人の名前を間違う雪ノ下はまちがっている   作:生物産業

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3話 侵し系女子

「由比ヶ浜結衣です♪」

「比企谷八幡。どうも」

「秋田秋太です。雪ノ下さんとは清いお付き合いをしています」

「「な!?」」

 

 雪乃は絶句し、結衣は紅潮し、八幡は目を見開く。

 

「嘘です。クラスメイトだけど、話すのは今日が初めて」

「秋田くん、言っていい冗談と悪い冗談の区別もつかないのかしら? 訴えるわよ」

「び、びっくりした~。ゆきのんが遠い存在になったかと思ったよ」

 

 まくし立てる雪乃に対し、結衣はホッとした様子だ。八幡は無言だったが、チラチラと会話の成り行きを見守っている。

 

「お笑い研究部なら、これくらいは軽いジャブかなって」

「違うから。ここはそういう部じゃないからっ!」

「じゃあ何をする部なの?」

「え、えーっと……ヒッキーお願い」

 

 結衣自身よく分かっていないようだった。

 

「まあ、お悩みを解決する部活だな」

「ほほう、それは今の俺にとって凄い甘美な言葉」

「姉さんのことなら私が何とかするわ。だから部で活動する必要はないの」

 

 雪乃がきっぱりと拒否した。話の内容がよく分からない八幡と結衣だったが、姉という単語に雪乃が反応しているのはなんとなく理解した。

 秋太は「何でもいい」と、厄介者がいなくなるなら、雪乃一人でやろうが、部でやろうが気にならない。重要なのは陽乃という存在が遠くに行ってくれることだった。

 

「じゃあ、お願いの件はよろしく」

 

 それだけ言って、秋太は奉仕部の部室を出て行った。

 

「さてと、生徒会室に行くか」

 

 足は生徒会室に向かう。

 秋太はのちに後悔した。なぜこの時、素直に帰っていなかったのかと。

 

 ◆

 

「…………」

「うふーん♪」

 

 生徒会室に来てドアを開けた瞬間、秋太は素早く撤退を試みた。

 だが、そんなチープな行動は簡単に読まれており、入り口の近くに控えていた生徒会役員によって捕まってしまった。

 卒業生のはずが、なぜか生徒会を支配していることに呆れを通り越して、称賛すらしてしまう秋太だった。

 

「なんですか?」

「別に♪」

「じゃあ、向こうに行ってくれません? 超目障りなんですけど」

「酷いな~。こんな美人なお姉さんを目の前にしてそんなこと言っちゃう秋太には――お仕置きしちゃうぞ♪」

 

 言葉の最初は穏やかだったのに、最後の言葉だけは声色がものすごく低かった。

 笑ってはいるのに、お仕置きの言葉には異様な力が込められている。

 

「意味が分からないです。横暴反対」

 

 小さく抵抗を試みるが、それを許してくれるほどの生易しい相手ではない。

 

「ふーん……」

 

 空気が一段と変わる。めぐりを除く生徒会役員が「お、お先に失礼します」と走り去るようにして消えていった。

 

「その無駄なプレッシャー止めてくれません? 俺に罪はないんですけど」

「秋太が私との連絡手段を断ったことに、深く傷ついているんだけどな~。初めての経験だよ。えーん、えーんって泣いちゃうところだった」

「ざまぁ――おっと、携帯をうっかり壊してしまいまして」 

「本音が出てるから。それとめぐりの電話に出た時点でその言い訳通じないから」

「道具も持ち主に似るって言うじゃないですか? 俺に似て携帯も反抗期だから、ちょっと相手を選んじゃうんですよ。困ったやつです」

 

 清々しいほどの戯言をほざく秋太に、めぐりは「お~」と小さく手を叩いていた。

 

「秋太くん、お姉さんとお話しようか? できれば二人っきりで」

「あ、俺は女性と二人きりになると、ストレスで胃痛が起こっちゃうんですよ。すみません」

 

 女性の部分をお前と言い換えているようにも聞こえる。

 

「ふーん、めぐりとは平気なのに?」

「先輩は癒し系ですから」

「私は?」

「侵し系ですかね。俺のプライバシーとか」

 

 ぶっと陽乃から噴き出す声が漏れた。それさっき見たと、雪乃を思い出しながら秋太は目の前の女性を見る。

 

「ぷはははっ、本当にバカ! バカが居る~!」

「は、はるさん、笑い過ぎですから~」

 

 腹を抱えて笑い、机を叩いて笑う。雪ノ下陽乃が壊れだした。

 

「はぁ~久しぶりにこんなに笑った。やっぱ秋太は面白いね」

「罵倒されて笑うとか……変態だったんですね。近づかないください」

「もう、そういうところは私の妹と違うな」

「ああ、雪乃さんでしょ? 実はクラスメイトでした」

「ありゃ、知り合ったの? あんたら二人は絶対に関わらないと思ったんだけどなー」

 

 まるで二人が知り合って欲しくないような口ぶりであったが、その言葉に反して陽乃はとても嬉しそうだった。

 

「おかげさまで。さっき、傍若無人な姉乃さんについて愚痴を言い合ったところです。仲良くできそうでした」

「姉乃さん……うん、いい感じだね!」

 

 反応するところはそこかと、秋太が呆れる。そんな中、陽乃は何かを考えていたようで、思いついたかのように口を開いた。

 

「秋太と雪乃ちゃんはよく似てるよ」

「いや、どちらかと言えば、俺と貴女が似てますよ」

「…………ふーん」

 

 陽乃にしては珍しく、ずいぶんと間を置いた返答だった。めぐりもそれが気になったのか、「は、はるさん?」と心配そうに見ている。

 

「秋太の目には私達はどんな風に見えているのかな?」

 

 問いかけているようで、聞いてはいない。秋太はなんとなくそう思った。

 

「じゃ、私帰るね~。秋太、今度連絡先変えたら、本気で怒っちゃうぞ。じゃーね」

 

 ひらひらと手を振り、そのまま陽乃は消えていった。

 

「ホント、あの人、何しに来たんですか?」

「さ、さあ?」

 

 急に帰ってしまった陽乃に、めぐりと秋太の二人はしばらく困惑していた。

 

 ◆

 

「謝罪を要求する。もしくは抗議する」

 

 翌日、雪乃が登校してくると同時に、秋太はそう言い放った。

 

「姉が迷惑をかけてごめんなさい」

 

 秋太の意図を察した雪乃が頭を小さく下げる。それを見ていたクラスメイトが、

 

「雪ノ下さんが頭を」

「あいつマジでなんなの?」

「お姉さまが……ぐへへ」

「謝るゆきのたん萌え~」

 

 国際色豊かなこのクラスでは次元を飛んでしまうものが何人かいた。

 

「なんだか騒がしくなったわね」

「とりあえず、後で」

 

 クラスの様子の変化に気づいた二人は後で話し合おうと、その場は別れた。

 放課後まで、雪乃と秋太がクラスメイト達の不躾な視線に晒されたのは言うまでもない。

 

 ◆

 

「え、姉さんが昨日来たの?」

「そう。しかも意味の分からないタイミングで帰ったし。文句言っておいて」

「それは構わないのだけど、そうするとまた来ると思うわ」

「うん、文句はなしの方向で」

 

 放課後になり、秋太は雪乃とともに奉仕部にやってくる。まだ結衣も八幡も来ておらず、図らずとも二人きりだ。

 

「姉乃さんを止めて欲しい」

「姉乃……なんだか面白い呼び方ね」

 

 姉妹の感性はやはり似ているのだと秋太は昨日の陽乃の言葉を思い出した。

 

「姉さんを止める努力はするけど、まさか昨日のうちに来るとは思わなかったから」

「努力なんていらないんですよ! 結果を俺は求めてる! 頑張りましたが許されるのは義務教育まで」

 

 しっかりしてくれと無茶ぶりをする秋太。昨日、秋太が奉仕部を出て、そのすぐ後に陽乃と会っているのだ。雪乃が未来予知の能力でも持たない限り、二人の接触を止めることは不可能であった。

 

「そうね、姉さん対策となると……」

 

 顎に手を当てて考える雪乃の姿はとても美しい。一枚の絵に収めてしまいたいほど、美的に綺麗だった。

 

「興味の対象を別に移すことかしら? もしくは貴方が姉さんに好かれた理由を突き止めて、それを変えるとか」

「あの人が興味を持つものなんて知らないしなー。俺がなんでちょっかいを掛けられているのかもよく分からないし。めぐり先輩も弄られることはあるけど、俺ほどじゃない。妹さん的にはなんかないの? あの人の好き嫌い」

「……面白いことかしら?」

 

 それ範囲広すぎーと秋太は机に突っ伏した。人の面白さなど、それこそ千差万別。他人が面白いと思うことでも、自分がそうとは限らない。

 秋太は自分をクラスで人気のでるよう面白い人間ではないと思っている。

 そう考えれば、陽乃の求める面白さは世間でいう所の面白さではないということだ。

 

「他に何か言ってなかったかしら?」

「他? あー、俺と君が似てるって言ってたよ。で、俺が姉乃さんの方が俺と似てるって言ったら、なんか雰囲気が変わった」

「私と貴方が?」

「そう。まあ、見た目ってことはないだろうから性格的なことなんだろうけど、俺は君のことほとんど知らないから何とも言えない」

「私にしてもそうね。でも、貴方と姉さんが似ているのはなんとなく分かる。たぶん、姉さんもそう思ったから言葉に詰まったんじゃないかしら?」

 

 雪ノ下雪乃は、秋田秋太のことをほとんど知らない。よく学校を休む人間であるということくらいだ。

 ただ感覚的なもので、自分の姉と目の前の少年が似ている感じがした。どこがと言われれば、説明はできないが、文字通りの意味でそんな感じがしたのだ。

 

「でも、貴方はなぜ自分と姉さんが似ていると思ったのかしら? 似ていると言った私が聞くのもおかしな話だけど」

「んー、なんて言うか、たぶん姉乃さんは過去の俺がなるべきだった人なんだと思う」

「過去の貴方?」

 

 雪乃は優しく問いかける。秋太は、「あくまで仮定の話ね」と前置きしてから、

 

「俺の親のことは昨日言ったでしょ? 学歴にコンプレックスを持ってるって」

「ええ」

「小さい頃から勉強しろって言われてさ、なんでって聞いたら、偉い人間になれないからだって言うんだ。まあ、間違ってはいないだろうけど、正解でもないと思う」

 

 世の中、学力がすべてではない。

 

「ただあの当時は、誇れるものなんかなかったし、そういうもんなんだと思って、勉強してたんだけど、小4だったかな? どこかのパーティーに呼ばれたんだ」

 

 秋太の家は裕福であった。雪乃も秋太の言葉からそれはなんとなく分かっていた。陽乃が似ていると表現したのは、同じような境遇を過ごしたからなのではと、ここに来て考え始める。

 

「あの頃は、親が世界で一番正しいとか思ってた頃でさ、ガミガミうるさかったけど、一応は尊敬もしてた。でも、それが一瞬で無くなった」

「どうして?」

「正式なパーティーっていうのが、あれが初めてだったんだけど、親がさ、俺を紹介するとき、必ず付けるんだ、俺の自慢の息子だって」

 

 雪乃は困惑する。それはむしろ喜ばしいことではないのかと。

 そんな雪乃の疑問が分かったのか、秋太は苦笑し話を続ける。

 

「言葉の端々に俺が育てたって強調が入るんだよ。まあ、養ってもらっていた身だから間違いじゃないんだろうけど、俺があの人から教わったことなんて、勉強して偉い人間になれってことくらいだ」

「…………」

 

 自分が親の見栄のために使われる。当時の秋太はなんとなくそれを感じた。

 

「子供を見栄に使ってまで誇らなきゃ自分を保てない親。あの時、ああ、絶対にこんな人みたいにはなりたくないなって思った。しかも、自分より上の人にはひたすら頭を下げるし、俺の自慢なんて絶対にしなかった」

 

 すべての人間に等しく子供を自慢するのであれば、親バカだ、でもちゃんと自分を見てくれていると思える。だけどそうではなかった。自分のプライドのための子供。それを理解したからこそ、幼き秋太は自分の親に失望したのだ。

 

「それからは親に従わない方法を考えた。で、今に至るわけ。でもさ、もしあの時、親に従う選択をしていたら、たぶん」

「姉さんみたいになっていたと?」

「たぶんね。親の期待に応えるためだけの自分。誰の人生なのか分かんないけど、そんな人間になっていたと思うよ。ま、仮定の話だけど」

「今、なんとなくわかったわ。貴方が姉さんに似ていると思った理由。でも、本当は全然似ていなかったのね」

「俺的には似てると思ったんだけど。同族嫌悪? この場合適切か分からないけど、あの人を見たとき、ああームカつくわって思ったもん。たぶんあっちも俺をそう思ったんだろうね。だから嫌がらせをしてくるんだ」

 

 それは違うと雪乃は思ったが、何も言いはしなかった。

 

「貴方と姉さんの違いは鎖を切ったかどうかよ。ただ姉さんは鎖で繋がれていても、自由に動ける。長いのよ、鎖が。でも、私は鎖に縛られて生きている」

「親に反抗するって決めてる俺もある意味縛られてるからね。そういう意味では君と俺は似てるのかも」

「似てないわ、全然。私は私を知らないもの」

 

 雪乃はどこか弱々しかった。

 

「なんか重い話になっちゃったね」

「そうね。姉さん以外で、こんな真面目な話をしたのは、貴方が初めてよ。誇りなさい」

 

 それでも雪ノ下雪乃だ。儚げですらあった存在感を一瞬で戻らせる。

 ただそれは本当の自分を隠すための、偽りの姿でしかない。

 

「めっちゃ上から目線。雪ノ下家ってそうなの?」

「さあ、どうかしら?」

 

 クスクスと笑う雪乃。微笑む姿は弱くはあったが、それでも綺麗であった。秋太が、「美人は得だな」と思うほどには。

 

「こんな話をする予定じゃなかったんだけど、とりあえず姉乃さんが悪い」

「そうね、姉さんが悪いわ」

「文句言っておいて」

「ええ。任せてちょうだい」

 

 その後、悪いのは全部陽乃という押し付け理論により、二人の話は終わった。

 その晩、陽乃の携帯には、雪乃からいかに、陽乃が人の迷惑になっているかのメールが長々と送られてきた。

 

「……雪乃ちゃん?」

 

 久しぶりに送られてきた可愛い妹からのメールの約8割が罵倒で占められていることに、陽乃は本気で困惑した。

 冗談でなく、嫌われたかもしれない。陽乃は予想外の攻撃に、不安で眠れぬ夜を過ごすことになる。


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