「や、やっと終わったぁ……」
放課後を告げるチャイムが鳴り響くと同時に、一夏は脱力した。意地で乗り切ったとはいえ、まだ初日。これからこんな毎日が続くとなると、少々憂鬱だった。しかも追い打ちをかける様に、教室の外には学年問わずに女子生徒達がひしめいているうえに互いに牽制しあっている。
「……はい?…………はい、解りました。こちらから伝えます。……はい、失礼します」
「巧也、どうしたんだよ?」
放課後になってすぐに通話をしていた彼が気になり、一夏は声をかけた。教室の外の状況から目を背けたかったのもあるが、少し困ったような表情をしていたのが気がかりだったのだ。
巧也は和人も呼ぶと、苦笑しながら口を開いた。
「僕等の生活場所なんですけど……急遽学園内の寮に入る事になりました」
「へ?オレ一週間は自宅通学って聞いてんだけど」
「俺も、手配されたホテルからって事以外聞いてないぞ?」
思わずといった様子で、和人と一夏は顔を見合わせた。確か部屋の都合がつかないとかなんとか言われたなぁと一夏は思い出しながらも、巧也の説明に耳を傾けた。
「僕達三人は世界的に希少な存在ですから、通学途中で誘拐等を企てる国や組織がいてもおかしくないんです。多少の倫理的問題を無視してでも、それらの危険から守ろうという政府の方針だそうです」
「!……そういう事か。
「そう……でしたね。オレも危機感とかすっかり抜けてましたよ」
戦いが日常の一部と化していたSAOから帰還して、平和な生活に慣れはじめていた二人。だが常に何処かに危険が潜んでいる事を再認識したためか、その目の色は変化していた。
「そう警戒するのは基本的に学園外だけで十分です……ここには僕を含めて、更識の手の者が護衛をしていますから」
後半は周りに聞こえないように声を潜める巧也。そして彼の言葉を聞いた途端、和人達の雰囲気は普段の柔らかなものへと戻った。
「お前がいてくれるなら安心だ。遠慮なく頼らせてもらうぜ?」
「はい、お任せください。一夏も、簪と過ごしてもらって構いませんよ」
「……オレの場合、楯無さんがなぁ……」
昼休みのアレはヤバかったと身震いする一夏。突然出現する事は何度かあったので慣れていたが、あんなに露骨に嫉妬の念を向けられたのは初めてだったのだ。まずは彼女の信頼を勝ち取らなくては、と決意するものの、どうやっていくかという方法が思い浮かばずため息をついた。
「織斑君!桐ケ谷君!野上君!よかったぁ……まだいてくれたんですね」
「お疲れ様です山田先生。今日から寮生活になる事は先程連絡がありました」
「先生の手の中にあるのが、部屋の鍵って事ですよね?」
和人の問い掛けに、真耶は頷いて見せた。その後簡単ではあるが寮での規則の説明を受けたのだが―――
「でも先生、オレ達荷物とか持ってきてないんですけど……」
―――そう、現在一夏達にあるのは今日使用した筆記用具や教科書が入った鞄と着ている制服ぐらいなのだ。いくらなんでも荷物を取りに行かなくては学園内で生活できない。
「その点は心配するな。桐ケ谷達の荷物は学園の職員が運び込んであるし、織斑のは私が運んだ。着替えと携帯の充電器……あと娯楽品はアレで十分だろう?」
「千冬姉……!」
アレとは間違いなくアミュスフィアだ。特に一夏にとっては姉との和解の証として買ってもらったものでもある。姉の優しさに感激した一夏は、つい普段通りに呼んでしまい……
「織斑先生だ、馬鹿者」
何度目になるか分からない出席簿を食らって現実に引き戻された。だが僅かに千冬の口元が綻んでいた事を、一夏は見逃さなかった。
「それでは私達はこれで。あ、みなさんちゃんとまっすぐ寮に帰ってくださいね?寄り道しちゃダメですよ?」
寮までは一本道な上に、校舎からの距離も近い。だというのにどうすれば寄り道できるのだろうか。真耶の言葉に苦笑しながらも、一夏達は寮へと足を運ぶのだった。
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「1025……1025室はっと……」
渡された鍵の番号と、寮の部屋のドアについている番号を見比べながら、一夏は和人達と共に自分に割り当てられた部屋を探していた。途中までは明日奈と簪も一緒にいたが、生憎と二人の部屋は別の階だったので先程別れてしまっていた。
「あそこですね。僕と和人は隣の部屋ですので、何かあれば気軽に訪ねてください」
「お、サンキュー。後で一緒にメシ食おうぜ」
そう言って1025室に入ろうとした一夏だったが……
「おりむーおりむー」
「うおっ、のほほんさん?どうしたんだよ?」
ドアノブに手をかける直前、簪と同室なのに何故かここまで一緒についてきた本音が背中に飛びついてきた。彼女は元々空気を読まないというか、少々ズレた発言が多いので特に気にしていなかったのだ。今回は一体何なのだろうかと首を回そうとした次の瞬間、彼の脇腹に硬い何かが押し当てられた。
「―――浮気はダメだよ?」
普段通りの笑顔のまま、それでいて普段とはかけ離れた冷たい声音で、一夏の耳元で囁く本音。やたらと余った袖によって見えないが、脇腹にある感触から恐らく拳銃を突き付けているのだろう。
「ぜ、ぜってぇしねぇって!カンザシ裏切るような事はするつもりねぇってば!!」
一瞬にして青ざめた一夏は、上ずった声を上げてしまう。いくら彼がSAOで精神的に戦い慣れしているといっても、なんの心構えもできていない状態で不意打ちされれば話は別なのだ。
「そだね~。でもおりむーって一級フラグ建築士だし~、どーしても気になっちゃうんだ~」
「そ、そう言われてもなぁ……オレの何が悪かったのかがイマイチ分かんねぇんだよなぁ……」
SAOで幾度となく女性プレイヤーにアプローチされたり、その事で簪がショックを受けてネガティブ思考に陥ってしまったりと本人にその意思が無くとも女性関係のトラブルが多かった一夏の様子を思い出した和人は、苦笑しながら彼の肩を叩いた。
「とりあえず、まずは入る前にノックしとけよ。お前の場合だと着替えの最中や風呂上りに遭遇しちゃうだろうし……その辺の体質をクラインは羨ましがってたけどな」
「オレそんなの狙ってないっすよ!?ってかクラインさんそんな事言ってたんすか!」
「あぁ……何故か俺まで含めて、な。俺とお前はそういう星の下に生まれちまったんだよ、きっと……」
「か、勘弁してくださいよ……」
達観した様子の兄貴分にそう言い切られ、一夏は思わず項垂れてしまう。それでもめげずにドアをノックするが、全く返事が無かった。
「いないんですかね……?」
「うーん……普通はそうだろうけど、アインの場合だと…………シャワー中とかか?」
「じゃあオレ、どうすりゃいいんですか……」
どうすればいいか分からず、一夏は頭を抱える。すると見かねたかのように巧也が口を開いた。
「でしたら、本音に様子を見てもらったらどうですか?待っている間は僕と和人の部屋で休んでいればいいですし……本音もそれでいいですか?」
「おっけ~。おりむーのルームメイトが誰なのか知りたいし~」
「確かに女の子同士なら、誤解される事も無いだろうし……アインもそれでいいか?」
「はい……」
とにかく休みたい一夏は巧也の提案に承諾すると、一旦和人達の部屋に入る事にした。
「うお、すっげぇ……」
「各部屋にキッチンまであるなんてな……しかも調理器具も一通り揃ってるとは。道理でアスナが喜んでた訳だ」
「聞いた話ですと、防音もしっかりしてるそうです。ですが……シャワーしかないので、一夏には少々辛いかと思います」
予想以上に豪華な部屋に、驚きを隠せなかった和人達だったが……風呂が無い事に、一夏はがっかりしてしまう。
「うーん……向こうで一カ月以上風呂無しの生活してたけど……今度はいつまで耐えりゃいいのかわかんねぇのかぁ……」
無類の風呂好きである一夏にとって、この事が与えるダメージは計り知れない。SAO最初の一カ月程は生存の為、死と隣り合わせの中で何とか生きてきた。そしてその中で願った事は「もう一度風呂に入りたい」だった。それだけ彼にとって風呂が無いという事は死活問題なのである。
「お二人はベッドで寛いでいてください。特に一夏はこれから先大変でしょうから」
「おう……そうする」
そう言うか早いか、一夏は手前のベッドに倒れ込んだ。自分に割り当てられた部屋ではこれから約一カ月間は異性と過ごさなくてはならない彼にとっては、その異性の目を気にせず休める時間は非常に貴重なのだ。
「あ~、ここまでフカフカなベッドなんて初めてだなぁ……」
「そうだな。俺はかえって落ち着かないな……」
窓側のベッドに腰かけながら、和人もぼやいていた。寝台にまで惜しみなく最上級の物が用意されている辺り、流石IS学園である。
「世界中から生徒が集まってくるんですから、設備や備品に至るまで一切手は抜いていません。万が一不備でもあれば、そこから日本の面子は丸潰れですし」
「確かに。生徒達がISに専念できるようにって、最高クラスのおもてなしをしてるんだっけな」
「……その割には学校内の案内は地図を見ろの一言だけでしたけどね……」
「僕達以外の方々は、自国内で数多くのライバルに競り勝った上でここに来てますから、特に苦ではないみたいです。それに―――」
早速キッチンを使用し、お茶を入れた巧也は二人に湯呑を渡しながら続けた。
「―――地形の把握や、自分に必要となる情報を自力で入手するのも、この学園における訓練の一環かと。お二人も
「あっちじゃ情報の有無が命に直結してたから……疎かにはできなかったんだよ」
「ああ。’知らなかった’の代償が自分や仲間の命だったからな……情報の取りこぼしとか、デマかどうかの精査とか……自分が手を抜いた所為で誰かが死ぬって思うと、すごく怖かったさ……」
今は無き鋼鉄の城での日々を思い出した二人は、少しばかり苦い表情を浮かべる。それだけ情報不足で命を落としたプレイヤーの数は多かったのだ。
「あ、すみません……嫌な事を思い出させてしまって」
「気にすんなって。いつまでも引きずってる訳じゃないんだし」
「そういう事。それに俺も、お前とは話したい事が沢山あるんだぜ?」
先程とは打って変わった明るい声色で、和人は悪戯っぽく微笑んだ。その表情を見た一夏は、つい気になって聞いてしまった。
「話したい事?なんですかそれ」
「色々だよ。俺がいない間、お前やスグや母さん……皆がどうしていたのか、とかさ」
普段はクールで大人びた印象が強い和人だが、今の彼の表情は少しばかり照れくさそうなものだった。SAOでは本心を偽る事が多かった彼が感情を素直に見せてくれる。それが一夏にはとても嬉しかった。
(家族……友達か……そういえば、数馬とか厳さん達に顔見せてなかったよな……外出許可が下りたら会いに行かないと)
一方で自分も、迷惑をかけてしまった人の事を思い出していた。彼等とはリハビリの時以来顔を会わせていない。なるべく早く会いに行かないと、厳から強烈な拳骨を頂くのは確実である。
―――コン、コン
「僕が出ます。きっと本音でしょうから、一夏も準備しておいてください」
「お、わりぃな」
気づけば三十分程この部屋にいたようだった。ルームメイトを確認し事情を説明するのには時間がかかった方かもしれないが、本音であるならば妥当な時間だろうと一夏は思った。
「たくやんたくやん、おりむーのルームメイト連れてきたよ~」
「助かりました。あなただと変なあだ名をつけてしまいますから、言葉だけでは誰なのか分かりにくかったんですよ」
「ぶ~、変じゃないもん」
「なぁ、俺のルームメイトって誰……に……?」
これから一カ月同じ部屋で過ごす相手が気になっていた一夏は巧也の後ろから頭を覗かせたが、直後に固まってしまった。
「い……いち、か……?」
トレードマークのポニーテールは湯上りの為か昼間とは違った光沢を放っており、和服姿がとても似合う少女。
「……箒?」
今日再会したばかりの幼馴染が、そこにいたのだった。
布仏家も暗部の家系ですし、本音も暗殺用の技術を持っている筈……と考えて、さらにそこへ簪と一夏のクラスが別だからお目付け役になるかなぁと思った結果、黒い本音が出来上がりました(汗)
ネタ程度にお楽しみください。