お目を留めていただきありがとうございます。
ごゆっくりどうぞ。
日の差さない曇り空。
今にも雨が降りそうなじめっとした空気。
その日、砂浜にはある異変が起きていた。
彼女がいつもの日課をこなすために砂浜へと赴くと、そこには大きな異物が一つ、堂々と置かれていた。
近づけばそれが何かはすぐに分かった。
彼女の腰ほどもある大きめの木箱。
しかもそれほど古くはないようで、波打ち際で波に曝されながらもしっかりと形を留めている。
昨日はそれほど海が荒れていたのだろうか。
だがそこは収集癖に生きてきた彼女。
そんなことを考えながらあろうことかその不自然な箱を横目に砂に埋まる弾薬を拾い集めていた。
全てにおいて優先されるは己が生き甲斐ということか。
一通り弾薬を集め終えた彼女はようやく箱に手をかけた。
周りは綺麗に砂だけになった。
ならば後は、と持ち上げてみることにした。
ずしりと両腕に掛かる負荷に内心彼女は驚いた。
──予想以上に重い。
深海棲艦である彼女は世間一般で言う『
怪物、人外などと呼ばれるように、彼女もまた人ならざる身体能力を持つ。
例えば鋼材がみっちり詰まったドラム缶程度なら難なく運べるほどに。
そんな彼女が驚き、あまつさえ重いと腕に力を込めること事態がその木箱の異常性を物語っていた。
いくらなんでもおかしい。
ようやく木箱に興味を抱き、その蓋に手をかけ力を込めて遠慮なくひっぺがす。
ばきりと蓋がひしゃげる音がした。
そうして過剰な重量の正体を知るべく箱の中へと顔を覗き込み。
「びゃっ」
彼女の口から引きつった悲鳴が漏れた。
この時ヲ級、初めての発声である。
記念すべき奇声を発した木箱の中身。
それはうずくまって動かない、小さな女の子だった。
彼女は誰にも会ったことがない。
たった一人で永い時を生きてきた。
何年にも渡り孤独の中に囚われていた彼女は、自らがなんなのかを終ぞ知ることが叶わなかった。
知るはずがないのに。
彼女はそれがなんなのかすぐに理解できた。
いや、名前は分からない。
分からないが少女がどんな存在かは分かってしまった。
これは『私を殺す存在』なのだ。
嗚呼、そうか。
道理で悲鳴が出るはずだ。
危機感よりも、何故か悲しみの感情が前に出た。
もしかすれば彼女とて生まれた頃は、有象無象と同じ憎しみと敵意に身を染めていたのかもしれない。
もしかすればかつて彷徨っていた理由は悪意をぶつける為だったのかもしれない。
だがそれも、孤独と時間が解決してしまったのだろうか。
今となっては分かることはなにもないけれど。
その小さな女の子を見た彼女の心の中に湧いて生まれたものは。
深い憐れみと、僅かな感謝だった。
今日まで出会わないでいてくれて、ありがとう、と。
もしもっと早く
さて、彼女の膝ほどある大きな箱と言えど、人が一人入るとなると相当狭い。
さらにいえば少女は背中にその身には不釣り合いな大きな機械を背負っていた。
必然的に箱の中で膝を抱えるように身を縮こまらせていた。
だが相当乱暴に蓋を開けたにも関わらずぐったりとしており動かない。
早くも彼女は箱の中身の対処に困り始めていた。
弾薬集め以外の知識が皆無では無理もないだろう。
砂浜に置かれた異物が箱だと分かったが、その中には機械と少女。
彼女にとっては酷く出来の悪いマトリョーシカなのだ。
とてもじゃないがまともな思考は追い付いてこない。
しかしそこで彼女は一つの可能性に行き着く。
─もしかしたら。
慎重に、ゆっくりと箱を持ち上げ、ずらすように動かしてゆく。
ざりざりと音を立てるそれに内心冷や汗をかきながらも、少しずつ、少しずつ。
ちょうど一箱分ずらしきったところで、ようやく彼女はその手を止めた。
そして。
彼女の思惑通り。
先程まで箱が置いてあった場所には。
弾薬が一つ埋まっていた。
ヲ級、これにはガッツポーズ。
ご機嫌に拾い上げ、帽子の中に仕舞う。
これで今日の分は全て回収できたと満足げだ。
箱入り娘問題は棚上げしていることにも気づかずに。
いい汗をかいたことがきっかけなのか、再び彼女の中で一つの考えが浮かんだ。
直後、その何気ない思考は電流となって名案をもたらした。
そういえば最近入りきらなくなってきたなぁ。
箱、入れ物にちょうどよくない?
そう、彼女は木箱の中身ではなく、箱そのものに注目したのだ。
こうしている間にも中にいる少女は顔色の悪いまま、下手をすれば生命に関わる状況なのかもしれないというのに。
あろうことか、そう、あろうことかこの弾薬収集中毒者ヲ級は。
新たな弾薬の保管方法を思案していたのだ。
しかしそれも無理のないこと。
彼女は知らないのだ。
命とは危機に陥ることがあることを。
生命が失われる可能性があることを。
そうと決まれば彼女の行動は早かった。
動かないちびっこなど恐るるに足らず。
やる気に満ちた無表情は止まることを知らず。
彼女は少女の脇を抱えて箱から持ち上げた。
ずしり。
箱を抱えたときと同じ重さが腕に掛かった。
成る程、と改めて納得する。
原理は分からないが箱の異様な重さはこの少女が原因らしい。
ならば箱自体は何ら重くはないはずだ。
内心小躍りしそうなのを押さえながら、少女を引きずるように箱から引っ張り出す。
本当に幼い少女だ。
まだ15も迎えていないであろう童顔は、見目麗しくとも愛らしい。
どうやら、流石に放り出してそのまま捨て置くのは、彼女と言えど気が引けたようだ。
とはいえ戻すわけにもいかないので、一番近場の木陰に寝かせることにした。
木箱を貰うお礼に、空が曇っていることも考慮して雨に濡れにくい場所を選んだ。
このあと少女が目覚めたとして、この島でどうしていくかは分からないが、少なくともこれ以上のことは彼女には出来そうになかった。
眠る少女の前髪を優しく撫でたあと、箱を抱きかかえる。
今度は羽のように軽かった。
帰り道。
空は相変わらず灰色で、彼女は相変わらず無表情のままだったが。
その足取りは軽く、後悔や憂いといったものは感じられない。
むしろとても軽やかでリズミカルだ。
例えるならば。
どれくらい集まったのかな。
どれくらい入るかな。
なんて気持ちが込められていそうなくらいには。
「ん……ぅ……」
【異形】いぎょう
まともな姿をしていないもの。
貧しく卑しいもの。
人の心。