イロジカル・ゲーム-The girl of match merchant-   作:職員M

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第二十二話 進展

 因縁の相手と別れてから少ししても、少女の身体は震えたままだった。

 無論寒さだけが理由ではない。吹き出る汗も青ざめる額も留まるところを知らない。それは己のトラウマとの戦いであった。

 

「リンゴ、さん……。大丈夫ですか?」

 

 レーネと離れてかなり経つというのに、一切口を開かないリンゴを心配してハルは問いかける。ゲオルグはというと雰囲気を察して押し黙ったまま、二人の後を付いて歩いていた。

 

「すまんな……正直、まだ心の整理がついていない」

 

「……」

 

 ここまで動揺しているリンゴを見るのは初めてだった。これまでどんな相手が出てこようが常に冷静さと余裕を示してきた師が、たった一度の邂逅によってここまで追い詰められるとは。

 無理もない。壮絶なまでの過去話を聞いていれば納得もできようものだ。

 

「私はあいつが憎い。……絶対に許せない。私情も含めてはいるが特に今の状況はな……!」

 

 歯ぎしりするリンゴの鬼気迫る表情に、ハルは何も言えなかった。

 フードを目深に被り、荒れた息を整えるように何度か深呼吸をした後にハルの方へ向き直った。

 

「なんとしてもこれ以上奴の好きなようにはさせない。無論、ハルの両親も取り戻す。協力してくれるか?」

 

「も、もちろんです! 私にできることであればなんでも!」

 

「いい返事だ。期待してるぜ」

 

 まだぎこちないが、リンゴは笑みを浮かべた。

 

「ところで、今からどちらに?」

 

「ん? 役所だ。ニュボーの時と同じ。無許可で商売やるのはリスクが高すぎるからな。オーデンセでやったように全てアドリブで何とかできるような市場じゃない。使える手は全て使ってなるべく安くここに居着いてやるつもりさ」

 

「なんでしたら、ニュボーとの連携も取れるかもしれませんしね!」

 

「ん?」

 

 それまでレーネとの邂逅に心を奪われていたリンゴだったが、ハルの言葉に意識を取り戻す。

 

「な、なにか変なことでも?」

 

「いや、私も考えていたことだ。言う前に当てられたのは意外でな」

 

「そうですか……」

 

「いいぞハル。確実に成長している証拠だ。そう、使えるものは使え。ゲームってのは勝負に勝って得たカードを然るべきタイミングで行使する。それが次の勝負に勝つための定石だ」

 

 すっかり調子を取り戻した様子のリンゴは、少なからず饒舌になる。

 

「でしたら……」

 

 ハルがそう言いかけたとき、リンゴはとびきり邪悪な笑みを浮かべた。

 

「レーネの野郎の包囲網を作り上げてやる。いくら巨大な組織だって複数の組織には勝てねぇってことをここで証明してやるさ」

 

「はい! 鼎商同盟を倒してやりましょう!!」

 

 

 

――――――――――

 

 三人が役所にたどり着いたのはそれから一時間後のことであった。

 

「まぁ当然ながら……帰ってるわな」

 

 そして閉まっている扉の前で当然の嘆息をつく。

 

「ニュボーが異常だったんですね……」

 

「ニュボーなら不夜城でしたけど普通の役所はこんなもんですなぁ」

 

「場所にとっちゃ夜間も開けてるところはあるが……。あれなんだ?」

 

 リンゴが指さした先には、役所の前に設置されている掲示板と思わしき木の板と、それに群がるように人だかりができている。自然と三人もそちらに向かった。

 そこでは集まり、内容を確認したと思われる人々が次々に溜息混じりの声をあげる。

 

「事実上の廃業かこれは……」

 

「仮に俺たちが結託したところで鼎商同盟には敵わないだろうな」

 

「開業したばっかりだったのに……!」

 

 絶望混じりの怨嗟は次第に大きくなり、留まるところを知らない。

 

「なんですかね? あれ……」

 

「ちょっと確認してみよう」

 

 人の波をかき分けるようにして最前列へ行き掲示板を確認する。内容を精読すると、リンゴは我慢できずに声を上げて笑った。

 

「クッフフフ……こいつは面白い。鼎商同盟を吹っ飛ばせる唯一の策をわざわざ公的機関が用意してくれるとはなァ」

 

「選挙……ですか? 私達は全員民間ですよね?」

 

「実質的に勝者はコペンハーゲンの傘下に下るってことだろうな。コペンハーゲンの商人が増えすぎたのか、はたまた市場そのものが縮小しているのかは分からないが、こういうやり方を取るなら今この瞬間全ての商人がフェアな立場になるってことだ」

 

「ということは当然……」

 

「ここにエントリーするだろうなァ。……鼎商同盟も!」

 

 リンゴは獰猛な笑みを浮かべると、未だ暗い表情を浮かべる聴衆を見やった。

 

 

――――――――――

 

「……こいつは弱ったな」

 

 聴衆の中から一際強面の男が、禿げ上がった頭を手で押さえながら呻く。コペンハーゲンの商人達の間では有力者らしく、周囲の商人はその男を囲い込むようにして悲鳴をあげていた。

 

「ど、どうしましょうかエミルさん」

 

「合同経営も限界かもしれないですぜ?」

 

「今のうちに他の地域に鞍替えを検討するべきでは」

 

「まぁまぁ落ち着けやお前ら。何も今すぐ立ち退きを命令されたわけでもあるまい。コペンハーゲンで商人の総選挙が行われるってのと鼎商同盟がここに参加するのがはっきりしただけだ」

 

「それが問題なんじゃないですかぁ……!」

 

 自分も顔はしかめつつもパニックに陥る商人を宥めるエミルと呼ばれた男と、リンゴはふと目が合う。

 あ、やばいぞこれはと思ったその次の瞬間には声を掛けられていた。

 

「おい、あんた……オーデンセの英雄じゃねぇのか?」

 

「うわっすぐバレた」

 

 リンゴが思わず反応すると、集まっていた聴衆が先ほどとは異なった色でざわめき始める。

 

「世紀の大商人が?」

 

「なんでもマッチだけでオーデンセを一晩で掌握したっていう……?」

 

「海賊相手に喧嘩吹っかけた噂が流れてきた時にゃ死んだかと思ってたが……」

 

「あの子がそうなのか? 俺の娘よりも年下に見えるぞ……!」

 

 

 

「ここでもそりゃそうなるか……」

 

「色んな人がリンゴさんの噂をしてるんですね!」

 

「あっしのところにも話が来たのは年明け早々でしたからね。商人間での情報網は案外広い」

 

「名前が売れるのは有難いんだが正直恥ずかしい……」

 

 思いの外名前が売れていたらしいことに改めて気付かされ、少しばかり頬を赤く染めながらフードをまた下げる。

 

「間違いないな。俺はここらを取り仕切っているエミルだ。噂は聞いてるぞ、リンゴさん」

 

 一流の商人は相手を見た目で判断しない。その例に漏れず、エミルもまたリンゴを子供扱いはしなかった。未知なる存在に対する敬意を示していると見るべきだろう。

 

「そりゃ話が早いことだ。私はリンゴ。マッチ売りをしてる。……あまり期待はしないでもらいたいんだがオーデンセから来た」

 

 そう告げると、周りからはどよめきが生まれた。

 

「本物か……」

 

「こ、ここを狙うとなったら鼎商同盟と敵対するつもりか?」

 

「ただでさえ鼎商同盟に頭を悩ませていたところに、来たか……!」

 

 

 

「あんたはどうするつもりだ? 鼎商同盟が名乗りを上げて俺たちは困ってたところなんだが」

 

「困る必要なんかあるかァ?」

 

 エミルの言葉に含み笑いをしながら返答するリンゴ。空気が澄んでいるせいか、その声はやけに通りが良かった。

 

「……鼎商同盟の噂くらい、商人ならば聞いたことがあるだろう」

 

「直接は知らん。噂くらいでビビる性分じゃないんでね」

 

「金融機関並みの資本力で強制的な買収を仕掛け、拒否すればありとあらゆる嫌がらせで商売を潰しにかかってくる、この世の悪魔みたいな奴らだ。軽々しく相手にできるとは思わないことだ」

 

「知ったことか。私は私の商売をする。それだけだよ」

 

「……。あんたの噂も伊達じゃないことはここにいる奴らなら分かる」

 

「……何が言いたい?」

 

 あくまでも高圧的な態度を崩さないリンゴは、エミルから欲しい一言を導き出す。

 

「俺たちと組んじゃくれないか? あんたの指示に従うし儲けの配分もあんたが決めていい。だから頼む。助けてくれ……」

 

「エミルさん……」

 

「悪いな。俺じゃ到底あいつらに勝てる作戦も思い付かないんだ。ここは実力者の力を借りたい」

 

 同じメンバーと思わしき一人の商人に、苦笑いをしながらエミルは答えた。

 リンゴはその様子を見ながらしばし逡巡した後、答えを出す。

 

「……今この場にいる全員、エミルの仲間か?」

 

「そうだが、細かいことを言えばここだけじゃない。今も商売を続けてる人間も含めりゃまだまだいる」

 

「屋号が変わることに不満は無いか?」

 

「……総意を簡単に示すわけにはいかないが、基本的には合意してくれると思う。みんな商売ができなくなるくらいなら名前を変えることも厭わんはずだ」

 

「良いだろう。力になる。期間限定の契約で私達は、『リンゴ商団』としてこの選挙にエントリーしよう。構わないか?」

 

 リンゴがそう告げた瞬間、絶望に包まれていた広場は歓声に包まれた。

 

「そう来なくっちゃな! 鼎商同盟の野郎どもをギャフンと言わせてやろうぜ!」

 

 エミルはずかずかと近寄り、リンゴと固い握手をした。周囲の商人達は宴が始まったと言わんばかりに目の前の人間と抱き合ったりしている。

 

「あまり期待してもらっちゃ困るぜ?」

 

「勿論あんた一人に責任を押し付けたりしないさ。俺達を存分に使ってくれ」

 

「覚悟しておいてもらおう。皆には艱難辛苦を共にしてもらうぞ!」

 

 

 

 

――――――――――

 

 それから三人がエミルに案内されたのは、コペンハーゲンの商人達が寝食を共にしているという建物だった。予想外の広さに驚くリンゴが、直ぐ様質問を投げかける。

 

「随分立派な建物だな。エミルが自前で用意したの?」

 

「いや、ここは親父から引き継いだ。今はこいつらの生活拠点になっているが、元々は工房を改装したもんだ」

 

「商売は何をしている?」

 

「俺は建物の改装業だが、他の連中は様々だ。屋号もそれぞれ自由にさせている。勿論利益も儲けた分から生活費を差し引いた分だけ蓄えてもらってる。困った奴がいた時だけ援助するって仕組みだからそこまで体系だった組織にはなってないのが俺達なのさ」

 

「ほほう慈善事業みたいなことしてるんだね。しんどくならない?」

 

「そういうあんたも弟子作ってるじゃねぇか。似たようなもん……いや、その延長線みたいなもんだ」

 

「なるほど」

 

 ハルとゲオルグを指さしつつエミルは言う。リンゴは後ろの二人を振り返って、忘れてたと言わんばかりに聞いた。

 

「あ、そういや二人には聞いてなかったが……良かったか? エミル達と組んで」

 

「私は賛成です! 鼎商同盟の規模が不明である以上は少しでも仲間を多く増やすのに越したことはありません」

 

「あっしは姉御と仕事が出来ればそれで満足ですよ! 全く異論はありません」

 

「良かった」

 

 ホッとしたような笑顔を浮かべ、再びエミルに向き直ると、既に全く別の表情を――商人の顔を――していた。

 

「じゃ、仕事の話といこうか。私と協力してくれるメンバー全員の名簿と商売形態、それから総資産を計上してくれ」

 

「すぐにでも。……と言いたいところだが今日は遅いしまだエントリーすらしてねぇ。とりあえずうちで休んでくれ。名簿を探すのにも時間が掛かる」

 

「了解だ。明日エントリーが済んだらすぐにでも会議をしよう。奴らを潰すなら綿密な作戦が必要だ」

 

「分かった。よろしくな、リンゴさん」

 

「年上なんだ。リンゴで良いよ」

 

「はは、上下関係の世界で生きてきたから年齢より肩書きに弱いんだが。……まぁお言葉に甘えさせてもらおうか。頼むぞ、リンゴ!」

 

「よろしくな!」

 

 

 

 

「「「お帰りなさい!」」」

 

「おう、ただいま!」

 

 エミルが建物に入ると、実に大勢の商人がエミルの帰りを待っていた。食事にありつく者、商売道具を磨いている者、はたまた既に床に就いている者と種々様々だ。夜遅いといってもまだ大多数は起きていたようで、当然ながらリンゴ達は注目を集めた。物珍しげに見てくる者がいればエミルに殺到する者もいた。

 

「エミルさん! 新入りっすか!?」

 

「めっちゃ可愛いじゃないですか! どこから拾ってきたんですか?」

 

「おおおお!! 新しい仲間ですねえええ!!」

 

 

 

「賑やかで良いな」

 

 リンゴが素直な感想を言うと、エミルは苦笑した。

 

「マナーのなってない奴ばかりですまんな。……お前ら! "オーデンセの英雄"って知らないのか?」

 

 エミルが駆け寄ってきた商人達をどかしつつ言うと、言われた側は完全にフリーズした。

 

「……マジっすか?」

 

「あの最強のマッチ商人ですか?」

 

 

 

「ご紹介に預かった。私はリンゴだ。今日からここで世話になる。"同志"として、今回のコペンハーゲンの商人総選挙にエントリーすることになった。鼎商同盟の喉元を食いちぎる一助になればと思う!」

 

 そこまで言うと、広場での再演となった。それまで座りながら様子を伺っていた商人も自分がしていることを放り出すばかりか、寝ている者の頭を小突いて起こし、事情を説明すると他の者と同じように騒ぎ始めた。

 

「上々な歓迎に感謝する。本格的な話は明日以降になるが、とりあえずは皆、よろしく頼む」

 

 リンゴ一行が頭を下げると、商人達もまたそれに応えた。

 

「夜も遅いからもう散れ! リンゴ、今日の寝床は個室とまではいかねぇがここよりは静かなところがあるから使ってくれ。そっちのお嬢ちゃんもな。あんちゃんは俺たちと雑魚寝でいいよな?」

 

「問題ないですぜ」

 

「配慮に感謝する。明日は午前中にエントリーしてから、作戦会議だ。長丁場にはなるだろうが、リンゴ商団としての第一歩だ。最も重要な時間と言ってもいいくらいだ。なるべく多くの人間を集め、そして集中できる空間を作らせてくれ」

 

「全面的に協力する。なんでも言ってくれ」

 

「助かる。それじゃハル、休むとしよう」

 

「はい……」

 

 立ちながら半分夢の世界に入っていたハルの肩に触れ、リンゴはエミルに付いていった。

 

 

 

 ちょっとしたロフトのような空間にちょうど二人分ほどのスペースと一つの布団が用意されていた。

 

「それじゃ、長旅の疲れもあるだろうからよく休んでくれ」

 

「ありがとうなエミル。改めて、これからもよろしく」

 

 エミルは手を上げて答えると、まだ騒ぎの続く居間へと戻っていった。

 

 

 

 

「……とうとう来ましたね」

 

「ああ……」

 

 布団に潜り、すぐに寝るかと思いきやハルはリンゴに声を掛けていた。

 

「私の両親も……コペンハーゲンにいるんでしょうか……?」

 

「それは断定は出来ないな」

 

「そうですよね……」

 

「鼎商同盟が噂通りの団体なら手放すことはないはずだ。確率としては高いとは思うがここで見つけられる保証はない」

 

「…………」

 

「でもここで見つからなきゃ隣町に行くだけだ。そこでもいなきゃ国を超えるしかねぇ。諦めたらそこで終わりだからなァ。今は心細いだろうが、希望は失うんじゃねぇぞ?」

 

 そう言いながら優しくハルの頭を抱きしめると、ハルは声を押し殺しながら泣いた。

 

「よしよし。ここまでよく頑張った。最初に会った頃に比べりゃ信じられないくらい成長してるぜ? ハルはまだまだできる。私はそう信じてる」

 

「はい……」

 

「ハルはいつまでも私の相棒だ。両親の代わりにはなれねぇがハルも私のことはもっと信じてもらっていい。約束する。言葉尻だけならともかく、私はハルを裏切らない。絶対だ」

 

「それは大丈夫です! これからも……よろしく…………おねがいしま」

 

 リンゴに頭を撫でられ続けてとうとう眠気に勝てなくなったのかそこでハルの意識は途絶えた。

 

「トラウマは根深い……か」

 

 私も人のことは言えんが、と独り言ち、苦笑しながらもリンゴは眠ったハルを抱きしめ続けた。

 少しでも心の癒しになれば、と願いながら。


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