女の子だけど踏み台転生者になってもいいですか? 作:スネ夫
俺の一日は、太陽が昇る前から始まる。
気持ちよく眠っているなのはを起こさないよう部屋を出て、船の上で目一杯、全身に新鮮な空気を浴びていく。
「うむ。
今日も、絶好の踏み台日和だな!」
いつもなら、ここでドラちゃんの合いの手が入るのだが。
今はなのはの護衛に渡しているので、誰も返事してくれない。
ちょっと寂しいと思ったのは、内緒だ。
気持ちを切り替えた俺は、習慣のラジオ体操を始めた。
すると、船上にいた海賊達が、ぞろぞろと周辺に集まりだす。
「お、もう始めてるな」
「日課だからな。
お前達もやるんだろう?」
「あたぼうよ!
嬢ちゃんの体操を取り入れてから、オレ達の目覚めが良くなったからな」
ニッと爽やかに笑う、海賊。
赤いバンダナがチャームポイントになっており、その厳つい顔つきが微かに軽減されていた。
また、他の野郎共も、豪快に体を逸らしてラジオ体操をしはじめる。
彼等とは、俺達が船の雑用係になってからの付き合いだ。
精力的に働いている俺を見て、女の子にしてはやるじゃねーか、と気にかけて貰っているのだ。
その関係で、こうしてタメ口を交わす仲にもなっている。
ちなみに、なのははその愛くるしい姿と、ワタワタと一生懸命動く様子に、まるでアイドルの如き熱狂的な人気となっていた。
噂に聞いたところによれば、なんとファン的な概念ができ始めているとか。
流石、原作キャラ……恐るべし。
「よーし!
行くぞ、お前等! 俺の動きに続けー!」
『おうっ!』
俺の前にズラリと並ぶ、海賊達。
一様に返事をした彼等に頷き、俺は再びラジオ体操を開始した。
こんな感じで、早朝は過ごしていくのだった。
♦♦♦
ラジオ体操をしている間に日が昇り、なのは達が起きる時間となる。
朝食を食べ終えた俺達は、まずは船上の掃除をしていく。
「せいせいせいせい!」
水につけたモップを手に、俺は後ろ向きで下がりながら床を擦る。
近くでは、なのはがタルを抱えて運んでいた。
「んしょ……んしょ……わっとと」
バランスを崩してたたらを踏むが、すぐ側にいた海賊に支えられたなのは。
「大丈夫か?」
「うん、ありがとう!」
「なーに、いいって事よ」
口ではカッコよく決めているも、海賊の顔はデレデレだ。
笑顔で感謝を示したなのはを見て、それはもうニヤついた笑みを披露している。
そんな海賊の姿に、他の海賊達が不満げに口を開く。
「テメェ! なのはちゃんに近寄るんじゃねぇ!」
「そうだそうだ!
オレだって、なのはちゃんにお礼を言われたいんじゃい!」
「ああん? 見苦しい嫉妬はよせよ。
お前らじゃなくて、オレが!
このオレが、なのはちゃんに頼られたって事実は変わんねぇんだからよぉ?」
ゲス顔を見せつける男だったが、剣呑な目つきの彼等を見たからか、頬が引き攣っていく。
「上等だ! おい、テメェら! こいつを締めようぜ!」
『おうよっ!』
「ちょ、待ってくれ──」
逃げようとする男を囲み、フルボッコにしようとする海賊達。
辺りに煙が立ち上ったせいで、その様子は詳しく窺いしれない。
しかし、なんとなくギャグ補正で、大事には至らないと思える。
「わ、わわ!
喧嘩はダメなのー!」
「さて、続き続きっと」
海賊達の仲裁に入るなのはを尻目に、俺はモップ掃除の再開。
暫く鼻歌を歌いながら床を綺麗にしていると、船内からシグナムが顔を出す。
海賊達が喧嘩しているのを見て、彼女は微かに眉をしかめた。
「……おい」
その冷たい声が耳に入ったのか、海賊達はシグナムの存在に気がついたようだ。
すると、彼等は一様にうげぇっと顔を歪める。
「げっ! 姐さんが来たぞ!」
「また怒られちまう!」
「逃げるぞ!」
蜘蛛の子を散らす如き、素早い動きで逃げる海賊達。
そんな彼等の対応を見て、ひくりと頬を痙攣させたシグナム。
「主の命を守れない貴様らの腐った性根を、私が叩き直してやる」
目を細めて独りごちると、シグナムは地を蹴って彼等を追いかけていく。
お馴染みになりつつあるその光景に、俺は手を動かしながら驚いていた。
実は、元々。
海賊達とシグナムの関係は、事務的なものだった。
方や船長にしか興味がない女騎士で、もう片方は船長の側近になった事が気に入らない海賊達。
両者の対立は必然であり、ぶつかるのは時間の問題となりつつさえあったのだ。
そんな両者の関係を変えたのが、他でもないなのはである。
鋭い勘でシグナム達の関係性に気がついたかと思えば、彼女なりのやり方で仲を取り持とうとしはじめる。
もちろん、最初は上手くいかなかった。
しかし、なのはの健気な働きかけが通じ、また海賊達が彼女の可愛らしさにやられた事により、こうしてふざけ合う関係まで発展したのだ。
「まあ、シグナムの方はどう思ってるかわからんけど」
呟きを漏らした俺は、天を仰いで目を細めた。
なのはのおかげで、海賊達は良い方向へと変わった。
だが、シグナムは相変わらずの無表情であり、なにか変化があったとは思えない。
「今日も、いい天気だ」
時代が違くても変わらない、太陽。
まるでシグナムの存在を示唆しているようで、いつもは好きなそれが少し煩わしく感じてしまう。
「ふぅ……さて、さっさと掃除を終わらせよう」
ため息をついて気持ちを切り替え、モップを動かすスピードを上げるのだった。
♦♦♦
「──遅い」
「ぐっ!」
迫りくる長剣を右に逸らした俺は、勢いに逆らわずに飛び退く。
直ぐに風に乗り、正眼に構えるシグナムへと三段突き。
しかし、軽々とあしらわれてしまい、次いで吹き飛ばされる。
「突きは速いが、お前の場合は動きを読みやすい。
だから、いなす事が簡単だ」
「わかってる……よ!」
小柄な体躯を活かして、足元に攻撃を浴びせていく。
そんな俺の小賢しいやり方に、シグナムはコンパクトに長剣を動かす事で対応。
連続して響き渡る、金属音。
暫く剣戟を交わしていたが、俺の呼吸が乱れてきた事により、剣舞は終わりを告げる。
刀をかち上げられて隙を晒してしまい、喉元に剣の切っ先が突きつけられた。
「……参りました」
そう告げると、シグナムは無言で長剣を鞘に納めた。
遅れて大量の汗が吹き出し、思わず俺は尻餅をついて大きく息を吐く。
「ふぅぅ……シグナム強すぎ」
「お前が弱いだけだ」
ぐっ、ごもっともです。
少しは動けるようになったとはいえ、俺はまだ素人に毛が生えたレベルだ。
だから、シグナムに一矢を報いるなんて、おこがましいにもほどがあるだろう。
あーあ。
全然、強くなった実感がしないなぁ。
大の字で寝転がり、ぼーっと夕焼け空を眺める。
初めて、シグナムと出会った時。
あまりにもあっさりとやられてしまった俺は、その事が凄く悔しくて彼女に剣術指導をお願いしていた。
もちろん、シグナムは指南する事を渋ったが、船長が面白そうだと許可してくれたので、こうして訓練をつけてもらえている。
「お前が使っている武器──刀、だったか。
それと、私の武器とは扱い方が違う。
だが、それでも基礎の足運びなどは通ずるものがある。
まずは、足腰を鍛える事だな」
「わかった」
いまだに、シグナムに対して複雑な感情は持っているが。
それと俺が悪対応をするのは、話が別だ。
こうして教えてくれているのだし、本当は凄く良い人なのだろう。
……何故、いつも無表情なのか。
「なんだ?」
「なぁ、シグナム。
お前──いや、お前達はなんなんだ?」
数日前、ドラちゃんが言っていた。
シグナムさん以外にも、同じような存在が何人かいるはずです、と。
船長に尋ねようかとも思ったが、どうして知っているのかと聞かれそうなので、中々言い出せないでいる。
そんな事を考えていると、いつの間にかシグナムがすぐ側で俺を見下ろしていた。
空から降り注ぐ茜色の光に照らされ、彼女の顔全体に影が差す。
無表情の中に冷たい色を宿し、シグナムはいつでも剣を抜けるよう手を添えて口を開く。
「……貴様、なにを知っている?」
「いや、俺はなんも知らん」
そう返すと、言葉を選ぶように沈黙を挟んだ後。
「元々、私も貴様に問いたい内容があった」
「それは?」
俺の合いの手を聞き、鋭い眼光で重心を落としたシグナム。
虚偽を許さないといった表情で、静かに問いかける。
「貴様は──なんだ?」
「なんだ、とは?」
「言葉の通りだ。
この
しかし、貴様は魔法を使った。それも、私が見た事もない魔法を使って」
見た事がない?
それは、どういう意味だ?
シグナムの話し振りから、そちらも魔法使いなのは理解できる。
だが、その言い草ではまるで、魔法に種類があるみたいではないか。
「魔法って一種類じゃないのか?」
「……私が使っている魔法は、ベルカ式だ。
しかし、貴様の魔法は私のものとは違う──いや、どこかで似たようなものを見た記憶があるか?」
数瞬悩む素振りを見せた後、シグナムは小さく息をついて口を開く。
「それで、貴様は一体なんだ?」
「俺がなにか、か」
そう聞かれれば、答える言葉は決まっているだろう。
バク転をして起き上がり、警戒した様子のシグナムへと胸を張る。
「俺の名前は、小鳥遊 静香。将来、お前を嫁にする踏み台転生者だ!」
「……ふざけているのか?」
無反応でなかったのはいいけど、そんな怖い反応は求めていない。
しかし、俺が省みる気はないぞ。
踏み台転生者として、むしろどんどん畳みかけてやろう。
「はっはっは。
シグナムは照れているんだな。でも、安心してくれていいぞ?
俺は、シグナムが内心では嬉しいって事をわかっているからな!」
「貴様っ……!」
ちょ、なんでそんなに怒っているの!?
無表情が崩れて嬉しいが、明らかに負の方面にぶっちぎっている。
このままでは、俺はシグナムの剣の錆にされてしまう。
そう結論づけ、更に言い募ろうとした時。
「──やめな、シグナム」
「はっ」
船長が現れてそう告げると、瞬く間に人形然としたシグナム。
音もなく船長の背後に控え、以後は口を閉じて瞳に無機質な色が戻る。
そんな様子を一瞥した船長は、酒瓶を傾けながら俺の方へと近づく。
「どうだい、シグナムとの訓練は?」
「まあ、ボコボコにされてるよ」
「アッハッハ。
そりゃそうだろうね。シグナムは強いし、その装備はあたいが与えたやつだからな」
「そうなのか?」
俺の言葉に頷き、船長は懐から一冊の本を取り出した。
黒の表紙に十字架が描かれており、どこか重苦しい威圧感を漂わせている。
手中のそれを優しく持ちながら、遠い目の船長が口を開く。
「シグナムが言うには、これは闇の書っていう魔法の本なんだとさ。
そんで、あたいにはこの書に適性があったとか」
「へー、そうなんだ」
そこで言葉を区切ると、自嘲の笑みを浮かべる船長。
「ま、あたいの適性が中途半端なせいで、シグナムしか出てきてくれなかったけどな」
「うーん、そんな事ってあるのか?」
適性というのは、その本を使うための性質だろう。
仮に船長の適性が十全だったとしたら、シグナム以外にも誰かがいたかもしれないという事か。
というか、シグナムが出てきたとか、色々と気になる内容を話してくれたな。
興味深く闇の書を見つめていると、船長はふんと鼻を鳴らす。
「さあねぇ、どうでもいいさね。
それに、あたいは魔法なんてものに興味がない。
海賊なら、己の手で欲しい物を掴み取る!
そうやって生きてきたからね、そしてこれからもそのつもりさ」
船長がニヤリとほくそ笑み、一気に酒を飲み干す。
そのまま後ろに酒瓶を投げ捨てたが、それをシグナムが慣れた手つきでキャッチ。
……意外と、シグナムとの関係性は良好なのか?
ズボラな主人に対して、甲斐甲斐しく世話をする騎士といった具合に。
そんな事を思いつつ、表情には呆れた色を張りつける。
「ポイ捨てはダメなんだぞ」
「ポイ捨て?
よくわかんないけど、あんたに指示される筋合いはないね」
「まあ、シグナムが拾ったからいいけど」
「……なぁ、お前さん」
「ん?」
不意に、真面目な表情で俺を見つめた船長。
なにか重要な事でも言うつもりなのだろうか。
自然と居住まいを正し、彼女が告げるのを待つ。
しかし、船長の口から言葉が漏れる事はなかった。
代わりに、目を見開いた彼女が、吐血したのだから。
「主っ!?」
「お、おい大丈夫かよ!」
慌てて駆け寄る俺達を手で制し、船長は口元の血を乱暴に拭う。
「これぐらい平気さ。慣れたからね」
「慣れたって……」
明らかに、ただの吐血量ではない。
びちゃびちゃと床を汚している大量の鮮血に、シグナムの顔色は真っ青だ。
俺もなにかできる事はないか、とポケットに手を突っ込んで道具を取り出す。
「これは、“お医者さんカバン”か!」
これなら、使い方が直ぐにわかるぞ。
急いで聴診器を伸ばし、無理矢理座らせた船長の胸元に当てる。
「おい、なにをしている!」
「黙ってろ!
今、船長の病状を調べてるんだからよ」
「ほ、本当か!?
主は、主は助かるんだな!」
騒ぐシグナムを無視して、俺は鞄の画面の結果に目を向ける。
そこには、赤い文字でエラーと書かれていた。
「はっ?」
何故だ。
このお医者さんカバンならば、現代の難病も治せたはずだ。
なのに、現実にはエラーの文字が書かれている。
思わず愕然とする俺を見て、大体の状況を察したのか。
シグナムは表情を絶望一色に染め上げ、それでも俺の胸ぐらを力強く掴んでくる。
「どういう事だっ!」
「こっちだって理由を知りたいわ!」
彼女の手を振り払うのだが、直ぐに喉元を掴まれてしまう。
自然と身体が浮いて息ができなくなり、できる抵抗はジタバタともがくのみ。
「……貴様が主になにかしたのではないだろうな」
「ぐっ……俺が……そんな事をするわけ……ねぇだろうが……っ!」
声を振り絞っていると、俺達の間に鋭い声が降り注ぐ。
「やめなッ!」
「主!」
俺を投げ捨てたシグナムは、慌てた様子で船長の元に駆け寄った。
「うっ……ごほっ、ごほっ」
うずくまって喉に手を当て、俺はなんとか息を整えていく。
く、苦しい。死ぬかと思った。
シグナムの慌てる気持ちもわかるが、こうした直情的な行動を取られるのは困る。
……恐らく、こうした対応をされたのは、俺の事が信用できなかったからだろうな。
仮になのはが同じ事をしても、シグナムは冷静に問いただすだけだったはずだ。
まあ、踏み台転生者の俺に対しては、正しい対応なのだろうが。
無意識に笑みを零していると、立ち上がって身体を捻る船長が。
「やっぱり、いつも通り問題ないね。あんたらは大袈裟すぎなんだよ」
「ですが!」
なおも言い募ろうとするシグナムに、船長は眉尻を跳ね上げる。
「シグナム……あんた、変わったね。
前にあたいが血を吐いた時は、事務的に対応してただけだったのに」
「そう、なのでしょうか……?」
「そうさ、かなり変わったさ」
どこか嬉しそうに微笑んだ船長は、チラリと俺の方に目を向けた。
新たに取り出した酒を口に含み、口内に残る血と共に吐き捨てる。
「ぶはっ!
クックック……いやはや、これだから海賊はやめられないねぇ!」
上機嫌な様子で、踵を返した船長。
慌てて追随するシグナムを引き連れながら、背中越しに俺に声を掛ける。
「すまないね、うちのシグナムが迷惑をかけて」
「……はぁ。
ま、特に実害はなかったからいいよ」
「あんたならそう言うと思っていたさ」
顔だけ振り向くと、船長は悪どい顔で酒瓶を揺らす。
「お詫びと言ったらなんだが、後であんたにあたい秘蔵の酒をご馳走してやる」
「いや、子供に勧めんなよ」
「アッハッハ!
あんたぐらいの歳なら、みんな酒を飲んでるからね。
細かい事は気にしなさんな!
じゃ、また近いうちに期待してるよ」
話はそれで終わりなのか、そのまま彼女は去っていった。
しかし、途中でシグナムは足を止め、振り返って俺に頭を下げる。
「すまない。
いくら焦っていたとはいえ、短絡的な行動をしてしまった」
ふむ。
先ほども言ったが、俺は特に気にしていない。
しかし、顔を上げたシグナムの瞳は固く、ちょっとやそっとの言葉では折れないだろう。
……ここで、オリ主なら。
無理矢理納得させて、シグナムの好感度アップに繋がる。
というわけで、踏み台転生者の俺はゲスい行動に移そうと思います。
自然と頬をニヤつかせた俺は、シグナムの元に近づいて手をワキワキとさせる。
「フハハハハ!
ならば、お前は俺の嫁となり、そのドスケベボディを俺に委ねるのだ!」
普段ならば、冷めた視線で返事をするのだろうが。
よほど申し訳なく思っていたのか、シグナムは唸り声を上げて目を伏せた。
「むぅ……私は主の物なのだが、かといってお前の提案を一蹴するわけにもいかない。
それと、どすけべぼでぃとはなんだ?」
こてりと小首を傾げ、尋ねてくるシグナム。
普段が凛々しい麗人な姿なだけに、今の仕草はグッと来てしまう。
つまり、ギャップ萌えというやつだ。
も、悶えそう。
いつもは無表情で感じが悪かったが、改めて話すとシグナムのポテンシャルに戦慄だ。
正直、最初の悪感情はなりを潜め、ただただシグナムと色々と話したい欲求が湧き上がる。
「ぐっ……やるな、シグナム!」
「なにを言ってるんだ?」
「と、とりあえず、シグナムは船長の方へ行っていいぞ」
「む、そうか。では、そうさせてもらう」
一つ頷いたシグナムは、船内へと足を運んでいった。
ふりふりと揺れるポニーテールを見送り、やがて大きく息をついて胸をなで下ろす。
「凄い破壊力だったな……さて」
視線を落とせば、辺り一面に広がる血の池。
なんだか、さり気なくこの後始末を押しつけられた気がする。
いや、どう考えても押しつけられたな。
「掃除、しますか」
ポケットからモップとバケツを取り出した俺は、一人寂しく掃除をしていくのだった。
なお、この場は船の物陰に位置しているので、他の人がやって来ない。
つまり、船長は初めから俺に任せるつもりだったというわけだ。
……後で、特別手当でもねだろう。
♦♦♦
「じゃあ、おやすみー」
「おやすみ」
なのはが毛布にくるまり、寝息を立て始めた。
俺もベッドに横になりながら、頭の下で手を組んで天井を見上げる。
時刻は夜となり、見張り番の海賊以外は眠る時間だ。
雑用係の俺達もそれは同じで、こうして身体を休める事となっている。
「ドラちゃん」
《はい、マスター》
「船長について、なにかわかったか?」
そう尋ねると、なのはの胸元にあるデバイスが小さく明滅していく。
《……恐らく、といったところでしょうか》
「その内容は?」
《船長さんの吐血。
あれは、闇の書が彼女の身体を蝕んでいる影響だからだと思われます》
「名前的にヤバそうだもんな」
──闇の書。
船長とシグナムから話を聞いた後、ドラちゃんに彼女達を調べるように頼んでおいたのだ。
ラスボスが持っていそうな名前から、色々と気になる魔法の本だったが、まさかそこまで危ない物だったとは。
しかし、シグナム自体は危険ではなく、むしろ船長を護っているのではないか。
《詳しくは未来に戻らないとなんとも……ただ、あれは危険です》
「危険?」
《迅速に未来に帰る事を、お勧めいたします》
「へぇ」
様々な事をやってきた俺だったが、ドラちゃんにここまで真剣な声で忠告された時はない。
それほど、あの闇の書は危険なのだろう。
しかし──
「断る」
《何故でしょうか?》
「色々と細かい理由はあるが、やっぱりシグナムを見ていられないからだな」
《……それは、踏み台転生者としての考えですか?》
その問いには、首を横に振る事で応える。
「その気持ちもある。でも、それ以上にあいつを見ていると……」
《マスター?》
「いや、なんでもない」
寝返りを打った俺は、目を瞑りながらドラちゃんに言葉を返す。
「明日も早いから、もう寝るわ。おやすみ」
《あ、はい。おやすみなさい》
シグナム、か。
今は多少表情が良くなったが、最初の機械的な行動。
合理的さが詰め込まれ、ただただ船長のためだけに生きる存在。
己という中身が空っぽで、虚無感が篭る瞳。
まるで──かつての俺を見ているようだ。
誰からも必要とされず、言われた事をこなすロボットのような在り方。
気に入らない。腹が立つ。腸が煮えくり返る気持ちだ。
ああ……でも、シグナムは俺とは違うか。
原作キャラなのだから、きっと誰かに救済されるのだろう。
それこそ、隣で眠るなのはが救うのかもしれない。
「はっ」
自分の考えに、思わず鼻で笑う。
バカバカしい。
シグナムの未来の事なんて、どうでもいいだろ。
大事なのは、今の彼女なのだから。
「……ねよ」
毛布を顔の上まで持ってきた俺は、身体を丸めて意識を落としていくのだった。