イロジカル・ゲーム-The girl of match merchant- 作:職員M
ここからは更新が遅くなりますが引き続きよろしくお願いします!
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「こんなところで何してるんだい?」
オーデンセに行くために山中にある小道を歩いていた男は、向こうからふたりの女の子がやってきた事に軽く驚きつつも声を掛けてみる。迷子だったら保護してやった方が良いかもしれないと判断したのはこの寒さのせいでもあった。
「ニュボーに向かっているんです」
「ニュボーに? 俺はあそこから来たところだが結構距離はあるぞ?」
「そう、歩いていかないといけない上に食べ物もろくに無いんだ私たち」
最初に答えた少女の肩を組んで引き寄せるようにしてもう片方の少女が答える。二人は実に対照的な見た目をしていた。最初の少女は金髪碧眼、後の少女は銀髪に赤眼であった。
――姉妹にしては違和感が有る。
とそう思った時、再び赤い眼を光らせながらこちらを真っ直ぐに見つめてくる。
「お客さん、マッチ買わない?」
「えっ」
「こう見えても実は商人でね。マッチしか扱ってはいないけど」
「おっお願いします!」
まさかこんなに小さい女の子が商売人だとも思わず、その上マッチを買わされそうになっているこの状況には目を白黒させるしかなかった。
「い、いやそうは言っても今はガスストーブが……」
「ガスストーブですかぁ。……確かに時代は便利になりましたね」
一応述べた断り文句を素直に受け入れられ、男は再び困惑する。
「ですが便利な道具というものは得てして我々を怠惰にさせるものです。……ところで旦那様?」
「な、なんだ?」
語り始めたかと思えば急に質問を投げかけてくる。いつの間にやらすっかりペースを握られている男である。
「最近奥様とはじっくり腰を落ち着けて会話しましたか?」
「い、いやっ……」
と素直に答えて、しまったという顔をする。その顔を見逃すはずもなかった商人は、顔に貼り付けた笑みをこちらに向けるのだ。
「そうですか……。夕食後の夫婦の会話こそが円満の鍵とよく聞きます。どうでしょう? 晩酌も兼ねて敢えて"不便な"道具を使ってみては」
リンゴはマッチを取り出しながら言う。
「無論こういったものはシチュエーション……いや雰囲気が大事です。ガスストーブの煌々とした明かりではなくマッチで作った光という儚さこそが独特の雰囲気を醸し出すものだとは思いませんか?」
「確かに……」
「お一つ20クローネでいかがでしょうか? 我が商店が扱うマッチはそれなりに頑丈でしてね。簡単な風じゃあ消えにくく湿気にも強いんですこれが」
「分かった。一つ貰おう」
「ありがとうございます。今後共ご贔屓に」
20クローネ硬貨を受け取りリンゴは、マッチを二つ渡す。当然男からは疑問の声が上がる。
「一つ20クローネじゃないのか?」
「おっと手が滑ってしまいました。寒さのせいでしょうかね。でもお気になさらず。こんな山道で出会えた数少ない上顧客ですから」
「まったく商売の上手い女の子だ。名前は何と言うんだ?」
「リンゴと申します。こっちは手伝い人のハル。オーデンセで広めてやってくださいな」
「分かったよ。……あと妻にも久しぶりに話してみる。ありがとうよお嬢ちゃん!」
男は満足しながら二つのマッチをポケットに入れて再び歩き出したのだった。
――せっかくだ。何か他の物も土産に帰って久々に夫婦の会話と洒落こもう――
「一体リンゴさんはどこからあんな言葉がすらすら出てくるんですか」
感心半ば、呆れ半ばといった様子でハルは問うた。
「別に。さっきの人の薬指に指輪が入ってたから軽くカマかけてみただけさ」
「……それにしても、やっぱりお客さんいませんね」
「そうだぞ? 今日の日銭が手に入っただけでも幸運と思うべきだ」
「というか町に出れないとご飯も食べられないですよね……」
「よく気付いたなハル。貨幣経済は素晴らしいが現物が無ければただの紙切れと金属という冷徹な現実がここにはあるんだ」
「せめて寒ささえましになればいいんですけど……今は寒さが空腹に沁みます」
「案外空腹には弱いんだな。私と出会う前の食事事情はどうなってたんだ?」
「……ずっと雑草を食べていました」
「Oh……」
思わず呻いたが、案外無い手でもないかと思い浮かぶ。なんせこの日だけでかれこれ10時間ほど歩き続けている。そろそろ休息といきたいところだった。
「しかし流石に雑草はまずいだろう。色んな意味で」
ま、私もやったことはあるが。とボソリと呟くが、ハルには聞こえなかったようで……
「他に食べ物があれば別ですけどね。……もう少し食べ物持ってきてたら良かったなぁ」
ぼやくハルにリンゴは励ましの言葉を投げ掛ける。
「恐らく明日の終わり頃には着く。一日くらいの我慢なら何とかならないか?」
「これまでなら余裕でしたけど……」
昨日、一昨日とかなり豪勢な食事をした後でのこの粗末な状況に耐えられる人間はそう多くない。
「……確かにな。しょうがないか」
そう言ってリンゴは、懐からトウモロコシを取り出した。
「生じゃないぞ? 弾けない距離で火には炙ってある」
「わぁ……!」
「最低限のタンパク質は手に入れておいた。明日の朝に摂取する予定ではあったんだがな。あとは宿……といっても野宿だろうなぁ」
あたり一面の雪を見渡しながら、リンゴは溜息をついたのであった。
ひとまず休息を取ることに決めた二人は大きな山道から続く小径に腰を降ろし、トウモロコシを分け合う。先ほど通った男以外では人の影などなく、ただの静寂が辺りを占めていた。
「ニュボーは海に面している。色んな物で溢れてるはずだぜ」
「マッチも売れるでしょうか」
「そいつはやってみないと分からないが。……マッチもある程度仕入れとかないといけないな。なんせ低価だから大量に仕入れられるってのが良い所だ」
「でもリンゴさんはあんまり安く売らないですね?」
「低価のものを低価のまま売っちゃ簡易火起こし器以外の使い方がなくなる。物は使い方次第だ。例えばさっきみたいにな」
そう言うとリンゴは先ほどの販売の解説を始める。
「ハルも知っている通り今更マッチを敢えて買うのはもの好きしかいない。マッチ商人以外はな。それは何故か? マッチを火を起こす事にしか使わなけりゃそこまでだからだ。マッチ自体は道具であって本質じゃない。火、木、光。そしてそれらがもたらす効果そのものがマッチの本質さ」
「……」
「雰囲気作り、焚き火の種、言い方はなんだが犯罪にだって使える」
「……!!」
「もちろん使い手ないし買い手はこっちも選ぶけどな。なんせ使い方次第ってところがあるのさ」
「マッチをマッチのまま売っていればいい訳ではない、ということですね?」
「逆に聞くが私がここまでマッチをマッチのまま売ったところを見たことがあるかァ?」
「無いです」
にたりと笑うリンゴに対しハルは即答する。ハルが一番初めにリンゴが商売をする姿を見たのは、ハンスのマジックの会費として、またマジックのネタを仕込む為の道具としてマッチを売るところであった。
「商売ってのは常々別からの視点が大事だ。何か別のものと組み合わせるも良し、これまで使わなかった方法で使うことを模索するも良し、だ」
「なるほど……」
「ま! しばらくはマンツーマンで教えてあげるから心配すんな」
そう言うとまだ種子の残るトウモロコシを差し出してくる。
「残りはやる。明日もあるから体力はしっかり付けておけよ」
ハルは腕を枕にしながら横たわるリンゴが自分を気遣ってくれていることが分かり、思わず涙ぐみそうになっていると、
「こんなことで泣くんじゃないぞ? 水分不足を補うならそこら中に雪があるが冷やして腹を壊す上に塩分が足りてないからな」
こちらを見るまでもなく現実的な事を指摘され、意識もしていないのに笑みがこぼれたのだった。
翌朝早くから行軍とも言うべき過酷な状態での歩行は続いた。オーデンセからニュボーまでの直線距離は約32km。大人の足ならいざ知らず、まだ幼さの残る少女二人ではそう簡単にはたどり着かない距離であった。おまけに辺りは整備もろくにされていない山道であり、他に歩行者もいない状態である。
「はぁ……」
雪に足を取られ、何とか足を引き抜いたリンゴは軽く疲労の溜息をつく。
「体力温存てのも楽じゃないよな。商人ってのはタフさも大事だが万物において費用対効果を意識するもんだ」
「ひ、ひよ……?」
「場合によっちゃ投資効率とも言うな。つまり投じた労力に対してどれだけの効果を得るかということだ」
「でも歩かないと着きませんよ……?」
「昨日貨幣経済の話をしたな? 今貨幣が流通している以上物流が無い町は存在しない。つまり待つことが案外近道だったりするもんなんだ。ここは思い切って休もう」
歩き始めてから4時間ほどが経ったところで、リンゴはいきなりの休息宣言をしたのだった。
(待つことが近道……?)
ハルには分からなかった。物流と待つことの相関関係が。だがここはリンゴの言うことに従うこととする。これまでもそれで失敗した経験が無かったからだった。
腰を落ち着けて数時間が経った。頭から何度か降り積もった雪が落ち、いい加減身体は冷え切っていた。そこに軽快な足音が聞こえてきた。最初は聞き違いかと思うほど遠いそれは徐々に近付いてくる。それは人のものではなく――
「あーやっとか。待ちくたびれた」
そう言いながら徐に立ち上がったリンゴは歩いてきた道から歩いてくる馬とその持ち主に対し両手を掲げた。
「運送屋さん! ちょっと待ってくれる?」
近くに来たあたりを見計らってリンゴはそう声を掛ける。
「なんだ? 道半ばで売れる物なんか何もないぞ」
リンゴとハルの出立を見ながら訝しげに馬に荷物を引っ張らせた運送屋は言う。
「なに、荷物をちょっとばかり増やしてほしいだけさ」
「……まぁ、運送業だから構わんが。何を運べって?」
「私たち二人。20クローネでどう?」
「人を乗せたことは無いんだが。荷物の上にでも乗ってくれるなら構わんぞ」
「そうこなくっちゃ。ニュボーまで頼むよ」
「ところであんたらどっから来たんだ? なんでまたニュボーなんかに」
「オーデンセからだよ。軽く商圏を広げに、ね」
「オーデンセ……? それに赤の外套……。おたく、もしかして一昨日噂になっていたマジシャンの一味か?」
「ほほー名前が売れたんだねあのマジシャン。ま、ちょっと手伝いはしたけど一味ってほど長い付き合いでもないよ?」
「いや、あれの一連の黒幕は赤頭巾の女の子って噂だ。あんたじゃないのか?」
「黒幕だなんて人聞き悪いなァ。……言ったろ? ちょっと手伝っただけだって」
少し目を見開いてリンゴは嗤う。それだけでこの場の空気を支配したようにハルは感じる。
「まぁ、誰が相手でも金が払えるなら乗せてやる」
その威圧感に気圧された運送屋は話を元に戻す。
「仕事に従事するのは色んな意味で身を守るよ。あと乗客の内情に深入りはしなけりゃ完璧だ」
「……運賃を50クローネにしてもいいか?」
「やっても良いけど仮に私が本当にその黒幕とやらだったら、あんたの事だけは今後ぜってぇ目を離さないだろうなァ!」
「ちょっと言ってみただけだ。20クローネだな。先払いで頼むぞ」
「一体どれだけお話の引き出しがあるんですか?」
「その場その場で思い付いた事を言ってるだけなんだけどな」
ハルの疑問にあっけらかんとリンゴは答える。全てアドリブと言ってのけたリンゴに、運送の荷台に同乗したハルは逆に不安を覚えずにはいられない。
「それにしても案外ギリギリなような……」
「なに、ブラフだろうが真実だろうが向こうが信じてそれに則って行動したなら、それこそが真実なのさ」
そしてまた面白そうに笑う。
「でも私のブラフで損した奴いないだろ?」
「それはその通りですね……」
「基本的には相手の得が第一、それに乗じて私も儲ける。……相手次第ではあるけどね」
ふと笑顔を消しながらリンゴは言った。そう言えばリンゴさんが笑ってないところを見るのは初めてかも知れないなぁ、などとこんな時にぼんやりと考えて真顔になったリンゴの横顔を見つめるハルである。
「相手次第……ですか」
「うん、私だって善人て訳じゃないよ。昨日のアレ見てたら分かるだろ?」
「でも……」
基本的にいい人なのだとハルは思う。他人は誤解するかも知れないけども、リンゴは誰よりも真っ直ぐ行く先を見ているようにハルには映った。
「ハルは心配しなくていいぞ? 私はかなり気に入ってるからな」
「えっ、ありがとうございます……」
「前が両替商ってのもあるのかもしれないけど、ハルはたぶん練習すりゃ立派な商人になると思う」
「そうでしょうかね?」
思わず困惑するハルは曖昧に頷くしかない。
「せっかくだ。マッチをいくらか渡すから次の街で実際に売ってみるか?」
「良いんですか?」
「もちろん。最初は失敗して当たり前だから思い切ってやりな」
思ってもいなかった提案に一瞬喜んだものの、すぐにハルの顔は曇った。
「……やっぱり不安です」
「ん、じゃあ練習してみようか。私が客役をやろう。売り方は自由、シチュエーションはマッチの魅力をあとひと押し出来りゃ買うってところで」
「はい!」
ハルの返事を聞いた瞬間に腕を組んだリンゴは直ぐ様物足りないといった表情を作り、考えあぐねている客を演じきる。
「まぁマッチに他の使い方もあるってのは分かったんだけどいまいちねぇ……」
「ガスストーブがあるし?」
「うん」
「無くなるものにそれほどのお金はかけられない?」
「そうだよ」
「仮の話だけどマッチを点けたらそのまま蝋燭に火が移るような物があれば、燭台として使えたりはしないかな?」
たっぷり時間を取ってから、ゆっくりとハルは唐突に出てきた新材料の話を始め、客役はおののく。
「お、おう……。そんなものがあれば是非欲しいな」
「そうでしょう? 実は今その開発を進めているところに携わっていてね。もし今一つ買って頂ければ完成品をお安く提供できるんだけど……本当にいらない?」
ニィ、と口の端を上げて笑うハル。初めてにしてはなかなかの出来栄えにリンゴは心中で感心していた。ここで打ち切りとばかりにリンゴは客役を解いて口を開いた。
「……ハル。今のは良かった。一気に買いたい意欲をそそられたよ」
「そうですかっ! えへへっ」
「でも言動で私の真似をする必要は無いぞ」
「えっええと! あうぅ……」