イロジカル・ゲーム-The girl of match merchant-   作:職員M

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第五話 次なる一手

「待たせたな、寒かったろ?」

 

 先ほどの一幕など無かったかのように、リンゴはあっけらかんとしている。その態度に、ハルは思わず身震いした。あれほど恐ろしいリンゴの表情は今日初めて見た。そして今、何故ここまで感情の起伏を感じさせないほど落ち着いていられるのか。

 

「無様だったろう?」

 

 何も言わないハルに、リンゴはそう言いながら苦笑する。ハルは何も言えずにただ首を横に振った。ゆっくりと語り始めるリンゴは、その口調に同調するように実家から離れるように歩き始めた。ハルもその後に続く。

 

「私には姉がいてな。それはそれは愉快な奴だったんだ」

 

 言葉とは裏腹に苦虫を噛み潰した顔をするリンゴに、ハルはただ横顔を見つめて次の言葉を待った。

 

「奴も私と同じくあのクソ野郎から10万クローネで家を出る条件を課せられて、たったの3ヶ月で家を出て行きやがった」

 

「えっ?」

 

「私の記録はさっきハルも聞いたろう? 一年でも十分だと思うぜ。一般的な二年目の勤め人くらいの年収だ」

 

「道理で商売に慣れているわけですね……」

 

「慣れてるわけじゃない。本で読んだ知識をちょっとばかし応用してるだけに過ぎない」

 

「それでも……」

 

 応用を効かせただけではあそこまではできない、と

 

「だが、あの姉はやり遂げた。パフォーマンスで言えば私の400%の利回りだな」

 

 そう言いながらなおもリンゴは苦笑する。まるで自分の力が実姉には遠く及ばないとでも言うように。

 

「……間近で見たわけでもないからどうやったのかはてんで見当がつかない。ただ、奴ならやり遂げただろうなァってのだけは確信がある」

 

「なんで、ですか……?」

 

「簡単だよ」

 

 リンゴは少し溜めを作って言った。

 

「私が生まれてから一度たりとも、奴に勝った試しがないからだ」

 

 真っ直ぐにハルを見つめるその瞳に嘘の色はなく、ただ淡々と事実を告げていた。

 

 

 

 

 噂は街を駆け巡り、それは風に乗って国を廻る。それに尾ひれはつくだろうが本質の部分が揺らぐことはない。ここにもまた、新たな噂が生まれているところだった。

 

 曰く、一夜にして巨万の富を得たマジシャンがいると。

 

 曰く、どこぞの風来坊が市場を荒らして回ると。

 

 曰く、赤い外套を身に纏った少女が全ての舞台裏を仕切っていると。

 

 

 デンマークという国は小さい。大晦日に起きた奇跡にさぞかし熱狂したのであろう人々は、深夜になっても眠ることなく、自らの目で確認した事柄を次々に人に伝えていた。ある人は友人に、ある人は家族に、ある人は部下に。

 

 

 

 

 一夜にして名前が売れたことに気が付くこともなく、リンゴはすやすやと眠っている。目を閉じていれば作り物のように美しく整った顔立ちはまるで人形のようだった。そんな寝顔を見ながら、ハルは思う。

 

(リンゴさんは、これまで一体どうやって……?)

 

 先ほどの話はハルにとっては衝撃だった。あれほどの技量を持つリンゴが、未だ一度たりとも勝ったことがない相手がいると。1万クローネを1年で稼ぎ出す自分より少し歳上なだけの少女は、一体どれだけの苦労を重ねてきたのだろうか、と。

 その回答を想像するまでもなく、ハルもまたハンスのベッドの上で意識を手放したのであった。

 

 

 

 

――――――――――

 

「レーネ様。本日発見致しました。仰るとおり赤い外套を着た銀髪赤眼の女の子。間違いありません」

 

「お疲れ様です。よくぞ1年間監視してくれましたね」

 

「ありがたきお言葉」

 

「とうとう鳥籠を出たのねリンゴちゃん……。楽しみだわ」

 

 不気味な笑みを浮かべた黒髪金眼の少女は、奇しくも外見がリンゴとそっくりであり――

 

「鼎商同盟代表として、いつか会いたいものだわ」

 

「はっ! 必ずや最高の舞台をご用意いたします!」

 

「無理されなくても大丈夫ですよ。……機はいずれ熟します」

 

「レーネ様の仰せの通りに」

 

 リンゴの永遠の宿敵とも言える実姉そのものであった。

 

 

 

「んっ……んぅ」

 

 翌朝、ハルが目を覚ますと、ベッドには自分一人だけであることにすぐ気が付いた。ふとベッドの下を見下ろしてみると、そこにはまだ気持ち良さそうに眠っているハンスがいた。……ということは、今起きているのはリンゴだけだとは思うのだが、この部屋にはいないようだった。ベッドから降りてリンゴを探しに行こうとした、まさにその時だった。

 

「リンゴ……さ」

 

「じっゆうはいいぞ♪ じっゆうはたのしいぞ♪ ふんふふんふふんふん♪」

 

 ハイパー上機嫌に自由極まりない適当な歌を口ずさみながらリンゴがドアを開けて入ってきた。何故か寝巻きではなく下着姿で、昨日には見られなかった満面の笑みを浮かべて。 

 

「…………」

 

「…………」

 

 まさかハルが起きているとは思っていなかったのだろうリンゴは、今まさにベッドを出ようとしていたハルとばっちり目が合い、そのまま固まる。ハルもまた、予想外のリンゴの姿に絶句せざるを得なかった。そのまま10秒ほどが過ぎ、

 

「あの、リンゴさ」

 

「忘れてくれええええええええええ!!」

 

「ひやっ……!」

 

「ぐえっ!」

 

 両肩を掴まれて出ようとしていたベッドに再び押し倒されたハルは、絶叫しながら顔を近付けるリンゴの剣幕に押されつつも赤面する。そして近くで何かが踏まれたような声が聞こえたような気がするが、今はそれどころではなかった。

 

「そんな、朝っぱらからだなんて」

 

「ちっ違う! 違うんだ! まさか起きてるとは思ってなくて」

 

「積極的なのもまた……!」

 

「おい一体誰が俺を踏みつけて……ん? リンゴ、何やってんだ?」

 

「はぁ!? ハンス何起きてやが……てか見んな!!」

 

「理不尽!」

 

 赤面させて上半身をかばうようにかき抱いたリンゴはそのまま再びハンスを踏みつけた。そして再びハルを見やる。

 

「ハル、私は別にクールさを売りにしてるわけじゃァない。それでも、いくらなんでも、あれはダメなんだ」

 

「じゃ、じゃあどうすれば……?」

 

「何か一つ言うことを聞こう。何でもいい。だから口外だけは勘弁してくれ」

 

「何でも……?」

 

「ああ、約束は守る。守るから他言だけは」

 

「分かりました! 分かりましたからハンスさんの身体の上で土下座は止めてください!」

 

「もっと早めに言ってやって欲しかったぜ……」

 

 リンゴの下敷きになりながらハンスは言ったのだった。

 

 

 

――――――――――

 

 昨日の残りを朝食にした後、リンゴの主導で一行は昨日と同じ広場にやって来ていた。

 大方の予想通り、大晦日ほどの賑わいはなく閑散としている。

 

「リンゴ、昨日とは試したいやり方って一体……?」

 

「ちょっと待ってくれ。準備するものがある。……ハンス、昨日みたいに枯れ木を集めてくれるか?」

 

「火を起こすんですか?」

 

「そうだ。昨日と用途は違うんだけどな」

 

 にやりとしながらリンゴは答える。何か分からないが策はあるらしかった。こうなるとハルもハンスもまずはただ言う事を聞くしかない。それほどまでの力量差を嫌というほど痛感していた。

 

「でも、枯れ木なら私が……」

 

「いや、ハルは一緒に付いて来てくれ。これから行く所があるから」

 

「分かった。枯れ木拾いは任せてくれ」

 

「男の子だからきっとハルより沢山拾ってくれるんだろうなぁ……! 期待してるね」

 

「見てやがれ」

 

 ハンスの返しに黙ってはにかんだリンゴは、ハルの手を取って歩き始めた。

 

 

 

 ハルを連れたリンゴは、昨日のマジックパフォーマンスをした場所から反対側にある商店が並ぶ通りのうちの一つの店に入る。

 

「お野菜買うんですか?」

 

「ああ、仕入れにな」

 

「いらっしゃい! ……とこりゃたまげた。昨日の英雄ちゃんじゃないか」

 

奥から出てきた大柄な店主は、リンゴを見るやいなや挨拶がわりにそう声を掛けてきた。

 

「お客さん獲っちゃってごめんね?」

 

「構わねぇよこっちで散々買ってもらった後だ。ところで今日は?」

 

「とうもろこしの種が欲しいんだけどね。干したやつ。ある?」

 

「あるぜ。ひと袋100クローネだ」

 

「100クローネね。ちょっと待っててね。……ところで昨日は儲かった?」

 

「そりゃもう凄かったぜ! 毎日が大晦日だったら良いのになぁ!」

 

「だよねぇ! 半年もあれば私もお金持ちの仲間入りだ」

 

「ハハハ言うじゃねぇか! そんなに儲かったのか?」

 

「まぁここで散財出来るようになったくらいにはね」

 

「冗談言うなよ。ここは超リーズナブルでお客様の財布に優しいベジタブルショップだぜ?」

 

「私は虚業みたいなもんだからねぇ……」

 

「いやいや昨日はそっちのも大したもんだった。ありゃあ俺らが練習したってできないだろさ」

 

「おっ! 見ててくれたんだ?」

 

「この通りの奴らなら皆仕事ほっぽって食い入るように見てたぜ」

 

「ほほう、そうなんだ。ま、眺めもいいしねぇここからならよく見えたはずだよ」

 

「ある意味特等席ってやつかもな」

 

と、店主が言ったその時だった。

 

「ダメだねぇ? 観覧代もらってないよ?」

 

「んなっ!?」

 

「確かに『見えた』ならしょうがない。嫌でも目に入ってくるしさ。でもさっきあなた言わなかった? 『通りの奴らなら皆仕事ほっぽって食い入るように見てた』って」

 

「お、おう……」

 

「お代は一人10クローネだったんだよねぇ……」

 

「分かったよ後払いでいいか?」

 

「いやいや今から取るのも申し訳ない。ただとうもろこしの方をちょっとだけ融通きかせてもらえないかな?」

 

「……なら差額で90クローネでどうだ?」

 

 冷や汗をかきながらそう言う店主を見て、完全に支配した空気を感じ取ったリンゴは嗜虐的な笑みを浮かべ、止めの一言を刺した。

 

「そういえば昨日町長と連絡先交換したんだったな」

 

「1クローネで構わん! タダ見は見逃してくれ!」

 

「ありがとう! また来るね」

 

「毎度あり……」

 

 その返答を聞くやいなや直ぐ様手に持っていた1クローネ硬貨を店主に手渡し、とうもろこしの袋を持って悠然と去るその背中は、いやがおうにも只者ではないことを店主に知らしめたのであった。

 

 

 

「やっぱり……リンゴさんは凄いです!」

 

 野菜売り場からの帰り途中に、ハルは思わず言った。間近でリンゴの交渉術を目の当たりにしたのだから無理もない。ただでさえ心酔しているこの状況に、新たなスパイスが加わったと言わんばかりだ。

 

「昨日ちょっと表舞台に立ったろ? その時向こうの方まで見てみたら揃いも揃ってアホ面かいてたもんだからこいつは使えると思っただけだよ」

 

「あの状況でそんなところまで見てるだなんて……」

 

「まぁハルと出会う前に下見はしてたんだけどな。ここまでハマるとは思わなかったよ」

 

「でも、そのとうもろこしどうするんですか?」

 

「まぁ見ててくれよ。こいつもまた本で読んで知った内容だが、昨日今日と見た感じじゃ他に誰もやってないしなァ。商機はあるはずだぜ?」

 

「楽しみです!」

 

「なぁハル、一個聞きたいんだけどな?」

 

 急にリンゴが一段と声を低くし、ハルに尋ねる。その様子にハルは思わず息を呑み、何を言われるのかと戦慄する。

 

「な、なんでしょう?」

 

「昨日のアレだが、楽しかったか? お前がこれまでやってきた事に比べてどうだ?」

 

「すっごく楽しいです! 毎日こうだったらって夢に見るくらいに!」

 

 ハルは即答した。それほどの奇跡を目の当たりにしたという自信は間違いなくあった。

 

「そっか……。やっぱり声を掛けて良かった」

 

 何故か少し俯きがちにしながらリンゴは返した。

 

「リンゴさん?」

 

「いや何でもない。とりあえずここからもある程度は楽しめると思うぜ? 期待しとけよ」

 

 すぐにいつもの不敵な笑みを浮かべ、それがまたハルを安心させるのだった。

 

 

 

 

「こんにちはー」

 

 リンゴがハルを連れて次にやってきたのは日用家具品屋だった。暇そうにしていた女店主が、久しぶりの客だと言わんばかりにリンゴ達を出迎えてくれる。

 

「おやいらっしゃい! 可愛いお客さんだこと」

 

「……まぁ私はともかく、こっちの子はマジに可愛いでしょ?」

 

 軽く赤面しつつも、ハルを示しながらリンゴは言う。

 

「なに言ってんの。あなただって十分可愛いよ!」

 

「上手いこと言うね! 一体何を買わされるんだか」

 

「ははは! 女の子にそんな高いもの売りつけられないよ」

 

「流石に買うのは無理だねぇ……。ねぇ、これって時間決めて貸してもらうことってできない?」

 

「うちではそういう事はやってないんだけどねぇ……」

 

「使い勝手が良かったらこの商品とここのお店を宣伝しておくけど、どうかな?」

 

 

 

 

 その言葉を聞くやいなや、女店主はいきなり商人の顔になる。その変わりっぷりにハルは戦いたが、リンゴは涼しい顔だ。

 

「お嬢ちゃんなかなか上手だねぇ。でも商品は一度使うと二度と売り物としては並べられない。本当に貸し出すだけの回収が見込めるってんならいくらでも貸すけどさ」

 

「それなら心配しなくて良いよ。ここにある商品が安いだなんてこれっぽっちも思っちゃいない。鉄なんか今高騰してるもんねぇ」

 

「よく分かってるじゃない。結構な仕入れ値がしてねぇ一つ600クローネなんだ。もし一人たりとも見込み客が来なきゃ、どうしてくれる?」

 

「期限にもよるけど買い取るよ。その1.5倍で」

 

「言うねぇ。なら契約書を交わしてもらおうか。そこまでするなら貸そうじゃないか」

 

 その言葉にも動揺することなく、淡々とリンゴは契約書へのサインに応じ――

 

「じゃ、この鉄鍋は最高に有効活用した後に然るべき形でお返しするよ」

 

「ありがとうね! 900クローネを期待して待ってるよ」

 

「いやいや、新しいお客さん期待しててよそこは」

 

「お嬢ちゃん、なんか年相応じゃないような雰囲気はあるけど生憎わたしゃクローネしか信じないんでね」

 

「商人としちゃ完璧じゃないか。私もそうさ」

 

 そこで会話は終わり、満足気な笑みを浮かべてリンゴはその場を去ったのだった。

 

 


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