【完結】ナナカン ~国防海軍 第七近海監視所~ 作:山の漁り火
E3E4に比べれば癒しの海域ですな(感覚麻痺)
――国防海軍謹製“缶詰”――
国防海軍が
年に数回実施される海軍主催の遠洋漁業(通称秋刀魚祭り)によって捕獲される新鮮な秋刀魚や鯖、イワシといった魚を加工・調理したものを缶に詰め、加熱殺菌して出来上がり。
現在は遠洋航海中の
「――そうだ。せっかくの機会ですので進言させていただきますが」
歓迎会の後片付けを終えて一息つく萩野に、春風がとある提案をしたのだ。
「なんだい、春風?」
「いえ、これからは私たちの遠征や訓練の機会も増えますし……司令官様も私たちがいない時に備えて“お料理”を覚えられてはいかがかと思いまして」
「あー……料理か。そうだよなあ」
春風のその提案に、痛いところを突かれたという表情で萩野は天を仰いだ。
萩野少佐の料理の腕はからっきしである。士官学校時代の野戦演習にて飯ごう
それが顕著だったのが前回の海上護衛で神風姉妹が遠征に行っていた時の食事の内容であった。
「一日目はご飯に
「あー……やっぱり酷いかな」
「酷いです。遠洋航海中でも無いのに、どこの野戦中の糧食ですか」
缶詰ならば非常食として十分な数がストックされている為、萩野はついそれに頼ってしまったのだった。ついでに言えば米・缶詰に加えて味噌汁の代わりとばかりに飲むのは、萩野が唯一得意とするコーヒーである。素晴らしき哉一汁一菜。
「一日だけでも、おじ様の家のお世話になってみても良かったのでは?」
「それは源さんと奥さんに気を使わせるわけだし、やりたくなかったんだよなあ」
そう言って悩ましげにぽりぽりと頭を掻く萩野。源次郎の家は二人暮らしであり、妻である朝美は身体が弱く病気がちである。それを知っているだけに、萩野もどうにも遠慮してしまうのだ。
「ではやはりお料理を覚えましょう」
と、ぽんと手を叩く春風に対し、萩野は気の進まない顔だ。
「いやあ、正直二、三日程度ならお米と適当な缶詰だけでお腹は満たせ――」
「……覚えましょうね?」
「……はい」
声のトーンが一段階下がった春風による静かな気迫に、思わず素直に返事をしてしまう萩野。こうなった時の春風は後で怖いことを、ここ半年の付き合いで萩野も重々承知しているのだ。
「そもそも食事には栄養バランスというものが大切なのですよ、司令官様。ちゃんと肉や野菜も摂らないと、缶詰だけでは栄養不足です」
「あ、うん。そうだね」
「司令官様は、私たちを指揮し統括する立場なのです」
「……うん」
「いざという時、そんな不健康な有様では格好がつきません。つまりお料理を……」
「あーうん! 分かった、よーく分かったからさ……そうだな、まずは味噌汁作り辺りから教えてくれるか?」
「はい、了解いたしました。ふふ」
追い込まれた萩野の返答に対し、春風はにこりと微笑む。翌日から優しくも厳しくも厳しい「春風さんの料理教室(甲作戦)」が行われるのを、その時の萩野はまだ知らない。
*****
「――いまいちですね。50点です」
「そっかあ……」
時刻は
春風による料理教室も本日で五回目となっており、今日の
「味噌汁も煮物も
萩野は春風の駄目出しを黙って聞いていた。
何といっても春風の料理指導は「手厳しい」。これが神風であれば「しょうがないわね」と言いつつ若干手ぬるい指導をしていただろうが、春風は残念ながら容赦が無い。
料理教室開始以来、辛口評価を受け続ける萩野は今度こそと思い挑んだのだが……それでも春風の満足いく結果にはならなかったようだ。
「大変そうっしゅねー。もぐもぐ」
と、春風と萩野のやり取りを横目に煮物をパクつくのは、本日の秘書艦兼試食係の占守。
残る
「ふう、ご馳走さまっす。うーん、今回は55点っす」
優に一人前はあった煮物をぺろりと平らげた後の占守の採点に、萩野は再び気落ちする。
「お前も手厳しいな、占守……」
「そうっすか? 春風さんの採点よりも5点も上っすよ?」
「それはそうだが」
「司令は、一回目の時のうちらの採点を覚えてるっすか?」
「……ああ」
「あの時は春風さんは5点、占守は10点だったっす。あの時から比べれば、今の司令は劇的にせいちょーしたっす」
と、占守はぱちぱちと手を叩いて萩野の健闘を称える。
「そうかな……?」
「そうですね、司令官様は以前よりは格段に成長しているとは私も思いますよ。まだ至らない点は多いとは思いますが」
と、春風も占守のそれに併せて萩野をフォローした。
萩野も別に褒められて嬉しくないわけではないが、なんとも複雑な気分である。
(まあ、何だかんだでこれも楽しくはあるけどな)
萩野も当初は春風の指摘に心折れてはいたものだが、その指摘だって理不尽な物では無いことも分かっているし、その指摘を糧にして回数を重ねる内に少しずつ改善し、そこそこの料理は作れるようにはなったのだ。感謝はすれど、恨むような事ではない。
さて、春風は空になった皿を片付け、次の調理の支度を始めた。時間も有るので本日はもう一度同じ物を作ってみる予定である。
「それにしても、占守さんはその体で意外と食べる方なのですね」
占守によって綺麗に空になった皿を見ながら、春風はその健啖ぶりに驚いていた。料理の試食係を買って出てくれたのは占守自身であるが、毎回萩野が作った物、春風がお手本で作った物も含め残さず食べてくれるのだ。
「そうっすねー。『艤装の燃費が良いのに、身体は燃費が悪い』って良く言われたもんっす」
「憲兵隊でもそんな感じだったのか?」
「そうっすよ、憲兵隊のご飯は美味しかったっす。……そう言えば若宮さんの手作り料理は美味しかったっすねー。休日に趣味で作るビーフシチューは最高だったっす」
「へえ」
「憲兵さんにも人気で、食堂で若宮さんが特別メニューを振舞う時はみんなで行列を作るほどで……」
「すげーなあの人」
あの年齢の美女で料理好きとなれば、それこそ結婚相手など引く手あまただろうに……と萩野は思ったが、以前に占守らから彼女の噂を聞いた限りではそうでも無い様だ。やはり鬼の“国家憲兵隊”実働部隊というのがネックなのだろうか、公私両面において。
「でも、若宮大尉の料理は
「ほう……」
そういう意味では、神風や春風が得意とする“家庭料理”とは違うのだろう。以前の訪問で神風たちの料理が食べられないのを残念に思っていた若宮の顔を萩野は思い出す。
「――だから、占守は神風さんと春風さんの料理も大好きっすよ?」
「あら、私をおだてても何も出ませんよ」
「おだててるわけじゃないっすよー。本心っす」
占守はそう言ってにははと笑った。
「――結局、春風と俺の料理って何が違うんだろうな」
丹念に大根の水洗いをしながら、萩野は春風に尋ねる。
包丁の腕前は切り傷だらけの当初より大分マシになった。調味料の配分はレシピ通りで間違っていないし、春風の指示にもなるべく正確に沿えるようにメモ書きも欠かさない。それなのに何故か歯車が噛み合わず春風に合格点が貰えない。
春風は少し思案した後、萩野の質問に答える。
「まず言えるのは、『経験の差』でしょうか。萩野様はまだ始めて二週間程度。私やお姉様はほぼ毎日お料理をしておりますし」
「やっぱ経験か」
「それはそうですよ。たった一日や二日の練習で美味しい料理を作れるのなら、主婦の立つ瀬がありません」
「確かにそうだな」
そんなわけで
「とりあえずは数をこなすしか無いってことだな、まあ頑張るよ」
そう言って溜め息を吐く萩野を見かねたのか、
「……でも、“美味しくする方法”なら知っていますよ。これはあくまで私の持論ですが……」
と前置きした春風はにこやかに語る。
「それは、『食べる相手のことを思って料理をすること』です」
「食べる相手……」
「そうです。美味しく食べてもらうにはどうすれば良いか、自分自身でも良いのですが……他人を思いやって作るのは料理の腕前の上がり方は格段に違うのではと思います」
誰かを思って料理を作ること。それは別に大したことではない。
例えば、母親が子供に苦手な野菜を食べてもらうにはどうすれば良いかと考えた時、すり潰してひき肉に混ぜたり味付けを工夫して風味を消したり。
例えば、戦災や災害に巻き込まれ腹を空かせた避難民に振舞う温かい食事だって“思いやり”の塊であるし。
それは主婦も食堂の経営者も変わらない。誰かに美味しく食べてもらいたいから料理を作るのだ。
「若宮大尉のビーフシチューが憲兵隊の皆様に好評なのも、『皆に美味しく食べて貰いたい』という思いがあってこそでは無いでしょうか」
「なるほど……」
「ええ。ですので、今から作る煮物は、『特定のある人の事を頭に思い浮かべて』作ってみてください」
春風はそう言って萩野の前に新たな食材を置く。
「誰かを思い浮かべる……か」
「ええ。
*****
神風と国後が巡回より帰投し、その日の夜の夕食。その夜の食事当番は
皆揃っての「いただきます」の声と共に箸が一斉に動き出し、食卓は賑やかになる。
(あ、この味……)
ふと神風が
「春風、この煮物美味しいわね。私これくらいの
と言いながら美味しそうに煮物を口に入れていく。
「ふふ、そうなのですね。お姉様に喜んで貰えて私も嬉しいです」
と、微笑む春風。
「でも、ちょっと大根が厚いわね。ちょっと慌てて作ったみたいな……?」
「ええ、始めに作っていた煮物をうっかり焦がしてしまって……。先ほど急いで作り直したんです」
「へえ……」
少し疑問を感じたものの、春風の返答にとりあえずは納得した神風は、再び煮物をぱくぱくと食していく。
「うーん、私には少し甘いような……これって本当に春風さんが?」
その横で同じく煮物を食する国後の舌には、その煮物は随分と“甘く”――おそらくは味醂と砂糖が少し多めに入っているのではと感じた。
気になった国後が春風を見ると、春風はくいっとその目で
その目線の先には……その煮物を黙々と食する萩野の姿があった。心なしか神風の方を見ないように目を伏せているようにも見える。
(なるほどね……そういうことか。ちょっと妬けちゃうわね)
と、流石に国後にも合点がいった。国後の隣で素知らぬ顔でご飯を食べる占守も、今日行われたとされる“料理教室”の当事者なわけであり、当然この煮物を誰が作ったのかは知っている。
流石に萩野も神風たちと半年も一緒に暮らしていれば、趣味趣向はある程度分かるという物……とりあえずはっきりしているのは、萩野が誰のために料理を作ったのかという事実である。
本日知らぬは神風ばかり也……その真相を知るのはまた遠からぬ後日の事。