【完結】ナナカン ~国防海軍 第七近海監視所~   作:山の漁り火

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第四十六話 ずっとそばにいて

「……一体何なのよ、もうっ!!」

 

 神風の感情は、怒りと悲しみの渦の中で巡っていた。

 書置きも何も残さず漁火島を、第七近海監視所(ナナカン)を立ち去った萩野。

 何故自分達に黙って立ち去ったのか。彼は何を隠しているのか。

 かつてない()()()を感じ、苛立ち叫んでいた。

 

「姉さま……」

「確かにひどい話っす。何も言わずに出て行くなんて……」

 

 春風も、占守も国後も、あきつ丸も神風の気持ちは痛いほどよく分かっていた。

 何か深い事情があるにせよ、いくら急なことであったにせよ、部下である艦娘たちに一言くらい残しても良かろう。

 それも何も言わずに、立ち去ってしまったのだ。メンバーの中で萩野と最も長い付き合いである神風が荒れるのも当然であった。

 

 どんっ、と荒々しく神風は近くの机を叩いた。

 

「はあ、はあっ……」

 

 神風としても、このままでは気持ちが収まらない。

 今すぐにでも萩野を追いかけて問い詰めてやりたい所ではあるが……神風には、萩野が何処に行ったのか検討がつかないでいた。

 

 そんな時であった。コンコンと扉が叩かれ、部屋に入ってきた者がいた。

 

「――やあ、荒れているな。神風」

「……! あなたは……」

 

 そこに現れたのは、副官であるまるゆを伴った若宮憲兵大尉であった。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 ――俺がここに来て早くも三ヶ月が過ぎ去った。

 

 俺には深海棲艦に対する精神への耐性があったらしく、彼女とずっと一緒にいてもおかしくならない事が確認され、一ヶ月も経った頃には彼女のほぼ専属の世話係となっていた。

 俺の同僚である彼女の世話係――他の提督たちは、交代で地下に下りて物品の搬入や部屋の片付けをする事があっても、積極的に彼女に絡もうとはしなくなっていた。それはまるで腫れ物に触るかのような扱いである。

 

 なお三ヶ月の間に彼女は多くの事を学んでいたが、身体の成長は一切見られなかった。

 

「彼女を艦娘として教育してほしい」

 

 それが南方鎮守府、すなわち三笠元帥からの司令であった。

 幼い思考の彼女を教育し、彼女に艦娘としての自覚を与え、深海棲艦との戦い――深海戦争へと投入する準備を行う。

 だがそれは、決して簡単な事では無かった。

 

「しんかいせいかんと戦うの? わたしは戦うのはこわいなあ……」

 

「ハギノ少佐は好きだよ。でも戦うのはいや…かも」

 

「戦って、うたれたらきっといたいんだよね……」

 

 何度遠回しに彼女を説得しても、彼女は戦いを望んではいなかった。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 ――その日、小規模な地震があった。この地では珍しい地震である。

 俺が急いでシナノの元へと向かうと、彼女は身体を縮めてガタガタと震えていた。

 

「どうした、シナノ……大丈夫だ、ただの地震だ」

 

 彼女を優しく抱きとめた。怖い事があっても、彼女はこうする事ですぐに落ち着くことを俺は知っていたのだ。

 だがその日はいつもとは様子が違っており、彼女の怯えは止まらなかった。

 

「本当にこわかったの。じめんがゆれて、だれも助けにこないんじゃないかって……」

「大丈夫だ、シナノ。俺がいる」

「……わたしが()()()()()に出れば、もっとこわい思いをするんだよね? わたし、こわいよ」

「大丈夫だ、戦場には仲間が……」

「やだよ、わたしはシナノ。きっとわたしは一人ぼっち」

 

 彼女の様子は明らかにおかしかった。抱きしめる俺をつなぎとめようと、彼女はぎゅっと俺の背中に腕を回す。

 

「いやだよ、せんじょうに出るのはこわいよ」

「シナノ……?」

 

 腕の力は強さを増す。彼女は人間ではない、その力は本気を出せば人間の身体能力など軽々と超える。彼女はますます腕に力を込める。

 

「やだよ、わたしやだよ……」

 

 ――グギリ。グギリ。

 

 彼女の腕の力により、俺の背骨が嫌な軋みを立て始める。

 爪が背中の服の生地を破り、肌に食い込む。

 

「こわいよ」

 

 ――ギリッ。

 

「こわいよ」

 

 ――ギギッ。

 

「こわいよ」

 

 ――ギギギリッ。

 

 ますます力は増し、俺の意識が遠くなりかけた頃……

 

「……こわいよ。いっしょにいてよ、ねえ。ハギノ少佐――」

「はっ……うわああああああ!!」

 

 ――ドンッ!!

 

 俺はいつの間にか手にしていた拳銃で彼女を撃っていた。

 その一際輝いた“赤い眼”と、食い込む爪の痛み――かつてない命の危機を感じたのだ。

 

「やめて、ハギノ……」

「ぐ…! ぐぁっ…!!」

 

 痛みに耐えかねたのか、俺を止めようとしたのか……彼女の爪は俺の背中にずぶりとより深く差し込まれる。

 

「やめ……て…くれっ!!」

 

 ――ドギュン。ドギュン。ドギュン。

 

「あがっ…あがっ!…がぁ!!……」

 

 ――気付くと、俺は銃弾を撃ち尽くしていた。

 

「あ……」

 

 やがて肩に深く突き刺さっていた指の爪の力が解け、シナノは俺の身体から離れる。時間の流れが遅く感じた。

 どさりと仰向けに倒れた彼女は俺を呆然とした眼で見つめていた。

 

「なんで、なんでうったの……?」

 

「いたいよ、たすけて……ハギノ少佐」

 

 狂気はすっかり抜け落ちた、その純粋な眼で。

 その眼を見た俺の手から拳銃が滑り落ちて、硬い床と当たり硬質的な音を奏でた。

 

 ――俺は、最低だ。

 

 例え人間ではないとは言え、自らに助けを求めてすがり付く存在に銃を向け、ましてや発砲をしてしまったのだ。

 俺は後悔の念に駆られつつ、彼女を抱き起こし身体をゆすった。

 

「しっかりするんだ…シナノ……おいっ!?」

 

 ――次の瞬間だった。

 

 彼女はふっと起き上がり、俺を突き飛ばした。

 

「うぐっ……ぐわっ!!」

 

 壁に突き飛ばされて顔を上げた俺の見た者は。

 

 ――生えていなかった筈の片側の()が生え、まるで“鬼”のよう。

 

 ――見るからに禍々しい黒い艤装が背中から生え、その艤装には巨大な大砲らしき物を備え。

 

 ――沈む夕日のように(あか)い眼をした彼女が、俺をじっと睨みつけていた。

 

 

 

「……キライ」

 

 

 

 ――その一言を聞いた次の瞬間、俺の目の前は閃光に包まれた。

 

 俺はそのまま意識を失った。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 ――俺が意識を取り戻したのは、それから数日後の船上での事であった。

 あの閃光による大爆発に巻き込まれ、俺は重傷を負い本土へと移送されている途中だったのだ。

 

 異変に気付いた海兵が駆けつけた時点で、工廠は火の海だったそうだ。

 彼女はその凶暴な艤装で工廠を破壊し尽くし――破壊し尽くした後、間もなくして彼女は意識を失ったと言う。

 巨砲を備えていたあの艤装は自然崩壊し、片方の角もまた消えたそうだ。

 

 ――こうして彼女は“眠り姫”となり、俺はこの島に戻ってくることは無かった。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 重傷を負ってからの復帰後――俺は再び特別泊地に召喚される事を恐れていた。

 

 もし彼女が目覚めれば、精神汚染への耐性があり、彼女の教育係として長く一緒にいた俺が再び呼び出されるのは間違いない。

 命の危機を感じたとは言え、俺は彼女を撃ってしまった。

 彼女はそんな俺を拒絶するだろうし、もしかしたら怒りを覚えて攻撃してくるかもしれない。

 

 それに彼女は戦う事を嫌っていた。

 運よく彼女が俺を受け入れたとしても、彼女は戦場に出ることを強制されるのだ。

 痛みを伴う戦場へと――

 

 俺は彼女と出会う訳にはいかない。

 そう考えた時、俺の足はかつての恩師である、「海原(うなばら)の老将」と呼ばれた男の下へと向かっていた。

 彼の力を借り、俺が再び南方特別泊地に向かうことが無いよう、俺が僻地へと派遣される為に。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 ――以前と変わらぬ、薄暗い地下への階段を下りて行く。

 

 一歩一歩階段を下るたびに、萩野の心も沈んでいく。

 果たして彼女は俺を受け入れていくれるのだろうか。あの時の事をきっと恨んでいるんだろうと……

 

 だが、地下の工廠の扉を開けた瞬間、そんな萩野の暗い思いは粉々に打ち砕かれた。

 

「ハギノだ! ハギノ少佐だ!!」

 

 萩野の顔を見た瞬間、ぱあっと明るい顔を見せたシナノは勢いよく萩野の胸元に飛び込んだ。

 

「ごめんなさい! あの時はこわくてこわくて……ハギノ少佐にひどいことしちゃった」

「いや……撃ったのは俺だ…酷い事をしたのは俺……」

 

 困惑する萩野に、シナノはぶんぶんと首を振る。

 

「ちがうもん! わたしがひどいことしちゃったんだもん! ごめんなさい、ごめんなさい!!」

「……そうか」

 

 己を優しく抱きしめるシナノに萩野はぽんぽん、と折れていない方の腕で頭を優しく叩いて親愛の情を示した。

 

「ねえ、もうどこにも行かないよね? ずっとシナノと一緒にいてくれるんだよね?」

 

 不安そうな顔で萩野を見つめるシナノ。

 

「――ああ、もう何処にも行かない。俺はシナノといつまでも一緒だ」

 

 萩野はそう言って優しく微笑んだ。

 


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