもおかしくない不祥事になるかもしれない。
「あたし、すっごいドジだし。ファティマだって上手く扱えないし……」
「バシクとは問題ないだろ?」
「そりゃ、問題無いですけど……」
アイシャのおくれ毛をソープがいじる。
バクスチュアルとは相性そのものはあまり問題ではなかった。開発ファティマとしてのバクスチュアルの能力は飛び抜けているといえる。どのような乗り手であろうが最高の性能を発揮することができる。
バクスチュアルそのものがA.K.Dの最高機密だ。ゆえに外の世界にその名前が出ることもない。
さすがのアイシャもバクスチュアルを粗暴に扱うことはない。
アイシャに求められているものはコーダンテ家の嫡子としてのあり方だ。騎士として、王族としての義務と、王族の子孫を残すという務めを果たさなければならない。
その重責はまだ学生にすぎないアイシャには重いものだ。
国を背負うということをわかっていながらも、こうして破天荒に投げ出してしまいたくなる。
「アイシャならできる。ファティマが苦手なら克服すればいい。君なら彼女から「マスター」と呼ばれる騎士となれる。絶対にね」
「本当に?」
幼い娘のようにしおらしくなったアイシャが顔を上げる。
ファティマは人の信頼関係などを前提としない独特の基準でマスターを選ぶ。強い騎士に惹かれるのはファティマのDNAといえる。
アイシャがこれまでファティマを「選ばなかった」のはそうした常識から目をそらし続けてきたからといえる。騎士として失格な考え方なのはわかっていた。
「結構変わった子でね。モーターヘッドが苦手らしい。たぶん、君と似た者同士だよ」
「それじゃ、あたしがケツをひっぱ叩くしかないじゃない。ソープ様はイジワルです」
「はは、そうだね」
笑ったソープがアイシャの髪を撫でてMHを見上げる。かつてはウォータードラゴンと呼ばれたその騎体を──