亜種特異点0 終天の盾 作:焼き烏
空戦格闘の基本は速度と高度の等価交換にあり、戦いの焦点は速度・高度の奪い合いにある。
一度高度に差を付けた側は、その高さを活かして間合外から敵を捉え、一挙に降り立って高度を速度に変えながら攻撃。その速さで元の高さにまで駆け上って反撃を許さない。もしこれを無理に追いかけて反撃しようとすれば、上昇時に速度を失って格好の獲物にされてしまう。
どの高度差からが必殺の間合いか。どの高度差までが反撃可能か。機体特性と技量の差こそあれど、一定の差が付けば事実上の詰みに入るというのは空中戦の共通見解だ。空戦エネルギーの削り合いを前提としてこそ、旋回軌道の読み合い・騙し合いによって詰みに至る手を互いに封鎖し合う戦いが成立する。
その常識が、アーチャーには通用しない。
単に風に乗っているというだけでは説明が付かない不規則な急上昇・急下降。滑らかな速度コントロールから前動作の無い急加速。ただの紙とおぼしき乗騎が爆撃機にひっついて離れないだけでも驚異だというのに、その動きもまた奇怪極まる。
追えば引く。引けば追いすがる。独特のリズムで上下する速度と高度。航空機が稼いでは消費する空戦エネルギーを、その紙の船はまるでその場に無限に満ちるものの如く扱う。
だからこれは、空戦ではない。その法則で動くのはランスロットの艦の方だけであって、アーチャーの方は海戦を仕掛けているのだ。
見えない大波の間を渡るよう――その感覚を突き詰めて、自分の中に叩き込む。
この場で藤丸立香ができることは、何もない。ランスロットには細かな指示は通用しないようだし、周囲をせわしなく飛び回るスフィンクスくんにも言葉は届かない。だからこの空戦を、ただ観察する。
ライダーはこの戦いの目的を、敵の戦力を削ることだと言った。まだ決戦ではない。彼女の言葉で言えば、決死の覚悟の嫌がらせ。確実に次の戦いがある。
だから見知った鈴鹿御前ではなく、あえて謎のアーチャーのことを見ておく方を取った。
後部銃塔のすぐ前に飛び出た半球状ガラスから全方位を見渡せる特等席。火器管制担当の展望塔から、アーチャーの動きを注視する。それが、今の藤丸の仕事。
この戦いはきっと長引く。
スフィンクスは守りに重点を置いて動いている。攻撃後の隙を狙うのではなく、魔力を溜める時間を与えずに攻めて相手の手番を奪うことを優先している。
ランスロットの機体が持つ空力特性と魔力の壁を相手が超えるためには、至近からの射撃か、魔力を溜めての大技が必要となる。その機会を、スフィンクスが許さない。機体に接近する進路を阻み、魔力のチャージを邪魔することに徹している。
さらにこの爆撃機は、全身に機銃を配して全方位に迎撃態勢を備えている。不意を衝いての先制か、防御の用意まで整えて飛び込むかでなければ、アーチャーの接近を許さない。特に正面に留まって溜め技に入ったり、前からの接近を試みるのであれば、狙いを逸らす間も無くミサイルの餌食になるだろう。
もっともそれは此方側も同じことで、下手に近づくわけにはいかない。
時折機体を掠めていく矢は、当たらずともこの爆撃機を覆うランスロットの魔力を削っていく。おそらくアーチャーの操る巫術体系に対して、ランスロットの相性が悪いのだ。禊ぎ、祓え、厄落とし。一度に削られる魔力は軽微でも、再侵蝕にランスロットが少し手間取っている。
直撃すればこの機体の瘴気はまとめて剥ぎ取られるだろう。宝具属性を失ったあとも、この無茶苦茶な改造を重ねた機体が飛び続けられるかどうかは考えたくない賭けになる。
おそらく鍵を握るのはスフィンクス。その彼が妨害策を選んでいる限り、決着は付きそうにない。
陸海空。同じ場にあって別の理で駆ける三者は、互いに仕掛けるチャンスを伺いながら距離を取り、膠着状態を迎えている。
観察することだ。第三特異点を越えて、海を知り尽くした英雄と過ごした時間を、無駄にしてはいけない。一月やそこらで分かった気になるんじゃねえと、海賊さんに頭を叩かれたりもしたけれど。自分は、確かに何かを学んでいるはずなのだ。
不規則な波の中に規則性を。海は理不尽だけど、無規則ではない。
一度でいい。アーチャーの軌道を見切れれば、次の戦いではきっと。
◆
その膠着を破るのが、ライダーの駆る列車の突撃であり。
彩雲に穿たれた穴に先行して待ち構える鈴鹿御前だった。
そもそも最高速で劣る鈴鹿に、真名解放された
本来の射程から放てば、紙吹雪の
そんなデメリットの重荷を未だに吊っているのは、要塞攻撃のためとしか考えられない。
はたして予想は正しく。列車の後を追って、ランスロットは惜しみなく高度を速度に変えて急降下。アーチャーを引き離して先へ先へ。
それを、剣の雨が迎え撃つ。敵も引く気はない。爆撃で剣の壁を散らす構え。
ミサイルの爆熱と轟風の中を、鉄の翼が駆け抜ける。散らしきれない剣の雨は、その身に纏う魔力で打ち払う。装甲が傷つくのも構わずひたすら速度を上げる。
その目標に、意識を集中する。
鈴鹿御前の神通力は、菩薩の霊剣すら弾く鉄の肌さえ軟化させる切り札。サーヴァントして現界する鈴鹿には本来許されない力だが、神霊から祝福を注がれた状態なら話は別だ。この虹の雲が切り裂かれ、刻々と失われつつある神通力の神髄を見せるのは今をおいて他にない。
音も風も、今は聞かない。もっと本質的なものを捉える。己の内に沈み込み、世の理を紡ぎ変える。
交錯は爆煙の中。互いに視力など頼ってはいない。
「ぶっちゃけ好みじゃないんですけど、四の五の言ってられないし?」
虚空からエーテルを実体化する。はらりと落ちる透き通った衣。ずしりと重い武骨な刀。
取り出したのは四本目。黄金の大通連、白銀の小通連、朱塗の顕明連。そのいずれとも異なる漆黒の直刀。彼女の宝具ではないのに、しっくりと手に馴染むのがまた気に入らない。意識するまでもなく握りしめた瞬間に神気はその先まで通っている。
足場にした鞘から飛び立とうと足を伸ばし、剣を振り上げた瞬間に黒剣は何倍にも、何十倍にも重くなった。膝をついて止まりそうになる身体を、意地に重ねて魔力で支え、重圧を跳ね返して宙へ飛び立つ。
薄く引き伸ばした雲のような薄布が、光を受けて虹を映した。
「っ……ぅ――! 舐めんな!」
しっかりと握りしめて振り切ったはずなのに、重力のままに刀身が落ちているだけにも感じる。自然に落ちる先が、そのまま刃筋を通した軌跡に一致する。なるほど、自分のために鍛えた一振りだというのは本当なのだろう。振り下ろした剣はその先で重みを無くし、心地いい風鳴りの中に静止する。
――この一撃が敵の機体を一刀両断していたなら、素直にあいつに感謝できていたかもしれないのに。
掠った感覚はあった。だがそれまでだ。寸前で逃げられた。
斬撃の余波で白煙が切り払われて、開けた視界の中で機体が宙返りしていった光景を、傍らに対空する刀身越しに写して見ている。
「スペシャルコーデの乙女の誘いを無下にするとか、ありえないんですケド……?」
◆
それと時を同じくして。アーチャーも勝負を掛けに行っていた。
機体は無防備な背中を晒している。距離はそのまま矢の威力を減衰させる壁になるとはいえ、その程度は覆るからこその弓の英霊。
番えた矢に祝詞を捧げ、渾身の一射を奉る。元の鏃はもはや必要なく、溢れた魔力は矢の形を保ったまま遥かに大きな射を成す。
それを、スフィンクスの爪が引き裂いていく。
飛び掛かりながら尾が揺れて、後ろ足から着地と再走。隙無く次の攻撃に備えている。
「神獣といえど、容赦はしません。今こそ、私は守り通す――」
必要なのは力ではなく、速さと技。
自分は決して強い英霊ではないと理解しているからこそ、目の前のスフィンクスを倒すのではなく、ランスロットの機体を狙って鈴鹿の援護を、と考える。あるいはそれは、目の前の相手を倒すより難しいことかもしれないのに。
速度を落とした紙飛行機の上で、一度胸に手を当ててから。
「七色模様の星巡り、四季祭豊かに五行三精――」
あからさまな大技で光線を誘いながら、詠唱半ばで矢を撃ち放す。十に二十に分裂していく矢はしかし、明らかに勢いが足りていない。
でも、これでいい。
はらりと落ちる透き通った衣。ずしりと重い漆黒の矢。
羽織った布地は何の重みももたないのに、流れ落ちていく魔力のなんと濃密なことか。
透明な襲衣の中に神経が通っていく感覚。氾濫した水路から染み出た水が広がっていく。痛みが無いのが、少し怖い。
薄布は虹色に輝き、それに呼応して周囲の矢もまた鮮やかに彩られて勢いを増す。
神獣の咆哮が空を振るわせて矢を弾こうとするのに向かって、跳躍する。風を受けて広がった衣が膨らんで、それから息を吐くように萎んでいった。それが、天衣の羽ばたき。
天に轟く咆哮をまるで無いが如くすり抜けて、黒い鏃を握って直接突き立てる。
神獣は避けるのではなく、余計に大きく吠え猛った。その轟声で、上体がのけぞり、矢が外れる。
「ようやく……」
ようやく、神獣が体勢を崩した。星空を描く光の筋も、顔が上を向いている状況では当てられることはないし、射線を妨害されることもない。あなたは、私が次の矢に魔力を込めるまでの時間で十分立ち直れると思ってらっしゃるのでしょうが――。
黒い矢を弓につがえる。バーサーカーから貰った矢を、私の弓が嫌がっている。
「ごめんなさい」
空に尾を引く黒色は、夜の帳の正色ではなく。かんなぎが祓うべき闇景色。
でも私は、あの城主のことは、嫌いになれません。
鉄塞城のアーチャー
属性:秩序・悪
筋力:D 耐久:E 敏捷:C 魔力:A 幸運:D 宝具:C