今回は流されてきた彼女の話になります。
また、今回のお話は少しばかりお辛い気持ちにさせてしまうやもしれません。
それでもよろしければ、どうぞごゆっくりと。
「ここ……どこ……。」
一人の少女が目を覚ます。
誰もいない砂浜でたった一人。
機械を背負ってただ独り。
いったい彼女はなんなのか。
どこからやってきたのか。
それは少し前に遡る。
「やばいな……。」
火が燃え上がり、暗い空を赤く染める。
彼女の目の前には軽巡洋艦『天龍』の名を持った少女の背中。
お互いに艤装と呼ばれる武器を背負い、たった二人で海の上にいた。
「天龍、このままじゃ!」
「分かってる!」
粗暴な見た目に反して普段の天龍は滅多に怒らず、少々乱暴ではあるもののいつも優しく褒めてくれた。
そんな彼女が今までになく苛立たしげに放つ返事がどれほど深刻な状況かを教えてくれていた。
あの日、彼女の暮らす鎮守府は襲撃を受けた。
彼女の生まれは小さな鎮守府だった。
なんてことない安っぽい場所だった。
少ない仲間と頼りない上司に囲まれて。
出撃も遠征も碌にやらせてもらえなくて。
それがとても幸せで。
心を開くのに時間はかからなかった。
皆を守るために一生懸命頑張った。
家事もたくさん覚えた。
好きな人だってできた。
だからこそ全てが地獄に変わった光景がどこか絵空事のようで。
きっと何かの間違いだと言い聞かせたくても、周りの景色は悪夢から変わらない。
夢が、醒めてくれない。
彼女は遠征任務の帰りだった。
天龍の他、あと4隻の仲間がいた。
彼女たちの担当する海域は敵のほとんどいない海域で、所謂前線とは違って功績なんてまともに残せた試しがない。
それでも年月を重ねて前線にも劣らない実力を身につけたつもりだった。
その日だってみんなでいつも通り馬鹿なことを言い合いながら護衛任務に就いていた帰りで。
夜も更けていたが輸送船を引き連れて帰るだけの慣れた仕事の筈だった。
「ねぇ、あれ……。」
遠目でも分かる、焼け落ちていく鎮守府が目に入るまでは。
「何で……どうして……。」
鎮守府から離れた位置で、彼女と天龍は輸送船を守っていた。
他の4隻は現状の把握と鎮守府の救援のために急行した。
砲撃と爆発の轟音が響いてくる。
その度に足が何度動きそうになっただろう。
本当はすぐにでも向かいたかった。
輸送船なんか放っておいて提督の安否を確かめたかった。
許されるわけがなかった。
輸送船に人が乗っていることを知っていたから。
守らなければならないのは人だったから。
「とにかく移動を開始するぞ。敵襲なら近くに敵がいてもおかしくない。物影でも何でもいい、乗組員を避難させるんだ。」
どこまでも険しい顔の天龍の言うことは正しくて、彼女はただそれに従うしかなかった。
幸か不幸か、海の上には彼女達に以外には誰もいない。
可笑しな話だ。いつもならば警戒一つせずふざけ合いながら通っていた海路だというのに。
今では何もかもが心細いのだから。
「やばい、燃料が残り少ない。」
それは遠征帰り故の必然。
補給などできるはずもない。
このままでは戦闘にも支障が出てもおかしくなかった。
「クソッ!このままじゃいずれ立ち往生かよ……しゃーない、お前は輸送船に乗れ。ちゃんと挨拶忘れんなよ。」
「あんたはどうするのよ。」
「幸いにも少しはもつ、遠征の報酬には燃料がないし、流石に輸送船の燃料を抜き取るのもダメだろ。」
「……燃料、尽きたらどうするの?」
「そん時ゃ全力で暴れるまでだ、腕がなるってもんだな。」
天龍は笑っていた。
それがやせ我慢の空元気なのはすぐに分かった。
あまりに辛そうな笑顔が見ていられなくて顔を反らした。
大人しく輸送船に乗り込むことしか、彼女に出来ることはなかった。
乗組員の人達は、彼女を励ましてくれた。
彼らもまた、海の上で共に修羅場を潜り抜けてきた戦友だ。
しばらくして、彼らが気を遣ってくれたのか一人になっていた。
そして甲板の上で、ちょうどよく海を走る天龍を見た彼女は無線で話しかけることにした。
どうしても、聞きたいことがあったのだ。
「……ねぇ、天龍。」
「あん?」
「どうしてあんたは向かわなかったの?」
天龍は遠征艦隊の旗艦だった。
責任感が強いのはよく分かっている。
でもだからこそ真っ先に駆けつけたかったはずだ。
自身を救援艦隊の方に分けることもできた。
だがそれをしなかった。
「……大人ってのは引き受けた仕事を最後までこなすもんなんだよ、俺みたいにな。」
天龍は背中を向けてそう語る。
彼女はそれ以上言及はしなかった。
ただ小さく、そう、と呟いただけ。
「お前にもいつか分かるさ。」
天龍はそれを少し違う意味に捉えたようだった。
分からない訳じゃなかった。
ただ受け入れきれなかっただけで。
「だからな」
直後の爆音。
揺れ。
水柱。
それに飲まれる天龍を見て。
「天龍ッ!!」
彼女が叫ぶのは必然だった。
(どこからッ!?艦影が確認できない!!)
そう、唐突。
あまりに唐突だった。
砲撃音も敵影もなかった。
艦載機の音だってしなかった。
(まさか潜水艦!?今までこの海域にはいなかったのに!)
あまりにも最悪なタイミングだった。
2度目の爆音。
船体が大きく揺れる。
先程の比ではない衝撃。
体を支えきれず海に投げ出されて初めて理解する。
輸送船への魚雷直撃。
瞬時に理解した。
敵に、捉えられた。
「ゲホッ!ぐ……無事か!」
「天龍!?だめ!輸送船がやられる!」
天龍の姿は満身創痍で、どうやら運悪く大破まで持ち込まれてしまったようだ。
唯一無事なのは燃料が切れかけの自身のみ。相手の姿は見えず、打開する武器もない。
「まずいな……。」
現状を表すのなら、その一言がすべてだった。
「天龍、このままじゃ!」
「分かってる!」
悲鳴にも似た怒号が響く。
逃げ切れるわけがない。
そんなことは天龍にも分かっているはずなのに。
それでも尚その目は燃えていた。
憎悪に。闘志に。
それは、彼女が動くには十分な理由だった。
「……天龍は下がってて。」
「なっ!待てっ!ぐぁ……くっ」
守るもののために前に出る。
傷付いた天龍には彼女を止める力はなかった。
これでいい。
少しでも狙いをこっちに向けられれば。
勝機は生まれるはずだ。
「さぁ、来なさい、
彼女は覚悟を決めた。
命を賭けることを。
生き抜くことを。
死に逝くことを。
「朝潮型10番艦、『
泣くような大きな声を張り上げて。
途端、頭に何かが当たって、爆発した。
激痛。
世界が揺らぎ、歪む。
一瞬にして全身から力が抜け、感覚が消える。
「あ、え……え?」
「霞ッ!!」
誰かが叫んだ。天龍?体の自由は、効かない?
動かせないほどのダメージを、どこから?
仰向けに倒れようとする体は、視界を空に向ける。
そこでようやく。
天龍を大破させ、輸送船に穴を開け、自身の頭を吹き飛ばした相手の正体に気付く。
夜の闇に紛れ空を飛ぶ、無音の艦載機。
僅かに見える黒い影。
「く、うぼ…………」
「霞しっかりしろ!霞!!」
海へと倒れる前に天龍が体を支える。
「てん、りゅ……そ、ら……」
「分かってるから喋んな!!」
天龍は残った僅かな副砲を空に向け、ばらまくように撃ち始める。
どれほどの効果があったかは分からないが、すぐさま第2波がやってくることはなかった。
「こいつを引き上げてくれ!!頼む!!」
いつの間にか輸送船のすぐ隣まで移動していたようだ。
艦上から分かったと乗組員の声が聞こえる。
そのままするすると下ろされてきた担架か何かに寝かせつけられた。
「まっ、て……てん……」
視界がぼやけ、体は動かせない。
それでもこのまま自分だけ戻れば、天龍がどんな行動に出るかは分かった。
「大人しくしとけ、艦載機は俺が片付ける。」
やっぱり。
それだけはだめだ。
このままでは天龍も。
「だめ、わた、しも」
「お前は休め、頭への直撃だ、指も動かせないんだろ。」
「や、だ」
「我が儘言うんじゃねぇ、旗艦命令だ。」
「て、ん」
「頼んだぞ!!」
その一言を最後に、会話は打ち切られた。
自身の体は引き上げられ、天龍は背を向ける。
あんまりじゃないか、天龍。
あんたがやろうとしてることは。
「船長!」
「もうだめだ……」
「いやだ、いやだ!」
船内に運ばれれば、乗組員たちの声が聞こえた。
恐怖と混乱が渦巻いている。
「船長!この船はもうダメです!脱出を……船長?」
船員の一人が必死に一人の男性に訴えかける。
船長、と呼ばれた中年男性はそれを無視して大きな木箱を開けようとしていた。
「何やってんですか!早く脱出を」
「どうやってだ。」
静かな、それでいて力強い声が返ってくる。
「深海棲艦相手に、どうやってだ。」
もう一度、静かな声が返ってくる。
「でもこのままじゃ……それじゃあ俺達はどうすればいいんですか!!」
「この子を逃がす。」
この子とは、彼女、霞のことだった。
この言葉を聞いた誰もが絶句した。
問いかけた船員も、霞自身さえ。
「何言ってんですか!?逃がすって……そんなことしてる暇があったら早く逃げ」
「逃げられるわけがねぇだろ!!」
怒号。
混沌と絶望が騒がしくする中での絶叫。
辺りが静寂に包まれる。
「あいつらは何であろうと人間を殺そうとしてくる、この状況じゃどうあがいたって俺達は助からないんだよ……っ」
「そんな……そんなことまだ」
「死ぬんだよッ!!俺達はッ!ここでッ!!」
それは悲痛な叫びだった。
「なら託すしかねぇだろ、人類の未来をッ」
希望を打ち砕かれた兵士の。
「俺達の無念をッ!」
それでもなお絶望に落ちない戦士の。
「『
最期の咆哮だった。
待ってくれ、と。
霞は止めたかった。
「俺達は助からねぇ、だがこの子だけは、人間じゃねぇこの子だけは、もしかしたら助かるかもしれねぇ。」
あなた達を守るために生まれてきたのに。
あなた達の未来を守るためなのに。
「この箱の中なら、もしかしたら、もしかしたらあいつらの目を欺けるかもしれねぇ。」
何故あなた達が犠牲にならなければなれないの。
どうか、どうか逃げて。
「確証なんてねぇ、根拠だってねぇよッ」
お願いだから。
「でもやるしかねぇんだ、これしかねぇんだよッ!」
死なないで。
「みんな、みんなは…………。」
途切れゆく意識の中で覚えているのはそこまでだった。
そして、こうして生きているということは。
「そんな、そんなの、嘘よ……。」
砂浜にはたった一人の少女。
帰る場所は無くなった。
大切な仲間は囮になった。
守るべき人達は犠牲になった。
そうして
【復讐】ふくしゅう
憎悪をもって仕返しすること。
罪と見なされるもの。
否定するくせに無くしきれないもの。