術後の経過もよく、出歩くのも問題なくなったので俺は無事に退院という運びになり、父親のルドルフと共にローウェンクルス領のあるアラスカへどういった交通手段で帰るかを話し合っていた。
帝都のターミナルを使えば、直通でローウェンクルス領に行く飛行機に乗ることも可能だが、どうやらルドルフはのんびりと時間を掛けて帰る腹積もりらしい。
此度ローウェンクルス伯爵家の次男であるライヴェルトが皇女殿下を庇って重傷を負ったというのはすでに美談の類として貴族たちに広まっているらしく、俺を相手とした縁談が持ち上がっているらしい。
長男であるレイリード、長女のルティアの両名にはそんな話が来ていないのにも関わらずだ。
現在ローウェンクルス家ではレイリード兄さんを中心として問題の対処に当たっているとのことだ。つまり、当の本人である俺が渦中に帰ると騒ぎになるのが目に見えているので、ゆっくり観光でもして傷を癒しながら帰ってくるといいという優しい家族からのメッセージでもあるのだ。
「ふむ、ライヴェルト。いい機会だから、どこか行っておきたいところはないか?」
ルドルフがブリタニアの地図を机の上に置きつつ話しかけてくる。いざ行きたいところと言われると答えに困るが、ひとつだけ確認しておきたいことがある。それは今後の情勢に大きく関わるものだ。俺の顔をじっと見てくる父親のルドルフに向かって、自分の意見を伝える。
父親のルドルフと共に俺が訪れたのは帝都郊外の広大な敷地に作られた士官学校のひとつ、ボワルセル仕官学校だ。ここには神聖ブリタニア帝国第2皇女コーネリア・リ・ブリタニアや後のナイトオブラウンズのベアトリス・ファランクスやノネット・エニアグラムが通った学校だ。
当然ながらブリタニア帝国にある士官学校の中でも随一の名門校である。
どうして俺がここに来たかったかというと、別にここでなくともよかったのだが、KMFの操縦シミュレーターが置いてあるところで一般にも開放されているのが、帝都近くにはここしかなかったのだ。
一般にも開放されていると言ったが庶子は乗る事どころか触ることも許されないけどな!
父親のルドルフが受付で手続きをする間、俺は士官学校のフロントの中に飾ってある主席卒業者の写真を一枚一枚眺めていた。立派な額縁の中で毅然とした男女が正装を着こなしビシッと格好を決めている。
視線をスーッとずらしていくと後のナイトオブツーのベアトリス・ファランクス、そしてナイトオブナインのノネット・エニアグラムの写真が飾られていた。
「あれ、コーネリア皇女殿下は?」
皇族ということもあるので別口で飾られているのかと主席卒業者の写真が張ってあるところだけでなく、周囲をくまなく探すが見つからない。
俺は腕を組んで考えるが、コーネリア皇女殿下の正確な年齢が分からないのでどうしようもなかった。さすがに父親であるルドルフに皇族たちの現在の年齢を聞くのは憚られたから。
皇暦に関してだけ言えば2007年だが、俺が女子化してルルーシェ・ヴィ・ブリタニアになっているくらいだから、他にも変わっている所があると見るのが定石だろう。
「ライヴェルト、準備が出来たようだから移動するぞ。……ふむ、ライヴェルトは軍に興味があるのか?」
「興味というか、今回の事件を経て大切なものを守りきるには最低限の力量は必要かなって。KMFに関してはこれからのブリタニアの戦闘の中心になっていきそうだから、早いうちに触っていたいと思ったからだよ」
「ライヴェルト、お前。……変わったな」
「……え?」
「少し大人っぽくなった。ふふふ、お前の成長を私は嬉しく思うぞ」
先導する受付嬢の後を歩いていくルドルフの背中をじっと見る。
昔と変わったと言われた瞬間、心臓が飛び跳ねた気がした。親はちゃんと見ているんだなと俺は感心する。俺もまた彼らの背を追うのだった。
そして、案内されたシミュレータールームには士官学校の仕官候補生らしき学生らの姿もあった。
突然、受付嬢に連れられた俺たち親子の姿を見て、不思議そうに眺める者もいればすぐに興味を無くし仲間内で話しなおす者たちもいる。
中には教官に尋ねている者たちもいて、一応注目の的になってしまった。
だが、受付嬢もそうだが父親のルドルフはこの状態は想定内と言わんばかりに気にする様子が無い。俺もそれに倣って、深呼吸をひとつして落ち着いた状態で彼らについていく。
シミュレータールームの一番端の筐体の前で、KMF操縦プログラムの注意を受け、誓約書にサインした俺はKMF本体よりも大きな筐体に乗り込んだ。ハッチが閉められ、外界と完全に隔たれたのを確認した俺はグッと背伸びをしてリラックスしてシートにもたれ掛る。そして、説明を受けた際に言われた通り、ヘッドセットを装着した。
『ライヴェルトくん、具合はどうかしら?』
モニターの左上にここまで案内してくれた女性が映りこんだ。俺は特に問題ないことを伝えると、早速だがシミュレーターを起動させるということだ。
軽く慣らした後、士官学校に在籍する者たちがまず行うシミュレーションプログラムを体験してもらうということだったので、俺は年相応にワクワクした雰囲気で大きく頷く。
すると、画面に映っていた受付嬢の女性がクスリと笑みをこぼす。
さてと、実機とは違い急激な加速によるGはまったく掛からないシミュレーションだ。ライヴェルト少年の身体の“可能性”をじっくりと見させてもらうとしよう。
■
「ギル、一体これは何の騒ぎだ?」
「はっ、本校を見学に来た少年が現在このシミュレータールームにて、KMF操縦シミュレーションを行っているようなのですが……」
「おいっ!誰か今すぐ教官殿を連れて来い!」
「たった12歳の子供に、この栄えあるボワルセル仕官学校の仕官候補生が“全員”負けたままっていうのは洒落にならないぞ!」
「げっ、クーパーに射撃させずに近接で負かすって、あのガキ何者だ!?」
神聖ブリタニア帝国の郊外にあるボワルセル仕官学校は、由緒正しい名門士官学校である。皇族であろうが貴族であろうが、身分によって隔てられることの無い完全実力主義の士官学校であり、この士官学校でよい成績を残して卒業することは今後の軍役でとても重要な意味を持つ。だが、すでに最上級生は卒業を待つばかりであり、成績上位陣は配属される軍に関わっている者も少なくない。
「こ、……これはこれはコーネリア皇女殿下」
シミュレータールームの入り口にいたコーネリア・リ・ブリタニアと選任騎士であるギルバート・G・P・ギルフォードの姿を見て、軍を退役し戦争指揮学の教鞭を振るっていた男が揉み手をしながら近づいてくる。
その情けない姿をさらす教員の男の様子を見て、コーネリアは自身の眉あたりに嫌な線を刻んでいるのを自覚せざるを得なかった。だが、己が皇族であることを鑑み、コーネリアはその男の言い分を静かに聞いた。
「つまり、大型モニターに映し出された少年の操るKMF操縦技術に難癖をつけた阿呆が勝負を挑み、軽く弄ばれて敗北。逆上した阿呆に煽られて、その場にいた者たちが次々と勝負を挑んだが、全員実力の差を見せ付けられて敗北したか。……脆弱な者どもめ、お前たちはいったいこの士官学校で何を学んだのだ!」
「姫さま」
私の檄の言葉を聞いて下唇を噛み締めてシミュレータールームから逃げ出していく者たち。私はその者たちを一瞥することなく、シミュレータールームの大型モニターがある場所まで行く。
ギルフォードが慌てて追ってくる気配を背中越しに感じつつ大型モニターに目を向ける。
モニターの中ではブリタニア軍で正規採用されることが決まっているKMFグラスゴーが2機戦闘をしている真っ只中だ。片方のグラスゴーは足を止めアサルトライフルを乱射している。そして件の少年が駆るグラスゴーは推進機関のランドスピナーの回転数をマックスまで引き上げた状態で高速移動しつつ、胸部に設けられているスラッシュハーケンを使って地上と空中を縦横無尽に動き回る。
その予想外の動きについていけず、見当違いの方向へ銃口を向けた相手の背後に降り立ち、止ることなく高速移動してきた少年のグラスゴーは、躊躇い無く決定的な弱点を晒したコックピット部分に打撃と同時に電流を流すスタントンファを叩きこんだ。
少年の駆るグラスゴーが離れると同時に、コックピット部分が完全にひしゃげてしまったグラスゴーが爆散する様子が大型モニターに映った。
「これが実戦なら即死だな。……ギル」
「はっ、姫さま」
「私の騎士であるお前ならば、彼の本気を引き出せた上で勝利できるか?」
「イエスユアハイネス」
私こと、神聖ブリタニア帝国第2皇女コーネリア・リ・ブリタニアの選任騎士ギルバート・G・P・ギルフォードはその場で傅いた後、自分を揉み手しながら待っている教員が前にいる筐体に向かっていく。
その間、私は大型モニターに映る少年の駆るグラスゴーの動きを見ていた。現在この世界にKMFを軍事利用しようと考えている国は、このブリタニア帝国しか存在しない。直に戦争でも使われることになるだろうが、あの少年は明らかなに“対KMF戦闘”を想定した動きだ。
そんな動きを見せたのがまさか士官学校で軍人としてのイロハを学んだ候補生ではなく、年端もいかないような少年であり、自身がその目撃者になるとはな、と私は大きくため息をついた。
『君の戦い振りは見せてもらった!私はギルバート・G・P・ギルフォード、とある方の選任騎士だ。しかしその肩書きはともかく君と真剣勝負をしたい。君の本気を見せてくれるか?私は全力でそれに応えよう!』
私の騎士らしい正々堂々とした宣言にシミュレータールームにいた士官候補生や教員たちが息を呑む。
ギルフォードは相手が12歳の子供であろうと、まったく油断もしていなければ慢心もしていない。1人の騎士が相手に決闘を申し込むような言いように私は苦笑いを浮かべるしかなかったが、心中は晴れやかだった。この勝負でもし彼が負けたとしても、それを糧にして強くなることだろう。無論、叱責はするがな!
『光栄です、ギルフォード卿。僕……いえ、私はライヴェルト・ローウェンクルス。その申し出を受けます』
ランスを構えたギルフォードのグラスゴーの前に、着地による火花を散らせながら少年の駆るグラスゴーが舞い降りる。モニターに映る彼の機体は装甲のあちこちに傷があり、右腕のスタントンファはひしゃげ、よくよく見ればあらゆる箇所から煙が上がっていた。
『ローウェンクルス……くんだったか?まさか、その機体で戦い続けていたのか?』
ギルフォードの狼狽するような困惑した声がシミュレーションルームに響き渡る。候補生たちは徒党を組んで彼に戦いを挑んだ。
彼はそれを嫌がることなく全て受け、逆に叩きのめした。その光景を私は勿論のことシミュレーションルームにいる全員が見てきた。大型モニターに映し出されているものは実機でない、シミュレーションだ。
部品や装甲を交換しなければならない実機と違い、ボタン一つ押せば機体の状態は完璧な状態になるのに、一度もそんな無粋なことをする必要がないと言わんばかりに戦い続けたというのか?私は自身が同じ状況に置かれた時、妥協せずに戦い続けることが出来るかと自問自答し、呆れた笑みを零した。
『失礼だが、私はローウェンクルスくん。君と万全を期した真剣勝負を行いたい』
『分かりました。先ほどの戦闘以外は、棒立ちの的を撃つだけだったので修理や整備が必要なかっただけで、もうそろそろそうしようかと思っていました。ギルフォード卿、……いい勝負をしましょう』
ランスを構えたギルフォードのグラスゴーの前に降り立った傷だらけだったグラスゴーが新品同然の姿へと変わる。戦場で向き合う2機のグラスゴー。今までとは違う一戦になると、誰もが固唾を飲んで見守っていると、2機のグラスゴーが同時に動いた。2機のグラスゴーのランドスピナーは初めからフルスロットルと言わんばかりに土煙を上げ前に突き進む。そして2機が交差する瞬間、甲高い音が響き渡る。
距離を置いた2機はそれぞれが損傷していたが、ギルフォードの駆るグラスゴーが構えていたランスが右腕ごと地面に音を立てて落ちた。その上、左足が千切れかかっている。対するローウェンクルスが駆るグラスゴーは頭部が少し抉れているもの、身体部分に大した損傷がない。
そのことからコーネリアはあの交差した一瞬で何が起きたのかを察した。
ローウェンクルスはギルフォードのランスでの攻撃を左手だけで往なし、負荷の掛かっていた部分にアサルトライフルを掃射し破壊、画面奥の壁に右側のスラッシュハーケンを打ちつけ直ぐに巻き取り移動、その際に駄賃として左側のスラッシュハーケンでギルフォードの機体の左足の付け根を狙った。ということだろう。
『見事だ、ローウェンクルスくん。これではもう満足に戦えない。私の、……負けだ』
『いえ、あの動きに合わせ左手で頭部を狙うなんて、さすがです。……えっと、ボワルセル仕官学校の皆さん、此度はお騒がせして申し訳ありませんでした。どなたかに負ければ良かったんですが、あまりにも弱過ぎて態と負けるのも癪だったので、ギルフォード卿が決闘を提案してくださって助かりました。僕は……じゃなかった。私はこのあとも時間いっぱいシミュレーターを使わせてもらいますが、邪魔をしないでもらいたい。勝負を申し込まれる方も『神聖ブリタニア帝国第2皇女コーネリア・リ・ブリタニア殿下の選任騎士ギルバート・G・P・ギルフォード卿』の実力を越えていると自負される方に限らせてもらいたい。……時間の無駄なので』
ローウェンクルスが放った言葉はシミュレーションルームにいた候補生たちにショックを与えた。自分たちよりも幼い少年にここまで言われる筋合いはないと言いたげだが、誰もが私の隣に移動してきたギルフォードを見てはがっくりと肩を落とす。
「申し訳ありませんでした、姫さま」
「ふっ、そうだな。だが、このままでは終わらせないだろう、ギル」
「無論です」
そう言ったギルフォードの手には番号が書かれたメモがあった。状況的にあのローウェンクルスと連絡を取り合うもののようだ。ギルフォード自身もそうだが、今回の繋がりは私にとってもプラスになることだろう。この場で私も彼に挑むことは可能だが、それは後々に遺恨を残すことになる。少なくともこんな騒ぎを起こしたローウェンクルスがこのボワルセル仕官学校に来ることはないだろう。
だが、ギルフォードがローウェンクルスと繋がっている限り、私がKMFの操縦技術で困ることはなくなる。仮想敵としては最高の逸材となるだろう。しかも年下だ。
ボワルセル仕官学校の見学に来ていて、こうやって軍事機密の塊であるKMFのシミュレーターを使えているのだから、貴族なのだろうし後でギルフォードに調べさせるか。
そう思っていた私が壮年の男の怒鳴り声を聞いて顔を上げると、筐体の前で正座して怒られる少年の姿があった。見れば、包帯の巻かれた両手から血が滴り落ちている。
我々が唖然としている内に銀髪の少年は父親らしき男に担ぎ上げられ、シミュレータールームから立ち去ることになるのだった。