イロジカル・ゲーム-The girl of match merchant-   作:職員M

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第二十七話 窮地の商人たち

 翌朝、ハルは目を覚ますと昨日の事を思い返して身震いした。寒さが染みるせいではないだろう布団の中で回想する。本当にあの元海賊長と対峙したのか。これまで何も持っていなかった自分が……?

 仮に自分がリンゴさんだったならどうするか。その気持ちだけで突っ走っていたが今思い返してみれば大それたことをしたものだ。

 

「が、頑張ろう……!」

 

 決意を新たにし、朝なので珈琲を淹れにいく。最近はリンゴがハルの珈琲を楽しみにしているらしく、ハルもまた朝起きたら半分以上リンゴの為に淹れることを日課にしつつあった。

 

「あ、ハルか。……おはよぅ……」

 

「リンゴさん! おはようございます!」

 

 実に珍しくハルよりもリンゴの方が先に起きていた。だが目の下にはうっすらと隈ができており、普段よりも少しばかり白い顔色は良からぬ様子を孕んでいた。

 

「うぅ~……まとまらん」

 

「昨日は眠れなかったのですか?」

 

「寝たのは寝たが……睡眠はあってないようなもんだな。なんせ現状を考えるとこいつの数字が上がりゃしねぇか何度も見返しちまう」

 

 リンゴが懐から出したものは紙の束だった。

 

「なんですか? それ」

 

「これ? リンゴ商団の全て」

 

「……!?」

 

 欠伸をするリンゴがひらひらと力なく振るそれは、既に何度も見返したのか所々が切れており、捲られた形跡があった。

 

「リンゴさん……もし良かったら私にも見せてもらって良いですか?」

 

「当たり前だよ。ハルだけじゃない、リンゴ商団のメンバーなら全員いつ見ても良いようにしているつもりだ」

 

「ありがとうございます」

 

 ハルはリンゴから帳簿を受け取ると、その中身を確認する。両替商の娘だ。帳簿の読み方は無論心得ているし、そこから読み取れる情報も多くアドバイスすらできる。……しかし目を通して数瞬もしないうちにあまりにも膨大な情報量に目眩を覚えるのである。

 

 

――――私にこれが、できるだろうか。

 ハルの脳裏に咄嗟に過ぎったのはそのような思い。

 

 

 

「これは……」

 

 単なる財務情報に留まらない。各商店の主力商品、店主の性格、展開している市場規模とその動向、ネックとなるポイント、マッチング相手に求め得る条件等々、およそ想定し尽くすことのできる全ての情報がそこには書かれていた。

 

「まだ足りないんだよ……」

 

「何が……ですか……?」

 

 朝起きてすぐだというのに、ハルは既に珈琲を飲んだ時以上に目が冴えていた。脳が恐ろしい程の勢いで回転し何かしら答えはないかと探る。気温の低さも手伝ってか、思わず浅くなる呼吸は白い息を生み出していた。

 

「敵の主力規模及び主力部隊の情報だ。ダンスケ銀行は流石に押さえきれなかっただろうが少なくとも金融を牛耳るだけの実力はある。その辺りの力の見極めだな」

 

「それだと鼎商同盟の誰かを抱き込む必要が……?」

 

「それか――――」

 

 リンゴ意味ありげな笑みを浮かべる。

 

「――――こっちから潜り込ませるか、だ」

 

「そんな難しいこと、誰ができますかねぇ?」

 

「ま、ぶっ飛びすぎる案だから実行できるかどうかは分からないがな! ハルやエミルは顔も割れてるし私がいくなんてもってのほかだ。少なくとも顔が割れていない人間じゃないとだな」

 

 カラカラと笑いながらも、どこか眼だけは真剣な様子でリンゴは言い放つ。

 一体どこまで本気なのか、今のハルには分かる由もない。ただじっとリンゴの眼を見ながら考えてはみるものの、ついぞ何も得られずじまいであった。

 

 

 

――――────

 

 ハルはルーティンとしている業務に戻りつつ、メアリとの会話を思い出しながら、自分が今何をすべきなのかを考える。

 

「私はいつも通りやるだけ……?」

 

 あの帳簿は自分にとっても衝撃だったと言わざるを得ない。ありとあらゆる情報を俯瞰することで得られる情報網。それだけでも十分価値があるというのにそれをメンバー全員に共有できる……?

 

 その点を取っただけでもハルにとっての常識とはかなりかけ離れていた。だが同時に不安も覚えるのである。

 

「私たちが考えていたこと……。敵の誰かを抱き込むという作戦を鼎商同盟がやってきたら……?」

 

 そうなると、リンゴ商団の情報は敵に筒抜けだ。相手の情報は手に入れられないのに、こちらの情報は明け渡すことになる。これがどれだけ勝負で不利になることか。

 

 慌ててリンゴの元へと駆け走ろうとしていたハルは、一度思い立つ。

 

 

 

 

 

 そう、仮に()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 思えば、リンゴは初めから低価格競争に脅威は示しつつも一貫してそれに対抗しようとはしておらず、言うことはただ『票を意識しろ』ということだけ。

 

 ……それはつまり、元より商団としての売上高を武器としていないということだ。確かに、この短期間で売上高で勝負することは厳しいだろう。それはハルでも簡単に想像が付く。

 ではユミルのような人気商売……? いや、それは誰しもができることではない。ハルとて、それは例外では無い。あれは天性の才能を持って生まれた人間だけができる技だ。

 

 

 そこでの協業。今までに無かったサービスを、リンゴは生み出そうとしている。そこに商機を、そして勝機を見出しているのだ。

 

 そこまでは分かる。

 

「でも、具体的にどうやって勝てば良いのか……。私にはまださっぱりです」

 

 肩を落としかけた時に、リンゴの言葉を思い出す。

 

『真実ってのは得てして目に見えてるくせに気付かねぇもんなんだ』

 

 真実……。ここでの真実は票……。

 

 でも票は何の具現化? リンゴさんが大切にし続けてきたもの……。それは信頼だ。

 

 顧客との信頼だけではない。仲間内との絶対的な信頼関係は最初の出会いの頃から一切変わらない。

 

 誠実な商売。価格競争に頼らず、持続的な関係を作り上げる。でもその先に何がある……?

 

「かはっ……」

 

 酸素が不足している。思考しようにも、何もかもが足りていない。私は意識的に深く呼吸をする。知らぬ間に頬を伝う汗を拭いながら、ふと冷静になる。

 ……今の私には、これ以上は追いつけない。

 

 

 

 

―――――――――

 

 

 身体が重い。人の話を聞いてそれを記録している自分の手は信じられても、その内容が頭に定着しているかどうかは不安になるレベル。

 

「ビレ、今の話が本当ならあんたは間違いなく独自路線を貫いた方が良い」

 

「うちはしがない人形屋ですが……。このままで大丈夫なんでしょうか」

 

 その問いに対し、リンゴは2本指を立てる。

 

「ひとつ、ビレの店には一定以上の固定客がいる。ふたつ、緊急性のある商品でもなければ家にいながら買うことができるメリットも薄い。それに、人形ってのは送られてくるより直接手渡しした方が効果が高いからな」

 

「なるほど。ではうちがすべきことは今まで通りの営業と?」

 

「いや、せっかく今は全員で一致団結しているところだ。この商団を思いっきり利用してやろうぜ?」

 

「利用と言いますと? 俺は根っからの職人ですよ? これまで誰かと協力したことなんか一度も無いです」

 

「協力? 今のビレには一切必要ねぇじゃねぇか! 売り方は変えずに商売のしかただけを変えたらいい」

 

「何を仰っているのか……さっぱり……」

 

 突如として口調を変えたリンゴに気付かない様子でビレは答える。

 

 

 

 

 

「分かってるくせにぃ……!」

 

 しかしそれに対し、リンゴは敢えて下衆な笑みを浮かべる。

 

「今何としても欲しいのは食い扶持の繋ぎ方だろ? 鼎商同盟にしてやられて資金繰りに困っているところに、勝てる馬かどうか分からない奴らがやってきた、と。違うか?」

 

「……そうだよ、その通りだよ! 俺は一人で商売してきたのに、訳の分からない奴らに囲まれてどうしようもねぇ! こっからどうにか出来るんならやってもらいてぇな!」

 

 一気にまくし立てたビレは、言葉が足りなかったと言わんばかりに近くの作業台を力いっぱい蹴飛ばす。すると大きな音を立てて揺れた机から一つの作りかけの人形が滑り落ちた。

 

「あっ……」

 

 その様子を見逃さなかったリンゴは、咄嗟に手を伸ばして人形をすくい取る。

 ギリギリのところだ。危なかった……。

 

「あっ。……ありがとうな」

 

「人形屋なら八つ当たりする先も気を付けろよ……。ま、無事で良かったけど」

 

 リンゴ自身が心底安心しつつも、無事に拾った人形を丁寧に手渡す。

 

「今丁度作っていたところのパーツなんだ。……こいつが無ければ」

 

「ビレ。人形の売れ行きは大体イベントごとか誕生日の日で間違いないな?」

 

「な、なんだ急に」

 

 一つ流れが変わったところですかさずリンゴは尋ねた。

 

「それで間違いないなら、花屋のベンクトが力になってくれるはずだ」

 

「あいつならつるむぞ。たまに飲みに行く仲だ」

 

「でも顧客リストを見せてもらえるほどの仲にはなってない。違うか?」

 

「そ、そりゃそうだろうさ。誰が他の商人に自分の客のリストなんか渡すもんか」

 

「当然だ。これまでの"普通"ならそう考える」

 

「何だと......?」

 

「ここはリンゴ商団。ベンクトとの契約にももちろん顧客の共有は織り込み済みだ。不安ならここに契約書もあるからそれを持って行きな。自身の商売に繋がるとなったら喜んで見せてくれるはずだぜ? 花はイベント毎に売れるもんだ。顧客の誕生日を知ることなんか造作もないだろうさ」

 

「それだけで売上が上がるだなんて......」

「上がるさ。ベンクトは花屋のトップ。そしてあんたは他の誰でもない人形屋のビレなんだから」

 

 リンゴ商団のトップとして、そして一商人として万全の自信を持ったリンゴは応えた。

 

「........ありがとう! そうと分かればすぐ行ってくる!」

 

 リンゴが差し出した契約書を掴んだビレは颯爽と駆け出していった。

 

 

 

 

 

 出て行ったと同時にリンゴはその場に崩れ落ちる。隠す相手が居なくなった今となっては自身の具合の悪さに向き合うしか無い。

 

 これまでは自分の商売にだけ目を向けていれば良かった。※PDCAサイクルの規模も早さも、自分のペースで調整できた。ところが今となっては組織員一人一人のペースがあり、それを全て統一していかなければならない。

 

 

「……こいつは、思ったよりキツいな」

 

 

 体調管理の甘さと実際に向き合う現実に軽く絶望しながらも、リンゴはあくまでも前を向く。

 

「……ま、倒れたらハルが何とかしてくれるし、私は私が出来ることをするまでか」

 

 口先では全てを投げ出すような発言をしながらも、リンゴは真剣な表情を浮かべる。

 

「私がいない間の一日の動きって、どうすりゃ良いんだろうなァ……?」

 

 メアリの動きか、エミルの動きか、はたまたハルの動きか。どれをとってもリアルにシミュレーションできるものは無かった。

 無論自身にそこまで自信を持っているわけでは無い。仮に一日いなかったとて周りが何とかするだろう。

 

 ただ、今の状況的には不在にするわけにはいかなかった。あまりにもリスキー過ぎる。

 

「誰がその決定権を取るのか。今ウチの周りに居る奴ら(スパイ)が鼎商同盟に口告げするんじゃねぇのかなァ?」

 

 フラフラする頭を抱えるようにして立ち上がると、自分の寝床へと向かった。

 

「まあ、そうなったらそうなった時、か……」

 

 寝床に潜り込むと、リンゴは泥のように眠ったのであった。

 

 

 

 

※PDCAサイクル:PプランDドゥCチェックAアクトを1サイクルとした業務の捉え方。エドワーズ・デミングによる提唱。ビジネスマンはよく耳にするものの本来の意味で使われていることは実に稀!悲しきかな現代経営学用語!!

――――――――

 

 夢を見た。

 

『お姉ちゃん! 行かないでよ!』

 

 実家の外に出ている状態で姉のフードの端を握りながら自分は叫ぶ。

 

『リンゴちゃん! 貴女はもっと外に出なさい!』

 

 縋る自分を蔑んでいるのか、或いは何かに導いているのか、あれほど憎んだはずのしかし今はどうしても傍に居て欲しいレーネに向かって私は言う。

 

『な、にを……言ってるの?』

 

『その方がもっと、面白くなるからよ!』

 

 その時に私に向けた顔は、純粋な笑顔であった。

 

 

 

 

「……ッンゴさん! リンゴさん!」

 

「あぇ?」

 

 散々揺さぶられた後らしいリアクションで眼前のハルは言う。

 

「あ! やっと目覚ました! 今日どうしますか!?」

 

「い、や……どうしろて」

 

「ゲオルグさんが裏切ったんですよ!!!」

 

 ハルのその一言で完全に目を覚ましたリンゴはよいしょと言いながらベッドで上体を起こす。

 ニュボーで仲間にした男で妻子持ち。宝石商を生業にしながら私に符帳を持ちかけてきた唯一の人物。

 

「アイツは宝石商だったろう。今の鼎商同盟が欲しがるとは思えないが」

 

「でも顔は広いですよ。恐らくリンゴ商団の中では随一といっても良いくらいには」

 

 ハルの顔は真剣そのものであった。"どうすんだこの野郎"と。昔の自分なら言葉にしてぶつけていたであろうそんな表情を浮かべていた。

 それに不謹慎ながら笑みすら浮かべてしまう。

 

「……ック!」

 

「ふぁい!? なにがおもしろいんですか!!」

 

 顔を真っ赤にしながらハルは叫ぶ。

 

「よく考えりゃいかにも裏切りそうな奴じゃねぇか! 仕方ないだろこればっかりは」

 

「だったら今までの情報全ても全部鼎商同盟に筒抜けですよ! 私たちが正攻法だけで勝負しようって……!」

 

「ハル。今おめぇが言ったのはガチだぜ? 私たちは最後まできっかり正攻法だけで勝負する」

 

 ギラリと眼を光らせながらリンゴは言う。ハルはだからこそ眼を真っ直ぐに向き返してくる。

 

「今の状況で正攻法なんて……! 鼎商同盟に買ってくださいって言ってるようなものじゃないですかぁ!」

 

「だったらハルが何とかしてくれないか? 私はご覧のようにめちゃくちゃ体調が悪い。これは本気で」

 

「私、が……?」

 

「そうだよ。ハル、頼む……!」

 

 

 

 

――――――――

 

 リンゴさんの顔色は明らかに悪い。しかし、リンゴさんの代わりに自分がなれるとは到底思えない。

 

「私なんか、まだまともにマッチも売れないんですよ?」

 

「いやいや、それでまともに売れてないとか謙遜にも程があんだろ!」

 

「なんで……?」

 

「私がおめぇと同じ歳の時にはまだマッチ20箱すら売れてなかったぞ……クフフ……」

 

 ベッドの上でリンゴさんはしんどそうに笑う。

 

「いやでも! 今じゃ私の商売の師匠で、憧れの人で……命の、恩人でッ……!!」

 

 私の中からブワッと不安やプレッシャーが涙となって溢れ出した。

 

「泣くなよ。死ぬわけじゃ無いんだからさ」

 

「じゃ、じゃあ……。きょうだけがんばったらほめてくれますか……?」

 

「ああ、褒めるよ。約束する。だから今日だけ、何とか頼む……!」

 

「……分かりました。 今日だけ、何とかリンゴさんの代役を務めます!」

 

 私はリンゴさんが差し出した片手を無視して身体を抱きしめたのだった。

 

「ちょ、ハル……?」

 

「私に任せてください……!」

 

 

 

 

――――――――

 

「起きろォォォォォォォォォ!!!!」

 

 まだ商団の活動の時間にしては早い太陽が少し昇ったばかりの時刻に大きな声がこだました。

 

「……ん? 団長ッスか? ……あれ?」

「おいおいリンゴこんな早くから……うん?」

「うるせぇよリン……あ?」

 

 皆思い思いで声のする方を向いたが、そこに居たのはいつもの生意気そうな赤いフードを被ったメスガキではなく、

 いかにもポンコツそうな形をしながら一斉の視線を受けながら身体を震わせているメスガキであった。

 

「本日は残念ながらリンゴさんがお休みになる! だから私が前に立つ! まだ寝ている仲間が居れば非常にありがたいや何でも無い!!」

 

「「「「……」」」」

 

「鼎商同盟の糞野郎共を今日こそ打ち破ろうぞ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれで大丈夫なのか?」

 

 ベッド横に待機していたエミルにリンゴはささやき気味に聞く。

 

「まぁまぁ、団長が信じた弟子の動きでしょう。信じるしか無いですよ」

 

 

 しかしその直後、割れるような拍手と指笛が鳴り響いた。

 

「そこで演説するの、私じゃ無くても勢いある奴なら大丈夫だったっぽいな」

「いやいや! そんなことは無いですよ!」

「まぁ良いよ」

 

 リンゴは口元に笑みを浮かべながら答える。

 

「今日のハルの動きが全ての答えだ」


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