イロジカル・ゲーム-The girl of match merchant- 作:職員M
「よし、行ってくる」
翌朝、ハルの手を引いたリンゴは大勢の商人に見送られて拠点を出た。多くの期待の視線を受けつつ、微かなプレッシャーを背に立候補するべく役所へと向かう。
「……どう戦いますか?」
「いつも通りやるだけだ」
しばらく歩いた後に急に尋ねたハルに対してほとんど時間を置かずにリンゴは答える。
「昨日聞いた情報だけでもかなりの資本力がある相手だ。私たちだけで勝てるとは到底思わない。向こうが組織で来るならこちらも組織で対抗するだけだ。あとはただ、普通にやりゃ良い」
「今まで組織で商売したことなんて……」
「ん? あるぞ?」
「えっ……?」
「オーデンセではハンスと市長、雑貨屋と組んだし道中は運送屋と、ニュボーでは権力と海賊と組んだ上ゲオルグまで味方に付けた。私だけで商売をした試しは殆ど無い」
「確かに……」
「あと一人大切な人を忘れてるが……」
「誰ですか?」
「それはハルが考えてくれ」
真顔でリンゴは答える。ハルが答えを出そうと頭を捻っていると、気が付けば大きな建物の前にたどり着いていたことに気付いた。
「さて、着いたぞ」
いつしか建物を見上げながらぼーっとしていた自分を置いたまま役所へと入っていくリンゴを、ハルは慌てて追いかけたのだった。
――――――――――
「団体名は『リンゴ商団』で宜しいですか?」
「それで頼むよ。……ところでエントリーしている店があとどれだけあるか教えてもらえるか?」
身を乗り出してリンゴは問う。
「あなた方を含めて4団体です。具体的な店名は選挙開始までお教えできませが」
「いや十分だ。今日がエントリー最終日だったな?」
「その通りです」
「んで、ここでの専売権はコペンハーゲン住人の投票数が最も多かった団体に譲られると」
「……内容は掲示板に書いていたと思いますが?」
「悪い悪い。ただの確認だよ。書面じゃあぱっと見で見えないくらいの小さな字で
身を乗り出して受付の女性に真っ直ぐな瞳を向けるが、返ってきた言葉は平坦なものだった。
「フッ……参加者を騙すようなことをすると思いますか」
鼻で笑うような態度に、リンゴもまた表情は変えずに返す。
「おめぇらが損するようなイベントは万に一つにもねぇだろうよ。……ところで見事一番の投票率を得られた団体にはどれだけ課税が課されるんだろうな? そいつは掲示板には書かれていなかったが」
「ご心配なく。現在この街でお店を営んでいる方々と同等の課税をこれまで通り頂戴致します。わざわざ書くまでもないと判断したまでです」
「後付けじゃないことを祈ろう。……まぁ話は分かった。純粋にこの街を活性化させたいが故の施策……。こいつを信じたらいいんだな?」
「全くその通りでございますよ。……それではご健闘をお祈りします」
「色々サンキューな。私たちが勝った暁にゃここ一番の課税してやるぜ」
「期待していますよ」
あくまでも儀礼的な態度は崩さず、ビジネスチックな笑みを浮かべると話はそれまでとばかりにそっぽを向く。
リンゴもまた再びハルの手を取ると出口に向けて歩き出した。
――――――――――
拠点に戻ると、エミルにエントリーを完了した件と他の団体が3つあることを伝え、全人員を集めるよう指示すると人心地をつく。
「……実質奴との一騎打ちってところか」
「えっ……鼎商同盟とですよね? なんでですか?」
「有り得る可能性があるとしたら元からここを支配してた層とその下克上を狙っている層の二つ。それ以外は我々と鼎商同盟でしかない。知名度で圧倒する鼎商同盟と私たち。相手になると思うか?」
「で、でも元々ここを支配していた層なら……」
「だったら――――」
リンゴは邪悪に嗤う。
「――――そもそもこんなしょうもない選挙起こすはずないよなァ?」
「あっ……」
支配層は大きなアドバンテージを得る。それは資本主義もスポーツもはたまたゲームであっても同様である。争いすら起こらせずに勝つ。それが強者の戦い方である。
「待たせたな。全員揃ったぜ」
そこにエミルがメンバー全員を連れてリンゴの前に姿を現した。
多種多様な商売道具を手にしたリンゴ商団の面々は一様に不敵な笑みを浮かべる。
「ご苦労。それじゃ、作戦会議を始めようか」
皆の態度に応えるようにリンゴもまた、同じような笑みを浮かべた。
――――――――――
同じ頃、コペンハーゲンの某所にてレーネ達もまた、リンゴ一行改めリンゴ商団と同様に作戦会議を始めたのであった。
「我々はこれまでよりも強く、確実にこの場を占拠しなければなりません。それは皆さんも分かりますよね?」
「はい!!」
部下たちの強い返事満足しつつ、レーネは言葉を続ける。
「今回の選挙において最も重視すべき好敵手は"リンゴ商団"。その認識はもちろん認識できていますよね?」
「あいつらは必ず蹴散らすまで!」
幹部の一人がそう言うと、残りの人員もそれに倣う。
「リンゴちゃんのことはよく知っていますが、これまでの彼女じゃない。私は今まで相手にしてきたどの商人よりも最大の警戒を以て臨むつもりです。皆もその心づもりで臨むよう万全を期しています」
これまでの余裕溢れる笑みではなく、真剣そのものの表情で語られる彼女の言葉は、下々の人間には大きく応えたらしかった。僅かに緊迫する空気に、目ざとい幹部が敢えて明るい口調で全体を諭す。
「そうは言っても完全無敗の我々だ。今回もレーネ様の指示に従っておけば敗北はない!」
「そうだそうだ! また一つ重要な勝利をおさめるだけだ!」
それでもレーネの表情は明るくはならない。警戒を最大限にしつつ、黄金色の瞳を光らせる。
「油断は大敵。……ですが、読めません。何故このように無謀な戦いを挑んでくるのか」
「自暴自棄になった商人軍団の集まりでしょう!」
「そんなに単純だと良いんですが……。とにかく、我々の活動の幅を増やす為にもここでの専売権は頂きましょう」
殺意すら感じたあの眼光、
盛り上がる部下を目にしながらも頭に浮かぶのは実妹のことばかりであった。本来ならば、リンゴがこの場に立っていることこそが自分にとっては想定外なのだ。完全に叩き潰したはず。それが何故?
最初に噂を聞いた時こそどこまでやれるのかと楽しんだところだったが、いざ目の前にした時の衝撃はそれなりのものだった。自分が知っていた時とは完全に別人のよう……。
「私たちはいつも通り為すべきことを為すまでです。今日は解散!」
一人での思考を深めるべく、レーネは早めの解散を告げた。統率の取れた部下たちの礼も見慣れたもの。先日用意させた自室に戻り、口の端を歪めながらこれからの戦略に耽る。
「……今度こそ、完全に消滅させてあげます。悶絶しながら息絶えなさい、リンゴちゃん」
――――――――――
「と、まぁそういう訳でひとつ頼むわみんな!」
同時刻、リンゴ商団として初の会合を終えた面々は衝撃の表情を浮かべる。
「そ、それじゃあ、商売のやり方はこれまで通りってことでいいのかい? リンゴさんよ」
皆の本音を代表するように、エミルは問う。
「あぁ、それに私もここでの諸君らの働きをまだ見てないからなァ。まずは現場入りさせてもらって修正すべきところを変えていく。これまでやってきたことをまた繰り返すだけだ」
「それで本当に奴らに勝てるんでしょうかね?」
一味の若い男がそう聞くと、リンゴは獰猛に嗤う。
「"勝てるかどうか"じゃない。"どう勝つか"だ」
その言葉、放つオーラに先程までざわついていた室内はしんと静まり返る。
「我々、いや
一団となる集団相手に、リンゴは独白する。
「雪を飲み、草を食み、それでも生きる為に勝つ方法だけを考えてここまで来た。本当に追い込まれたら人間って変われるもんでなァ。今じゃマッチ売りで生計を立てられるまでになったんだぜ?」
赤い頭巾からマッチ箱を一つ取り出し、それを愛おしげに眺める。
「マッチ売れっつー大馬鹿野郎の元に生まれ、売れなきゃ死ぬだけの状況で放り出されて、その資本たるマッチをすり減らしたらどうなる? その結果は必然、死あるのみだ。精々最期に見られる幻だけが救いだろうよ」
そうして、
「それが嫌なら死ぬ気になって商売するしかないだろ。正しく今の状況も同じだ」
「だったら……!」
思わず乗り出すハルを一瞥し、今度は優しげに微笑み、それから向き直って豪語する。
「そう! どの道切り開けるのは我々の手でしかない! みんな商売道具は揃えたか? 必ず討ち取るという準備はできたか? いっちょ派手にやってやろうじゃねぇか!!」
おおおおおおおおお!!という商人達の盛り上がりを見てリンゴはほくそ笑む。
「始まってみなきゃ分かんねぇ! 商売、ゲーム、人間、市場。こいつらは全く論理的じゃねぇ! 常に人間の斜め上をいくもんだ。それならば最初から"そういうもん"だと仮定してやるしかない」
「イロジカル・ゲームを始めようか」
――――――――――
夜は更け、朝方になろうとしている時、昨夜の熱狂も醒めやらぬまま、エミルは朝一で戦いに備えた準備をしていた。
昨日の演説は凄かった、と認めざるを得ない。これまで商人達を率いてきた自分ですらあそこまで人を魅了できた試しはなかった。カリスマ性とでも言うべきだろうか。なんせ自分が持たざるものを持っている少女、否商人と彼は思う。
「リンゴさんなら、成し遂げるかもしれないな。……俺も負けちゃいられねぇ」
精一杯のサポートを、票をかき集めるべく彼もまた商人としての顔に戻り、淡々と準備を進めるのであった。
一先ず、昨日の約束事は
・リンゴ商団に加盟した全員の帳簿を合算する
・同じく全員の商売の状況、売上高などの報告と相談を毎日する
・決して裏切らない
という三つのみだった。少なくとも管理者となった割には大した条件でもなく、リンゴ商団として満場一致でそのまま可決に至る。気持ちでは一つになっているものの、各々で屋号は掲げており、商売のやり方も、現状も、全員分を把握するのにはかなりの時間を要すると思われるのだが、果たしてどうやるつもりなのか、エミルには見当もつかない。何より自分ができなかったことだ。今苦境に立たされている人間は分かっても、"いずれ"そうなるであろう潜在的な商人までは分からない。それがこの組織の欠点であった。
「とにかく、乗っちまったもんは仕方ないな。俺も最善を尽くすが……頼んだぜリンゴさん」
「おおおおおおーーいぃ! 今起きたぞなんてこった!!」
ロフトの上で目覚めたリンゴは、窓から差し込む天高く上る太陽を見て絶望する。昨日の演説で盛り上がったノリのまま夜遅くまで酒を進めていなければこんなことには!!
慌てて頭巾を被り、昨日の酒の影響か少し痛む頭を押さえるついでに軽く髪を整えてから下に降りると、ハルが調理場に立っていた。
「おはようございますリンゴさん。コーヒーをどうぞ」
「サンキューハル。いや初日からやらかしちまった」
「決起集会のようなものですから! これから頑張りましょう!」
「ああ、そうだな」
にやりと笑い、コーヒーを一口啜ると目を丸くする。
「ハル、こんなにコーヒー淹れるの上手かったか」
「実は隠れた秘技なのです」
少し照れくさそうにするハルの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「いい子いい子」
「えへへー」
そんな甘い空間を邪魔するのはむさくるしい男だった。
「おはようございます姉御! 聞いてください姉御!!」
「姉御姉御うっせぇなお前は! こっちはお昼に起きたての情けない商人だぞ何の用だ!」
「それがですね、さっき妻とあっしの宝物たる娘がコペンハーゲンに到着したって聞きましたんでこれから迎えに行って来ます!」
「おおそうか自由に行って来てくれ。ただ当分はここに余分なスペースは無いから、どこか泊まるところでも見繕ってやんな」
「了解です姉御! そんじゃ、あっしはこれで」
そそくさと去るゲオルグの背中を見ながら苦笑すると、リンゴは独りごちる。
「所帯持ちだと後ろ盾にならないとダメだもんなァ……色々大変だ」
「やっぱり、経済的に、ですか?」
「そらそうだ。なんせ商売ででけぇ失敗が許されなくなるのは正直辛い。挑戦して失敗してなんぼの生き方だからな」
「なるほど……」
「だからこそ安定期に入った後は一番悩みどころなんだよ。たぶんゲオルグも、他の皆もな」
ふと窓から外を見やると、一生懸命に薪を割っている商人が目に入った。昨晩リンゴに質問してきた若者である。在りし日の自分と重なるようで、リンゴは慈しむ。
「そこで自由の利く私が身体張らなきゃ意味ないからな。……ここから見てろよ? 究極におもしれぇことをやってやるから」
「……はい! 私も、お供します!!」
自信満々のリンゴの顔を見て安心したのか、ハルもまた同じように元気に返事をしたのだった。