イロジカル・ゲーム-The girl of match merchant- 作:職員M
ハンスは必死に鉄鍋を振り出来上がったところからすぐに紙袋に入れつつ、リンゴの手の速さに恐れおののいていた。
(たとえどれだけ本を読んだとしてもこの動きはまず人には出来ない。多数の人間が次にどう動くかを全て予測しているかのようだ……)
少なくとも俺じゃ手に負えないな、と溜息をひとつつき、再び客さばきに従事する。ハルも一生懸命リストを作成しつつ、ハンスが作ったトウモロコシを客へと手渡していく。時間が経つとともにそれは最適化されていき、いつの間にやら1分で2人捌いていたのが4人5人へと増えていく。
「これが、学習による効率化だな」
いきなり現れたリンゴに二人は驚く。
「リンゴ! 戻ってたのか? それならそうと」
「私はさっきからいたぜ? 二人は気付かなかったみたいだけどな」
二人のリアクションに、リンゴはそう返した。
「その鉄鍋は譲り受けた。私は使わないからもし良かったらハンスが貰ってくれ」
「えっ良いのか?」
「マッチ売りはマッチさえありゃ死なねぇんだ」
「お前、これからもマッチを売るつもりなのか?」
「ま、案外悪くない選択肢だからなァ。ガスストーブだけが天下じゃないんだぜこの世界は」
「それはそうだろうが……」
と、ハンスがそこまで言った時だった。
「私、リンゴさんに付いて行きます!」
先程まで黙りこくっていたハルが高らかにそう告げた。
「いいよ? どのみちハルの親を探すって決めたんだ。ハルがいなきゃ手がかりのての字もない」
「良いんですか!?」
「ただし覚悟は決めてもらう。正直……結構きついぜ?」
「リンゴさんになら、私はどこまでだって……」
リンゴはハルの瞳をまじまじと覗き込み、満足そうに頷いた。
「ま、ハルが来てくれなきゃ目的の一つは失われるしな」
「……他にも?」
恐る恐るハルが尋ねると、狂気を含んだ笑みでリンゴは答える。
「私がもっと小さい時には聞いたこともない商売人が今や名うてときた。ともなれば、私たちにだってチャンスはあるんだぜ?」
「……というと」
「鼎商同盟をこの手で蹴散らすことだってできる。それが私のもう一つの目的だ」
まぁ、もちろん今はそんな手立てなんか思い付かないけどなァ、と言ってまた笑う。しかしその声には自信があり、さも成し遂げて当然のように言うのでハルは困惑する。
「なんで……そんなに自信がおありなんですか?」
「そんな不思議なことか? 鼎商同盟とやらだって最初は無名だったはずだ。つまりやる限り天下取れる可能性なんざいくらでもあるってことだよ。諦めさえしなけりゃな」
「私には……そんな自信ありません」
「なら自信持てるまでやってみることだなァ。……私はハルにならできると思うぜ?」
――――――――――――
「「「乾杯っ!!」」」
行列の客を捌き切り、予約客分のトウモロコシを作り上げ、各家庭に届けるところまでを終えると辺りはすっかり暗くなっており、この日の営業は終了となった。
もちろんこの日で捌き切れるわけもなく、まだ配られていない先には明日以降また作っては配りに行くことになる。この事を思うだけでハンスはウキウキとした表情を隠しきれない。
そんな一行は再びハンスの家にて、本日の商売の成功を祝っていた。飲食費を差し引いた利益は33,000クローネにも上った。一人当たりの報酬は11,000クローネだ。
「でもリンゴ、鉄鍋本当に俺にくれて良かったのか?」
「マッチ売りだからな。鉄鍋使うことは無いさ」
「……俺はしばらく本業がままならなさそうだ」
「余裕ができれば人を雇うのもありだよ?」
「俺が人を雇うなんて夢だと思ってたよ……」
「必要だったらやるしかないだろ? 回らないぜ?」
「……リンゴはどうするんだよ? せっかくの知識自分で使わなくてどうするんだ?」
「私は一貫してトウモロコシ屋はやるつもりが無かったからなァ。マッチ屋に戻るだけだ」
「わ、私も明日からマッチ屋さん見習いです!」
二人の言葉を聞いて、ハンスはゆっくり頷いた。
「…………俺は、もう少しこの町で頑張ってみるよ。せっかく教えてもらったんだ。まだ試したい」
「賢明な選択だな。私に付いて来たらロクなことにならないぜ?」
クフフフッとリンゴは笑う。
「リンゴ、改めて礼を言う。ありがとう。……お前がいなきゃこの先も一生底辺中の底辺だった。」
「礼を言うのはこっちだ。ありがとうハンス、協力してくれて。大晦日はあなたがいなきゃ成功してないしな。……色々言ったが宿代くらいにはなったかな」
それはもう、とハンスは笑う。
「いつかこの恩は返す」
「そいつは楽しみにしてるぜ」
「あとハル」
「ひゃいっ!?」
まさかこのタイミングでハンスから話し掛けられるとは思わなかったハルは、驚いて食べていた手を止めてハンスの方を見る。
「素人とは思えないくらいの手の早さだった。……君ならリンゴについて行っても何とかなるだろうと思う。達者で暮らせよ」
「ありがとうございます、ハンス……さん」
ほんのりと顔を赤らめ、上目遣いで見つめられたハンスは、ハルと同じように赤面したのだった。
まだ祝日の余韻が残る食卓には、肉や酒がほとんど占めていていた。最近の食事においてやや栄養失調気味だったリンゴと、明確に栄養失調だったハルにとってはこの動物性タンパク質が主となる食事内容はありがたく、胃への負担は考慮しつつも二人はしっかりと久々の食事らしい食事にありついたのだった。
「そういえば、昨日はあまり食べませんでしたねリンゴさん」
今日の食べっぷりは昨日には見られなかった。ハルは当然のように浮き上がる疑問をリンゴにぶつける。
「ん……あぁ、かなり久しぶりの食事だったんでな。セーブしてた」
「あぁ……それで」
「あともう一つ。あまり満腹になりすぎると思考が鈍る。今日の商売のことを考えるには少々量が多かった」
グラスに残ったワインを飲み干しながらリンゴは続ける。
「明日発つということもあるが、昨日からの商売が一段落ついたから今日は際限なしだけどな」
「もちろんです……!」
空いたグラスにハルは直ぐ様ワインを注ぐ。
「それじゃ、改めて乾杯」
リンゴが傾けたグラスに、ハルもグラスをぶつけたのだった。外は再び雪が降り始め、一面を白く染め上げる。窓からそれらを見やったリンゴはもう少しこの恵まれた環境にいたいと思いながらも自らを叱咤する。
(どの道この商売に楽な道はない……さっさと覚悟を決めて寝るとするか。あとそれに)
いつの間にやら話し込み始めたハルとハンスを見て、リンゴは空気を読む。
「ちょっと飲み過ぎた私は先に寝るよ。あとは二人で勝手にやってくれ」
冗談交じりにリンゴはソファから立ち上がると寝室へと向かった。少しばかりよろめくところからも、本当に若干飲み過ぎていたようだ。
「そ、そうか。おやすみ」
「おやすみなさいっ」
二人の声を受け、手で挨拶をしながらリンゴはリビングを後にしたのだった。
「世話になったな、ハンス」
「いや、こちらこそ」
リンゴはハンスと握手を交わす。ハンスはマジックの上達とトウモロコシの販売でもう少しこの町に残るとのことだった。商売のやり方に定石などない。商人がそうすると決めたならそれに従うのみなのだ。リンゴは無理やりハンスを連れて行く気はさらさらなかった。
「ハンス……さんっ」
しかしどうしても連れて行きたい人間がここに一人。
「3分待つ。それが過ぎたら私は行くからな」
にやりと笑いながらハルに告げると、リンゴは邪魔にならないように広場近くの噴水の様子を見に行った。
―――――――――――
「ちゃんと住所は教えてもらったか?」
「は、はい!」
素直過ぎる、とリンゴは苦笑して歩き出しながらもう少しからかってやることにした。
「じゃあキスは済ませたのか?」
「なっ……!」
瞬間、林檎のように顔を真っ赤にしたハルは声を詰まらせる。
「しっしてないですよ!!」
「冗談だ」
「リンゴさん!!」
真っ赤になりながら怒るハルを見て面白そうにリンゴは笑うのだった。
懐からゴソゴソと取り出したかと思うと、ハルは緑色のマフラーを巻いた。その様子を見てリンゴは驚愕の表情を浮かべる。
「それ……ハンスにもらったのか?」
「そうなんです! 寒いから風邪引くといけないって」
「すまんハル!!! あんたの服を新調するのをすっかり忘れてた! 町に戻るぞ!」
完全に忘れていたのではあるが、ハルの格好は未だボロ布を纏ったところにマフラーを首に巻いただけの姿であり、とても冬のデンマークを過ごせるようなものではなかった。あまりにも寒そうな仕草を見せないハルに、リンゴはそのままスルーしていたのだった。
「い、いえ! 服なんてとても」
「いやここからは寒さとの戦いになる。絶対暖かい格好をするべきだ。ここまで気付かないなんて名折れも良い所だ……。本当にすまない」
しょんぼりと項垂れるリンゴに、ハルは逆に申し訳なくなる。
「そ、それじゃあしっかりと冬を過ごせる服を選ばないとですね!」
「好きなものを選んでくれて構わない」
「……ん?」
この時点ではハルはリンゴの意図を組みかねていた。
広場のあった町の服屋まで引き返すと、店員にハルのサイズを測ってもらうよう頼んだリンゴは、そこから店内を物色し始めた。
「素敵な髪色に質! きっとどんなお洋服でも似合うと思いますよ」
「そ、そんな! 私なんて大したこと……」
「店員さんの言うとおりだハル。これを着てみろ」
いつの間にか一つ服を手に取って目の前に立っていたリンゴは、堂々とそれを差し出す。
「こ、これ……毛皮じゃないですか!」
「そうだ。たぶん似合うんじゃないかなぁ」
「似合うとかじゃなくて……」
「きっとよく似合いますよ! 試着しましょう試着!!」
「え、ええぇぇえ……」
ハルは困惑を隠しきれないままに店員に引っ張られていった。その視線は5,000クローネという値札から外せなかったのだ。
「お、終わりました……」
おずおずと試着室から出てきたハルは、分不相応といったように居心地が悪そうにしているが、リンゴは満足そうに頷く。
「ほらやっぱり似合ってる。乙女は身だしなみが大事だぞ?」
「そ、そうでしょうか……?」
「まさにあなた様に選ばれる為に作られた服といっても過言ではないでしょう!」
「私もそう思うぞ?」
「もちろんふかふかしていて暖かいですし見た目も可愛らしいんですけど……」
「気に入らないか?」
「いえ、ただ……今の私には合わない気がします」
「ハールー。合う合わないにタイミングは無い。合う人間は最初から合うし合わない人間は永久に合わない。商売……てか仕事でも同じだな。因みに合わなけりゃ私は堂々と合わないって言うぞ?」
もじもじとするハルを軽くからかうようにリンゴは言う。
「で、では……せっかくですし」
「よし決まりだ。同じ物をもう一つくれ」
「かしこまりました! 直ぐに用意いたします!」
リンゴの一言を聞いて飛び上がった店員は直ぐ様奥へと引っ込んでいった。かと思いきやまたもやすぐに帰ってくる。ハルが止める間もないくらいに。
「お二つで計10,000クローネになります!」
「はいよ」
リンゴは懐から数枚の札を取り出し、軽く数えてから店員に手渡した。
――――――――――
「い、良いんですか本当に」
「なに、私もそろそろ新調したかったところだ。丁度いい」
新しい服を身に纏ったリンゴは上機嫌である。ハルは白い毛皮を、リンゴはこれまでと同系色の赤を購入していたが、代金は全てリンゴが持っていた。
「でも……」
「辛い旅の始まりだ。しばらく分の給料前払いと思ってもらおう」
なおも言いよどむハルにリンゴは獰猛に笑う。それを見てハルも押し黙ったのだった。
リンゴが言っていることは実際事実であった。冒頭にも認識した通り既にガスストーブが浸透しきっている現在において、低価であったとしてもわざわざマッチを買う必要などどこにも無い。こうした状況下での選択は実に限られる。原理的な道具として火を提供できる市場を探すか、マッチを別の使い方として提案し顧客並びに市場を創造するか、オーデンセの広場におけるリンゴのようにマッチをセット商法として販売するかのいずれかである。無論他にも方法はあるのではあるが、現実的に収益に結び付けるのならば必然的に、物質的に、時間的に限られるのだ。
だからこそ――
「本業だけで食っていくにはしんどい業種だ。副業がどれだけ身を助けるか割とすぐに分かるはずだぜ? とりあえずはハル、ニュボーに向かうぞ」
――自信たっぷりにリンゴは笑うのである。その様子にハルも直ぐ様頷いた。
「ニュボー……と言いますと?」
「オーデンセのような内陸部では物資調達に時間がかかる。直接輸入できる場所なら基本的に商売もしやすい。人も集まるからな。ともかく東に」
「……行きましょう」
乗りかかった船から降りることはできない。腹を決めたハルは先行くリンゴに付いて行くのであった。