イロジカル・ゲーム-The girl of match merchant- 作:職員M
リンゴがメアリと来たのは、ハルとも一緒に訪れた港近くの市場だった。
「おうまた来たのかマッチ売り……って総長! お疲れ様です!!」
リンゴに引き連れられるメアリは、行く先々で深く頭を下げられる。どういう力関係があるのかは一目瞭然だった。
「それにしても大人気なんだなァメアリちゃん」
「あんたくらいなら海賊になれば同じようになれるよ」
「悪いがまだそんなつもりはないな。商売でも同じくらい有名になれるかもしれないぜ?」
「それこそ私に向いてるかどうか疑わしいね。これまで好き勝手だけやってきたわけだし」
「それが活かせるんだけどなぁ……」
溜息混じりにリンゴは言った。リンゴとて、メアリの手腕に一目おいているのだ。それこそニュボーどころかデンマークすら支配におけるだろうと予測できる程度にはメアリのカリスマ性は高い。
「それにしてもあんたは本当に風変わりだねぇ」
ふと、リンゴの方を見ながらメアリは意味ありげに長い金髪を揺らす。
「あ、銀髪か? まぁあんまりいねぇな確かに」
「それにその赤い眼だ。見てると吸い込まれそうになる……」
「ん?」
リンゴがふと見やると、いつの間にか自分の顔を覗き込むメアリが目に入りびくりと肩をすくませる。
「綺麗な眼……」
何やら不穏な雰囲気を纏った海賊は、宝の山を見つけた時のように舌舐りせん勢いでリンゴの顎に手をやった。
「おいおい冗談じゃないぜ。あんたに狙われたら目ん玉くり抜かれそうだ」
「それも面白そうだねぇ……」
「おっかねぇ……。勘弁してくれ、私はただの商人だ。コレクションになるほどの価値はないさ」
ぐい、とメアリを押し戻しつつリンゴは言う。
「それは私が決めることだよ。ま、眼球のコレクションは無いけどね」
「良いニュースだ」
そんなやり取りをしながらも、二人は市場の中央部まで歩いてきていた。その間も、周りの商人は揃って頭を下げている。全てはメアリに対する畏怖と敬意からだった。
「これがおめぇが作り上げた世界の全てだ!」
異様な光景が広がる市場をバックに、リンゴは両手を広げながら叫ぶ。
「その通り。何がご不満なんだい?」
「今眼前に広がる景色そのものだよ。自由の無限性って言葉じゃ分かりにくいが体感で分かるだろ? メアリちゃんなら」
「この状態が不自由だってわけか。それまたどうして?」
「
「それはあんたのブラフかもしれないだろう?」
「だったらそこら辺の宝石商を抜き打ちで検査でもしてみればいいよ」
挑発的に嗤うリンゴにいきりだったのか、メアリはすぐ傍にあった宝石屋に詰め寄った。
「一つ貸せ」
「えっ! えぇ……いやでも、こんなのは総長の目にかなうものでは……」
「いいから寄越せ!」
メアリが語気を荒げると、宝石商は震え上がりながらおずおずと商品を手渡す。
「……なんでこんなもんが店頭に並んでるんだ?」
しばらく宝石を見つめていたニュボーの総長は、真っ直ぐに宝石商を睨みつける。
「すみませんでした!! どうしても、経営が立ち行かなくなっちまって、それで……」
「あー。んで、どうだった?」
まだ話の途中だというのに、リンゴは割り込んで聞いてくる。
「どうもこうもあるか! 見せられるまで信じちゃいなかったが、こうして目の前に偽物があるんじゃあ」
「だから言ったろ? 強すぎる締め付けは不正の穴を探す絶好の機会になる」
「…………」
「高額商品のみの流通による資金的支配。そいつは悪いアイディアじゃないんだが、如何せん思考が短絡的に過ぎる。商売ってのは街が活性化してなんぼなんだぜ?」
「こいつを取り締まればいいだけの話じゃないのか?」
「メアリちゃんに今度統計学を教えてやろう。今のはサンプリング調査っていってな。抽出した一部から全体を推測するって方法なんだわ。…………最初の一回で見つかったんだ。このニュボー全体ならどれだけの偽物があると思う? いやむしろ、本物を扱ってるところなんか最早あるのかすら疑わしい」
「くぅっ……!!」
目を見開いて詰め寄るリンゴに、悔しそうに俯くメアリ。来るまでの様相が逆転していた。
「市場の正常化を図った上で支配できるのが真の支配だ。そう思わないか?」
「どこかでたかが商人って見くびっていたようだ。リンゴ、あんたの提案に乗ろう。案内しな、役所に」
ところが、乗り気になったメアリとは裏腹にリンゴは言葉を紡ぐ。
「やっぱりちょっと落ち着けてからにしよう。私も役所と時間の調整は付けなきゃいけない。今日の夕方頃また迎えに行くから、あれだ。部下たちとお別れパーティでもやっててくれ」
「また何か企んでるんじゃないだろうね? 一応信用はしてるけど、私を嵌めようとしたら容赦はしないからね?」
「私にゃそんな度胸はない。安心してくれ。海賊に取り囲まれたら震え上がる小心者の商人だよ」
「よく言う……!」
そう言いながらメアリは口元に笑みを浮かべる。
「ま、期待できそうではあるから。ここはプロに任せるとするよ。市場の正常化、ちゃんと対策はあるんだろうね?」
「そこは任せてくれて構わない。メアリちゃんの希望には添えるだろうさ」
その返事を聞いて満足そうに頷いたメアリは、踵を返して再度船へと戻ったのだった。
その背中を見送ったリンゴは、市場の中をそのまま歩き続けると、昨日の大男を見つけて声を掛けた。
「あっいたいた。おーい!」
「お嬢ちゃんまた来たのかよ! ここはあぶねぇって」
「いやぁお礼が言いたくてね。偽物が集中してる場所、教えてくれてありがとうね!」
「何に使うんだあんな情報?」
「もう使ってきたところだよ。もう少しでこの市場が面白いことになるから期待しててね」
「どういうことだ……?」
訝しげな表情を浮かべる男に、リンゴはニヤリと笑みを浮かべる。
「真っ当な商人が日の目を見る時代がやってくるのさ」
――――――――――
「リンゴさん! 一人でどこに!?」
役所に戻ってきたリンゴの胸に、ハルが飛び込んでくる。随分と熱烈な歓迎に些か戸惑いながらも、自分より少し小さい身体を抱きしめる。
「ただいま。メアリのところだ。ちゃんと来いよって釘指してきたんだ」
「あっ危ないじゃないですか! 行くなら私にも一声かけてくれたら……」
「悪い悪い。あんまりにも気持ちよさそうに寝てたからな」
「あっ……」
恥ずかしそうに俯くハルの頭に手をやり、リンゴはよしよしと撫でる。
「なに、心配は要らない。自由の素晴らしさを共有してやるだけさ」
そこに、ノックの音がする。リンゴが返事をすると、カミラがドアを開けて入ってきた。
「お取り込み中すみません。実は市長がお呼びで」
「やっとか、待ちくたびれたぜ。なに聞かれるんだろうなー楽しみだなー」
「お願いします」
固い表情のカミラを見て、リンゴはどこか楽しげに言った。
「お手柔らかに」
「お前がリンゴか?」
「いかにも。私がリンゴだが」
カミラに案内されて市長室と呼ばれる部屋に入ったリンゴは、若干白髪が混じる男に聞かれ、即座に答えた。ビジネスにおいて最も重視されるべきは時間である。もったいぶっている場合ではなかった。だがリンゴの容姿故に、レンスは疑い混じりの目を向ける。
「カミラに聞いたところに拠れば、海賊を瓦解できると? 尤も、カミラが見た夢でも語っていなければの話だがな」
「あながち間違いでもないかもよ? 一応私はその方策を考えてきた。後は海賊共を嵌めるだけさ」
にぃ、と歪な笑みを浮かべるのは自分の娘よりも遥かに幼い少女だ。こんな年頃の少女が本当にオーデンセで名を上げた英雄の正体とでも言うつもりか? レンスは判断が付きかねていた。だがそんな心中を隠すように続ける。
「ならばまずは聞かせてもらおうか。海賊瓦解の秘策を」
「市長って言ったけか? 私はあなたの名前すら知らないんだけどなぁ」
意外な商人の言葉に少し戸惑いつつ、レンスは自己紹介をする。
「すまなかった。私はレンスという。ここニュボーの市長を務めている」
「なるほどレンス市長。だが私は生憎商人以外の生き方を知らない。今ここで海賊の瓦解方法についての詳細を話せば私自身のビジネスに関わる。あまり詳細は聞かないでもらいたい」
「何だと?」
「今回の契約は後払いだ。私が成功すりゃ報酬を貰えるが、そうでなきゃ丸々パーだ。成功するかどうかも分からない状態で内情をペラペラ話す訳無いだろう?」
目の前の少女は、商売の契約を盾に現在確定していないことを話そうともしない、紛れもない商人だった。これまで何度か会ったことのある商人に酷似したタイプであることに少なからず驚きながら、レンスは平静を保った。
「今この場で話せないというのならば、今回の話は白紙でどうだ」
脅しの一手をかける。商人にとって契約を破棄されることほど恐ろしいこともない。収入源の枯渇、今後のビジネスの停滞、信用の失墜と様々な不穏を想起させるこの魔法の一言で大抵の商人は態度をころっと改めるものだ。
「私はそれでも構わんよ。元々ただのしょうもないマッチ売りに過ぎない。でも――」
そこでもまた、少女は不穏な笑みを浮かべるのである。
「――おめぇらが本当にそれでいいのか?」
「何?」
「海賊をこのまま野放しにしよう。市場の支配権力も勿論メアリ海賊団のものだ。ニュボーは今後、デンマークという国家権力そのものが介入するまで搾取され続ける」
「……」
返す言葉もなかった。何故ならそれは、レンスが幾度となく想像してきたニュボーにとっての最悪のシナリオにほかならなかったからだ。尚もリンゴは続ける。
「だが自治権が無いと食えなくなる。ここはどこか上手い具合に折衷案が欲しいところじゃないかい?」
彼女の言うことは尤もだった。誰もが望み、そして打ち砕かれてきた夢をこの商人は語っている。だが夢でありながら、どこか期待をせざるを得ない謎の説得力が彼女にはあった。
「今はお前の言うことに賭けてみるしかなさそうだな。なかなかよく考えてきたではないか」
「お褒めの言葉どうも。カミラにも聞いているとは思うが今晩時間を空けておいてもらいたい。そこが交渉のテーブルだ」
「そこまで待たなければいけない理由も分からないがお前にも準備があるのだろう。構わん。今夜こそその秘策が聞けるのだな?」
「そこは任せてもらって構わないよ」
「上手くいきそうだ……」
市長室を後にしたリンゴは、そう独りごちる。
ニュボーそのものとメアリ海賊団の双方を交渉のテーブルに引っ張り出し、更にリンゴが仲介に入ることによりお互いにその意図が伝わらないようにする。ある意味では工作活動とも言えるこの行為が計画通りいっていることに、リンゴは笑いを漏らさずにはいられなかった。
「ああ……。全ては市場を把握した者にのみ与えられる果実……」
恍惚とした表情を浮かべ、夢遊病患者のように覚束無い足取りでハルを待たせたままの応接室へと向かったのだった。
――――――――――
「メアリ海賊団が解散するですって? 確かなの?」
俄かには信じがたい情報が入り、レーネは軽く動揺した。
「既にニュボーの商人の間では流通している話題だそうです。我々が支配地域に置こうとしていた正にこの場で、です」
「そう。……無理なら仕方がありません。計画は変更。財務部は念の為ニュボーの動向を見守るように。中枢部と主力部は離脱する準備を整えてください。私と共にここを出ます」
淡々と指示を出すレーネに、付き人もまたすぐに準備をする。
「はっ! 伝えてまいります!」
「お願いします」
しかし……。ギリ、とレーネは一人になった瞬間に歯軋りした。
「不運とでもいうのかしら。……それともまさか、リンゴちゃんが動いた?」
しばし逡巡した後、今は
「いずれにしてもあの海賊を手に入れなければここには用はないわね」
冷静に合理的に行動する。それがレーネにとっての信条であり、行動指針でもあった。
「でも偶然とは思えないわねぇ。……もしかしたらそろそろ事を構えるかもね」
強者が弱者を屠る当然の摂理に再びかつての獲物を巻き込むことを夢想しながら、レーネはにっこりと微笑んだ。
「ここで海賊に目を付ける奴がいるとするならば、考えなしの馬鹿か最高に考え抜いた戦略家のどちらかだ」
自分の行動に自信を深めつつ、リンゴは語る。
「普通の人は海賊を仲間にしようとは思わないでしょうね」
「なんせリスクが高すぎる。ま、ニュボーが生き残る唯一の策がこれだからどうしようもない。私以外にメアリ海賊団に目を付けてた奴がいたなら拍手を贈ってやる。私の方が早かったって皮肉も込めてだけどなァ」
「でもまだ、油断は禁物ですよリンゴさん」
緊張が緩まないようにと、自身の頬を両手で挟むハルを見て思わずリンゴは吹き出す。
「ああ分かってる。常識に囚われてちゃ1000%同意しない策だ。相手は常識を5回くらい上塗りした組織だってこともな」
「それでも出来るんですね?」
「出来る出来ないじゃない。やるんだ。何としてもな」
ハルを真っ直ぐ見つめ、リンゴは言う。
「今晩がここでの集大成だ。しっかり休んで決戦に備えるぞ!!」
「はい!!」