マイ・フェア・ソード!   作:鳩と飲むコーラ

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2.未来の宿から

 衝撃的な出会いを経た俺達は、とりあえず現状の確認ということで落ち着いた場所で話をすることにした。

 いつの間にか俺の頭に乗っていた小さな彼女が居たのも驚いたが、それ以上に俺が居た場所がどこかの山頂というのも目を見開く。

 

「っと、目覚めたてで下山はなかなか厳しそうだな」

『そう? それじゃあ――』

 

 俺のぼやきに、サウザナがふわりと浮かび上がったかと思えば、その刃を一振るう。

 一瞬遅れて、山頂を斬り割る破砕音が耳を木霊する。

 山頂からふもとまで、一刀の下に駆け巡った風は木々や岩山を裂き斬線上に遮るものを邪魔だと言わんばかりに斬り進んでいく。

 目下百ビヨンはあろう高さの山を切り裂いた本人、もとい本剣が再び剣を振ると、均等に地面が隆起する。

 さらに土の上は歩きやすいように小石などが取り除かれ、ちょっとした足場となって目の前に作られた。

 

『さ、これに乗って行きましょう。自動でふもとまで到着するように操作するから』

「ちょっと」

『え、何?』

「ちょっと」

『だから何』

「さっきから驚きすぎて何言えばいいかわからねーんだよ!」

 

 怒号を飛ばしてみるものの、サウザナは我関せずどころか『声だぁ。声が聞こえる、怒鳴られてるぅ』と身悶え気持ち悪い声を上げている。

 さらに怒鳴り声にびびったのか、小さな少女が涙目で震えていた。

ごめん。落ち着こう。

 小さな小さな少女をおっかなびっくり掴んで撫でる俺に、妄想から復帰したサウザナが指摘する。

 

『その子も連れてきたの?』

「元々この山の主なんだろ? それがお前のせいでこうなったんだから、持ち主である俺が養わないと駄目だろ。少なくとも元に戻るまでは俺が保護する」

『えー、せっかくの水入らずの二人暮らしが……』

「えーじゃねーっつーの」

 

 ため息をつきながら土の足場に乗ってみると、すーっと勝手に移動を開始する。

 歩かずとも流れ続ける景色に思わず感心の声を上げた。

 

「サウザナ、これはツギハギ、だよな?」

『そーよ。私が覚えたの。細かい操作は苦手だけど、これは足場を作って動かすだけだから簡単』

「その前にやったのは簡単じゃないけどな。あれ、しばらく禁止してくれ。心臓に悪い」

『えー?』

「目の前で山を両断されたショックを少しは考えてくれ。何より、他に人とか生き物が居たらどうするんだ」

『え、そんなの貴方の移動に比べたら別に』

「大事だよぉ!? 歩くのが辛そうって言っただけで遮る全てを虐殺とか悪政を敷く王様じゃないんだから、そういうのやめてくれ。本当」

『私からすればそんなのと貴方の価値を比べるまでもないんだけど』

「俺がそう思うの。だからやめてくれ。俺はもうここに居るんだから、周りに迷惑かけないように」

 

 しょうがないなぁ、などと言っているが犠牲はなかったのか、ただそれだけが心配だ。

 俺の肩に乗って足をぷらぷらさせている小さな小さな少女は、この惨状に驚いてはいるようだが、それ以上にすることはなかった。

 びっくりしたが、それだけ。

 この山の主という彼女は、力と共に記憶や理性も奪われてしまったのだろうか。

 

『ほら、いわゆる子供に戻っただけで複雑な生命の定義とかわからないのよ』

「誰のせいだよ……」

 

 うちの駄剣が本当にごめん。

 

「人がいないのは不幸中の幸いだったな……」

『ここは一応秘境みたいなところでね。一見するとただの美味しい水や山菜のある山でしかなくて、さっきの場所は誰にも知られてない場所なの』

 

 自然、大事に。

 

『ところで、服の着心地はどう?』

 

 言われて、手を伸ばしたり首を曲げて服のズレがないかを確認する。

 デザインも妙に洗練されているようで、かつて着ていた服の生地と着心地が段違いだ。

 よほどの高級品なのだろうとあたりをつけ、少し緊張してしまう。

 長かった髪もうなじの辺りで止めているので、多少は楽になった。

 切ってしまおうかとも思ったが、サウザナが綺麗な髪だからもったいないと言ったし小さな小さな彼女もなんだか気に入ったように髪を弄っているので、しばらくはこのままにしておこう。

 

「いや、悪くない。良い具合だよ」

『それは良かった』

 

 この服も適当にサウザナが用意してくれた。何もない空間から服が出てきたのを見ると、空間操作系のツギハギを所有していると見ていい。いつ素材を手に入れたのやら。

 それ以上にただの剣であったはずのサウザナがツギハギを使うことについて、詳しい説明が欲しいところだ。

 土の足場が止まる。

 ふもとに降り立った俺達は、人に手が入って整備された道を目指すべく何もない平野を歩くこととなる。

 次に歩くのが辛いとか言ったら何をするかわからないので、我慢して歩くことにする。

 

「ところで、今はどこに向かってるんだ?」

『南にあるアンネっていう、水の綺麗な所。さっきいたとこから川が流れてるから、水も美味しくてお風呂も充実してる。まず湯浴みして、色々落としていきましょう』

「さっきのあれ、水に影響ないだろうな……」

『川に届かない場所だったし、問題ないわよ』

「そりゃお前はな……」

 

 そうやってひょこひょこと歩いていると、何かがこちらを叩いてくるような音が響く。

 怪訝そうにする俺を察したのか、肩に乗っていたあの子が急にサウザナの柄に乗った。

 

「どうした?」

『あれ見てよ』

 

 柄頭に乗る小さな小さな彼女からサウザナに示された先は、南西にある特に変哲もない森だ。

 しいて言えばその近くに馬車が止まっているだけで、何か大穴があるとか森の一部が剥げているといった変化は見受けられない。

 観察しているうちに馬車の近くに人、それも小さな女の子が近寄っていた。どうも森から出てきたようだが……

 

『声かけてみる?』

「何を聞くんだ。街の場所は把握してるんだろ?」

『案外、馬車の中で思わぬ出会いがあるかも』

 

 馬車に入っていったのはあの子供しかおらず、それ以外は御者しかいないように見えた。

 サウザナが言う出会いとは、あの女の子のことだろう。

 だが言われる側としては何を突然、と言いたくもなる。

 

「あの子のこと、知ってるのか?」

『んーん。まったく知らない』

「ならいきなりどうしたんだ」

『……昔を思い出しちゃって。私が拾われてから馬車引いてる御者さんに声かけて……う……ぐう……ひっく……』

 

 再び涙という名の水滴を垂れ流すサウザナ。小さな彼女は体が濡れてしまったのか、俺の肩の上に座りため息をついていた。

 

「あー泣くな泣くな、懐かしいよなそうだよな。じゃあ少し、馬車に声かけてみるか」

『はーい。お金はあるから、もし料金発生しても心配しないでね』

 

 一瞬で泣き止むって嘘泣きか、と思ったがお金のことを持ち出された俺は、特に指摘することなく馬車へと向かっていく。

 五百年後経とうが人が居る以上、お金は大事なのだ。

 

「あの、すみません」

「ん?」

 

 今まさに発車しようとしていた御者に声をかける。

 急いでいるわけでもないのか、初老と伺える男は声に合わせて律儀に止まってくれた。

 

「自分達はアンネへ向かおうとしてるんですが、こちらの馬車はどこへ向かわれますか? もし目的地が同じなら、同行させていただけないかな、と。もちろん料金は相応に」

「あー、すまんな兄ちゃん。普段なら構わないって言ってやるんだが、今日は個人で貸し切ってるんだ。しかも、その子は今疲れたのか寝入っちゃっていてな。流石に起こす気にはなれん」

「そうでしたか……」

 

 申し訳なさそうに渋面を作る御者。

 なら仕方ない、と無理に乗る理由もない俺は引き止めてすみませんと頭を下げながら馬車から離れる。

 

「断っちまった俺が言うのもなんだが、早く離れたほうがいい。ついさっき山から凄まじい音が聞こえてきた。アンネの水源を盗もうとした馬鹿が、山の主を怒らせて手痛い目を見たのかもしれない」

「あー、そ、そうですね、ははは。そうします」

 

 すみません、騒動の元は俺の剣で山の主とやらは小さくなって俺の肩に乗ってます。

 馬車を見送りながら気落ちしているであろうサウザナを慰める。

 貸し切ってるということは金持ちだろうし、中に乗っていたのは子供ということは貴族の子が森で遊んでいて疲れたのかもしれない。

 だったら無理に割り込んで邪魔するのは気が引ける。

 気を取り直してアンネへ移動しようと俺に、柄を撫でられていたサウザナが勝手に動き、地面に鞘をめり込ませた。

 疑問に思うより早く、サウザナがその答えをくれた。

 

『突然にごめんね。ちょっと虫が居たから』

「汚すなら靴でいいだろ」

『どっちも変わらないと思うけど』

「お前を入れる鞘なんだ。綺麗なほうがいいだろ?」

『やーん嬉し~い~』

 

 媚びるような気色悪い声音を流しながら、改めて足を動かす。

 そうして時間をかけてアンネの街へやってきた俺達は、夜も更けて来たということでさっそく宿を取ることにした。

 湖の街とも呼ばれるここは、事前に聞いていた通り水が豊富だった。

 街並みも綺麗だし、人の流れは多いがその表情に陰りといったものは伺えない。住民が不備なく暮らしている証左だろう。

 街に流れる川は清流で排水処理も完備しており、宿の個室に風呂が備え付けらている進んだ街のようだ。

 当然とばかりに風呂付きの個室で宿を取ったので後で入らせてもらう。

 選んだ場所は宿舎にしては小さい、どちらかと言えば民家を改造した施設だ。

 宿泊できる人数が多くない代わりに、一般解放された食堂という専用の区画を作り分けることで繁盛を続けている。どちらかと言えば食事がメインで、宿がおまけのように思う。

 年若い従業員に金を(サウザナ持ち)払い、案内してもらった部屋に備え付けられた清潔なベッドに腰掛ける。

 そこでようやく、俺は今の状況について落ち着いて考えることが出来た。

 

「しかし、目覚めたら五百年後とはな……本当に涙月は倒せたのか?」

『正確にはわからないけど、涙月は大地に溶けて消えていったし、あの時から今にかけて今も現れてない。それがひとまずの答えでいいと思う』

「そっか……なら、良かった。けど涙月との戦いに行ったはずの俺が、どうしてあそこに居たんだ? 少なくとも俺はあそこに見覚えがない」

『ん。それはね――』

 

 そうして、サウザナは俺があそこに居た理由を説明する。

 まず俺が目覚めたのは、サウザナが執り行っていた儀式に必要なものとタンクルが豊富な場所、とのこと。

 

「タンクルってなんだ?」

『ツギハギに使われる力の呼称。世界融合《せかいゆうごう》以降は、タンクルという呼称で統一されているわ。ちなみに涙月も貴方が消えた何百年か後にゲイズって名前に改められたわね』

「待った待って待とう、早速よくわからんキーワードが出てきたぞ」

 

 ツギハギはまあ、わかる。俺も使う、自然では起こり得ない現象を起こす超常の力。

 でもタンクルにゲイズ、世界融合。何より、俺が消えた?

 とりあえず気になった単語を聞くとする。

 

『順番にね。まず消える、っていうのは文字通り。貴方は涙月との決戦以降、消息不明になったのよ。私が居た四百年くらい前まで、仲間達も国には帰って来なかった。だから、みんなもういない』

「――――――――――そうか」

 

 サウザナのいう国、それは俺が治めていた国でもある。

 小さいながらも一国の王だった俺だが、それはあくまで代理の話。お飾りの王だ。

 サウザナから話されたそれは、俺にとってなんとも言えない感情を残す。

 別れを告げることも、告げられることもなく。ただこうして事実のみを伝えられた心は大きく乱れていく。

 

『……ごめんね』

「何を謝るんだ」

『あの時、貴方は私に俺達が戻る場所を守っていてくれって言ったのに……私は貴方を探すために国を出て行ってしまった』

 

 手元にある折れた剣が、心なし湿っていく。

 また泣いているのか、と思った俺は気にするなと告げる。

 

『私は耐えられなかった。直接貴方を知る世代がいなくなったと同時に、だんだん国は変わっていった。私という存在もおざなりにされていて、徐々に居場所がなくなっていったのを感じたわ。当然よね、知らない人間からすれば国の舵を取っているのが喋る鉄の塊なんだもの。……それで、色々あって出奔したの』

「俺が帰れなかった時点で、そんなの破っても構わないさ。謝るとすれば俺のほうだ。帰るって言ったのに結局行方知れずになっちまったみたいだしな。……寂しくさせて。帰れなくて、ごめん」

『…………うっ』

「うん?」

『うわああああああああああああああああああん!』

「うおっ!? だから泣くな、濡れる!」

『ご、ごべん、ざいがいがうれじずぎで涙ぜん、もろく、なっぢゃっで』

 

 それでも止まらない涙に顔をしかめながら立ち上がる。ベッドに腰掛けていたせいで体とシーツがびしょ濡れだ。

 宿の人に謝らないとな、と考えながらも俺は真っ先に気になることを聞いた。

 

「っていうかサウザナ、お前一体何があった?」

『へう?』

「少なくともあの頃は涙を流すなんてこともなく、ただの喋る剣だったろ?」

 

 喋る剣がただの、というのもおかしいかもしれないが、出会った時からこいつは喋っていたのだから仕方ない。

 出身が周りにツギハギ使いのいない田舎だった俺からしたら、外の世界の剣は喋るんだと勘違いしていたくらいだ。

 

『修行したってこともあるけど……』

 

 剣って修行すると涙出せるのか。

 

『一番は世界融合ね』

「世界融合?」

『うん。話を戻すけど、当時ゲイズが消えたと同時に、呪紋世界と名付けられた異世界がこの世界と一体化したのよ』

「会話そのものが異世界に行ったぞ」

『だって事実だし』

「そも、なんで世界が一体化してるなんてわかるんだ」

 

 サウザナは続ける。

 

『世界が一体化したってわかったのは今から三百年くらい前かな。突如としてゲイズの眷属が蘇ったのよ。それを阻止した人達が居て、その時に知ったって感じね』

「それがサウザナの涙と関係あるのか?」

『おおありです。世界融合ってことは、異世界のものがこちらへやってくるってことだったの。かつては乏しく、今は世界に満ち満ちた不可思議な力。それがタンクルで――私の同族である識世、っていう新たな種族が誕生した』

 

 識世《しきせ》。

 世界融合後に誕生した種族の一つで、主に無機物から生まれる存在らしい。世界の一体化による影響で変質した変化の最たる例と言えよう。

 ようは世界と世界が合体した結果、無機物に意志が宿った存在が識世、っとサウザナは語る。

 

「でもサウザナは前から喋ってたろ?」

『うん。当時から多少なりとも呪紋世界の影響はあったみたい。そういう意味では私は識世としては古参だから馴染むのも早かったわね。それで識世になり、色々と種族としての機能が追加された、って感じかしら。流石に元が剣だから子供は作れないけど』

「剣と致すってどんな変態だよ」

 

 刺すのか? 刺されるのか? だったら武器を使う奴ら全員変態になってしまうぞ。

 

『あー……まあ色々あるけど種族の違いってやつで。ってそんなのどうでもよくて、本格的に識世化して色んなことが出来るようになったのよ。ツギハギを覚えられたのもそのおかげ』

 

 世界融合という出来事のせいで、世界は随分様変わりしているようだ。

 剣が、いや識世であるならその辺の石がツギハギを使えるということになる。俺の知る世界が過去といえ、未来の今はどれだけの変化が起きているのやら。

 

『ツギハギが使えるようになったって気づいた私は、国から出奔あとに世界中を巡りながら情報を求めたり、強くなってあいつ(・・・)に負けない力と貴方を呼び出すツギハギを身につけた。貴方の死体が見つかっていなかったから、きっとどこかに居るって信じて、その一心で修行していた』

 

 でも、とサウザナは重々しく言葉を残す。

 

『本当は貴方の生存じゃなくて、死体を見て納得したかった。生きてるなんて都合の良いことは言わないから、その亡骸だけでも、なんて思ってた』

 

 慟哭《どうこく》は止まらない。

 俺が逆の立場であったなら、自分を納得させるための、希望ではなく虚無の願いを抱いたかもしれない。

 

『死体だったら、私を刺して自分ごと永久封印して剣生《けんせい》を終えようと思ってた。貴方だけを知りながら眠りたかった。死体と一体化すれば貴方の夢を見れるかもしれないし、幸せな夢を抱いてその後を過ごしたかった』

 

 台詞が不穏になってきた。

 墓標とするのはともかく、色々とやばそうな雰囲気が言葉の端々からにじみ出ている。

 何、もし目覚めなかったらサウザナは俺に刺さってそのまま永眠しようとしたってことか?……怖いんですけど。

 五百年という時間のせいか、色々と拗らせてしまった愛剣に恐怖を覚えながら、それ以上言わせないようにする。。

 

『そんな風に色々頑張った甲斐はあって……あって……うう』

「はいストップ。おーよしよし良い子だから泣くなよー? 間違っても俺を刺さないでくれよー?……でも俺が消えて五百年経ってるなら、なんで俺はまだ生きてるんだ?」

 

 死んでなかったとしても、それは最早人間として形を持たない何かになっているだろう。

 でも俺の体はそんなこともなく、むしろ当時より若返っている気がする。大体、故郷を飛び出した十五歳くらいの時かな?

 より正確に言えばサウザナと出会った頃でもある。流石に銀に染まってしまった上に長髪ではなかったが。

 

『世界中を探し回って死体が見つからなかった時点で、貴方は境界領域《きょうかいりょういき》――融合しきれず、はみ出してしまった世界の裏側にいるんじゃないかって思ったの。そこは時間という概念がなくて、取り込まれた時点で肉体は不変だから、会うだけならチャンスはあると思っていたんだけど……生きてる上に若返ってるわね。でも私としては初めての出会いを思い出すから、ずっとこのままでいいのよ?』

 

 戯れ言はさておき、こればかりの理屈はわからないそうだ。

 他にも気になることはあるが、現状も知れたしこのくらいにしておこう。一気に詰め込んでも頭に入らない。何より、

 

「サウザナの涙で色々ぐちゃぐちゃだ。風呂入って汚れ落としてくる」

『大丈夫、私の涙はあの山の水やこの街の水より綺麗だから!』

「知らん」

 

 にべもなくサウザナを振り払い(用意されていた鞘に収めるとも言う)、俺は個室に備え付けられた風呂に入ることにする。

 温泉や大浴場、貴族の私邸ならともかくこういったただの街の宿で風呂にありつけるとは思わなかった。色々としたものを洗い流させてもらおう。

 

「――――――」

「っと」

 

 肩に重みを感じたと思えば、彼女が乗ったせいか。

 どこから用意したのか、彼女サイズの小さな風呂桶の中に白く柔らかなタオルを詰め合わせて意気揚々としている。

 そう言えばこの子も世界融合後の種族ってことだろうか?

 

「サウザナ。山の主とは言ってたけど、この子ってどんな種族なんだ?」

『んー、一応識世になるのかしら。世界融合以降に山頂に咲いてた花が識世化して、牛耳っていたんでしょうね。邪魔だからふっ飛ばしておいたけど』

 

 本当にすまない、小さな小さな女の子よ。

 

「それにしちゃあ人型だし、識世って無機物から生まれるものなんじゃ?」

『正確には意志のないもの、ね。世界を識《し》った者、自我を持つに至った存在。それが識世の由来。だから正確には無機物だけが識世ってわけじゃないのよ。人の形を取れるってことはタンクルとの親和性が高いのだけど……あまり強そうには見えないわね』

「別に強い弱いはどうでもいいよ。というかお前ちゃんとこの子に謝れよな」

『なんで?』

「勝手に人の家に土足で踏み入って押し入り強盗したんだろうが……」

『でも貴方を呼ぶのに適した土地はあそこだったんだもん。それに私はちゃんと理由説明したのよ? でもそんなの知らないって感じで襲い掛かってきたから正当防衛よ』

「正当防衛って言っていいのはこの子だろうが……」

 

 そうだ。サウザナならこの子の言葉わかるかもしれない。そう思って見れば、サウザナは肯定した。

 

『言葉はわからないけど、感覚で理解できるわ。この辺は識世特有なのかも』

「ならちょうどいい。この子、名前なんて言うんだ?」

『ちょっと待ってね。―――――』

「――――――」

 

 何やら会話を行っているようだが、全く理解出来ない。意味のわからない単語の羅列を聞いているような気分になってくる。

 国や大陸の違う人種との会話、ならまだ勉強の余地もあるがここまで来ると動物とコミュニケーションを取るようなものだと判断したほうがいいかもしれない。

 彼女は俺の正面へ飛び上がり、人間サイズで比較すれば豊かな胸に手を当てながら小さな小さな唇を動かした。

 

「――――――」

「わかる?」

「わかるか」

 

 口パクにしか見えん。

 実はサウザナからの所業を覚えていてそっけないのかとも思ったが、きょとんとする彼女の表情からは悪意というか害意は一切感じない。純粋に俺がわからないだけだ。

 まあいい、コミュニケーションの基本は体当たり、ジェスチャーである。

 話せない人ともこれ一つで会話が出来て努力次第で万能になれる力だ。これで彼女と話していけばいい。

 

『名前はないって。そもそも呼ばれることがなかったそうよ』

「植物なら名前をつける習慣なさそうだしな。なんて呼ぼう」

「――――――」

「あ、これは流れでわかるぞ。俺の名前は、って聞いてるんだな? もしくは名前つけて、とか」

『ううん。お風呂行こう、だって』

 

 仕方ないと言えば仕方ないが、違っていたことが無性に恥ずかしい。

 でも花の識世なのに風呂のことを知ってるのか? そして良さがわかるのか? 水浴びと同じ感覚なんだろうか。

 山を支配していた知性とも言うべきものが、残滓のように残っているのかもな。

 返事をしない俺に首をかしげて見上げてくる彼女。可愛い。

 違う、どうしたものか。

 

『名前、付けてあげたら? 誰かに名前を呼んでもらうってのは、とっても嬉しいもん。言われなきゃ、忘れられちゃうよ』

「俺が付けていいのかな」

『名前が必要なのはこっちの都合だし、本人は気にしないんじゃない?』

「それもそうか。とりあえず風呂にでも入ってゆっくり考える」

『その子も一緒に?』

「別に拒否する理由はないからな」

『人形ほどに小さいってだけで、造形自体は人間とさほど変わらないのにー』

 

 サウザナの言いたいことを察し、無視する。向こうも軽口だとわかっていたのか、追求はしてこなかった。こんな掌に乗る小さな子にそれはない。

 備え付けられた浴槽は足を伸ばせるほどの大きさではなかったが、それくらいは足を丸めるか浴槽の外に伸ばせば問題ない。いち宿屋の個室に風呂を備えている時点で贅沢というものだ。

 ここで、浴槽に入れる水がないことに気付く。そういえば旅人であると言って宿を取ったさい、風呂に関しての説明があった気がする。

 サウザナが知っているからいい、と流したのであいつなら知っているはずだ。

 

「サウザナ、ここの風呂ってどうやって入るんだ?」

『おっと、そう言えば説明してなかったっけ。備え付けてある浴槽の近くに、少し大きめで色違いの球が三つあるのはわかる?』

 

 言われて周囲に首を巡らせると、設置された小さな棚の上に白と赤、青の球があった。こぼれることのないよう、台座に置かれて固定されたそれの一つを手に取る。

 

『まず赤い球を、浴槽に描かれた呪紋の中心に入れて』

 

 見れば、浴槽の中には円を描くような呪紋――タンクルで描かれた模様らしい――が描かれている。中心部に窪みがあったので、指示に従いそこに赤い球を置く。

 すると、赤い球に変な突起物が生えた。

 

「なんだこれ、変身したぞ?」

『害はないから大丈夫。それで、球にある小さいスイッチをポチっとして』

「ポチっとな」

 

 カチ、と小気味良い音が響くが、何も起こらない。

 小さな彼女共々首を傾げていると、サウザナから注釈が入った。

 

『あ、顔を浴槽に入れないでね。下手すると溺れちゃうから』

「それはどういう――」

 

 元よりしていないが、理由がわからないでいると浴槽の中で変化が起こる。 

 赤い球がカタカタと揺れ、数秒後に爆ぜた。すると球の中から溢れる透明な液体……熱された湯が浴槽を満たし、俺はその光景に大きく目を見開いた。

 

『赤い球はお湯。青い球は水が出る仕組みよ』

「なんだこれ、すごいな」

『これは湖の街の小さな賢者が開発した即席風呂でね。呪紋の上に専用の道具――紋具《メダリオン》を置くことで効果を発揮する、ってわけ』

「文明も大きく進んでるな」

 

 ツギハギの力が込められた道具であった紋具は、今も変わらぬ名称として存在しているようだ。

 俺が過ごした過去、五百年前にも紋具は存在したが、こんな細かな効果を持ったものは一般的に普及していなかった。

 仮に同じ性能のものがあったとしても、もっと大きく仕上がっているだろう。大雑把なものも多かった。

 なのにこの小ささで同じ効果というのは、随分と簡略化が進んでいる。

 一部に尋常ではない力を持った紋具もあったが、あれは例外だろう。

 

『スイッチだけで水を出したり熱湯にしたりしたんだけど、それで子供が火傷しちゃって、事故防止のために色々試行錯誤した結果がこれみたい。呪紋の上に置かなければ、スイッチを押しても起動しないよう設計されてるとか』

「でも赤か青を先に入れたら、他のは呪紋の上に置けないぞ?」

『水が呪紋に反応して、水自体が呪紋としての効果もあるそうよ』

 

 ちなみに白い球は風呂に入りながら健康にも良い入浴剤らしい。

追加料金扱いだから、使わなかったらその分宿代は安くなるサービスのようなものとのこと。

 

「随分詳しいな」

『貴方を呼ぶ場所は前々から決めてたからね。そこで一番近い街がここだったから、仮の拠点として少し滞在してたのよ』

 

 剣が滞在ってどうやるんだ……

 いや、サウザナのことだし上手くやったのだろう。

 

「金に余裕はあるのか?」

『当然。それに持ってなくても稼いで来るわよ。使えるものは色々あるしね』

 

 そこまでする必要はないが、路銀に余裕があるなら使わせてもらおう。

 剣が財産管理をしているなんて、というツッコミは五百年遅い。こいつは出会った頃から俺の財布の紐を握っていたのだから。

 白い球を取り上げようとするが、小さな小さな彼女が興味深そうにこれを眺めていることに気付き、使ってみるか? というジェスチャーをする。

 意図に気づいたのか、花の咲くような笑み(花の識世らしいから正しいが)を浮かべ、彼女はえっちらおっちらと全身を使って白い球を持ち上げ、浴槽の中へ落とす。

 そして浮かんだスイッチをえいっ、と言わんばかりの表情で押し込んだ。

 数秒後、満たされた湯から良い香りが漂ってくる。風呂に薬草や果実を使う入浴法は知っていたが、時間が経てばあり方も変わるものだな。

 風呂の湯気を感じながら服を脱ぎ、暖かな湯に足を沈める。

 体感する温度の違いによる軽い痺れを感じながら、体を丸めて肩まで浸かっていく。少し熱めのお湯が全身を包み、温まっていくのを感じた。

 小さな小さな彼女もまた服を脱ぎ、頭と体にタオルを巻いて入って来ようとしたのだが、手で制して一旦その動きを止める。

 

「君は、こう」

 

 備え付けの風呂桶に湯を入れてやる。

 彼女は嬉しそうに湯の中へ入っていく。だらしなく顔を緩める様子を見れば、満足しているようだ。

 

「名前、名前……ねえ」

 

 いつまでも彼女と呼ぶのも、大事な命名を変なものにするわけにもいかない。

 

「―――――」

「ん、俺の名前はって聞いてるのか?」

「―――――」

 

 返事はない。ただ、なんとなくそう感じただけだ。

 俺の名前。かつて過ごし、生きていた時代から五百年が経っていると言われた今、俺は一体どんな風に語り継がれているのだろう。

 ふと疑問に思いサウザナに聞こうとするが、何故かあいつは自力で鞘から抜け出し折れた刀身をこっちに寄せてきた。無言で浴室の扉を開ける剣というのはちょっとした恐怖である。

 

「いきなり開けんな、ビビる」

『肝が小さいわねえ』

「外見考えろよ」

『扉型の識世だって居るのよ? 今の世の中だとそう驚かれないって』

「世界は変わったな……で、なんで来た」

『雨が降って来たから、寒くってね~一緒にあっためて』

「満員です」

『詰めます』

「無理です」

『入ります』

「洗うからそれで我慢しろ」

 

 そう言ってやると、ぴたりとおとなしくなる。未来に目覚めてからすることが剣の洗濯だなんて思わなかった。そもそも剣の手入れってこういうことじゃないだろ……

 

『まあまあ、この状態でやってもらうってのが良いんじゃない』

「サウザナが問題ないなら良いけどさ……どう洗ってやりゃいい?」

『あー、これ使って』

 

 何もない空間より放りだされる品々。スポンジという雑巾よりも柔らかいそれに何らかの薬を塗りこみ、刃で切れないよう気をつけながらサウザナを洗っていく。

 

「お客さん、気持ちいいですかー?」

『あーん、いいわあー、そこそこー』

「そりゃ何より。そういや俺らの国って今どうなってる?」

『んー?』

「いや、代理といえ一応一国を治めていたわけで。気になるのは当然だろ」

『私は途中で居なくなったからなー』

 

 それは遠回しに語りたくない、と言うことだろうか。

 後を託された自分が、国に留まらずこの場に居ることに罪悪感を覚えているのか? 気にすることはないんだが。

 サウザナがこう言っている以上、追求すべきことなのではないのだろう。元より居なくなってしまった自分には関係のないことか。

 未練がないと言えば嘘になるが、あいつら(・・・・)もいないと言われた以上ここにいるサウザナのほうが大事だ。

 

「識世ってどれくらいの寿命があるんだ?」

『突然ね。ま、原型によるかな。私が折れちゃった時から今まで放置していたとしても、錆はあっても残ってたと思う』

「そうか」

 

 小さくつぶやきぼんやりとこれからのことを考えていると、彼女が俺を不思議そうな顔で見上げてくる。心を読んでいるというわけではないだろうが、変な顔でもしていたかな?

 

「名前、早く決めないとな。んー、サウザナはなんか良さげな案あるか?」

『考えろって言われたら考えるけど、その子も一緒に連れてくの?』

「なんとなく着いて来ちゃったみたいだけど、これも縁ってやつだろう。別に文句はないだろ?」

『そりゃないけど。そだね、あの場所に居たしユカリス、ってのはどう?』

「ユカリス?」

『うん。あの場所にあったのを元に、ね。再会って意味もあるの』

「お前それ、俺とサウザナのことでユカリス関係ないだろ」

『あくまで意味も、だってば。出会いとか他にも色々あるわよ』

「出会い、か。それならいいけど」

『よし、決定! 貴女はこれからユカリスよ。よろしく!』

「よろしくな、ユカリス」

 

 小さな彼女――ユカリスは俺達の会話に目を瞬かせていたが、やがてその顔を笑みへと変えていく。

 意味がわかっているかはわからないが、こっちが嬉しそうにしている感情に習って笑っているのかもしれない。今はそれでいい。

 

「せっかくだし、俺も新しい名前を名乗ることにするよ」

『えっ? なんで?』

「俺は基本的にもういない人間で、今この世界からすれば死者みたいなもんだ。これから新しく人生を続けるならそれに相応しい名前を付けないとダメだろ」

『んー、そっかー。識世とか人間よりずっと寿命が長い存在もいるし気にしなくてもいいと思うけどなあ。貴方が私と一緒に居るなら構わないけど』

「悪いな、呼びたくなったら前の名前で言っていいぞ」

『んーん。主が決めたのならそれに従うのが剣の努めです』

 

 どことなく得意気に聞こえる声に苦笑し、専用の湯船の中からこちらを見上げるユカリスを人差し指でつつくと、指を両手で懸命に掴み、ぶんぶん上下させている。

握手のつもりなのかもしれない。

 

『それで、なんて名乗るの?』

「ああ、俺の名前は――」

 


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