なぜだろう。
煉獄さんのおかげか。
はァーーーーッなるほどね‼︎ ありがとうございます‼︎
「ふ……む。これは……?」
イレギュラー
本部からの通信で、送られてきた近界民のトリオン反応は2つ、うち一つは、今まさに現着した煉獄が一太刀で斬り捨てたのだが、問題だったのはもう一つ。
破壊された校舎の壁から上階へと飛び込んだ煉獄の前には、すでに弱点であるモノアイを両断され、動かなくなっているトリオン兵……モールモッドの姿があった。
「すまないが、これをやったのは誰なのだろうか? 俺以外の正隊員はまだ到着していないと聞いていたんだが」
煉獄はモールモッドへ向けていた視線を右にずらす。
そこにはこの中学校の生徒と思われる、メガネの少年と白髪の少年がこちらを見ていた。ほとんどの生徒は校庭に避難しているようだったので、恐らくは逃げ遅れたかどうかというところだろう。
だとすれば誰がモールモッドを倒したのか、そんな煉獄の率直な疑問に意外な答えを返したのはメガネの少年だった。
「し、C級隊員の三雲修です。そのトリオン兵はぼくが倒しました。隊務規定違反だということは知っていましたが、正隊員の到着を待っていては間に合わないと思い……」
「おお! そうか! 君がやってくれたのか! なるほど助かった!」
「えっ、あ、はい」
違反を咎められるかと思いつつ発言したであろうメガネの少年……三雲修は、真逆の反応が返ってきたことにたじろいだようだった。
そんな彼を気に留めた様子もなく、煉獄はまくしたてるように続ける。
「おっと、名乗り忘れていたな! 俺はB級隊員の煉獄杏寿郎だ! ところで後ろの白い少年! 君はその三雲少年に助けてもらった一般人ということでいいのかな!」
「そうだよ。いやーあぶないところでした。オサムがいなかったらもう、おれはそこの近界民に、スッパリ切られちゃってたねうん」
「……そうか! よし、だいたい状況はわかった! 俺は下で怪我人等の確認をしてくるから、
まさしく嵐のごとく。
言うが早いか、煉獄はそれだけ告げると再び穴の空いた壁から飛び降りていった。
「…………なんとか誤魔化せたのか?」
φφφφφ
「なるほど! 上にいる二人以外は全員怪我もなくここにいるということですね!」
「はい、あの近界民のほうは……」
黒髪の若い女性……この学校の教師が、心配したように目を向けてきた。当然のことだろう、今回の
それがボーダーから遠く離れたこの学校に出たというのだから、焦り、心配するのは最もだ。
しかし不甲斐なし。と煉獄は思った。守るべき市民をここまで不安にさせるとはボーダーの名折れだ。正隊員として、穴があったら入りたい。
せめてもと、かれらの不安を取り除くためにも、煉獄は強い口調で言い切る。
「ご心配なく! 近界民はすでに仕留めました! もうすぐA級の嵐山隊も着く頃でしょう! 俺は上で近界民の残骸の処理にあたります。その際
「は、はい!」
教師の両手をがっしと掴んでそう告げ、煉獄は再び上へと戻る。
目的は近界民の処理……ではない。
C級隊員の三雲修。彼にモールモッドを撃破できる実力などないことを、その立ち居振る舞いから煉獄は一目で看破していた。いや可能性としては、もしかすれば執念やら機転やら根性やらでなんとか倒せたということはあるだろう。
しかし、だ。
それではあのモールモッドのやられかたには説明がつかない。
たった一太刀で、急所を両断されていた。あのやられかたに。
なんらかの偶然で三雲がモールモッドを倒したとしては、あまりに圧倒的な倒しかただ。これはありえない。彼の実力とモールモッドの残骸が釣り合わない。
ならば誰がアレを斬ったのか。
──率直にいうけど煉獄さん。たぶん2日以内に人型近界民と遭遇するんだけど、そのとき見逃してあげてくんない?
先日ラーメン屋で迅に言われたことを思い出す。つまり、要するにそういうことなのだろう。
恐らくはあの白い少年がそうだなのだ。と煉獄は睨んでいた。あのときの問答で、白い少年は怯えもなければ安堵もしていなかった。完全に平静。平常心そのもの。
近界民に突如襲われた一般人の反応では断じてない。にもかかわらず、ボーダーでもない。彼は自分を一般人だと言った。ボーダー隊員がそんな嘘をつく意味はない。
ならばなんだ。
その答えは分かりきっていた。白い少年が、人型近界民なのだろう。
φφφφφ
「いきなりだが、君はこちらの人間ではないな」
戻ってきた煉獄は開口一番、白い少年にそう告げた。
相変わらずの単刀直入。
「なっ……⁉︎」
その唐突な言葉に、三雲が冷や汗を垂らしながら反応した。
そちらが驚くとは思っていなかった煉獄は、一瞬そちらに目を向けるもすぐに白い少年へと視線を戻す。はっきりいって今の三雲の反応がほとんど答えのようなものではあったが、煉獄は直接本人の反応を待った。
「あー、ばれてたか。確かにおれは
「
「落ち着けよオサム、この赤い人はおれが近界民だって断定してる。ここで嘘ついたって意味ないだろ」
認めた。
やはり近界民だ。
迅の予知に出てきた近界民がこんな背の低い少年だとは思っていなかったが、そんなことは瑣末なことだ。
「それで、おれが近界民だったらどうするの」
「決まっているだろう! 近界民を斬るのがボーダーの仕事だ!」
当然だろうと、煉獄は言い切った。
弧月をONに切り替え、右肩に担ぐようにして構える。
臨戦態勢、湛えた笑みはそのままに。しかしその威圧は一気に凄みを伴って増した。まるで炎のような気炎が、煉獄を覆うように立ち上る。
「待ってください! 空閑は近界民でも……悪い奴じゃない! さっきだってあのモールモッドを倒して学校のみんなを助けてくれたのは、ぼくじゃなくて空閑なんです!」
そんな煉獄に向かって叫んだのは、またしても三雲という隊員だった。
C級隊員らしいが、どういうわけかこの近界民と面識があるらしい。
「だから人を襲わないとでも! 素性もわからない上にこちらの世界に潜伏していた近界民など斬って捨てるのが当然! それに最近になってイレギュラー門が多発するようになっていることを君は知らないのか!」
「なっ、それは……そんなの、空閑と関係があるかなんてわからないじゃないですか!」
「不明瞭ならば斬るまでだ! なにもかも、そうなってからでは遅いんだ! 人が殺されてから対処したのでは意味がない! 死んだ人間は生き返らない!」
「空閑はそんなことしません!」
「なぜ言い切れる! その根拠はどこにある! どうして彼を信頼できる! 近界民がそう長く我々ボーダーに知られず三門市に紛れられるわけがない! 君とそこの近界民は知り合って間もない! 違うか⁉︎」
「それでも、空閑はっ……!」
「もういいよオサム」
言い淀んだ三雲を庇うように、白い少年……空閑が前に出た。
「おれ一人でやる。それでいいだろ?」
熱くなる三雲とは対照的に、冷えた言葉とともに、トリガーを起動する。
トリオン体が形成され、空閑の全身は黒のスーツで覆われる。
武器を持ってはいないが、手先と脚がそれぞれグローブ状とブーツ状になってかなりのトリオン密度で形成されている。おそらく戦闘スタイルとしては徒手空拳を主としているのだろう。
高密度のトリオンによる打撃主体のスタイルであるならば、それは煉獄の間合いの内だ。対処もしやすい。
それはもちろん、ノーマルトリガーであるならば、の話でもあるのだが。
煉獄がそこまでを思考し終えるのと、空閑が飛び出したのはまさに同時であった。
空閑の持つ
そう、空閑のトリガーは黒トリガーだ。煉獄やボーダーのほとんどの隊員の使用するノーマルトリガーとは性能から生成に至るまでの過程も何もかもが違う。
黒トリガーとは、トリオン能力の高い者が自分の命と全トリオンを込めて生成する強力なトリガー。元となった人物次第で細かい能力や、使用可能な人物に差異こそあるものの、共通して言えることが一つある。
それはノーマルトリガーを遥かに上回るトリオン量。根本的に放つ攻撃も防御もその規模や桁が違う。
放たれた拳はシールドを張ってもそれすら砕いて煉獄に届くだろう。
空閑の選択は一撃必殺、できれば穏便に行きたくはあったが、彼は彼で煉獄が手抜きをできる手合いではないと気づいていて、かつ、状況的に時間はかけられないと考えたゆえの拙速。
しかし、その右拳が煉獄に届く直前に、空閑の右手首に凄まじい衝撃が走った。
右拳は上方向へと大きく外れ、その隙に煉獄は大きく一歩踏み込んで上段から斬り下ろしてくる。
「うおっ……と」
それを再び『弾』印を用いて今度は後ろに飛び退いてかわした。
切り替えしの刃こそ回避したものの、空閑の右手首は半ば程まで斬り込まれており、そこからは若干のトリオン漏出により黒い煙のようなものが立っている。
煉獄は構えを正眼に戻すと、やや驚いたような顔をみせて言った。
「む、手首を落としたつもりだったが、よもや──この強度を実現しながら、さらにそのグラスホッパーのような足場……つまり君は黒トリガーだな!」
「……それはどうかな? そっちはノーマルトリガーっぽいけど、だとしたら黒トリガー相手はきついんじゃない、退いてくれると助かるんだけど」
「そうはいかん!」
しかし、内心驚愕していたのは空閑も同じだった。必殺のつもりで放った右の拳。煉獄の対応は実にシンプル、下段から上段への斬り払いであった。
拳での打撃を刀で打ち払ったのだから、本来なら手首が落ちるのが常識、煉獄の驚愕こそ当然に思うが、しかしこれはノーマルトリガーと黒トリガーの勝負なのだ。通常の物理法則での常識などあってないようなもので、出力差を考えれば回避がせいぜい、正面から対応されるなどそう起こることではない。速度威力、これらで大きく上回っているのだから、その上で応じられるのであれば、目の前の相手はずば抜けた技量と反応の持ち主であるほかない。
煉獄は相手が黒トリガーであることに気づき、空閑は相手の剣士が達人と呼べる域にあると気づき、一瞬の交差のうちに、互いの警戒度は引き上げられる。
警戒は崩さず、空閑はちらりと、後ろに視線を向ける。三門市に来てから、主にこの世界の常識に疎い面を助けてもらった三雲がいた。
(オサムのことを考えるとあんまり派手に動くのはマズイんだろうけど、ちょっと加減できる相手じゃなさそうだ)
空閑の黒トリガーが使う印は、先程は単体で使用したものの、他の印と組み合わせることや、重ねがけをして効果を増幅することもできる。しかし、彼らが今いる場所は校舎内の上階で廊下だ。あまりに強力な印で攻撃すれば周囲への被害もあるだろうし、そうなると三雲に余計に迷惑がかかるかも知れず、そこに躊躇する思いがあった。
だが、もはやその余裕はない。
ゆえに次こそ全力を打ち込む。
「
強化の印の七重、それを右脚に掛けてトリオン能力を限界まで高める。それはいわば完全なるゴリ押し。ノーマルトリガーにはこれを防ぐ術など決してない。なにもかも、上から叩き潰す圧倒的な暴力。
もともとのスペック差が大きいという、絶対的アドバンテージを最大活用する必殺。
それを以て飛び込み、強化された右脚は大型の近界民であるバムスターすら跡形もなく消し去るほどの暴威で振り抜かれるだろう。
しかし相手は煉獄杏寿郎。
鬼という全てにおいて人間を超越する化け物と戦うために生涯を剣のみに捧げた男が、その程度に屈するはずもない。
「──炎の呼吸」
息を吸い、腰を落とし、刃は左腰の横に地面と水平に構える。
煉獄からは空閑の黒トリガーの全容はまだ把握しきれてはいないが、浮かび上がるあの印に効果があることは、すでに目で見て肌で感じてわかっている。
先ほどのものは『弾』で、それを踏んで凄まじい瞬発力で飛び込んできた、そして今度のものは『強』。おそらくはシンプルな強化の印。
ならば応手は、こちらも先ほどより強力な一振りに他ならない。
使うのは炎の呼吸の中でも最も汎用性が高く、威力にも優れる壱ノ型。
迫る空閑を見据え、炎を纏ってこちらからも一歩踏み込んだ。
「壱ノ型 不知火!」
直後、空間が震えるほどの衝撃が轟音を伴って広がる。炎を纏う煉獄の横薙ぎ一閃と、トリオンを極限まで高めた蹴撃の衝突は、もはや爆発に近い。
そして。
ぶつかり合いの結果は互角。互いの距離は再び間合いの外まで離される。
この衝突で空閑に傷はなかったが、煉獄の方もまた、孤月がへし折れはしたものの、外傷はどこにもない。早期に撃破するという空閑の目論見は、もはや達成することは叶わないだろう。勝負は膠着状態の様相を見せ始めていた。
φφφφφ
まずいな。と、空閑遊真は思い始めていた。煉獄杏寿郎と名乗った目の前の男は、おそらく自分とかなり相性が悪いということが、わかってきたからだ。
自分の持つ、父有吾に託されたこのトリガー、その本領は出力ではない。
他人の持つトリガーの能力を学習し、自らの『印』に変えることで、それを黒トリガーの出力で扱える多彩さ。
それこそ、このトリガーの本領。
だが、煉獄が今のところ使用しているのは、シンプルな刀型のトリガーのみ。こちらの攻撃への対処は全て、ただの剣技によって行われている。
にもかかわらず拮抗しているのは、なぜか。それは単純な技量において、自分を遥かに上回っているからだと、空閑は気づいていて、それが問題だった。
空閑の黒トリガーは能力を学習するのであって、技量を盗みとることはできない。
『どうする、ユーマ。この相手は相当な手練れだ。単純な剣の技量でいえばユーゴを上回っている』
「だからってオサム見捨てて逃げられないだろ。まあ今ので
自律型トリオン兵である、空閑のお目付役、レプリカが空閑に暗に撤退を促すもそれを空閑はあっさり切り捨てた。
こちらもまだ打てる手はあるが、向こうとてまだ見せていない技があることはわかっている。
時間をかければボーダーから増援だってくるだろう。こちらからは判断できないが、普通に考えれば既に煉獄が通信で増援を要請している可能性は高いはずだ。
そういう意味でも、時間をかけたくなかったわけだが、しかし、そんな甘い相手ではないらしい。やるなら本来、じっくり一手一手考えて動かねばならない相手だ。その余裕がない以上、レプリカの言う通り、撤退が最善。
親父でも、分の悪い相手にわざわざ挑むなと、きっと言うだろう。空閑には空閑で目的がある。自分を救うためにこの黒トリガーを残して死んでいった父親──空閑有吾を生き返らせる方法を探すために、ボーダーのあるこの街にきたのだから。それを遂げるのにこんな手練れとわざわざ死闘を演じる必要はない。
だが、
── ぼくが、そうするべきだと思ってるからだ‼︎
三雲修と初めて出会った日に聞いた言葉を思い出す。それはかつての空閑には理解できない考え方だった。けれど僅かな間、お人好しすぎるオサムと過ごしてきて、少しずつわかってきたような気がした。
理屈じゃない。
己が為すべきと思ったことを、ただひたむきにやる。
ならば、自分とってそうするべきは今だ。
自然とそう感じた。
前を見据える。煉獄は折れた孤月を破棄して作り直し、新しい孤月を構えずにこちらを見ている。
暑苦しいほどの炎を連想させる目の前の敵手は、意外にもこちらを見定めるような怜悧な視線を送っていた。
そんな目を向けられる理由が分からず、空閑は問いかける。
「どうかした?」
「いや」
首を振り、煉獄はゆっくりと、少しずつ間を詰めるように前へ出る。
そして。
落雷でも落ちたかのような轟音とともに踏み込み、弧月を大上段から、
「待ってください!」
しかし、寸前で弧月は振り下ろされなかった。
空閑を庇うような形で、三雲修が横合いから割って入ってきた。