四季映姫・サカノボルゥ   作:海のあざらし

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被暴露之伍之壱 伊吹 萃香

 えーと、この辺りだね。夜な夜な人魂が彷徨い出るって噂になってるのは。もし本当だってんならほっといて悪霊に転じちまうかも知れない。そうなりゃ事後処理も責任請負も渡し賃払わずにあたいの肩に乗りかかってくるから、できれば今日のうちに事の真偽を確かめて、真の方なら地獄へ連れていきたいところなんだけど。

 

 あたいならきっちり金払ったうえで四季様にでもお渡しするのにねぇ……っと?あそこに見えるのはもしかして。

 

 やぁ、美鈴(メイリン)。こんばんは、こんな時間まで門番業務ご苦労さま。あたいが今何してるのかって?いやね、実はこの辺りで人魂と思しきものが夜毎に出るって聞いてね。職務上見ぬ振りして確認しないわけにもいかないから、様子を見に来たのさ。

 

 まぁ、閻魔様の目の届く範囲でぷちぷちと細かい作業こなすよりは誰に見咎められるようなこともなく体を動かして魂一つ探す方が、まだ体もほぐれるし気も楽だから良いけどね。…あぁいや、違うよ。今日の昼時にたまたま入った里の団子屋があってね、そこの店主と喋ってる時に話題に上がってきたんだ。今日のあたいは閻魔様直々のご命令があってこっちに来てるってわけじゃないのさ。

 

 サボりじゃないさ、私の務めとして当然やらなくちゃならないことをやってたら偶然職場に帰るのが遅くなるだけだよ。人聞きの悪いことを言わないでおくれ、他意は無いんだから。里に立ち入って団子屋に寄ったのは……アレだよ、英気を養いに行ったのさ。つまり必要な休息ってやつだ。

 

 それに、あんたはあたいの()()()()をどうこう言えやしないはずだ。なんたってあんた、下手すりゃあたいより多く船漕いでるもんねぇ。頭で縦に横に斜めに、豪快に。あたいもあんな勢いのある漕ぎっぷりは見習いたいくらいさ。

 

 でも、これがもしあのちっこい割には威厳を出したがる館の主様に露見しちまえば、果たしてお説教だけで済むかねぇ?いやいや、私は告げ口をするなんて一言も言っていないじゃあないか。やだなぁ、勘違いは御免だよ。確かにしないとも言った覚えはないけど。

 

 はは、なーんてね。そんなに顔引き攣らせて冷や汗かかなくても、他ならぬあんたとあたいとの仲じゃあないか。余計な気を使わずに休憩談義のできる相手ってのは存外少ないんだ、このことは黙っておくから今後もよしなに頼むよ。

 

 ところで美鈴、あんたはこの辺りで人魂とか見たりしてないかな。…ありゃ、見てないかい。この時間まで外にいるんなら、もしかしてちらっとでも見てたりしないかなと思ったんだけどねぇ。

 

 や、気にしないでおくれ。でも困ったねぇ、本来やるべき仕事すっぽかしてまでこっちに来て、それで何の成果も得られずにすごすご帰るってなると、まーた閻魔様にどやされる。3時間正座しっぱなしで雷を落とされ続けたら足がびりびり痺れちゃうよ。

 

 美鈴も経験あるんじゃない?足の痺れすら感じ取れなくなって、本当に足が付いているのかふと不安になる瞬間が。…やっぱり。アレ痛くないけど嫌なんだ、背筋が冷える感覚だから味わいたくないんだよ。あ、そうそう!説教終わって足見たら、たまに血止まってるなーコレって感じの赤紫色してる時あるよね!それでまぁ痛みとかないしいけるかと思って立ち上がったら、その瞬間に足えげつない方向に捻ってこけるよね。分かる、凄く分かるよ美鈴。やっぱりあたいたち、似たもの同士なんだ。

 

 …おっと、あまり喋り過ぎてて館のヤツらに見られると不味いね。あたいは一瞬で逃げられるから良いとして、美鈴が怒られちまう。それじゃああたいは人魂探しに戻るね、また時間が空いてたら話をしに来るだろうからその時は宜しく頼むよ。

 

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 うーん、こっちの方にもいないか。幽霊の類は総じて涼しい場所を好むから、この湖のほとりにでもいるんじゃないかと踏んだんだけど。まだ木の多い側を探してないし、そっちを見てくるか。

 

 にしても、幻想郷は空気が澄んでて余計なもの混ざってないから月も綺麗に映えるね。こんなまんまるお月様が顔見せてくれてる夜は、友とゆっくり酒でも酌み交わしながら徒然事に花を咲かせたいものだよ。

 

 

 

 

 

 ()()()()()

 

 ……いやあのさ、そうですねって同意してくれるのは嬉しいんだけど、あんた自分の仕事はどうしたんだい。仕事、そう仕事だよ。紅魔館を侵入者から守る門番っていう大役仰せつかってるんだろう?

 

 ちょっとくらい抜けてもバレないってねぇ。…まぁ、そうかも知れないけれども。でも良いのかい、あたいの記憶が正しければ吸血鬼ってのは夜こ……アレ?美鈴、何処へ行ったんだい?

 

 ちょいと目を離した一瞬で一体どこまで。全く、華人小娘ってのは総じてあいつみたいにすばしっこい上に人の話聞かないのかね。まるで栗鼠じゃあないか、あのでっかい陸地に住んでる小娘たちは。別に華人小娘全員がそうと決まったわけじゃあないけど、少なくとも今のあたいはそう思ってる。

 

 あ、いたいた。ちょっと美鈴、あたいに着いてきたのにそのあたいを置いていくたぁどういうことだい。…生きてなさそうな何かが動いてる気配がしただって?そりゃ確かに人魂の可能性が高いね。お手柄だよ、あたいを放ってった以外はね。

 

 その気配は今どこにいるか分かるかい?…森の奥に向かって動いてるんだね。わかった、追いかけて確保するとしよう。……分かってたけど、やっぱりあんたも来るんだね。あたいは良いよ、道連れができるってんだから寧ろ歓迎さ。

 

 あんただよあんた。さっきも言いかけたところで切っちゃったというか切られちゃったけど、吸血鬼の活動が盛んになる時間って確かさ……って 。

 

 いやだからさ、森に向かって突っ走る前に人の話は聞こうよ。

 

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 追いついたよ。ほんとにあんたってやつは、血気盛ん過ぎないかい。…自覚、ないんだね。そうだよ、百人に聞けば百人があんたのこと事を仕損じる性格してるって言うよ。間違いなくね。

 

 よしわかった。これ以上ちゃっちゃか動き回られたら人魂より先にあんた探し回らなきゃいけなくなるし、ここは一つあたいと話をしながら人魂の所へ行こうじゃあないか。そうすれば聞き上手で聞き好きのあんたはあたいから離れられないだろう。

 

 話のタネは勿論あるよ。ホラ、ちょっと前に大胆にも博麗神社どころか幻想郷中を巻き込んだ異変起こした命知らずな鬼がいただろう?そう、美鈴とこの館主と大して変わんない背丈のちびっ子。まぁちっこいとは言っても太古より生きてきた強大な鬼だ、大抵の人妖は恐れて近づけないよね。

 

 そんな彼女にも、どうやらあまり公にしたくないあれこれがあったみたいでね。…あんたなら知ってるんじゃないの、ウチの閻魔様の性格。知ったら暴かずは閻魔の恥とでも思ってるんだかねぇ、あの方。1回閻魔とは如何なる存在で何をすべきか、冷静になって考えて欲しいものだよ。

 

 ……今回は特に、ね。如何な閻魔様といえど、アレは少々やり過ぎたと言わざるを得ないよ。誰しも、本当に踏み込まれたくない領域ってもんがあるだろうに。

 

 っと、悪い悪い。考え込んだら周りが見えなくなる、あたいの悪癖さね。これから、あんたの口が固いことを見込んで閻魔様と伊吹、そしてあたいが関わったあの時の話をする。…あちこち行かないようにとか何とか理由をつけてあんたのことをもやもやの捌け口にしてるみたいで申し訳ないんだけど、聞いてくれるかい?

 

 そっか。こんなことを言うのもなんだけど、あんたなら深く理由を聞いてくることなくそう言ってくれると思ってたよ。ありがとうね。…それじゃあ聞いてて楽しくなんてないだろうけど、暫しの間このあたいの話を聞いておくれ。

 

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 何でもあの異変の後、わりあい博麗神社にいることが多いらしいんだよ。だから閻魔様は地獄を出て博麗神社にまっすぐ向かわれた。あの時はたまたま鏡を片手に歩いていく閻魔様を見つけられたからね、その場で付き従えたよ。

 

 そしたら、貴女はどうでも良いところで真面目な性格を発揮しますねって言われてさ。褒めてくださってるなら嬉しいんだけど、どうでも良いって分かってるなら相手の心の健康のためにもやめてあげるという選択肢はあの方の頭にゃ浮かばないのかねぇ。いや、若しくは浮かんでも採用していないかだね。

 

 そんな情け容赦のない閻魔様とそのお供のあたいは、博麗神社に着いてまずそこに住んでる今代博麗の巫女を呼んだんだ。でも返事が無くてね、こりゃ留守にしてるのかと思ってたら奥から誰か歩いてくる足音がしたのさ。開き戸を開けてひょっこり顔を覗かせたのは、顔の長さくらいある角を二本備えたちびっこい鬼 ーー 伊吹(いぶき) 萃香(すいか)って言ったっけ。そいつだったよ。

 

「お客さんかな?ごめんね、ここの住人は今里に買い物に言ってるんだ。悪いけど時間を改めて来てくれないかい」

 

 あたいは鬼が普通に顔を出してくるとは思ってなかったからちょっと驚いたんだけど、閻魔様は特に気にすることもなく、常と同じく感情の乏しい表情でこう仰った。

 

「それには及びません。私達が用あってここまで来たのは伊吹 萃香、貴女に会うためですから」

 

「私?」

 

 あたいを含めないでほしいっていう本音はぐっと堪えて腹の底に隠したね。変な頃合いで余計なこと言って閻魔様の機嫌を損ねちゃ、後で大変だから。

 

 予想してなかった答えだったんだろう、伊吹の方はといえば最初瞳に僅かばかり困惑の色を浮かべてぽかんとしてた。でもすぐに、何か合点がいったって様子を見せたんだ。

 

「…ははぁん、あの巫女に用事があるとかいうわけじゃあないみたいだ。私のこと聞いてどれほどのものかと腕試しでもしに来たのかな」

 

 はいはいなるほどねって感じの調子で言い終わるや否や、場の雰囲気が一変したよ。あいつ、結構な密度と大きさした妖気を体の中で渦巻かせ始めたんだ。周りの鳥とか獣とかが一斉に神社から逃げていって、その音はまるで波がざぁっと海に引いていくかのようだったね。

 

「よく見たらどっちもかなり出来るじゃあないか。特に私くらいの背丈した緑髪の方、あんた私の旧友にも真正面から張り合えるくらいだよ。妖気も霊気も感じないから、2人とも神か霊体の類みたいだね。そんな2人と対峙できるなんて、今日は思いがけず良い日だなぁ!」

 

 一気に命の気配を感じられなくなった博麗神社の鳥居の前で、伊吹はその身に宿した妖気をますます増していった。並の鬼なら幾らか見てきたことはあるけど、あそこまでこいつできるなっていう凄味は感じなかったなぁ。

 

 へぇ、あいつ鬼の中でもまた別格の存在なのかい。天下に名高き『山の四天王』の一角ねぇ。知らなかったよ、そんな怖い四人組がこの幻想郷にいたとはね。鬼といえば全ての妖怪引っ括めても最強の一族だ、そんな奴らの中で抜きん出た四人全員がここに来ているとすれば力の天秤は大きく傾きかねないね。八雲は一体どんな策を打つつもりやら。

 

「違います」

 

 でも地獄としては、破格の鬼が地上に一人増えようが四人増えようが別に何だって良い訳だ。なんせ直接の影響はおろか間接的なものですらほぼ無いと言って差し支えないくらいだからね。そのことについて考えてたかは定かじゃないけど、閻魔様は膨れ上がった妖気をまともにぶつけられても泰然として眉一つ動かさなかったよ。ただ悔悟の棒を顔の前で縦に構え、口元を隠すかのようにしてまっすぐ伊吹を見返しておられた。

 

「私達は、貴女と戦を交えに来たわけではありません」

 

「じゃあどうして私に会いに来たんだい」

 

「貴女と少し、お話をしたくて伺いました」

 

 あくまで物腰柔らかに、聞く相手が不快な気持ちを抱けない落ち着いた声でもって閻魔様は鬼に喧嘩をふっかけなさったのさ。あの方が、自分の行動の意味するところを自覚していたかは定かじゃないけどね。

 

「名乗るのが遅れましたね。私は四季 映姫・ヤマザナドゥ。地獄にて閻魔大王を務めるものです。今日はあなたの隠したいことを、遡りに来ました」

 

「名乗ってもらったならこちらもせずにはいられないね。伊吹 萃香。山の四天王が一角、不羈奔放の酒呑童子とは私のことさ」

 

「ご丁寧にどうもありがとうございます」

 

 あ、こちらは私の目付け役です。そんないつも通りの雑な紹介も添えられて、両雄は互いに名を明かしあったんだ。…正直、あたいが目付け役だなんて閻魔様の横で突っ立ってるの見たら大体想像つくだろうし、それだけなら寧ろ言わない方が時間の無駄にならなくて済むんじゃないのかなって最近は思い始めてるよ。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ハハ。まさか地獄の閻魔様がわざわざ遠い場所から会いに来てくれるとはね。生きてりゃ何があるか分からないってもんだ」

 

「貴女とは一度腰を据えてしっかりと話をしなければならないと思っていたのです。何処にいるのか分からず、接触も図れないという状態でしたからこうして会えたのは嬉しいことです」

 

「お目掛け頂き恐悦至極ってね。…で?隠したいことを遡りに来たとか言ってたけどそれはどういうことなのか、まずはそこから詳しく説明してもらおうか」

 

 立ち話もなんだ、お茶でも出すから座って話をしよう。そんな伊吹の提案もあって、あたいたち3人は畳の上に置かれた机を囲んで座ったんだ。真ん中には茶菓子の入った漆塗りの立派な器が置いてあってね。お茶も舌の肥えてないあたいが普段飲んでるのと違うって分かるくらい上等なものだったし、待遇には一切文句は無かったね。

 

 ただ今でも疑問なんだけど、なんで伊吹は博麗神社をさも自分の家であるかのように扱ってあたいたちを上げたんだろう。まさか前の異変の際に神社の所有者が移った訳じゃああるまいに。……あー、確かに。あの唯我独尊を地で行くやつらのことだ、周りにあるもの全部自分のものだと本気で思ってても不思議じゃないね。

 

「それでは、簡単に説明しましょう。私が今から、貴女の隠したいと望むことを一つ明らかにします。貴女はそれを聞き、是非ともしっかりと反省することをお勧めします」

 

 言い方だけなら、過去の悪しき行いについて説法をすることで改心を促して、以後善徳を積むよう諭すって取れるんだけどね。まぁ過半数……いや、九分九厘を御本人の余興的な意味合いが占めておられるってのが現実だ。伊吹にしてみれば生きてる間はおろか、死んだ後の渡し賃稼ぐ役にすら立ちやしない。

 

 でも閻魔様、ちょいとかける言葉を間違えた。鬼ってやつらはかなり長い間地上から姿を消して何処かに隠れちまってた存在だ、知ってるやつの方が少ないと思うが鬼にはある特性があってね。美鈴、知ってるかい?…やっぱり分かんないか。いや、鬼に関してはまず伝承そのものが殆ど残っちゃいないんだ。言ってしまえば、謎多き太古の時代をその身一つで体現しているようなやつらなんだよ。だから美鈴が鬼について疎くても、何も不思議なことじゃない。

 

 鬼ってのはね、ひたすらに嘘と弱いことを嫌うんだ。特に、鬼を直接騙したりしてそれがバレようものならもう終わり。騙したやつはギタギタに叩きのめされるだけじゃ済まなかったよ。…そんな鬼に閻魔様、事もあろうにお前は隠し事をしているって言ったんだよ。

 

「…なるほど。あんたの言いたいことは分かったよ。()()()()()()()()()()、そう言いたいんだね?」

 

 まぁもうそれは、話し始めて間もないってのに伊吹の怒りの度合いが一気に最高潮付近まで達したのが直接話してないあたいでも分かったよ。次に変なこと言ったらあたい諸共問答無用で殴りかかられるっていう感じだった。

 

 当然、あの時あの場にいたあたいも、閻魔様流石にそれは開幕から飛ばし過ぎなんじゃと思ったわけだ。だから今回は止めに入るべきかなって考えたんだ。そりゃあ後で何言われるか分かったもんじゃないっていう怖さはあったけど、それ以上に閻魔様らしくない物言いでもあった。相手が怒鳴り声をあげることこそあれ、ここまで相手を本気で怒らせるような言い回しはしないはずなんだけどって疑問に思ってたよ。

 

 あたいは閻魔様に、横から失礼しますって声をかけようとしたのさ。何となく、今あの方と伊吹との間に会話を設けてはいけないような気がしてね。とにかく今は距離を作らなきゃって思ったんだ。…その時だよ。あたいは事あの時に至ってようやく閻魔様の様子がいつもと異なっておられることに気がついたんだ。

 

「えぇ、貴女は一つ大きなものを内に隠している。…伊吹 萃香。貴女も私もまどろっこしいことは嫌いです。だから率直に、伝えたいことだけを申し上げることとします」

 

 仮にもそれなりに閻魔様の外遊に着いて行ってたのに、気がつくのに遅れた自分が恥ずかしいよ。よく見れば、分かったはずなんだ。今日のあの方には変なところがあるって。…よく考えれば、分かったはずなんだ。どうしてあの方が普段にそぐわないことを言ったのかって。

 

「伝えたいことねぇ。私も確かに遠回りは好きじゃないし言うのはいいけど、あまり下手なことは言わないようお勧めするよ。その綺麗な顔がどれだけ歪むことになるかはあんたの口次第 ーー 」

 

 

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()

 

 閻魔様、ぴくりとも笑っていらっしゃらなかった。顔も雰囲気も、職務を一切の慈悲なく規則通り全うする地獄の閻魔大王のものだった。いつも現し世に行った時に見せる、意地の悪い悪戯好きの小娘みたいな顔じゃなかったんだ。

 

 言い方は変かも知れないけど、この世に一瞬だけ地獄が顕現したように錯覚した。あたいは現世になんていない、今閻魔様の御沙汰を目の当たりにしてるんだって。不思議だよね。あの方が実際に魂を裁いておられるところなんて一度も見たことないのに、何故か反射的にそう思っちまったんだよ。

 

()()は彼女のためになっていません」

 

 とにかく、あの時閻魔様は閻魔大王であって四季様ではなかった。日中は汗ばむくらいの気温だったはずなのに、急に氷の世界に放り出されたかのように体が芯から冷えていくような感覚すら味わったよ。未だかつて経験したことのない別次元の重圧を、文字通り肌で体感したんだろうね。

 

「伊吹 萃香。今一度、閻魔として忠告します。反省なさい、彼女を罰なしに許しては」

 

 その続きを閻魔様が言ったのか、はたまた遮られたのかは分からない。…怒気を放ってからずっと胡座をかいて沈黙を保っていた伊吹が、唐突に拳を真下に突き立てたんだ。さっき外であたい達を威圧した時のがお遊戯かと思えるような、膨大な妖力を込められた拳は畳なんて秒とかからず消し飛ばして、そのまま神社の土台部分も壊して地面に人が何十人も入れるような大きな穴を作り上げちまった。

 

 その衝撃たるや凄まじいものでね。ぱぁん、って音がしたと思ったら屋内全てを暴風が駆け巡ったんだよ。室内にあった軽いものは悉く散乱して、建物が突然の振動に耐えかねてぎしぎしと軋むような音も聞こえた気がする。…美鈴、この前気を用いて衝撃波を伴う攻撃を見せてくれたよね。あたいは武術なんててんで素人だからもし違ったら悪いんだけど、アレを何倍にも強化したら伊吹の怒りが込められたあの一撃になるんだと思うな。

 

 もう伊吹からは、怒り以外の何かすら感じられたよ。憎しみ、失望……いや、悲しみって言ったら一番近いかな。伊吹は怒り、そしてそれ以上に何かを悲しんでいたんだ。その対象までは分からないよ、もしかしたら閻魔様かも知れないしあたいだったかも知れない。ここにいない第四の誰かであった可能性もある。生き物ですらない場合だって、否定はできない。

 

「それ以上、何も言わない方が良い」

 

 伊吹は怒り、そして悲しんだんだ。内にどろどろしたもの抱えて、感情を剥き出しにしたのさ。さっきの一発を閻魔様に向けなかったのは、まだ辛うじてそうするべきではないっていう理性が働いたんだろうね。乱れた髪を直す素振りも見せないで、ドスの効いた声であいつはそう言ったよ。

 

「閻魔大王も命は惜しいだろう」

 

「私に手向かう、それは黒。この世の絶対の法たる理に逆らうということ。伊吹 萃香、貴女には死後の安寧を放棄する覚悟がありますか?」

 

 対して、閻魔様はどこまでも冷静で透徹していて、そして無情だった。さっきのも防いだんだろうね、髪も服も欠片ほども乱れちゃいなかった。席についてから何一つ姿勢を変えずに、閻魔様は座していらっしゃったよ。

 

 暫く2人は睨み合った。…いや違うな。伊吹が眼光鋭く閻魔様を睨み、相対したあの方はただまっすぐに伊吹の目の、さらにその奥にあるものを見つめていたと言った方が正しいかな。神気と妖気とが火花散らしてぶつかり合ってたわけでもないってのに、息が詰まるような時間だったよ。

 

 さて、何分見合ってたかな。伊吹の方が、先に閻魔様から視線を外したのさ。その時、ふっとあいつから立ち上る雰囲気が変わったように思えたね。なんていうか、弱くなった。上手く言えないけど、とにかく弱くなったんだ。

 

 それから音も立てずに立ち上がって、あたい達に背を向けて屋内の奥の方へ歩いていった。向こうにはちらりと釜みたいなものが見えたから、お勝手だったのかな。そこへ入って、完全に姿が見えなくなる直前、微かに震えた声があたいにも聞こえてきたんだよ。

 

「……ここの修理は私がする。だから、帰ってくれ」

 

 あんたの顔は、もう見たくない。……消え入りそうな、懇願みたいな言い方だった。それを聞いた閻魔様が何を思ったかは分からないけど、少しの間だけ正座しながら目を瞑ってらっしゃったね。それからすっと目を開けて、ふぅと小さく一息ついてから立ち上がって伊吹とは逆方向に歩いていきなさったよ。

 

 玄関の前に立ち、あたいからは後ろ姿のほんの少しが見えるだけのところで閻魔様は立ち止まられた。伊吹もあの方も、あたいからはほんのちょっとだけ見えている状況が出来上がったんだ。今思えば、まだ2人の間に繋がっている一縷の糸をあたいが担っているみたいだったね。

 

 そして閻魔様もまたぽつりと、でも伊吹に辛うじて聞こえるくらいの声でこう仰った。

 

「思いがけず良い日にならなかったこと、非常に残念です」

 

 それからまた歩き始めて、玄関の戸を開ける音が聞こえてきたんだ。…あの戸が閉められた時、ほんのか細い糸もぷつんと切れてなくなっちまったのかな。今のあたいにゃあそうでないことを切に祈ることしかできないんだけどね。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 これでこの話はお終い。…悪かったね、変な話しちゃって。でも美鈴、あんただから話せたってのもある。ありがとう、だいぶ気が楽になったよ。これで余計に気負うことなく地獄に帰れそうだ。

 

 うん、あたいもそうであると願ってる。言い方はアレだったにせよ、別に閻魔様は悪いことをしたわけじゃない。…きっと、心の底から恨み恨まれなんて悲しい関係にはならない。そう、きっとね。

 

 ……あ、あそこにいるのはもしや。うん、間違いない。人魂だ、やっと見つけられたよ。お手柄だ美鈴、あんたの捜索網が無かったらもっと時間食われてたとこだった。

 

 ちょいちょい、っと。よし、確保成功。それじゃああたいは魂運びに地獄へ戻るから、その前にあんたを元いた門の前まで送ってあげよう。なに、礼はいいよ。探すのを手伝ってくれた謝礼だと思って受け取っておくれ。

 

 あたいの体のどこかに触れてたら一緒に移動できるから、手を握ってくれ。…握ったね。それじゃあ、所要時間零秒の帰宅と洒落こもうか。

 

 ……ん、着いた。元の位置だね、何も変わりない。やたらと重々しい雰囲気してる鉄の門、綺麗なまんまるお月様、んでもって()()()()()()()()()()()()。あれ、どうした美鈴。あたいの背中に隠れちゃって。戻らないのかい、門番の役目に?

 

 やっちゃった?…だから言おうとしたじゃないか、吸血鬼ってのは夜行性じゃないのかって。こればっかりは助けられないよ、平謝りでもして許しを請いな。

 

 あたい?やだよ、何でわざわざ雷に打たれて共倒れしに行かなきゃならないんだい。話の礼はもう払っただろう、移動で。

 

 あたいは帰るよ、お嬢様も美鈴の帰還がよっぽど嬉しいのか小走りでこっちに走ってきてるしね。ホラ見なよ、赤く発光してバチバチいってる槍みたいなの持ってるよ。きっと帰ってきたことを祝うプレゼントだ、体で受け取ってきな。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 ………。

 

 ……賽は、投げられた。

 

 踏み込むべきでない奥底に踏み込んだ以上、もう戻れない。何事もなかったかのように流すには、距離が開き過ぎている。

 

 よどみに浮かぶなんとやら、と言いますが。

 

 四季様、貴女の取った行動は一体どのような泡沫を結ぶのでしょうか。


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