イロジカル・ゲーム-The girl of match merchant- 作:職員M
今日も市場は慌ただしく動く。ニュボーの様子を見ながらレーネは、それでも歯噛みをやめられなかった。
「それにしてもメアリ海賊団の解散はいきなり過ぎる。……誰かの介入が入ったと見るのが自然」
何故既得権益とも言うべきニュボーにおける支配権を放棄するのか。その大きすぎる代償に見合ったメリットは一体何なのか。レーネには一切想像もつかなかった。そこに部下の一人が血相を変えて飛び込んでくる。
「今晩、メアリ海賊団の総長がニュボーの役所に赴くとの情報が!」
「役所?」
一体どういうつもりだろうか? 海賊を辞めて役所の傘下に降りる? 意味が分からない。メアリ側に一切のメリットが感じられない。
「確かな情報だそうです。……どうします?」
「見張りを少しだけ派遣しましょう。私を含む残りの同盟諸氏はさっさとコペンハーゲンに向かいます」
「はっ!」
どのみち、メアリへの接触にしては間が悪すぎる。海賊を利用できないのならばニュボー市場を単独勢力で獲得するのは困難を極める。商人としての判断が、レーネをコペンハーゲンに向かわせる決意をさせたのだった。
「何らかの人為的な操作があったかと思われます。メアリ海賊団がいきなり解散する理由などどこにもない……」
「……レーネ様?」
「絶対にぶっ潰す……!!」
それまで冷静だった顔を歪めてレーネが呟くと、部下はたちまち顔を青くする。
「は、はっ! 必ずや!」
レーネが言ったことの1%も理解しないまま本能の赴くままに答えると、そそくさとその場を去った男は、久々に触れたレーネの怒りに心底震え上がった。
――――――――――
「さてと、基本的に言うべきこともまとまったし、商談までにはまだ時間がある。ハル」
「はい」
「商売をしよう」
爽やかに微笑んだリンゴの手には、マッチが握られていた。
「それこそリンゴさんです」
同じく微笑みながらハルは返す。
「そろそろハルも一回売ってみるか? 慣れたら簡単だぜ? こんなの」
「良いんですか?」
「もちろん!」
ハルはリンゴから複数のマッチを受け取ると目を輝かせた。
「売り方、価格設定、マッチの使い方は全てハルに任せる。デビュー戦だから売れなくても気にすんな」
「頑張りますっ!」
「念の為同じ市場で売ろう。なにかトラブルが起こりそうだったらいつでも私がヘルプに入れるくらいの所にいるようにする」
そう言うと、リンゴはハルの手を繋いで役所を後にしたのだった。
私は商売の経験は無い。両親の手伝いといっても旅人のような人に両替を取り扱う案内をしていただけで、自分でお客さんに何かを売るようなことは一切したことがなかった。自分にそんなことが務まるとも思えなかったし、役に立たないくらいなら何もしない方がましだとすら思っていたからだ。
……それがどうだろう。今では尊敬する商人の横で同じ商品を扱っている。
「マ、マッチはいりませんか?」
最初はおずおずと声を掛けてみる。が、当然のように無視されて人は次から次へと流れていく。
(リンゴさんは一体どうやって……?)
ふとリンゴさんの方を見やると、彼女は楽しげに客と思われる男性と談笑にふけっている。かと思うと、紙幣を受け取ってマッチを数箱渡したのだった。
――――やりようはあるさ。どんな時でもな
――――私はハルにならできると思うぜ?
――――逆に聞くが私がここまでマッチをマッチのまま売ったところを見たことがあるかァ?
様々なリンゴさんの言葉が脳内で反芻されるように思い浮かべる。そうだ、とにかくやってみるしかない。リンゴさんと行ったシュミレーションに従って……
「……そこのお客さん、最近蝋燭って使いました?」
自分を物珍しげに見つめてきた男性に私は目を合わせずに尋ねた。
「えっ、俺……? いやぁめっきり使ってないなぁ」
「ガスストーブがあれば要りませんよね? 確かに」
「そうだな」
「確かに"火"を起こすにはガスストーブで十分だと思います。でも――」
ここでたっぷりと間を作る。リンゴさんはいつもこうやって……!
「それで灯りは作れますか? 例えば大切な人と過ごす一時を作る雰囲気は?」
「……!」
「あなたはガスストーブで光源を作るのでしょうか? あまりにも熱が強すぎて私だったら我慢できないんですが」
「いや、光源はだな」
「どうしても暖かな光というのは強すぎず弱すぎない絶妙なバランスが大事だとは思いませんか?」
相手が何か反論するより先に畳み掛ける。私がリンゴさんから学んだことの一つだ。
「……っ! 確かに」
「蝋燭があるなら結構。あとは火の元だけですねぇ」
「なに?」
「ひと箱100クローネなんですけど、いかがでしょうか?」
「ひゃっ100クローネだと? マッチにしちゃ高すぎ……」
「残念ですがここでしか売れないのです。お客さんが仰る通り、ガスストーブが横行したお陰でマッチはほとんど売れなくなりましたから」
「買う! 確かに最近他じゃ見かけなくなった。あんたの言う通りにしてみるよ」
言うや否や男性は懐から100クローネ紙幣を手渡してきた。
「使い心地は保証いたしますよ。もしよければまたご利用ください」
私は震える手だけは誤魔化せず、努めて冷静な声を掛けながらマッチを渡すと、代わりに紙幣を受け取った。
「マッチにそんな使い方があるとは思わなかった。ありがとう」
「こちらこそありがとう……ございます!」
最初に作り上げた雰囲気はどこへやら、私は気が付いたら深々と頭を下げていた。
「やるじゃないかハル。今のは見事だったぜ」
「ひゃっ! リンゴさん!」
不意に後ろからかけられた声に驚きながら振り返ると、そこにはニヤついたリンゴがいた。
「前に私が売った時のトークのアレンジだな? なかなか上手くやったと思う」
「あ、ありがとうございます……」
「ハルも一人で売れるようになりゃあこの先安泰だぜ? 本業に戻った時だって苦労しないはずだ。業種じゃない。その思考こそが重要なんだ」
「思考……」
どのような境遇でも売れるいろはを知っていれば売れる。それはかつてハルの両親が営んでいた両替商とて同様であった。磐石な経営基盤を築いていれば単体だろうが鼎商同盟に対抗出来ていたであろうと、リンゴは本気で考えている。
「ま、そんな感じだ。次からも頼むぜ? あ、売れた分の代金は全部給料ってことにするから好きな額を付けてくれ」
にぃ、と笑うと、リンゴは再び市場の中へと姿を消したのであった。
――――――――――
夕刻、船を出たメアリとその従者を待ち受けていたのは、リンゴただ一人だった。彼女は不敵に笑う。
「解散パーティは済んだのかい?」
「うちはパーティなんかやらない。ただ全員の行きどころをそれなりに考えてやっただけだ」
「えらく殊勝じゃないかメアリちゃん。だがな、ニュボーに潜り込めば自分に裁量権が与えられる」
「それがどうかしたか」
「自分のかつての部下を、もしかしたら引き込めるかも知れないということだよ」
正しく、リンゴの狙いはそこにあった。インフルエンサー※たるメアリを中心に忠誠を誓う部下を揃える。そうしてメアリ海賊団全体をニュボーに取り込むことこそが最善策であった。
「そんな金用意できるのかい?」
「最初は無理かもしれない。でもちゃあんと実績を上げていけば労使交渉ができる」
「労使交渉?」
聞きなれない単語なのかメアリは訝しげにリンゴを見る。リンゴはというと、ただ嬉しそうに笑う。
「しっかり警備しているのに賃金を引き上げなきゃ海賊に戻るって脅せば良いんだ。取るに足らない作業だろ?」
「なるほど」
合点がいったようにメアリもまた嬉しそうに笑う。シンプルな説明こそがメアリに気に入られるらしかった。
「ちなみに役所には"海賊を瓦解させる方法を見つけた"って伝えてあるだけでメアリちゃんのことは全く紹介していない」
「おま、そんなので大丈夫なのか?」
「まぁここは任せてくれ。交渉のテーブルには基本的に私が座る。メアリちゃんは基本的に何を言われてもまずは黙って話を聞いておくことだ。それが成功を約束してくれるのさ」
「乗りかかった船だ。言うことは聞いてやるよ」
メアリの答えに楽しげに頷いたリンゴは、そのまま役所に向かって歩き始めた。
「市長。リンゴ様が到着しました。」
「通してくれ」
カミラの報告に即座に反応したレンスは、座椅子から立ち上がると、ソファーの方へと移動した。
「あと何か飲み物を。アルコールは出すなよ?」
「承知致しました。後ほどお持ちしますのでまずは対面のほどを」
そう言い残して部屋を去るカミラと入れ違いになるように、リンゴが不敵な笑みを浮かべながらハルを連れて入って来た。
「しばらくぶりな気がするな。今日は聞かせてもらえるのだな? 海賊瓦解の方法を」
「私は商人だ。市場の分析に関しちゃそれなりの目を持ってると自負する」
「……? 何が言いたい?」
唐突なことを言い始めたリンゴに対し、不審げな目を向けるレンス。その表情は暗く、自分では一切何の策も思い付かなかったことを如実に表していた。
「
「そのくらい分かっている! だからこそ海賊の排除が何としても必要なのだ」
「そしてその為に強力な自警団を欲している。そうだな?」
「無論だとも」
食ってかかる市長を見て、リンゴはここぞとばかりに大きく楽しそうに頷く。
「だったらやっぱりこれしかねぇなァ。メアリちゃん!!」
何かを言い返すより先に、ドアが開いて金髪のヤバい女が入って来た。瞬間にレンスの顔面は蒼白になる。自分の目の前に現れたのはそれまで何度も指名手配にかけ、一度たりとも補足に成功しなかった紛れもない海賊。メアリから目を離さないままに、リンゴに尋ねる。
「……これは一体どういうつもりだ」
「おいおいそんなにビビるなって。対面は初めてだろうがな」
何故か余裕の表情を浮かべながらリンゴは言う。彼女の後ろには、リンゴの服の裾をしっかりと握ったハルがいた。リンゴの邪魔をしないようにしっかりと口を閉じているように見える。
「どういうつもりかと聞いているんだが」
「どういうつもりも何もこれが答えさ。海賊瓦解の、な」
「降伏宣言でもするとでもいうのか?」
「そうだよ?」
「へ?」
有り得ないだろうという前提で聞いた質問にあっさりと答えられ、レンスは思わず間の抜けた声をあげる。
「海賊は辞める。コイツの話を聞いて考えが変わった」
メアリは俯きながら徐に腰に据えた銃を引き抜くと、真っ直ぐにレンスに向け――――そのまま手を離した。
「……とんでもない申し出だな」
今こそがニュボーの権力を取り戻す時だ。この商人、子供と侮ってはならない。このような申し出をさせるなど並大抵の人間では不可能に違いない。
「そういうことだよ。だからね、市長――――」
どのような願いだろうか。金一封くらいなら考えてやらないこともない。口元に浮かんだ笑いを隠すことが困難だった。
「――――メアリちゃんたちをここで雇ってね?」
なんだ、と聞くより先に繋がれたリンゴの言葉に、思わず自分の耳を疑うレンス。
「「は?」」
声が被ったのはレンスと、飲み物を持って帰ってきたカミラだった。リンゴは振り返りつつ言う。
「おかえりカミラ。今言った通りだ。上手くやるためにはメアリちゃんを雇うしかない。ここニュボーの役所で、公務員としてだ」
「そ、そんな! そんなこと認められる訳無いでしょう!!」
レンスに代わってカミラは絶叫する。
「ん? なんで?」
「なんでってあなた……こいつは海賊なんですよ?」
メアリを指さしつつカミラは言う。メアリは少し眉をひそめただけで何も言い返しはしなかった。
「だから辞めるっつってるじゃん。つまり
「こんな経歴が真っ黒なのに雇えるわけなんて……」
「履歴書の改竄なんざお手の物だろぅ? 役所ってのは」
「な、何を馬鹿なことを!」
挑発的な態度のリンゴにカミラはいきりだつ。
「だったら聞かせてもらおうか? ニュボーの支配状況がどれだけお粗末なのか、デンマークとかいう国家に報告している内容そのものを今ここで」
ニンマリと笑うリンゴは、カミラに言わせてみれば正に悪魔そのもの。当局に対して、海賊に市場が支配されているなどと馬鹿正直に報告できるわけがなかった。それをしてしまえば終わり。公的資金の注入と自警団の援護は受けられるだろうが二度とニュボーという街は元に戻らないだろうということは火を見るよりも明らかだった。それをリンゴは上手く突いてきている。
「……」
カミラはリンゴを睨みつけながらも、返す言葉を持たなかった。それを確認するとリンゴは再びレンスに向き直り、両手を広げながら畳み掛けに入る。
「んで市長、どうだ? メアリ、いや元メアリ海賊団を雇えば海賊は瓦解するばかりかニュボーにとって強力な自警団になるしニュボーに残った腐れ野郎どもを一掃できる。ここはメアリちゃんの持つ支配力を利用するってのは悪くない提案だと思うんだけど?」
「それは……!」
レンスは下を向き、滴る汗をそのままにしている。確かにリンゴの提案は魅力そのものだ。実際この商人が考えた中では最高の策だろう。しかし、それを認めてしまえば、ニュボーの権威が、自分の権威が失墜することは免れない。海賊を雇った史上最悪の市長として名を残すことは避けたかった。
「それはできん!」
今はジリ貧だとしても。今ここでその提案を呑むわけには――
「だってよ残念だったなァメアリちゃん、遠慮はいらん。銃を拾ってくれ」
「そうするとしようか」
冷静に言い放つリンゴに倣うようにしてメアリは落とした銃を拾い上げると、目にも止まらぬスピードで再びレンスに銃口を向けた。
「さて、元海賊から海賊に戻った今だが、市長を襲うってのは見栄えも悪いしリスクに見合ったメリットも得られるとは思えん。ここは一回退いて再度市場の支配を強めるべきだぜ?」
メアリにそう声を掛けるリンゴが、信じられないとばかりにカミラは見やる。
「あなた、一体どっちの味方なの!?」
「私は商人だ、何回も言わすな」
カミラを睨み付け、リンゴは声を荒げる。
「最初から最適解に向けて努力してたつもりだったんだが、市長様とやらがここまで腰抜けじゃ話にもならん。君らはいつまでもずっとこのままでいてくれたまえ。ニュボーを失った今となっちゃここにいるキャプテン・メアリ様が商人としての私にとって最高のビジネスパートナーなんだからなァ!!」
それを聞いてからのカミラは早かった。
「市長! お考えを改めてくださいませ!」
「カミラ! 君までそんな!」
「確かにこの商人の言うことには一理あります。ここで突っぱねることはつまり、メアリを再び逃すことにほかなりません。雇う形だけでも、監視下に置けるのは我々にとって有利かと」
「……そうだな」
「それだけじゃないぜ?」
尚も横からリンゴは口を挟む。
「労使契約はどちらかといえばニュボー役所側の方が強い条件を出せる。メアリちゃん一行に殺傷略奪行為を禁じることができるのはもちろん、支払う給料だってまずはそっちに決定権があるんだ。飲まない手、ねぇだろどう考えても」
「あ、あと私から言いたかったんだが――」
リンゴの横で口を閉ざしていたメアリが言う。
「今ここで交渉が決まらなければ私は海賊に戻る」
この一言が、決め手となった。
※他人に対して影響力のある人やもののこと。市場言語においては特に消費者の購買意思決定に大きな影響を与える人のことを指します。
――――――――――
「……リンゴさん、もう出てきて良かったんですか?」
「なに、あとは二人、いや三人でちゃんと決めてくれるはずさ」
そう言いながらも、後にした部屋の中から怒号が聞こえてくる為戻ったほうがいいかなぁと考えつつもリンゴはそのままにする。
「元々こういう機会が必要だったのさ、この街にはな」
リンゴは爽やかな笑顔を浮かべると、ハルの手を取って役所の外へと出た。日は既に沈み、辺りは暗闇に覆われていた。
「見てみな。海の向こうを」
リンゴが指し示す方向を向くと、まばゆい灯りがハルの目を刺激した。
「あれは……?」
「たぶんだが鼎商同盟が拠点にしている街……コペンハーゲンだよ」
「あそこにお父さんとお母さんが」
「それはこの眼で確かめることだ。ここでのゴタゴタが片付いたら必ず向かおうな」
「はいっ!!」
しっかりと繋がれた手は解けることもなく、しばらくそのままの時間を堪能したのだった。