人の名前を間違う雪ノ下はまちがっている   作:生物産業

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10話 も、もう一度お願い

 女子陣が作った夕食に舌鼓を打っているところに、秋太が爆弾を投下する。

 

「ふーん、勝負。秋太が私と?」

 

 私に勝てると思っているの? 陽乃はそう言いたげに秋太を見る。

 

「雪ノ下陽乃は大したことない。そろそろ周囲に教えておいた方が良いと思いまして」

 

 お前こそ、何言ってんの? と秋太も不敵に返す。

 

「へぇー、珍しいじゃない。アンタから挑戦してくるなんて。それじゃあ、勝利者には敗者に何でも言うことを聞かせるって言うのはどう?」

「さすがに結婚してくれとかは嫌なんですけど……ごめんなさい」

「なんで私がアンタのことが好きって前提になってるのよ。しかも秋太負けてるし」

「おっと、本能が警戒してたんで。いや~人間、本能には逆らえないとはよく言ったものです」

「ホント、生意気。こんな美人なお姉さんが告白して来たら、それは狂喜乱舞するところでしょ?」

「ええ、嬉しくて木に藁人形と五寸釘を打ち付けますね。なんなら祈祷とかしちゃいます。払い給え~清め給え~」

「それは狂気。乱舞の方は間違ってない気もするけど、私に対して失礼過ぎ」

 

 二人の話が脱線しかけていると、雪乃が短くため息をもらす。

 

「二人で漫才がしたいなら、相応の場でやってもらいたいのだけど」

「姉乃さんがボケるから」

「秋太がボケてるから」

「それ、ちょっと意味が違いませんか?」

 

 八幡のツッコミが入るが、陽乃がにっこり笑って黙らせる。

 

「で、お二人は一体何の勝負をするんですか? もう夜だし、外でテニスって訳にも行かないですよね?」

「めぐり先輩、心配ご無用。これはゆっきーへの愛を測る勝負」

「あ、愛っー!?」

 

 結衣がなぜか一番動揺している。あわわと秋太と雪乃を交互に見て、顔を真っ赤にする。

 

「そう。お姉ちゃんたる姉乃さんなら当然勝てるはず。こちらが勝負を提示しているわけだし、相手に有利な条件で始めてあげないと、不公平になっちゃう」

「この私にハンデ? 自殺行為もいいところね」

「姉さんがそう言うと、本当に秋田くんを殺しかねないから不思議よね。気を付けてね、秋田くん。負けたら川に身投げよ」

 

 雪乃が放り込んできた爆弾で、八幡と結衣が「ひっ」と距離を開ける。

 

「こらこら、私を狂人にするなー。もう雪乃ちゃんはホント、酷いんだから」

「……ちょっと本気で実行するんじゃないかとドキドキした。さすがは姉乃様」

「比企谷くん、ガハマちゃん、これは軽い冗談だから。秋太がふざけてるだけだから。だから、そんな人を化け物を見るような目で見るのは止めて欲しいなー。さすがの私も傷つくから」

 

 陽乃の言葉に二人は慌てて謝るが、一旦できてしまったイメージを拭い去るのは難しいらしく、二人して震えている。陽乃が微妙に顔が引きつり、雪乃はお腹を押さえて可愛く笑っていた。

 

「……で、勝負の内容は?」

 

 旗色が悪いと、陽乃が話を元に戻す。

 

「ルールは簡単。今から俺とゆっきーが姉乃さんに声を掛けます。どっちが本物のゆっきーかを当ててください」

「いやいや、さすがに秋太と雪乃ちゃんを間違えるわけ――」

「姉さん、本当に間違えないのかしら?」

「「え?」」

 

 秋太を除く全員が、ぽかんと口を開ける。秋太の口から絶対に聞こえない、女性的な声が聞こえてきた。しかも、自分たちがよく知る人間の声だ。驚きで言葉がでないのも無理はない。

 

「俺の47ある都道府県の一つ、声帯模写」

「お前は全国に一人いるのかよ。それ、特技ってレベルじゃねぇぞ。ビックリ人間だ」

 

 八幡が少しばかり興奮している。

 

「昔、漫画を読んでて、できるんじゃないかって思ってやってみた。自分は出来る、天才なんだって思い込んだら意外とできた」

「暗示のレベルでもないんだけど……」

「ちなみに、中学生の時、俺はこの特技を使って、悲しい事件を起こしてしまった」

「な、なにしたの?」

 

 結衣が緊張の面持ちで秋太に尋ねる。

 

「当時、校内でもやんちゃでイケイケ系で通っていた九十九里くん。ちょっと怖いけど、美人でモテてたギャル系女子あーしに告白したわけだ。で、あっけなくフラれたわけだけど、何をどうとち狂ったのか、告白したのは俺だという噂を校内に流すわけだ」

 

 本来なら告白など個人間で行われるものであり、それが成功しようとしなかろうと二人の間の話でしかないのだが、プライドの高い人間というのは自分が敗北者であることを認めることはできない。だから、自分の評価が下がらぬようにスケープゴートを用意するのだ。

 

「大方、クラスでいつも一人でいる俺なら、自分の恥を擦り付けても大丈夫だと思ったんだろう。反論されてもどうとでも丸め込める自信があったんじゃないかな。しかも運悪く、告白された女子がインフルエンザに掛かってしまって、学校を休んでいたのが、噂の拡散を大きくしてしまった」

「あ、それ俺も経験ある。何もしてないのに、女子が泣いたら俺の所為みたいな噂が流れるんだよなー」

「比企谷くんのそれは本当に比企谷くんの所為で泣いていたのではないかしら? きっと席が隣同士になってしまったのね、可哀想に」

 

 雪乃の言葉に、八幡が沈む。

 

「で、九十九里くんの友達も、なぜか便乗してくるわけですよ。九十九里くんの名誉を守りたかったのか、脅されたのかは分からないけど。で、放置してたら学年中に知れ渡るはめに」

「あー、なんか中学の頃って、普段目立たない系の子が告白とかしちゃうと、すぐに広まるよねー。うちの中学でもそういうの有った」

「由比ヶ浜さん、いくら秋田くんが目立たない男子であっても、それを本人の前で言うのは失礼よ。もう少し気を遣ってあげて」

「お前が遣え」

 

 秋太が雪乃を睨むが、雪乃は澄ましたように笑うだけだ。

 

「で、変な目で見られるのが鬱陶しかったから、校内放送で事の真相をバラしてやった。もちろん九十九里くんの声で。二日後、彼は別の学校に転校していったよ。悲しい事件だ」

「その九十九里くんとやらに同情はしないけど、貴方もなかなかやるのね」

「叩くなら相手の心をへし折るまでって姉乃さんの言葉を実践したまで」

「言ってないわよっ! その頃、私とアンタは出会ってもいなかったじゃない」

「大邪神、ハルーノのお告げ」

「人を人外にするな」

 

 陽乃は近くにあったお手拭きを、秋太に向かって投げつけた。簡単に躱されてしまったが。

 

「で、俺の特技の素晴らしさを理解してもらったところで、姉乃さん、勝負しますか? まあ、逃げてくれても良いんですけどね。姉乃さんが家族としてゆっきーを愛しているなら、こんな楽な勝負に負けるはずがないとは思いますけど」

「ふっふっふ、その挑発受けましょう。私の雪乃ちゃんへの愛を確かめるいい機会」

「姉さん、気持ち悪いから、20mくらい離れてくれないかしら?」

 

 姉を全力で拒絶する妹。周囲が「仲悪いなこの姉妹」と思考が一致した。

 

「では、目隠し――はないから、伏せ」

「アンタ、後でぶっ飛ばす」

 

 秋太に悪態をつきながら、陽乃はテーブルにうずくまる。これで二人のどっちが喋っているかは見えない。

 

「ではゆっきーはこっちに。位置で判断されても困るからね」

「ちっ」

 

 露骨な舌打ちが、陽乃から聞こえたが秋太はスルーした。

 

「めぐり先輩とガハマちゃんも目を閉じてて。二人はすぐに反応して声を上げそうだから、それでバレる可能性がある。八幡は……好きにしてて」

「俺だけ扱い酷くね?」

 

 結衣とめぐりは秋太の指摘に自覚があったのか、二人して目を合わせると、一つ頷いて目を瞑った。八幡は不満そうに、テーブルに肘をつき、手の上に顔を乗せて秋太達をみる。

 

「では……姉さん」

 

 雪乃の声が部室に響き渡る。

 

「今のは紛れもなく雪乃ちゃんの声」

 

 陽乃が確信めいた反応をするが、次の瞬間その確信が音を立てて崩れていった。

 

「姉さん……」

 

 全く以って瓜二つの声が、部室に響き渡った。

 目を閉じて聞いて居ためぐりと結衣も一様に首を傾げ、どちらが本物なのか分からない様子だ。

 

「い、今のも……雪乃ちゃんの声」

「さあ、どっちが本物でしょうか? 本当にゆっきーが好きなら、違いなんて簡単にわかるでしょ? まさか分からなくて俺を選ぶなんて止めてくださいよ。ゆっきーがショックのあまり寝込むかもしれません」

「寝込まないわよ」

 

 陽乃は必死になって考える。雪ノ下陽乃の人生の中でこれほどの選択場面があっただろうか? 秋太か、それとも雪乃か答えは二つに一つだ。

 出だしを考えれば秋太の可能性が高い。だが、秋太の性格を理解している陽乃はそれが罠だと確信している。

 わざわざ周囲の反応を消すような行動をとっておいて、そんな初歩的なミスは犯さない。

 だが、それで雪乃と答えて良いものかどうか。裏の裏ということもある。罠と思わせておいて、実は本物でしたなどというのは、秋太ならやりかねない。

 そう思ってしまうと、選べない。迷った挙句、陽乃がとった行動は、

 

「も、もう一度お願い」

 

 泣きのもう一回をお願いした。

 

「全く、本当に全くだよ。俺と姉乃さんの仲だからやってあげるけど、だらしないぞ。本物の愛を示してよ。ただ少し条件が変わるけど良い?」

「問題ないわ。雪ノ下陽乃に二言はない」

 

 雪ノ下陽乃史上最高の集中力を発揮する。全神経を聴覚に集中させ、どんな些細な違いも聞き取ってやると、気合を入れる。

 

「大嫌いよ、姉さん」

 

 先程のようにその声は雪乃の声だった。その内容は大きく変わり、陽乃を攻撃してきているが。しかも割と本気の声色であるため、陽乃が胸を押さえて苦しむことになる。

 これが少し変えた条件かと、なかなかのダメージに陽乃は納得した。

 

「大嫌いよ、あ、姉さん」

 

 一瞬の油断。姉さんと言おうとした瞬間に詰まらせてしまった、一声。男にしては少しばかり高いが、それは紛れもなく男の声だった。

 陽乃はがばっと起き上がり、満面の笑みを浮かべた。

 

「フフフ、油断したね、秋太? いくら声真似が上手くても、今のは誤魔化せない♪」

「ちょっと待て。今の無し」

「見苦しいわよ。真剣勝負に待ったなど存在しない」

「雪ノ下さん、さっきもう一回を使ってましたよね?」

 

 八幡が冷静にツッコんだが、ニッコリと笑ったまま、八幡の方を見て、陽乃は黙らせた。

 

「最初に言った方が、雪乃ちゃん」

「本当にいいの? 誤解しているという可能性があるよ。もう少し考えた方が……」

 

 秋太も必死の抵抗を試みる。なんとか、陽乃に答えを変えさせようとしていた。

 

「諦めが悪いぞ♪ この陽乃様に二言はないのであーる」

 

 胸を張り、豊満なそれを見せつける。勝ち誇った顔も忘れないのが陽乃だ。

 だが、その言葉を待っていた男がいる。焦りの表情から一転、いやらしい笑みを浮かべた。

 罠にかかった。その顔はそう言っているようだった。

 

「あ~あ、折角のチャンスだったのに」

「は、ハッタリ? この場面でそれは中々だけど、さすがに誤魔化せないわよ?」

「じゃあ、答え合わせを。公平を期すために、スマホで撮影しておいたから。どうせ八幡の言葉じゃ信じないでしょ?」

「おい、さらっと俺の信用度を公開するんじゃない」

 

 テーブルの上に立てかけられていたスマホ。

 動揺していた陽乃だったが、これで自信を取り戻す。

 私が負けるはずがない。そう思って、スマホを覗く。

 

「…………」

 

 陽乃絶句。私もとめぐりと結衣もスマホを覗き込み、そして陽乃と同じように言葉を失った。

 画面に映る存在は秋太と雪乃。だが、雪乃は秋太の一歩後ろに控え、何も言葉を発していなかった。

 

「雪乃ちゃんがしゃべってないじゃないっ!」

 

 そう、最初に声を発したのも、後にわざとらしく失敗したのも、どちらも秋太だった。

 

「だって、少し条件を変えるよって言ったじゃん。その条件を貴女は呑みましたよね?」

「でも、言った内容が変わって……は!」

「気づきました? 最初から俺かゆっきーが貴女に声を掛けるというのが勝負内容です。声の掛け方に制限なんてない。だから俺はルールに違反していない」

 

 秋太は笑みを深めていく。

 

「で、条件変更を求めて、貴女はそれを受け入れた。だから俺が二度声を出してもなんら問題ないわけですよ。一応は止めましたよ? 本当に良いのかって?」

 

 確かに秋太は止めてはいたが、普通誰もそんなことは考えない。性格がねじ曲がっている秋太ならではと言える。

 

「まぁ、良いよ、俺が卑怯だと罵ってくれても。でも、姉乃さんが最愛の妹と俺の声を間違えたという事実は変わらない。ほら、ゆっきーも悲しそうだ。男の声に間違われるなんて、さぞかし彼女は心を痛めているだろう。姉乃さん……最低だね」

 

 雪乃は悲しんでいなかったが、そのフリだけした。秋太の視線に、しっかりと反応した彼女のファインプレーだ。

 

「ち、ちがうの、雪乃ちゃん! これはちょっとしたまち――」

「間違いなんて言わないよな? 陽乃様に二言はないって言ったのは、貴女ですよ? 本当、最低だよ。人に嫌がらせをする前に、最愛の妹を気遣った方が良いですよ」

 

 ここぞとばかりに、秋太は責め立てる。

 動揺し、心を乱した者には、逃げる状況を許してはいけないのだ。

 敵は確実に仕留める。これが彼なりの流儀だ。

 

「きっとゆっきーは今日の夜、悲しみで枕を濡らす羽目になるだろう。男の声と間違えられたゆっきーの悲しみは想像を絶するね」

「…………」

 

 陽乃は何も言えなかった。ただ悔しそうに、秋太を睨む。若干、涙目になっているのが、雪乃には衝撃的だった。そんな姉の様子を初めて見たのだから。

 いつも自信に溢れていて、それでいて本心は絶対に人に悟らせない。

 強い人、それが雪乃の陽乃に対するイメージだ。

 だが、目の前で悔しがっている陽乃は、どこか自分に似た印象を受ける。負けたことが悔しくて、でもプライドが邪魔して何も言えないところがそっくりなのだ。

 

「ね、姉さん」

 

 思わず、そんな姉に声を掛けてしまった。姉の姿を見て動揺していた。それがいけなかったのだろう。陽乃には本当に雪乃が落ち込んでいるように見えてしまった。そんな妹の言葉に耐えられなくなったのか、陽乃は「ごめんね」と一言だけ残して、自分の部屋に戻っていった。

 

「あんなはるさん、初めて……私、ちょっと行ってくるね」

 

 めぐりは陽乃の後を追って、去っていく。

 

「姉乃さん、ゆっきーのこと本気で好きだったんだね」

「……そうかしら?」

 

 珍しく雪乃が嬉しそうにした。お互いに嫌っていると思っていた。だけど、先ほどの陽乃は素であったと雪乃は確信している。

 自分に謝ったときの、弱々しい陽乃を見て、本当に悔しかったのだと分かる。そして何より、本当に自分を大切にしてくれていたんだと分かる。

 

「なんかイメージ変わったな。雪ノ下を苛める姉って感じがあったからな」

「私もー。陽乃さん、凄く良いお姉さんだったんだね。ゆきのんとかアッキーを苛めるだけじゃなかったんだ」

 

 二人の陽乃のイメージは相当ひどかったのだと、雪乃は少し姉を気の毒に思う。

 

「ゆっきー。勝つって言うのはこういう事だよ。どんなくだらない勝負でも、相手に負けを認めさせれば勝ちなのさ。ふふーん」

「女性を泣かせておいて、どうして勝ち誇れるのかは分からないけど、貴方の言いたかったことはなんとなく分かったわ。まあ、こんな勝ち方は貴方にしかできないでしょうけど」

「勝ったものが正義。なんて素晴らしい言葉」

「では、私と勝負しましょうか? そうね。頭脳戦の得意な秋田くんにはチェスなんていいんじゃないかしら?」

「なにそれ、ルールとか知ら――」

「逃げるのかしら?」

 

 雪乃の挑発的な笑みに、秋太は軽々と乗った。

 

「負けたら、語尾ににゃんって付けて一日中話させてやる」

「ふふ、無理なことは口にするものではないわよ」

 

 それから10分後。秋太は完膚なきまでに叩きのめされた。当然だ、ルールなど知らないのだから。見よう見まねで、駒を動かしただけで勝てるはずがない。秋太も陽乃と同じで、変な意地を張り通したのが仇になった。

 

「勝った者が正義。とてもいい言葉ね?」

 

 悔しがる秋太を見て、雪乃が見下すようにそう言って笑った。

 

「おいおい、雪ノ下さんがなんか覚醒しちゃってるけど。あれ、やばくね?」

「ゆきのん、超良い笑顔なんですけど! あんな楽しそうなゆきのん、初めて見たよっ」

 

 今までにない雪乃の笑顔を見て、結衣と八幡が魅入ってしまったのは、仕方がなかったのかもしれない。

 

 


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