【完結】ナナカン ~国防海軍 第七近海監視所~   作:山の漁り火

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投稿が遅れて誠に申し訳ありませんでした。



第三十三話 季節は春、釣り日和

 ――夢を、見ていました。

 

 それは司令官様と二人きりで映画を観る夢。

 

 映画の内容は……なんだったでしょうか。

 確か若い男女二人が恋に落ちて、理由があって悲しい別れをする――そんな内容だったと思います。

 気づくと私は泣いていました。隣に座っていた司令官様も気づくと涙を流していました。

 

 司令官様は私の手を握り、私もその手を強く握り返して。

 

 そしてやがて二人は――

 

 

 そこで目が覚めました。

 

 

 

 

 

 

「……なんて夢を」

 

 時刻は9時(マルキュウマルマル)。その日の春風の目覚めは、最悪だった。

 はあ、と小さく溜め息をついて項垂(うなだ)れる春風の頬と唇を、5月のほんのり暖かな春風が優しく拭っていく。

 

 大和と武蔵の護衛任務が終わった日から既に二週間。南方第二鎮守府で“高速修復材(バケツ)”を融通して貰い、第七近海監視所(ナナカン)への帰還の途に着いたのが5月の17日。

 とりあえず動けるようになったという事で、後は第七近海監視所(ナナカン)でゆっくり入渠と補修を済ませよ、という計らいであったらしい。

 

 なお、彼女達が西方海域で起こった“異変”を知ったのは、明けて翌日の事だった。

 

 更にその翌日である18日には、南方海域にも深海棲艦の大艦隊が出現。南方第二鎮守府へ向けて進撃を開始したのである。

 国防海軍には遠征した艦娘の遠征先で緊急の事態が起こった際は、指揮権が遠征先の司令官に一時的に移譲される決まりがある。今回は当然ながらその緊急の事態に相当し、現に南方や西方海域に遠征中の本土所属の艦娘はそこに留まり、深海棲艦との戦いに備えている。

 

 現に国防海軍の誇る“最大戦力”である大和と武蔵は休む暇も無く前線へと赴き、第十七駆逐隊(磯風と浜風)も、護衛部隊としてそれに付き従ったと聞く。

 第七近海監視所(ナナカン)の面々は、決戦戦力としては期待されていない旧型駆逐艦と海防艦、そして揚陸艦であり、第十七駆逐隊のように最前線に向かわされる事は無かっただろう。しかしながら出発が一日遅れれば足止めを食らっていた可能性はあった。

 

「私たちだけのうのうと戻ってきても良かったのかしら……」

 

 知らせを聞いた直後は神風もそう悩んではいたが、後方支援として輸送任務や警戒等やるべき事は沢山ある。今も萩野の元には総司令部(うえ)から何通もの指令書が届いているそうだ。

 

(私もいつまでも寝てはいられないですね)

 

 春風はベッドからゆっくりと船体(からだ)を起こし、凝り固まった肩と背中をほぐす。

 

「ん……んんっ……」

 

 一週間以上神風(あね)に言い聞かされてずっと寝ていたせいか、随分と船体(からだ)が鈍っていると春風は感じた。そろそろ戦闘訓練も再開しなければ、腕が落ちる一方であろう。

 

「さて……」

 

 春風の記憶が確かならば、今日は神風(あね)は朝から国後と共に近海警備の遠征に出ていたはずだし、萩野も残りのメンバーも用事で出かけると言っていた。

 誰もいないのならば、と久々に監視所内の大掃除をしようと思い立った彼女はベッドを下りた。

 

 

 

 

 

 

「釣れないっすねえ」

「そうでありますなあ、はっはっは」

 

 漁火島の外れにある岩礁地帯。そこで釣り糸を垂らすのは二隻の艦娘。

 傍らにある空っぽの緑色のバケツを見てぼやくのは一隻は幼い少女の海防艦「占守」であり、その横で笑うのは揚陸艦の「あきつ丸」であった。

 

「司令官は絶好の釣りポイントだって豪語してたっすけど」

「まあ、釣りとは運が絡むものであります。短気は損気ですぞ、占守どの?」

「むむう……」

 

 あきつ丸にそう言われた占守は呻り、再び釣竿をうぬぬとにらみ付けて黙る。

 とは言え占守は飽きっぽい性格であり、そう長くは持たないだろう。

 

 ……さて、彼女等が釣りに興じているのは萩野のように「趣味だから」という訳では無い。

 それは鎮守府の“台所事情”のせいであった。

 

 ここ二週間余りの急変により、輸送船団が本来の予定を変えて南方や西方海域に次々と向かっている。

 第七近海監視所(ナナカン)にも本来は一週間前に物資を積んだ輸送船が来る手筈であったが、予定を変えられその輸送船は南方海域へと向かってしまったのだ。その時点で在庫の燃料弾薬はまだ余裕があったが、食糧は既にかつかつであった。

 

 では島民から食糧を融通して貰えば……と話は単純でも無い。何故かと言えば、本土の総司令部の通達で、漁火島からの島民の疎開計画が持ち上がっている為だ。

 

「話し合いはこれで二回目でありましたか。いやはや、司令官殿も大変でありますなあ」

「いくら一度疎開した事があるからって、()()ってのは嫌っすよねえ……」

 

 第七近海監視所(ナナカン)の長である萩野少佐は、島の顔役らのとの会合にて話し合いを行っている。

 疎開計画はここ最近の事態の急変により降って湧いた話であり、南方にて海軍の防衛作戦が成功すれば疎開計画自体も無くなる。とは言え島民はここ二週間余り不安に感じている。

 

 そんなわけで、食糧が欲しいと気軽に言える状況でも無くなってしまった。

 輸送船が暫くやって来ないと知った第七近海監視所(ナナカン)の面々は、わずかな休暇の合間に釣りをする事で食糧の足しにしている。本日の釣り担当は、明け方に近海の護衛任務から戻ってきたばかりの占守とあきつ丸。

 

 残念ながら、本日の戦果は未だにゼロである。

 

 

 

*

 

 

 

「――そう言えば、さっきの話って本当っすか?」

「ん? 何の話でありましょう」

「だから、春風さんの話っす」

 

 それから更に小一時間ほど過ぎた時の事である。ろくな戦果も無いためか釣りに飽きた占守はそうあきつ丸に尋ねた。

 

「――ああ、神風(あね)に遠慮して恋愛感情を素直に出すことが出来ない春風(いもうと)の話でありますか」

 

 そう言うと、凝り固まった肩と背中の肉をほぐす様にあきつ丸は大きく背伸びをした。

 

「うーん、春風さん司令官の事が好きなんすね……ずっといたけどよく分かんなかったっす」

「はっはっは、男女の仲とは複雑怪奇でありますからなあ。それに複数人が絡んでくるなら尚更であります」

「ふーん……」

 

 占守も思い当たる事はあったが、どうにもすっきりとはしない。

 春風は神風の様に分かりやすい反応をした事も無ければ、あきつ丸の様にアプローチしていたわけでも無いからだ。

 

「春風どのはそういう(かた)で有りますよ。姉の思い人を奪うような性格では無いであります」

 

 そう言ってあきつ丸は餌を付け直した釣竿を投げる。ぽちゃりと音がして釣り針は水の底へと沈んでいく。

 

「まあ、男に受け入れられる度量があるのなら、幾らでも重婚(ジュウコン)でも何でもすれば良いと思うのでありますがね。個人的な意見ですが」

「……随分と偏った意見っすねえ」

「まあ、度量を損なえばバッサリいかれるのでありますがね。今でもよく聞く事件であります」

 

 そう言ってあきつ丸は笑って首筋をちょん切る仕草をした。

 

「実際のところ恋愛関係ってのはめんどくさいでありますな。占守どのも憲兵隊にいたからご存知かと思いますが」

「そうっすねえ……有名なのはやっぱ『海軍丙三十九号』事件っすね」

 

 占守はぷらぷらと手に持った釣竿を揺らしながら呟く。

 “『海軍丙三十九号』事件”は、とある艦娘に心底惚れてしまった妻子持ちの提督が彼女と共に鎮守府を脱走した事件である。海軍と憲兵隊の協力で数日の内に二人は捕らえられたものの、その事件がもたらした影響は大きい。問題を起こした提督と艦娘の名が伏せられているのが唯一の救いと言える。

 

 艦娘はその性質上、指揮官であり上司である提督と“深い絆”を得る傾向にある。

 提督の素質を持つのは男性に限らないのだが、国防海軍はその成り立ちゆえに現役提督の大半は男性であり、なおかつ年も若い。

 それだけに、提督と艦娘との惚れた腫れたといった案件は日常茶飯事である。……数少ない女性提督の中にも艦娘に惚れる人はいる、という話はひとまずここでは置いておいて。

 

 

 

*

 

 

 

「……まあ、でも司令官ってのは悪くない()()っすよね」

 

 穏やかな海面をゆらゆらと揺れる浮きを見ながら占守はふとそんな事を呟くと、あきつ丸は意外そうな顔をした。

 

「ほほう、実はあなたも司令官殿の事が気に入っていると? これは意外なダークホースで……」

「いや、別に占守は司令官に恋愛感情は無いっすけど」

 

 笑いながら彼女は手を振り即座に否定する。

 

「司令官も春風さんの特訓で料理もそこそこ出来る様になったっす」

「ふむふむ」

「割と仕事も出来る方だし」

「そうでありますな」

「あと聞いた話だと、提督は“退職金”と“年金”がいっぱい貰えるそうっすよ」

「うん? まあ、そうでありますな」

「だから、戦争が終わったら……クナと一緒に司令官の“養子”にでもして貰えば楽できるかもって話してたっす」

「いやはや……嫁を通り越して養子とは発想が自由(フリーダム)でありますな」

 

 と、占守の少し突飛な発想に呆れた様子のあきつ丸であったが。

 

「……しかしながら、占守どのも考えは合理的でありますな」

「そうっすよね? あきつ丸さんも戦後の事はしっかり考えた方がいいっすよ?」

「はっはっは、考えておきましょう――おっと、釣竿が引いているでありますよ?」

「……マジっすか!? やったっす!!」

 

 そんな二隻(ふたり)の声が誰もいない海岸に響くのだった。

 

 

 

 

 

 

「……さて。これはどうしましょうか」

 

 建物内の掃除を終えたばかりの春風は、目の前に置かれた“籠”を見ながらそう呟いた。

 

 籠の中には、玉菜(キャベツ)やじゃが芋といった野菜が詰まっている。先程源次郎の妻である朝美(あさみ)がわざわざ持って来てくれた物だ。朝美は身体が弱くめったに家の外へと出かけることは無いが、春の陽気のおかげか体調も良く散歩がてらにやって来たそうだ。

 

「ほら、食べ物が無いって聞いたから、ねえ?」

 

 聞けば源次郎の家にあった物だけでなく、他の島民も野菜を分けてくれたらしい。

 疎開の話が出ている中で食料の融通は頼みづらい、と萩野などは勝手に思っていたが島民はそんな事は思っていなかったようだ、と春風は思った。

 

「随分とじゃが芋が多いですね」

 

 季節は春。冬篭りを終えて残っていた分がそれなりにあったのだろうか、籠の中はじゃが芋の比率が多い。

 じゃが芋は万能食材だ。煮物にこふき芋、油で揚げればフライドポテト。茹でて潰せばコロッケやサラダと様々な料理に応用できる。

 

「王道はやっぱり肉じゃが……ですが、肉は無かったはずですし……とりあえず『じゃがいも餅』にでもしましょうか」

 

 そう思いついた春風は早速調理にとりかかる。

 まずはじゃが芋を茹で、それを潰す。それに片栗粉を加えて混ぜ合わせてこねる。

 こねた物を整形し、フライパンで焼き上げ砂糖と醤油で作った甘じょっぱいタレをかければ完成だ。

 

「……うん、美味しい」

 

 出来上がったばかりの餅を味見にと一個食べ、春風は笑顔を浮かべる。間もなく釣りに出掛けていた占守とあきつ丸も魚を携えて戻って来るだろうし、神風(あね)も遠征の帰還の時間である。いずれもお腹を空かせていることだろう、このじゃがいも餅に飛びつくはずだ。

 

(あと、司令官さまも……)

 

 会合から帰って来た萩野が、じゃがいも餅を美味しそうに頬張る姿を想像し、仄かに頬を赤くする春風。

 そんな懸想(けそう)を振り払うかのように、彼女は再び貰った食材を調理し司令官と仲間を出迎える準備を始めた。今夜は御馳走である。

 

 

 

 暖かな春の風は、漁火島と第七近海監視所(ナナカン)を優しく包みこむ。

 

 その穏やかな日々もそれが()()であった事を、今の彼らはまだ知らない。

 




次回から「嵐の日々」後半戦を開始します。


※お詫びとお知らせ
今まで「西方海域」を「東方海域」とずっと勘違いしておりました。申し訳ありません。
今回の投稿と一緒に過去投稿分も訂正していますので、ご了承ください。

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