イロジカル・ゲーム-The girl of match merchant-   作:職員M

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第二十話 歓談

「何!? マッチの在庫が……尽きただと?」

 

 女商人、リンゴはハルの報告に愕然とした。

 

「それが……専売権の行使で売った結果案外すんなりと売れちゃいまして」

 

「いくら何でも好調過ぎるだろ……。いやそれは別にいいか。問題は仕入先があるかどうかってところだよな」

 

 嬉しい誤算とはいえ思わず頭を抱えるリンゴ。海賊の一件が無事片付いてようやく本業に戻ろうとした矢先の出来事だった。無論これだけ売れているのだから仕入れさえすればまた売れるだろうという予測は立てられる。だがそれ以上に問題なのは――

 

「機会損失……」

 

「はい?」

 

「ハル。物には全て鮮度がある。それは食べ物じゃなくても同じなんだ。売れる時に売らないと売れなくなった時に困るんだわ」

 

「それは、そうですよね」

 

「だから今みたいな状態ってのは案外ピンチなんだよ。今ここにどうしてもマッチが欲しい人間が現れたらどうなる?」

 

「……商品がありませんと頭を下げることしかできません」

 

「だろ? 在庫さえあれば売れたはずのものが物理的理由によって売れなくなる。そうなったら超需要があった客は必然的に離れていくことになるよな」

 

「それが機会損失ですか」

 

「まぁ名前は覚えてなくても問題ないが、商売やる以上知っているに越したことはない知識だな」

 

「で、ではすぐにでもマッチの販売所に行かないと――」

 

 焦るハルに、リンゴは苦笑する。

 

「それがな、マッチ売りは今更私が始めただけでとっくの昔に一般的には廃業になってる。販売所なんか簡単にゃ見つからんだろうさ」

 

「ど、どうすれば……?」

 

「持ち前のマッチは無し。販売所も無いとなったら自前で準備するしかないだろうな」

 

 溜息を一つつき、リンゴは思考をリセットする。

 

「しかし女の手二つで作ったマッチのクオリティは期待できん。やっぱりここは誰かしら雇うしかないか……?」

 

 各所で地道に販売していた成果が実り、幸いにもリンゴ達にはある程度のクローネのストックがあった。この資産を上手く活用してマッチの再販売と繋がなければならない。

 

「でもいますかね……? マッチを作る専売契約してくれる人なんて」

 

 ハルの心配にリンゴはにんまりと悪い笑みを浮かべる。

 

「ハルぅ。ここは資本主義の世界だぞ? 金を積めば人間は動く。モチベーションの中でも最も根源的な外的要因だ」

 

「な、なんかゲスいです」

 

「事実さ。どうしてもマッチ売りの言う事なんぞ聞きたくないって奴以外は基本的に従順になるはずだろうよ」

 

 万事うまく行くさ、と笑いつつハルを励ましながらリンゴは歩く。街と海賊との契約締結から一週間が経つが、春が訪れる様子はまだ無い。ニュボーの港から吹く風は冷たく、外にいるのも辛い状態が続く。

 

「雇う前にちょっと遣うか。どっか店にでも入ろう」

 

 そう声を掛け、二人は港の方向から街に向けて歩き出した。

 

 

 

――――――――――

 

 年が明けてからひと月と少し経ち、街中はすっかり落ち着きを取り戻していた。飲食店の類もその例には漏れず、平日昼間のバーは幾人かの先客のみで二人が入るスペースは充分に確保されていた。

 

「とりあえずビールとスモーブローで。ハルは?」

 

「あ、オレンジジュースでお願いします……」

 

 オーダーを終えると、二人は同時に机に突っ伏した。

 

「いやぁ……疲れたな」

 

「ほんとに……! お店に入っちゃったから気が抜けちゃいました」

 

「もうそれはしょうがない。ここまで大変だったしな」

 

 姿勢を戻しつつ深々とため息をつくハルを見ながらリンゴは笑う。

 

「メアリさんと敵対した時はどうなることかと思いましたよ」

 

「敵対なんかしちゃいないさ。最初に見た時に多分飲めるなって思ったからそうなるように仕向けただけさ」

 

「リンゴさんのその自信、ほんとどこから来てるのか不思議です……」

 

「別に自信なんか無いぞ? 直感以外は確信が持てないんだから」

 

「えっ?」

 

「自分の直感が導く結果に誘導するだけだよ。メアリちゃんの時もそうだ」

 

「えええええ……」

 

「つまり虚勢張ってるだけだよ。私なんか全然大したことはない」

 

「そうは思えないんですけど……」

 

 ハルが言いよどんだ時、オーダーしたものが運ばれてくる。なんとなく二人は無言でグラスを合わせ、一口飲んだ。

 

「……っくはぁ……! やっぱこの時の為に頑張ってるようなもんだな」

 

「……! ですね!」

 

 一杯の至福の時間をしばし味わった後、口を開いたのはハルだった。

 

「それにしても短期間の間に色々ありましたね」

 

「そうだな。行き当たりばったりなのは否めないが」

 

 自嘲気味にリンゴは笑うと、それでも今自身を取り巻く環境が良い状態であることを否定はしない。

 

「オーデンセで当分の収入源と人脈の形成、ニュボーで噂の海賊団を取り込めたってのは奇跡に近い。少なくとも寝泊りとご飯には困らなさそうだしな」

 

「ほんとに、リンゴさんが拾ってくれなかったら今頃どうなっていたことか……」

 

「ハル、私は商人だ」

 

 ハルが自身のことを振り返って涙ぐみそうになった時だった。

 

「はい」

 

「商人ってのは大体後々のことを考えるもんだ。勿論目先のことはあるが仕込める時に仕込むのが基本姿勢になる。ハルを最初に見た時に育てがいがあるなって思ったんだ。ある意味投資だな」

 

「そうですか……」

 

 

 

「過去はどうだっていい。大事なのはこっからだぞ? ハル」

 

 不敵に笑うと、リンゴはまた一口ビールを呷る。ハルは目尻を拭いながら深く頷くと、リンゴに倣ってオレンジジュースを口にしたのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

「さて、それはそれとしてだハル」

 

 三杯目のビールを飲み干し、幾分か頬を赤らめたリンゴは突然話し掛ける。

 

「はい」

 

「誰かマッチ売ってくれえええええええええ!!」

 

 再び机に突っ伏す彼女を見てハルは慌てる。

 

「り、リンゴさん! お店の中ですよ?」

 

「うううう……マッチも持ってないマッチ売りなんかこの世界にいるかァ?」

 

「それはしょうがないですよ! リンゴさんの人気があってこその品切れですし」

 

「全く自分が嫌になる。需要予測を見誤ったのが全ての原因だ……」

 

「そ、そんなに自分を責めないでください」

 

「さっきは勢いで人を雇うとか言ったが……実際どうしようか迷ってるんだわ」

 

「木材屋さんでも探しますか?」

 

「マッチは燐も無いと作れない。無論作ろうと思えば誰だって作れるんだがなんせ今はこんな世の中だ」

 

 リンゴは店内のストーブを顎で示し、呻くように呟いた。

 

「流通網を作る必要があるかもしれないな……」

 

「流通網」

 

「一回作っちまえば永久に使える魔法のようなネットワークだ。ま、今は一つしか伝手が無いが」

 

「あ、ありましたっけ……?」

 

「ああ、一個だけな」

 

 

 

 

――――――――――

 

「え、マッチ? 余ってるからいくらでも持って行っていいよ」

 

「マジか?」

 

「ほかならないリンゴの頼みだしねぇ……その代わり私の船に乗ってもらうよ?」

 

「…………。背に腹は代えられねぇか。そんじゃ頼むよ」

 

「やった!」

 

 子供のように顔をほころばせるメアリはカド・リニアル号の船員に一言呟くと、数十秒ほどで麻袋を3つ持ってこさせた。リンゴは真顔でそれらを受け取ると、

 

「乗るには乗るがコペンハーゲンまでな。私はそこで用事があるから」

 

「マッチじゃしょうがないねぇ。それでいいよ」

 

 どこか不満げな表情は浮かべつつもメアリはそれで納得がいったようだった。

 

「あとどこか寄った時で良いんだけど継続的にマッチを買わせてくれたら嬉しい」

 

「お代なんかいらないよ。どうせ湿気るくらいだから貰ってくれた方がありがたい」

 

「それなら遠慮することはないか。これからも頼むぜ」

 

 そう言うとリンゴはメアリとしっかり握手を交わした。

 

「せっかくここまで来てくれたついでだ。飲んでいきな」

 

 どこか狂気を孕んだ笑顔で二人を迎えるメアリはノーを言わさない雰囲気を漂わせていた。

 

「ま、そのくらいは付き合うぜ」

 

「私もです……」

 

 

 

 

――――――――――

 

「でぇ、その時にリアルに死にかけたんだよ!」

 

「へぇ、やっぱ海賊は大変なんだなァ」

 

「そりゃもう大変よ。……でもま、リンゴも苦労してきたんだろ? 私より年下の女が真っ直ぐ育ってりゃそんなギラギラした眼してねぇからな」

 

 カラカラと笑うメアリに、リンゴもまた笑い返す。

 

「聞きてぇか? 高くつくけど」

 

「お代わりならここにあるから、是非どうぞ」

 

 いつの間にか空になっていたリンゴのグラスを取るとメアリは代わりのラム酒を注いだ。

 

「ラム酒代なら釣りが来そうだが」

 

「マッチの永久譲渡権で手を打とう」

 

「なら乗るしかないなァ」

 

 上機嫌でリンゴは言うと、ハルに語った過去を再び語り始めた。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

「で、今はハルの御両親を探しつつマッチを売りまくってやろうってわけだわ」

 

「おま、お前……苦労してんなぁ!」

 

 酒の勢いもあってか滂沱の涙を流しつつ、メアリはリンゴに誓う。

 

「分かった! 全力で手伝ってやろうじゃないか。鼎商同盟だっけか。奴らの情報も入り次第あんたに送らせてもらうよ」

 

「助かる。今んところ誰も詳細知らなさそうなんだよ。デンマーク随一の情報収集機関たるメアリちゃん一行に期待してるよ」

 

「本業の片手間でもそのくらいはできるはずだ。任せろって」

 

「頼もしい限りだ」

 

「しかしリンゴぉ。あんたなら別にマッチにこだわらなくたって何でも売れるんじゃないのかい? どうしてもマッチを売らなきゃいけない理由でもある?」

 

「そりゃ別のものを売ろうと思えばいくらでもできるけど」

 

 ひと呼吸置くようにラム酒を飲むと、リンゴは一気に言った。

 

「この世界見渡してみりゃどいつもこいつも簡単に諦めすぎなんだよ。ちょっとでも無理そうならすぐにそこで終わる。他の方法を模索しようともしないで全てが一本径だと思い込んでやがるんだ。でもそうじゃない。人生は常にどこかに打開策がある。私がマッチを売り続けることでそいつをちゃんと証明しようと思ってんだ。それがこの子を育てる意義にもなるだろうしな」

 

 リンゴは自分の横で眠るハルを見て微笑む。ハルはといえば、最初のラム酒一杯でダウンしていた。いい夢でも見ているのか、両手はリンゴの腰に回して抱きつくようにして口元を緩ませている。

 

「良い覚悟だね。きっとハルの為にもなるだろうさ」

 

 メアリもまた素直に笑い、頷きながらリンゴに同調した。

 

「あ、勿論本業はマッチ売りだが他に金に出来ることがありゃいくらでもやるぜ? メアリちゃんとの一件もそれだしなァ」

 

「商人はそのくらいで丁度いい。面白いじゃないか。益々惚れ込んだよ?」

 

「気に入ってくれるのは何よりだ。商人にとっちゃ人脈ってのは宝だからな」

 

 こうして元海賊との親交を深めるだけ深めた上で、リンゴはこのまま船で泊まることになった。

 

「そう言えばこの船、簡単だけどシャワー室あるんだ。使っていいよ」

 

「おおありがたい! こっちの宿にはあんまりなくてな、ちょうど入りたかったところなんだ」

 

「あとでこいつらに案内させる。ごゆっくりどうぞ」

 

 メアリはそう言うと、その場を去った。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 先に寝室に案内され、ベッドに眠りっぱなしのハルを寝かせると、リンゴは船員に案内されてシャワー室へとたどり着いた。簡単な脱衣所とドアを隔てたスペースは一人、多くても二人ほどが入るギリギリのシャワー室だ。恐らくメアリ専用か、船員が交代で入るのだろうと思われた。

 

「……ふぅ」

 

 昼間からほぼぶっ続けで飲み続けていたせいか、足元が少しふらつくが倒れるほどではない。

 衣服を全て脱ぎ捨てると、浴室の中へ入る。コックを捻るとすぐに熱い湯が出てくる。このあたりはかなりハイテクだとリンゴは思った。

 

「やれやれだ。何とかなったか」

 

 熱い湯に当たってかなり緊張の糸が緩むと、自然と溜息が出てくるというものだ。そう、完全に油断していた。

 

 

 

 

 

「背中流そうか?」

 

「ひょわぁあぁっ!?」

 

 にゅっ、と擬音語が聞こえるかのように急に背後からメアリが入って来てリンゴにまとわりついた。いくらリンゴでも驚く。

 

「ちょ、おめぇ! 何やってんだ!」

 

「トップのおもてなしは船長の義務だよ?」

 

「ぜってぇ酔ってんだろ! いいから前隠して早く出て行け! くっそ! さっきなんか地味に嫌な予感したんだよ!」

 

「今は邪魔者もいないしせっかくの密室だ。まだまだじっくり語ることはあるさ」

 

「馬鹿! 洒落んなんねぇぞ! これ以上やりやがったらこれまでの全てのことを反故にしてやるからなァ!!」

 

 リンゴが本気であることが分かるメアリは、名残惜しそうに大人しく引き下がる。

 

「千載一遇のチャンスだったのに……!」

 

「何が千載一遇だよ。……ノーチャンスだよおめぇは」

 

 呆れたように呟くが、メアリはあまり諦めるつもりはないらしい。

 

「まぁ今後どうなるかは分からないからね。楽しみにしているといいよ……」

 

 不穏な一言を残すと、メアリは浴室から出て行った。

 

 

 

 

「……どうしてこうなった!!」

 

 メアリに関する一件としては、メアリがリンゴに対する謎の好意だけが完全なる誤算だった。思わずリンゴは呻く。

 

「便利屋としちゃこれ以上ねぇが……私の貞操がヤバいかもしれないな」

 

 思わず身震いするが、そこまで強引な手段には出てこないらしいことだけは確認し、メアリのコントロール方法について頭を悩ませ始めたのだった。


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