昼食を済ませ、午後の授業をつつがなく終えた一夏。日課となっている筋トレを終えて夜となり、寮の自室のシャワーで汗を流した頃、来客を告げるノックが聞えた。
「はーい、どちら様?」
「俺だ、アイン」
「あれ、キリトさん?」
隣の部屋で生活している兄貴分の来訪は別段珍しくないのだが……彼が幾つか荷物を抱えている事に、一夏は思わず首を傾げた。
「刀奈の奴に言われてな……生徒会長権限でお前の部屋に引っ越せってさ」
「寮長は千冬姉なのに……楯無さんも結構色々と強引な所あるんですね」
「まぁ、詳しい話は中でさせてくれ」
少し前まで同室だったファースト幼馴染が引っ越してからそう間を置かずに同居人ができた事について、一夏としては特に不満や不都合は無かったので和人を快く招き入れた。
「それで、キリトさんがこっちに来た理由って……巧也の事が関係しているんですよね?」
「……あぁ。って言っても、俺の方も詳しい説明が無いから、憶測もあるけどな」
持ち込んだ荷物をテキパキと収納スペースにしまったり、使用頻度の高い物は使いやすい場所に置いたりした和人にお茶を淹れた所で、改めて一夏は向かい合う。
「元々俺がこっちに移動するってのは決まっていたんだけど……時期はもうちょい後の予定だったんだよ。ただ、今日転校してきた二人、最初は同室にするみたいだったんだが……」
「ラウラって奴があんな感じでしたからね……」
姉を教官と呼んでいた事から、彼女が現役の軍人ないし軍属という、ストイックな人柄であろう事は一夏とて容易に察している。しかし、今日一日の彼女から他の生徒達への態度はお世辞にも友好的……どころか下手に刺激したら殺気をぶつけかねないくらいに冷たかった。そんな状態の彼女とシャルロットを一緒にしては……本国でまともな扱いを受けていなかったであろうシャルロットには酷だろう。
「織斑先生もそこで頭を悩ませていたみたいでな……刀奈が期間限定でシャルロットを巧也の部屋に移すのを提案、承認させたって所だ」
「千冬姉……見えない所で頑張ってるんだなぁ……」
「二人の縁談とか、一部の話は織斑先生をはじめ、強い権限があってなおかつ信用できる教員にはもう根回ししてあるから、こうもアッサリ通ったんだと思うけど」
入学初日、この学園にも複数の更識の手の者がいる、と聞いた事を思い出した一夏だが、未だに巧也達以外でそれらしいと感じた人がいない。
「結局、ここってどれくらい楯無さんの部下がいるんですかね……知らない内に色々と守られているっていうと、なんかこう……落ち着かないというか、申し訳ないっていうか……」
「さぁな、俺だって知らない。まぁ、知っているのは刀奈と虚さんだけじゃないか?敵を騙すにはまず味方からって言うし」
「カンザシやのほほんさんですら知らないんすね……身内なのに」
昼間に見せたシスコンっぷりを思い出す一夏だが、和人は肩を竦めて苦笑いだ。
「それが裏に関わる家系の常さ。血の繋がった家族でも、隠し事なんて当たり前になるし、時として手駒の一つとして扱う場合も珍しくない」
「でも、楯無さんのカンザシへの愛情は、本物だと思います。ちょっと不器用ですれ違ったり、オーバーな所があったりしますけど、全部ひっくるめて楯無さんの本心だと……オレは信じています」
「そうだな、アイツも根っこの部分は昔から変わってない。自分より、簪の幸せを優先する……多分、簪をお前ん家に嫁入りさせるだろうな。そうやって更識から遠ざけて……極力暗部とは関わらせないと思うぜ」
「ちょ、嫁入りって……あー、でも……将来、いつかは結婚とかも話に上がってくるんですよね……」
正直、目の前の慌ただしくも充実感のある毎日を過ごすのが精一杯で、一夏は将来について明確なビジョンを持てていなかった。しかし、時間は止まらずに流れ続けていく以上、先の事、としていたその
(決意は、常にしとかないと……だよな)
今の時間も大事ではあるけれど。大切な人と共に歩む未来を実現する為の覚悟を備えるべきだと、彼は静かに意志を固め……和人はその姿に目を細めた。
「本当に、初めて会った時から見違えたなぁ……ブイと一緒にリトルネペントに囲まれて死にかけていたのが懐かしいぜ」
「もう随分昔の事のように感じますよ……まだ二年半くらいしか経ってないのに」
あのデスゲームで迎えた最初の夜にこの兄貴分と出会い、生き抜いてきた記憶は、一夏の短い人生の中で間違いなく最も濃いものだ。大半が苦痛や悲しみに満ちた苦い記憶だが、それらの中でも全く陰る事無く輝く温かな記憶も確かに存在しているのだから。
楯無や虚が毎晩開くVR空間での勉強会の時間まで、二人の少年は思い出話に花を咲かせるのだった。
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和人を送り出してから幾何かの時間が過ぎた頃、楯無に連れられたシャルロットが、巧也のいる部屋にやってきた。
「それじゃあ二人共、キチンと節度ある共同生活を心がけてね~」
悪戯っぽい笑みと共に当たり前な忠告を残して楯無が去ったところで、部屋へと招き入れたシャルロットに巧也はお茶を淹れ……ようとした時になって気づいた。
「……紅茶、虚さんから譲ってもらうのを忘れていましたね……」
急遽学食ではなく屋外で弁当を持ち寄っての昼食となった今日、前にセシリアが緑茶が苦手だと言っていた事を思い出し、急いで虚から生徒会室の冷蔵庫に常備してあった紅茶を分けてもらったのだ。昼はそれで欧州出身のシャルロットにもその紅茶を出したのだが……特に茶の拘りの無かった和人と過ごしていたこの部屋には緑茶の茶葉しか用意していなかった。
「ええっと、確か……」
無い物ねだりしても仕方ないと、彼は二人分の緑茶を用意するが、その傍らで欧州での飲み方を携帯端末でザっと調べる。
「どうしたの?」
「すみません、部屋に置いてある茶葉が緑茶しかなくて、せめて飲み方くらいは貴女の故郷にあわせて用意しようとしていたんです」
荷解きを終えたシャルロットが声を掛けると、特に隠す事も無いかと巧也は正直に告げる。
「そんなに気にしなくていいよ。それにお昼の時からちょっと興味あったし、一度そのまま飲んでみるよ」
「そうですか。でしたら……はい、お熱いのでご注意を」
急須から陶器製のコップと湯呑へ湯気の立つ緑茶を注ぎ、コップの方を持ち手が彼女に向くようにして差し出す。ありがとうの一言と共にシャルロットが受け取ると、二人は一旦それぞれのベッドへと腰かけてから、手にした茶を一口含む。
「ふぅ……紅茶とは随分違うんだね。苦いけど……何だろう、コーヒーとはまた違うし……でも、それだけじゃなくて、不思議と美味しいって感じる」
「そう言っていただけたなら幸いです。それと紅茶の方が飲みたくなりましたら、遠慮なく言ってください。アテがありますから、用意できます」
「ありがとう……ごめんね、昼間とかも色々と気を遣わせちゃって」
「こういう性分ですので、お気になさらず。貴女が謝る事は何もありませんよ」
巧也に柔和な笑みを向けられ、シャルロットもつられるように微笑む。
(将来の相手、って緊張しすぎてたのかな……?)
IS学園に来る前に、楯無から写真を見せてもらったり口頭で人となりを一通り聞いてはいたが、実際に顔を合わせたのは今日が初めてだった。日中それとなく目で追ってみた限りでは、不思議な事に時々見失う事こそあったけど気立ての良さは聞いていた通りだったと、シャルロットは思い返す。
「どうかしましたか?」
「あ、ううん。何でもない、改めてよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
お互いに軽く頭を下げ、お互いの呼び方であったり共同生活をする上での取り決めを話し合っていると、巧也の携帯端末がアラームを鳴らした。
「すみません、そろそろ楯無さん……生徒会長が勉強会を開いてくれる時間ですので、暫く行ってきます」
「行くって、何処に?」
「VR空間です。そうですね……客観的にはこのベッドで寝ていると考えてください。二時間くらいで戻りますから、その間にシャワー等を済ませてくれると助かります。それと飲み終わったコップは水につけておいてくれれば、後で片付けますから」
説明もそこそこに自分の分のお茶を飲み干した巧也は、湯呑をシンクに置いて水につける。次いでドアの施錠を確認した後、ベッドボードに置いていたアミュスフィアを被ると横になる。
「それと他に気にしてほしい事や守ってほしい約束などがありましたら、リストに纏めておいてください。明日また話し合うという事で」
「あ、うん」
「では―――リンク・スタート」
「あ……」
シャルロットが声を掛ける間も無く巧也がフルダイブしてしまうと、一人残された彼女から一つ溜息が零れた。
「VR空間、かぁ……アミュスフィアっていうのが届いたらボクも参加するって事、言い忘れちゃった」
けどまぁいっか、とシャルロットは気持ちを切り替える。別に今すぐ伝えなければならない事ではないし、ひょっとしたら勉強会の合間にあの生徒会長が言っておいてくれるかもしれないのだから。
「それにしても……本当に眠ってるみたい」
頭に被ったアミュスフィアに違和感を抱くが、それ以外は落ち着いた呼吸音が微かに聞こえる等、寝ているのと大差ない姿だ。今日会ったばかりの人の前でこんな無防備な姿を晒す事にシャルロットは少々抵抗を覚えるが、裏を返せば一応の信用はされているのかと考える。
「……とりあえずシャワー浴びよう」
巧也が淹れ、ぬるくなっていたお茶を飲み干し、シャルロットは一人ごちる。そうして空になったコップをシンクへと持っていき、彼の湯呑と同様に水につける。
「ほ、本当に起きてこない……よね?」
フルダイブ中の人を見るのが初めてなシャルロットにとって、今の巧也がいつ起き出すか気が気でない。彼が嘘をつくような人ではないと思うが、それでも目の前で横たわる少年が何かの拍子に起き上がるのでは?と一抹の不安がシャルロットの胸中に残る。デュノア社でISに携わってきたこの数年は特に、同年代の異性と交流する事が無かった彼女は、何度も巧也の様子を確認しながらおっかなびっくり着替えを取り出してシャワー室に入る。
「大丈夫……うん、大丈夫……」
異性と扉一枚隔てただけの空間で、一時的にとはいえ素肌を晒す事を躊躇うシャルロット。そんな自分を何とか落ち着ける為のお守り代わりに待機状態の専用機、ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡだけは身に着けたまま、シャワーを浴びる。今の彼女にとって、一番信頼を寄せている……心の拠り所として縋っている存在は、専用機たるリヴァイヴだけだった。
(信じたい、けど……)
シャルロット自身、元々デュノア社を存続させる為の取引で更識……ひいては日本政府に差し出された身であり、更識側から自分が求められた理由についても理解はしている。今日一日過ごしただけでも、フランスにいた頃からは考えられないくらいにまともな扱いだったし、そこに居心地の良さを彼女が感じたのも事実だった。しかしまだ、
「お母さん……」
かつてのようにまた、誰かを無条件で信頼できるようになれるだろうか?儚い希望と不安の狭間で、帰らぬ人となった家族を想う少女の呟きは、シャワーの水音にかき消されるだけだった。