イロジカル・ゲーム-The girl of match merchant- 作:職員M
その後、食料雑貨店に行った二人はそこで塩と油を購入した。ここでは値切ったりレンタルしたりすることもなく、買い出しの終了を告げたリンゴにハルは困惑する。リンゴが何を考えているのか、ハルにはまだ皆目検討もつかなかった。
「リンゴさん……」
「ん?」
「普通に買い物できるんですねっ」
「しっ失礼なことを言うな! なにも毎回毎回値切っているわけじゃない! 使える時に使える物を使うのは商売の基本だぞ」
「ごめんなさい」
「全くだ。……これじゃ私が物凄くがめつい人間みたいじゃないか……」
顔を赤くして膨れ面をするリンゴが何故か年相応に見えて、ハルは思わず――
「可愛いですねぇ」
「んなっ……! もう!」
先ほどの女店主の言葉を思い出してリンゴにそう告げたのだが、恥ずかしさのあまりか真っ赤になったリンゴは怒ったように早足で歩いていってしまう。
「すいませんリンゴさん! 待ってください!!」
ハルは慌ててリンゴの背中を追ったのだった。
――――――――――
「お帰り。案外早かったな」
「おお、まずまずの量じゃないか。ありがとうハンス」
「昨日と同じくらい集めようと思ったんだがちょっと足りなかったかな」
「いや充分だ。そんなに長時間やるわけじゃない」
帰ってきた二人をハンスは積み上げた枯れ木と共に出迎えた。リンゴは枯れ木の一部に買ってきた油を少量振り掛けた後に懐からマッチを取り出し、シュッと擦る。マッチについた小さな火を枯れ木の中に放り込むと、油に引火してすぐに大きな炎へと変わった。
着火に成功したリンゴはハンスを見、にやりと笑う。
「さて、ここからはハンスに頑張ってもらうぜ?」
「火を使ったマジックは危ないからやらないようにしているんだ」
「そうじゃない。こいつを使ってトウモロコシを炒ってくれ。一回目はとりあえずテストだからほんのちょっとだけでいい」
借りてきた鉄鍋とトウモロコシの種が入った袋を見せて尚もハンスに頼み込む。
「それを売るのか? 炒めただけで売れるかぁ? ……まぁリンゴのことだ。なんかあるんだろ」
「その通りだ。頼まれてくれるかな?」
「いいぞ。油で炒めればいいんだろ? あんまり料理は得意じゃないけど」
「そう、それだけでいい! 頼むよ」
力仕事というほどでもないが、何故か自分ではやりたがらないリンゴはハンスが了承を示すとひどく喜んだ。
それもその筈であった。
「ハル、もしかしたら危ないかも知れないから少し離れような?」
ハンスが鉄鍋を温め、油を敷くと何故かリンゴがハルを伴って少し遠巻きに見つめる。
「は、はい……?」
「え、どういうことだ」
「気にしなくていいから君は調理を続行してくれたまえ!」
「めちゃくちゃ引っ掛かるんだが……」
それでもめげずにトウモロコシの種をひとつまみ鉄鍋に放り込んだ。
「ハンス、トウモロコシを炒めたら何になると思う?」
「さぁな。今までやった事がないから何とも言えないが硬い種が食えるようになるんじゃないか?」
「半分正解だ。だがまだ遠い」
「ん?」
ハンスは首を傾げた。それはリンゴの返答ではなく、鍋の中に異変が起きていたからだった。トウモロコシの種の一部が変形していたのだ。
「ポップ種という種類のトウモロコシはその種の表面がひどく硬い。が、こうして熱した時に――」
次の瞬間、ポンッと小気味良い音を立てて今まで見た事のない形へと姿を変える。
「――内部の水分が膨張して表面を破って出てくる。その時こいつはスポンジ状になるんだ」
後に映画館で誰もが口にするこのスナックはこの19世紀初頭において、デンマーク含む欧州諸国では原料たるトウモロコシの種は主に家畜の餌であった為に全く浸透していなかったのだ。
大きな変化にハンスは目を丸くする。ハルも同じようにして鍋を見つめていた。しかし
「う、うわっ!」
最初の一つを契機に次々とトウモロコシが弾け始め、ハンスは狼狽える。トウモロコシが落ちないよう慌てて鉄鍋を振る。
「どうだ? マジックっぽいだろ?」
ふとリンゴを見ると悪戯っぽく笑っている。どうやらこうなることが分かっていたようだ。
「おまっリンゴ! ちょっとこれ代われって熱ううぅぅぅ!!!」
「クッフフフフフフフ!! ほらもっと頑張って鍋振って!」
「くっそおおお覚えてろ!!」
「ふふっ……あははははははは!!!」
二人のやり取りと鍋の様子が面白く、ハルも大声を上げて笑った。
火から遠ざけて鉄鍋の中身を落ち着かせたハンスは、全く変わってしまったトウモロコシをひとつまみ持ち上げて感嘆の溜息をつく。
「なんでこうなるんだ?」
「さっき言ったじゃねぇか。まだ説明いるか?」
「いや、なんというか……。リンゴ、なんでこんなこと知ってるんだ?」
「異国の書物に書いてあったんだよ。面白かったぞ? 文化ってのは輸入することが可能だ。材料さえあれば再現できるからなァ」
それを聞いてハンスとハルはぽかんとする。
「リンゴさんは本の知識で商売してるって言っていましたけど……」
「そうだぜ? 生まれてからずっとそうだ」
「なんで、その通りにできるんですか?」
「現実の商売ってのは理論的じゃない。常に非論理的だ。イロジカルっていうのかな。……私は確かに本の理論には則ってはいるがそのまんま使ってるわけじゃない。その時の空気の流れ、力の集まり具合、金がどう動いてるかってのを見るのが得意なんだ」
一気に喋り切ると、二人の返答を待つこともなくリンゴは鍋の中のトウモロコシを一粒つまみ上げ、口に放り込んだ。
「んぅ。やっぱ塩だな」
そう呟くと、リンゴは先ほど購入した塩を振り掛け、いくつか手のひらに乗せてハルに差し出す。
「食べてみな」
おずおずといった様子でハルはリンゴからトウモロコシを受け取ると、一気に口の中に入れた。
「な、なにこれ……! 美味しい」
「お、俺も!」
ハルの様子を見たハンスも後に続けるようにいくつかのトウモロコシを口にする。
「香ばしい……! それでいて塩加減が絶妙だ……!」
「やっぱ使えるもんは使うべきだよなァ? 先人の知識ってのは大抵役に立つ」
「これは売れるぞ!」
「当たり前だ。あとこの鉄鍋も宣伝しなきゃなんねぇんだからな?」
「……なんだそれは?」
思いがけないリンゴの声に、ハンスは戸惑いの声を上げる。
「この鉄鍋は購入希望者が出なきゃ900クローネで買わされることになる」
「なんでそんな契約結んでんだ……」
思わず頭を抱えるハンスを見てリンゴは笑う。
「え? 売れる気しかしなかったからに決まってるけど」
「お前のポジティブさの10%でも俺にあればって思うよ……」
「私も欲しいです……」
ハルとハンスは同じ感情を共有しながら溜息をついたのだった。
一つの紙袋の中に詰め込むの間に新たな客が加わる。
最初は子供相手に無料で配り、その子供を迎えに来た親に試食させ、気に入った客に対しひと袋20クローネで売るというリンゴの策は見事的中し、ハンスは半日以上鉄鍋を振る羽目になった。
「……トウモロコシはかなり売れてるけど鉄鍋の代金払ったら全部パーだぞ。どうするんだ」
昼過ぎまで料理人をやり続けたハンスは、ここに来てリンゴに問うた。
「簡単な話さ。飲食店の店主に来てもらえばいいんだ」
そう言うと、リンゴはストックしていたトウモロコシの入った紙袋を一つ手に取り、颯爽と広場を走り去る。その様子にハンスは再び口を開けたままにした。
(リンゴさんはきっと何か考えてる……!)
咄嗟にそう思ったハルは、リンゴの後に付いて行ったのだった。
「面白いお菓子考えたんだ。一つどうだい?」
しばらくリンゴの後をついて回った先に、リンゴは一人の雑貨屋に声をかけていた。
「どうせ食ったら最後なんだろ?」
「馬鹿な。たった一個で金取る商人がいるか?」
「もし取ったら役所に言いつけてやるからな……」
そう言いながら一粒口にすると、たちまち雑貨屋は顔色を変えた。
「……なんだこれ、マジか」
「大マジだよ。……そうだなぁ。こいつを作った器具一つ買うって契約できるならレシピを教えてもいい。因みに声かけたのはここが初めてだぜ?」
「……これはお前が考えたのか?」
「そいつァ企業秘密だ。その質問には答えられないねぇ。んで、どうするんだい?」
「言い値で買おう」
「そうこなくっちゃ! 私も一人じゃ捌き切れなくてね。……2700クローネでどうだい?」
「それでレシピの方は」
雑貨屋が言いかけたその瞬間を見逃さず、リンゴは言った。
「もちろん占有権までは渡せない。こっちも商売なんでね」
「…………そりゃあそうだろう。そのくらい分かってるさ」
軽く苦渋の表情を浮かべた雑貨屋を見ながら楽しそうにリンゴは続ける。
「こいつは油とトウモロコシの種だけで出来る。熱した鉄鍋に油を敷きポップ種って種類のトウモロコシの種を炒るだけだ。……残念ながら調理器具までは貸せんがな」
「その調理器具はどこに行きゃ買える?」
「中央の広場から見て東側端っこから三番目にあるよ。一つ『1500クローネ』で売ってる」
「そいつと種と油さえありゃこいつが出来るんだな?」
「あと塩は忘れるな。無かったら到底売りもんにはならない」
「良い情報を貰った。感謝する」
「なら、契約成立だな」
リンゴは商談成立の握手を交わし、現金でリンゴに2700クローネが手渡される。
「んじゃ、せかせかしてられない。俺はしばらく留守にするぜ」
「良い商売を。……行った時にゃ"リンゴから紹介してもらった"って言っといてくれよな」
「リンゴ、だな。承知した。あんたがそこの売り子だったとしてもさっきの商品は確実に売れると思うぜ!」
「当たり前だ私が考えたんだからなァ!!」
走り去る雑貨屋に声を張り上げ犬歯をむき出しにしながら笑ったリンゴは、大きく一息ついてから自分の背後の壁に張り付いているハルを振り返った。
「……なぁ、いつまでそうしてるつもりだ?」
「ひゃっ……!」
「隠れてるつもりなら大甘、いくらなんでも無理がある」
「すみません……。リンゴさんが、次はどんな策を拵えたのかと」
「策ってほどでもない。知らねぇだろう知識を教えてやっただけさ。いわば情報屋の一種だろうな」
「……でも、本当にレシピ教えちゃって良かったんですか?」
「おう、元々私はこいつで食っていくつもりなんざ毛頭ないからな。鉄鍋代のお釣りまでくるとなれば教えない手はないだろ?」
「……ハンスさん、泣いちゃいますよ?」
「商売はいずれ自分で何とかしなきゃなんないんだ。ハンスだろうがハルだろうが私だろうがそれは同じだ。……ま、死ぬ前には私が助けてやるさ」
肩をすくめながらリンゴはハルに背を向け、ハンスがまだ売っているであろう広場へと戻り始めた。
「リンゴ遅かったじゃないか! 一体何人待ち時間に見逃したことか……!」
「まぁそう言うなって。鉄鍋一個売れたぜ?」
リンゴが言うと、ハンスは本日幾度目かの間抜け顔を披露する。
「それはひょっとしてギャグで言っているのか?」
「馬鹿にするな。2700クローネでこいつを売る代わりに下手したら900クローネで買わされる雑貨屋にちょっとしたプレミアムを加算して宣伝してやっただけさ」
「……お前が何を言ってるのかいまいちよく分からない。が、損してるわけじゃないんだな?」
「その認識でいいよ。トウモロコシの種商売は長く続かないけどな。さっき私が売ったから」
「えっ!?」
「元々別の大陸であったレシピだ。いずれここにも入ってくる」
「だからって今教えることなんか……! これだけで今世は楽勝だと俺がどれだけ期待したことか……!」
この世の終りのような顔をしたハンスに、リンゴは思わず慰めの言葉をかける。
「製品のライフサイクルの短さを知りゃハンスもそう言ってられなくなるはずさ……。だから泣くなよ」
「また訳のわからない単語を使いやがって……。はぁ、俺は一生貧乏マジシャンなんだ」
「まぁまぁ、競争下に置かれた自由市場ってのが新しい価値を創るし、革新的な製品は大概時を待たずに模倣品が作られるもんだ。序盤のうちに恩を売っておけば後で必ず悪いようにはならないさ」
「今はその言葉を信じるとするさ」
客足は遠のくどころか益々勢いを増し、"トウモロコシを炒めたスナック"は口コミで街中を駆け巡り、家に篭っていた人々を広場へと駆り立てた。
「こっちもそれ一つ!」
「す、すみません! もしかしたら在庫が切れるかも……」
「何っ!? なら50クローネ出すから先に」
「ずるいぞ! こっちは60クローネ出す!!」
品切れを危惧した客間でのやり取りは次第にオークション方式へと変わっていく。その様子を楽しそうに見ながらリンゴは客全体に声を掛ける。
「まぁまぁ落ち着いてお客人! トウモロコシはなにも走って逃げやしない。先着で予約制を取らせてもらえませんか?」
「きっ君は昨日の……!」
「あ! 来てくれた人! 昨日はどうもありがとう!」
「あ、あぁ……じゃなくて、予約制って?」
「その名の通り、購入希望者はこの紙にお名前と住所を書いていってください! 遅くとも今晩までにはお届けにあがります。もちろんお代はこちらが提示する20クローネで構いません」
それに、とリンゴは続ける。
「向かいの雑貨屋にも同じレシピを渡していますので、どうしても待ちきれない方はそちらへどうぞ! 詳しい店名は追ってご説明します」
その瞬間、その場にいた皆が湧いた。ある者はリンゴが持っていた紙をひったくるようにして氏名と住所を書きなぐり、ある者は人混みをかき分けるようにしてリンゴに別店の住所を質問する。
「やれやれ思った以上に盛況のようだ。ちょっと待っててね! ほらハンスはトウモロコシ急いで!」
「ちょ、無茶言うなよ!」
そう言うとリンゴは持っていた紙にでかでかと『テーブルクロス』と、雑貨屋の名前を書く。
「もし店主がいなくても店の前で待機してたら戻ってくるはずだから。そっちもすぐ埋まるかもねぇ」
そのリンゴの一言を聞いてか店名を確認してからか、脚力に自信のありそうな一群は我先にと馴染みの雑貨屋を目指してダッシュしたのだった。
「さて、少しやりやすくなったろう? 後は頼んだよ」
「えっ……? リンゴはどこへ?」
「さっきこの鍋を借りた所に行ってくる。ハルも、ハンスを手伝ってやってくれ。列整理、金勘定、予約客リスト整理とかやることはいっぱいあるから」
「わ、分かりました!」
「分かった。ここにいるお客さんは任せろ!」
返事するハルとハンスを見て頷いてから、リンゴは再び駆け出したのだった。
―――――――――――
「おかげさまでこっちは大盛況だけど、売れたかな?」
「おっ! さっきのお嬢ちゃんじゃないか」
女店主は笑顔で出迎えてくれる。リンゴは確かな手応えを感じながらも敢えてとぼける。
「悪いね。900クローネ稼ぐにはもうちょっと時間かかりそう」
「いいよいいよそんなの。お嬢ちゃんにやるさ」
「……ほう、何かいい事でもあったの?」
「さっき来た活きのいい兄ちゃんがさ、お嬢ちゃんに貸したものと同じ鉄鍋を買ってってくれたのさ。しかも値段も聞かずにね」
それを聞いたリンゴは我慢できずに笑いを漏らす。
「……思い通り」
そして長い間商人をしている女店主は、その呟きを聞き逃さない。
「まさか、お嬢ちゃんが差し向けたのかい?」
「そんなわけないでしょ。私はただとある雑貨屋に、ここで借りた鍋で作った物を試食させただけさ」
「それだけで動くかねぇ……?」
「もちろんプレミアムは付けたけどね。……でもここでそこまで細かいことを気にしてもしょうがなくないかな? 結果良ければ全て良し。ウィンウィンじゃない」
「それ、あたしも一枚噛ませてくれないかい? その雑貨屋に試食させたものと同じものが売りたいから、兄ちゃんは血相変えてうちに来たわけだろ?」
「いいとも。ただし――」
――そこで言葉を区切り、リンゴは思い切り下卑た笑みを浮かべる。
「売上高に対し毎月5%のロイヤリティを払ってもらうが、この条件飲めるか?」
「…………なるほど、そこまで見越して最初にあたしの所に来たってのかい。もちろんそのくらいはするさ。事業拡大のチャンスだからね」
「ありがとう。それじゃ契約書にサインを」
紙を差し出してから、リンゴは付け加える。
「あ、注意事項だけどちゃんと味付けはしっかりしなよ? 塩味だけでやってるけどたぶんそれも遠くないうちに飽きが来る。新味の開発とそれから売るタイミング、季節に要注意だ」
「そこまで教えて良いのかい?」
頭に思い浮かんだことを片っ端から説明するリンゴが面白く映ったようで、女店主はくすりと笑う。
「当たり前だ目には見えないがこれもれっきとした商品だ。……売ったものには責任持つべきだ。あなたもそうだろ?」
そこまで言い切ると、女店主は観念したとばかりに両手を挙げる。
「可愛いのにすごいねぇあんたは。将来大物になるよ」
「ありがとう。私もそのつもりだよ」
かくして、雑貨屋に教えたレシピと同じ物を女店主にも手渡し、毎月5%のロイヤリティの確保とおまけに鉄鍋を無料にしてもらったところで、リンゴはハルとハンスがいた広場に再び戻ったのだった。