イロジカル・ゲーム-The girl of match merchant-   作:職員M

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遅くなりまして申し訳ございません。こ、これが産みの苦しみ……(違う)次はもっと早く投稿できるよう頑張ります!


第十四話 底辺と頂点

 少女がこの世界で最初に覚えた概念は『金』であった。齢5つになろうという頃のことである。銀行家の娘であった母親は丁寧に分かりやすく概念を説明し、少女に教え込んだ。少女もまたそれを嫌がることもなく、受け入れていた。自分より2歳年上の姉は途中まで一緒に学んでいたのだが、途中で飽きたのか外に出ていくようになり、家には母親と二人きりになることが増えていった。

 

「リンゴちゃん、次はお金の遣い方をお勉強しようね」

 

 まったくいつからだったのか、少女は自らの本名を満足に覚えるより先に母親から"リンゴ"と呼ばれるようになった。生誕間もない頃にプレゼントされた赤い頭巾と父親譲りの赤眼からそう呼称されたことを少女が知るのは、それこそ本名など記憶の彼方へと消し飛んだ後のことである。

 

「うん!」

 

 そんなことは今の時点における少女にとってはどうでもいいことだった。ただ、母から与えられる新しい知識を前にワクワクした気持ちを抑えきれないといった表情で前かがみに座り込む。

 

「お金は稼いでも、しっかりとした遣い方を覚えないと貯まらないの。好きなものに遣うのは良いのだけれどそればっかりじゃダメ」

 

「どうすればいいの?」

 

 その瞬間、母の視線は鋭くなる。それは娘を見守る優しい母親というよりも――

 

「投資よ」

 

――一人の商人の姿そのものであった。

 

 

 

 

――――――――――

 

 

「お、また売ってきてくれたのか! レーネにはやっぱり商人の才能があるのかもな!」

 

 ホクホク顔で帰ってきた長女の頭を撫でるニルスは快活に笑う。自分と同じ黒髪に母親から譲られた金眼と、リンゴとは正反対の上の娘は飲み込みが早いせいか、ニルスのお気に入りだった。

 

「また売ってくるね!」

 

 その褒め言葉に呼応するようにレーネは笑う。それから嘲るような視線をリンゴに向けつつ言った。

 

「ところで、リンゴちゃんはいつになったらお外で売れるのかな?」

 

「…………っ!」

 

 急に自分の方を見つめる四つの視線に対し、びくりと身体を震わせつつ、二人の方を向くリンゴの瞳には怯えの表情だけが浮かんでいた。手元に昨年去り際に母からもらったボロボロになった本を抱き締めて。

 

「今はお前だけが頼りだ、レーネ。……リンゴもいずれ売れるようになれ」

 

 姉妹に温度差のある声を掛けると、ニルスは徐に椅子から立ち上がり、外に出かけていった。家の中にはリンゴとレーネだけが残る。レーネは座っているリンゴの近くまで歩み寄ると、上から見下ろす体勢を取る。

 

「どうすれば……どうすればいいの?」

 

「んー? どうすればいいと思う?」

 

 戸惑い、わなわなと震えながらリンゴは小さな声で尋ねるも、レーネは素直に答える様子は微塵も見せなかった。

 

「ガスストーブが出来ちゃったから、今の市場だと価値が全然……」

 

「そうだよ? でもそれが売れない理由?」

 

「えっ……でもお父さんだって」

 

「それでも売らなきゃいけないんだったら、リンゴちゃんは諦める? 何か他に売れるもので代用する? そうすると家は終わっちゃうけど」

 

「……」

 

「マッチ工場だから、他の何者にもなれない。だったら何とかしてマッチを売らなきゃいけないの。誰からも手段なんて問われてないよ? 例えば――」

 

 にぃ、と歪な笑みを浮かべながらレーネは言葉を繋ぐ。

 

「――ひと箱1000クローネで売る代わりにリンゴちゃん自身を一時的にお客さんの好きにさせる、とかね」

 

「ひっ……!」

 

「あくまでも一例だから気にしないで。売れるんだったら他にやりようだってあるし。というか私は売れてるからね」

 

「そんな……」

 

「あーあお腹すいちゃったなぁ。今日何かあったっけ?」

 

 そのまま台所に何かないか探しに行く姉に、リンゴは声を掛ける。

 

「えと、芋が一個だけあるからそれ食べろってお父さんが……」

 

「そっかぁ今日はいつもよりちょっとだけ豪華なんだね。……ね、リンゴちゃん」

 

「な、に……?」

 

 不敵な笑みを浮かべるレーネに嫌な予感を覚えながら、リンゴは次の言葉を待った。

 

「ゲームで勝った方が一個食べることにしない?」

 

「ゲーム?」

 

「そ、確かお父さんトランプ持ってたでしょ? あれで一つ何か」

 

「負けたら……」

 

「明日まで何も無し」

 

「うぅ…………」

 

「半分こじゃお腹いっぱいにはならないし、ゲームなら公平でしょ?」

 

 

 そう、昔から。

 

「……うん、分かった」

 

 リンゴに選択権などなく、

 

「いい子ね」

 

 故になるべく"いい子"であることによって最適な順応をしていることが常なのであった。だが彼女が悟るのはそう遠くない未来である。"いい子"で飯は食えないというシンプルな事実に。

 

 

 

 

 何をされたのかも分からないうちに敗れたゲームを終え、何か食べられるものを探す為に外に出たが、オーデンセの広場に行くまででも重労働だ。体力をすぐ使い果たし、雪で身体が冷えることもお構いなしに道中で座り込んでしまった。

 

「お腹……すいた……」

 

 何でもいいから口に入れたい。慢性的な栄養不足で明日まで何かで食いつながなければという思考のみに囚われた挙句、近くに生えていた草を千切り、食んだ。

 

「……にがっ」

 

 直ぐ様吐き出そうとしたが、身体の方は草だろうが土だろうが胃に何かを入れたかったらしい。リンゴ自身の意思とは真逆を行くように次々と草を口に放り込んでいった。そしてあまりの苦痛と寒さから守るかのようにリンゴは身体を丸める。

 

「ううぅぅ……」

 

 

 

 

 母が家を出てから父は大きく荒れた。ガスストーブが開発され、火の元がマッチからガスストーブに置き換わりつつある状態の最中だった。減った売上を回復させる戦略も持たず、事業は縮小する一方でニルスは手に入れた金を次々と酒に変えていき、負のスパイラルを回し始めたのだった。そしてそのツケはリンゴが主に払う事になる。それこそレーネの仕掛けてきたゲームのように、あっさりと華麗に転落人生へと堕ちていったのだった。

 

 何故、自分だけがこんな思いをしなければならないのだろう? 運が悪かったから?

 

 何故、今自分は雪の中で草を食べているのだろう? さっきゲームで負けちゃったから?

 

 何故、こんなところまで追い詰められてしまったのだろう? 私が何もしてこなかったから?

 

 

 

 

「う、うあぁあああああああああああああああ!!!!」

 

 空転し続ける自問自答がリンゴを支配し、それは涙となって身体から溢れ出た。雪の中に顔をうずめるようにして拳を柔らかい雪に叩きつける。飛沫が飛び、それがまた頬に当たって痛かった。それでも止めることができず、何度も何度も、怒りなのか悲しみなのか遣る瀬無さなのか虚しさなのか分からない感情を泣きながらただぶつけ続けた。

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、ふぅ…………はぁぁ……」

 

 どのくらいそうしていたのか、少し落ち着きを取り戻すと、大きく溜息をつく。

 

「………負けるもんか」

 

 ぽつりと出てきたのはそんな言葉だった。姉に触発された訳ではなかった。むしろ恨んですらいるほどであった。父親の愛情を一身に受けることに嫉妬もあった。自分を守ってくれる母はいない。

 

「おまえ程度でできるなら、私にだってできるはずだ……」

 

 だからこそ、今は自身を守る決断をすべき時だった。

 

「見てろ……見てろよド畜生ども!!!!!」

 

 叩きつけるように叫ぶと、リンゴはゆらりと立ち上がった。まだまだ空腹の為かふらつきこそするが倒れることはなかった。

 

 

 彼女はこの瞬間に、いい子のリンゴちゃんを捨てた。そして――――

 

「私はマッチで這い上がる。私だけの武器(ちしき)を使って!!」

 

 マッチ商人の少女、リンゴが誕生したのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

「草を噛んで雪を口にいれた時はマジで死ぬほど情けなかったぜ? 今となっちゃ笑えるが」

 

 それほど昔でもない昔話をどこか懐かしむようにして微笑みながらリンゴが笑っていると――

 

「う"う"う"う"う"う"う"う"う"リンゴざぁん!!!」

 

「うわどうしたハル!! って涙! 鼻水!! 私の服が! 服がァ!」

 

――号泣しながらハルが飛び込んできた。

 

「ごべんなざいいぃぃぃ!!」

 

「ったく、同情してくれんなって」

 

 少し膨れ面になりながらも、胸の中で泣くハルの頭を撫でてやる。

 

「なんせそういうのが私の姉、レーネなんだよ。一人目の癖に随分とちゃっかりしてやがる。しかも学はそれほどねぇのに私より上手く世渡りしてるからなァつくづく腹の立つ奴だ」

 

「リンゴさんが強いのは、そういう秘密があったんですね……」

 

「いや別に強くは……。それに実際売れるようになるまでは結構時間掛かったんだぜ? あとクソ野郎に稼いだ売上金を過剰に低くして手渡す手間とかも半端じゃなかった」

 

「私の、憧れの人です! リンゴさんは」

 

 まだ顔がぐちゃぐちゃのままだったが、真っ直ぐな視線をリンゴはしかと受け止めた。

 

「分かったよ。んじゃ、強くなるところまでしっかり話そう」

 

 

 

 

――――――――――

 

「マッチはいりませんか? 一つ3クローネです」

 

「時代遅れにも程があるよ。家には火起こす道具なんかいっぱいあるんだ」

 

 商人になる決意をしたその日のうちに、日銭稼ぎも目当てでオーデンセの市場にギリギリたどり着いたリンゴは、まずは片っ端から声をかけた。ガスストーブの事情は無論知っていたが、本来の需要として完全に死んでいるかどうかの判断をしたかったのだ。

 

「ま、そうだよな……」

 

 マッチが金に変わるわけでもなく、少し途方に暮れる。そして、ふと言葉を覚えたてだった頃に母に読んでもらったとある童話を思い出した。

 

「そっか。今あいつと同じ立場ってことだな……」

 

 マッチ売りの少女。確かあれはマッチを擦っては次々と有り得ない幻想を見て最後、大好きだった少女の祖母に抱えられてあの世に逝くという話だった気が。ほんの20年前ほどの作品である。

 

「脳内麻薬キメて死んだってだけの話がなんで童話なんだって……」

 

 自身が置かれた立場も含めて皮肉を呟く。正しく今のリンゴが現代のマッチ売りの少女だった。尤も、童話内の時代ではマッチの市場規模もそこまで小さくはなかったのだが。

 

 

 

 とにかく、火を起こす以外での需要を掘り起こすところから始めなければ。

 

「シナジー効果※での新ニーズを狙う……か」

 

 動かなければ何も始まらない。リンゴはさっさと場所を変えてなるべく火と親和性の高そうな店を探した。すると野外で肉を炙る男を見つけることができた。

 

「お兄さん! 火、困ってない?」

 

「あ? 火? いや有り余ってるくれぇだ」

 

「でもその火、いつまで持つの?」

 

「えっ……あ、そういやそうだな……」

 

「ちょっとの間雇ってよ。薪運搬員として」

 

「俺んところはそんなに給料出せねぇぞ?」

 

「後払いの現物でいいよ」

 

 真っ直ぐ肉を見つめながら言うリンゴに、男は苦笑して答えた。

 

「なるほど、それなら今晩いっぱい持つくらいの薪を拾ってきてもらおうかな。俺はここから離れられないからある意味助かった。」

 

「ありがとう! 10肥もあれば十分?」

 

「そんなに要らん。5肥で良い」

 

 助かった、と内心思いながらリンゴはすぐに広場の外れへと駆け出していった。

 

 

 

 

「お待たせ! これで5肥分くらいにはなるかな?」

 

 何分少女の身体は小さく、丁度いい枯れ木を見つけても一気に持ってくることは不可能だった。また、大きすぎる木は誰かに切ってもらわなければならない。

 リンゴは小さな木を集めたところにマッチの火で簡易的な焚き火を作り、()()()()()()()()条件でいい感じに木を切ってくれと近場の木こりへ依頼したことから結局2時間弱かかってしまったのだった。

 

「思ったより時間がかか……ってええ!? 枯れ木だけじゃないのか? 金かかっただろこれ」

 

 太めの大きな割れ木を一つ手に取って男は感嘆の声を上げた。仮にこれをやらされるのが自分だったとしても、ここまで面倒なことはしないだろう。

 

「あー、そこは何とかなったから。これでオッケーかな?」

 

「おう、問題ない。」

 

 そう言うと焦げないよう焚き火から外していた肉を二つ手に取り、両方リンゴに手渡した。

 

「サンキュー! お前さんが言ってくれなきゃ火起こすところからまた始めなきゃいけなかったぜ」

 

「……いいの? 二つも」

 

「お前さんだってただ枯れ木を集めるだけじゃなかっただろ? 一つは報酬。もう一つは商人への敬意だ」

 

「あ、ありがとう……!」

 

 その言葉を聞いて目頭が熱くなるのを覚えながら、肉を二つ手に取ると、

 

「オーデンセ中に宣伝しておくよ。親切な肉屋が森の近くにいるって」

 

「ハハ! そりゃ頼もしい。また頼むかもな」

 

「うん! また来るね」

 

 付加価値。市場ではそう呼ばれるこの概念こそがリンゴが生存する為に必要なニーズ起こしの要であった。ただマッチをマッチのまま売る必要はない。そういう意味で、レーネが言っていることは正しかったのだ。

 

 

 

 

 

「それにしても……商人への敬意、か。……ふふっ」

 

 二つの肉を見てリンゴは嬉しそうに笑った。

 

 

※シナジー効果:相乗効果のこと。別企業同士や部門内同士での協同により市場に価値をもたらすことを指す。資本提携、50%ずつ出資による二社の子会社創設もシナジー効果を狙った戦略の一つである。

――――――――――

 

「とまぁ、デビュー戦は見事売れた、というか食いつなげたんだけどそこからがもう酷くて酷くて」

 

「同じようにお料理屋さんを探せば良かったんじゃないですか?」

 

「店舗をこしらえて屋内でゆっくり食事をするタイプの飲食店の方が多かったから最初の肉屋だけは本当にラッキーだったのさ」

 

「そうだったんですか……」

 

「でもまぁマッチを売る代わりにこうやって雑用したり、火じゃなくて灯りとして売るために蝋燭屋との提携頼むのに土下座しに行ったり、色々やったぜぇ?」

 

 それこそ愉快そうにこれまでの商歴を語るリンゴは、とても自分と同じような歳には思えなかった。

 

「蝋燭屋さんに土下座?」

 

「おう、どうしてもガスストーブじゃ得られない灯りってのは蝋燭しかない。それが蝋燭屋も分かってるはずだったんだが頑固なオヤジだったんだよ。『うちは何にも頼らずこれまでやって来たんだ!』っつってな」

 

「……」

 

「マッチとの親和性は料理よりも高い。そこでマッチと蝋燭のセット商品を作って主婦層に売りまくるって計画を持っていったんだがそれが実現したのは一ヶ月後だった。それまで何回通いつめたことか……」

 

「なんで、諦めなかったんですか?」

 

「一つは絶対売れるって確信があったからだな。まずオーデンセにゃ無い商品だった。次に、あのバカ姉を見返すためさ」

 

「……私もあの時諦めなかったら……」

 

「ん?」

 

「い、いえ! 何でもないです!」

 

「少し喋りすぎたかなぁ。良い時間だしそろそろ今日も市場の様子、というかメアリちゃんの動向伺いにでも行くか」

 

「はい!」

 

 リンゴにつられるようにして立ち上がり、ハルも外出の準備を始めたのだった。


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