IS-アンチテーゼ- 作:アンチテーゼ
第七話
◇
太平洋沖 某海域
海上の空には雲ひとつなく、ギラギラと真夏の日差しが照りつけていた。
しかしそのはるか下、水深300mの深海にはほとんど光は届いていない。そこにあるのはただ、深い深い闇である。
そんな深海の闇の中を、巨大な「なにか」が移動していた。クジラだろうか? だがそれはクジラとは比較にならないほどの巨体だった。時折、鉄琴を軽く叩くような耳心地良い音を発しながら、それは深海を進んでいく。その正体は、黒い大型の潜水艦であった。
ドイツ軍開発、特殊大型潜水空母「オルトリンデ」。現在は、エリスと砕次郎、二人組のテロリスト「アンチテーゼ」の物となっているその潜水艦を、二人は名を改め「ティターニア」と呼んでいた。
高速で海中を移動するティターニアは水にうねりをつくっていく。そのうねりは波となって海上に伝わり、真上にいた一隻の漁船を大きく揺らした。だが、船の人間は真下をテロリストの潜水艦が通っていたことなど知る由もなかった。そしてエリスと砕次郎も、真上の船のことなど、ましてやそれがどこかの国の密漁船であったことなどまったく知らないのであった。
かくして、ティターニアは進んでいく。誰にも気づかれることなく、静かに海を渡っていく。
◇
『どう? 最新鋭潜水艦の乗り心地はどんな感じー?』
ティターニアの艦内、その一室。
砕次郎のヘッドセットに甲高いエフェクトのかかった声が響く。
深海300mにもなると、通常の通信機器では限定的な交信しか行えない。しかし今は、フェアリア・カタストロフィのコアネットワークを利用し、衛星をハックすることでリアルタイムの相互通信を可能にしていた。
通信の相手はアンチテーゼの
「快適だね。広いし、何より設備が最高だ。さすがはドイツの誇るIS用潜水空母、IS整備の機材はほとんど全部内蔵されてる」
シャックスの声に応える砕次郎は、ゆったりと椅子に腰かけてテーブルに長い脚を投げ出していた。声の調子とその表情から上機嫌であることは明らかだ。
当然、砕次郎は事前に潜水艦の下調べはしていた。だが実際に設備を確かめてみると、オルトリンデは、いやティターニアは予想をはるかに超える高性能艦だったのである。
IS関連の設備もさることながら、とくに極秘艦ゆえのステルス性は既存の艦をはるかに凌駕していた。
アクティブ、パッシブ、両ソナーに対応した音波吸収性の高い完全防音仕様の船体。そしてフルオートの磁気発散システム。ステルスモードであれば、ピンポイントでハイパーセンサーの探知でもかけない限り、まず発見されることはないだろう。
『たしか、最新鋭の高性能AI搭載でほとんど自動操縦なんでしょ? ほんと技術の進歩を感じちゃうねー』
シャックスがケラケラと笑う。甲高いエフェクトの笑い声が、砕次郎にはほんの少しだけ耳障りに思えた。
「技術の進歩、全てはISのおかげ……か」
実際、ISの技術を応用した技術革新は多い。
コアネットワークを模倣した長距離通信。自己進化を組み込んだ人工知能の発達。ナノマシンによる再生医療。
一人の天才がもたらしたISという
ふと、砕次郎の表情が暗くなる。
「ISのおかげで人類は発展したかもしれない。だけど……僕は思うんだよね、シャックスさん。これは本当に今の人類が手にしていいものだったのか。ある人の言葉を借りるなら、ISは『人間が持つにはちょいと危なすぎるオモチャ』だと思うのさ」
砕次郎は何かを思い返すように天井を見つめる。その表情がいったいどんな感情のあらわれなのか、うかがい知ることはできない。
だが、そんな砕次郎への返事は素っ気ないものだった。
『思いを吐露する相手を間違えてなーいー? 君がそう考えるに至るまでに何があったのか、私なぁんにも知らないし興味もないよ。私が力を貸すのは思想のためじゃなくて目的のためなんだから』
砕次郎は苦笑する。
「ハハッ、たしかにそうだった。いよいよこれからって時だから、少しばかり感傷的になってたな」
『もう、しっかりしてねー。パトロンって言っても私はただの仲介役だし、君も私も「失敗しましたゴメンナサイ」じゃ済まないんだから』
「ああ、わかってるとも」
砕次郎が椅子から体を起こす。その表情は先ほどまでの暗いものではない。挑戦的で、自嘲的で、それでいて目的をまっすぐ見据えている、いつもの砕次郎だった。
「さて、本題に入ろう。次の相手を決めたよ。中国の第三世代機だ」
◇
「エリス……とりあえずシャワー浴びてきたら?」
自分の部屋から出てきたエリスを見て、砕次郎はため息をついた。
――まあ、急に呼び出したわけだし、仕方ないのかもしれないけども
エリスはまだ半分閉じたまぶたをぐしぐしとこすりながら、大きくあくびをした。つややかな黒髪は寝ぐせでぐちゃぐちゃ、だぼだぼのシャツはずり落ちて肩が見えている。
「…………」
無言で、ふらふらとシャワー室へ歩いていくエリス。寝ていたのを起こされたせいか、少し不機嫌そうに見えた。
15分後、いつものワンピース姿で現れたエリスを椅子に座らせると、砕次郎は壁のモニターのスイッチをいれる。
「さっきシャックスさんと次の計画の相談をしててね。この映像をエリスにもなるべく早く見といてもらおうと……聞いてる?」
「……わたしあの人好きじゃない」
そっけない態度のエリスに砕次郎は再びため息をつく。昼寝を邪魔された不機嫌はまだおさまってないらしい。
「そういうなよ。たしかに得体の知れない人だけど、シャックスさんは貴重な『こっち側』の人間だ。あの人が資金を集めてくれなきゃ、僕らの活動もままならないんだからさ」
「……わかってる。ただ好きじゃないってだけ」
「ま、無理に仲良くしろとまでは言わないよ。あんまり険悪になられると僕が板挟みで困るってだけ」
砕次郎がエリスの頭をぽんぽんと撫でた。そして手にまとわりつく濡れたままの髪に苦笑する。
「まーたドライヤーかけてないな。ちゃんと乾かさないと髪が傷むぞ」
「よけいなお世話。それで、映像ってなんの?」
「ああ、そうそう。見てもらおうと思ってるのは中国のISの試合映像だ。――次の標的だよ」
エリスの目が変わった。それまでの少女の目ではない、冷ややかな敵意を内包する鋭い目つき。
「落ち着いてエリス。映像を見るだけだ」
いきなり殺気を出しはじめたエリスを、砕次郎が静かにたしなめる。
「やる気があるのは嬉しいけどね。そう
「……ごめん」
エリスの目つきが少し柔らかくなった。
砕次郎は軽く微笑みながら、そばにあるノートパソコンのキーを叩く。それに合わせて目の前のモニターで動画の再生が始まった。
「この映像は先月、ある記念式典で行われた模擬戦の様子だ。まあ模擬線といってもルール的には実際の試合と同じだけど」
しばらくして、モニターの中に赤とグレーでペイントされた大型のISが映し出された。翼と呼ぶには少々ぶかっこうなカスタムウィングが一対、その先端には二連装の砲口が取り付けられている。
「これ?」
たずねるエリスに砕次郎は首を横に振った。
「いや、こっちは対戦相手のほうだね。第二世代の中距離射撃型『
「こっちはやらないの?」
「ああ。僕らが優先して狩っていくのはしばらく専用機だけだよ。量産機と専用機じゃ進化の速度がけた違いだ。専用機持ちを放っておいたら、あっという間に手に負えなくなるからね。そういうわけだから、今回は
不満げなエリスの頭に再び軽く手を乗せる砕次郎。
「僕らの存在を世界が認識した以上、襲撃への対応は素早く厳しくなっていくだろう。これからは基本的に一国につき一機を目安にしていくつもりだ。しばらくしたらまた同じ国に行って別のISを相手取る。気長な話になるけど、なあにたったの467、いや466機。ひとつひとつ、安全に確実に、叩いていけばいいさ」
その言葉にエリスがこくん、とうなずく。
シナリオは砕次郎が用意してくれる。自分は目の前に現れる敵を壊していくだけだ。たとえ不満はあっても、エリスはその根底を見失うことはない。それが二人でひとつのテロリスト、「アンチテーゼ」なのだから。
――そう思って僕を信じてくれてるんだろうな。
前回駄々をこねたことも、口にこそ出さないが彼女なりに反省はしているのだろう。今日の素直さからも十分にそれがうかがえた。
と、モニターの観客が歓声を上げた。
「いよいよご登場だね。こいつが次の獲物――」
エリスの瞳に淡い金色のISが映る。
「第三世代、純近接格闘型IS、『
◇
「金の虎と書いてジンフー。名は体を表すというけれど、これほど体を表した名前のISも珍しい」
砕次郎の言葉通り、そのISはまさしく虎だった。
淡い金色のボディにところどころ入った黒と白のライン。そのカラーリングもさることながら、四対計八基のスラスターが、背中から腰にかけて並んでいる独特なカスタムウイングの形状は、まるで逆立った獣毛を思わせる。それがより、
「手と足の……同じ武装?」
モニターをじっと見つめながらつぶやくエリス。
たしかに、腕部と脚部に多少の違いはあるものの、エリスの言う通りそれらは同規格の装備だろう。手足の造型が似ていることも、ISに四足歩行の虎が立ち上がっているような印象を与えていた。
「その通り、あれは両手足のアーマーと一体化してる『
砕次郎の言葉を待っていたかのようなドンピシャのタイミングで試合が始まった。
合図とともに両機が動く。
通常ならここから距離を保った射撃型の攻撃がはじまる。だが――
「速い……」
と、ここで砕次郎が動画を一時停止し、解説をはさむ。
「まず挙げるべきはこのスピードだ。
気づいたろうけど、
原理はアメリカのファング・クエイクの
ところが、
加速力はピカイチだろうけど燃費は最悪だな。稼働時間のランキング作ったらきっとぶっちぎりのワーストだろうね。
……エリス、聞いてる?」
まったく聞いていなかった。
エリスにとって重要なのは「なぜ速いか」よりも「どれくらい速いか」なのだ。むしろ、いちいち動画を止められると戦いの流れがわからなくなるのでやめてほしかった。
そのジットリとした視線からエリスの考えを理解した砕次郎は、わかったよ、と苦笑いをして再び動画を再生する。
スタミナを度外視した
なんとかそれを両腕でガードした
そこへ再び迫る
だが
しかし、その砲撃はダメージにはならなかった。撃ちだされた四つの砲弾を、
「あれが
「でも、そんなに簡単な技術じゃない」
「そこなんだ。エネルギーの大半をスラスターにまわしてるから、きっとシールドの出力はそんなに高くない。つまり受け止めるんじゃなく、攻撃を的確にそらして弾かないといけない。驚異的な集中力と技術だよ」
二人が話している間も
射撃戦特化の機体というだけあって、
そして訪れたリロードのための一秒にも満たない空白。ここで勝敗は決した。
次の瞬間、金属同士のぶつかる重い音が響いた。
「
空気を引き裂く咆哮とともに、その右脚をまるで空間そのものを打ち鳴らすかのごとく踏み下ろした。
パアァン
音速を超えた
その一撃をもろにくらった
砂煙が消えた時、映し出されたのは、動けない
「
体を密着させ、大地を踏みしめる。重心移動のエネルギーを爆発させて撃ち込まれたのは、まさに一撃必殺のひじ打ちだった。
吹き飛ばされた
まともに受けたのはたった二発の打撃のみ。それでも
だが、
試合終了のブザーが鳴り響いた。
アリーナは一瞬しんと静まり返り、その直後、地鳴りのような大歓声に包まれた。
「……」
砕次郎の横顔に冷や汗が流れる。この映像は何度も繰り返し見ているはずなのだが、毎度この破壊力に驚愕させられていた。
いくらISを使っているとはいえ、徒手空拳でシールドバリアを突き破る攻撃力。
――人のことは言えないが、よくもまあこんなバケモノ作り上げたよなあ
心の中で苦笑いを浮かべる砕次郎にエリスが声をかけた。
「砕次郎、もしかしてこのIS、他の武器もってない?」
「気づいたか。さすがだね。エリスの言う通り、公開されてるデータじゃあ
「必要ないってこと?」
「いや、どっちかっていうと使えないんだろう。推測だけど、
操縦者の年齢、知名度、動き方などの前情報から、砕次郎はそう判断していた。知名度だけならこれまで表舞台に出ていなかっただけかもしれないが、その動き、いわばISへの
そして砕次郎はそれを決して見誤らない。
「ただ見てわかる通り、操縦者はかなり腕の立つ武術家だ。それも音速を超える砲弾を確実に見切って対応できるレベルの、ね」
砕次郎がにやりと笑い、つぶやく。
「まったくうまい手を考えたもんだよ」
ISに関する技術やデータはすべて公開しなければならない。これはアラスカ条約によって決められた世界の共通ルールである。国家不可侵の領域であるIS学園においてのみ公開の義務なくデータを取ることが許されているが、例外はそれだけだ。
密かに軍用ISが存在する時点で形骸化しているアラスカ条約ではあるが、表舞台で戦うISに関しては、いまだ揺るがない絶対の法であった。
だが
なにせ機体そのものにはたいした技術は使われていないのだ。
低出力のシールドを張るだけの武装、燃費の悪すぎる加速能力。そのピーキー過ぎる機体の特性は、操縦者のもつ格闘技能があって初めて意味を成す。
身も蓋もない言い方をすれば、参考にするだけ無駄な機体。
――だけど格闘戦だけなら間違いなく
「さて、そのカンフーマスターの紹介だな」
砕次郎が言うと同時に、映像は
映し出されたのは小柄な少女だった。一本の三つ編みにまとめた長い黒髪、くりくりとした目。顔つきにはまだかなり幼さが残る。
と、
会話は中国語だったが、どうやらやりすぎてしまったことを謝っているようだった。相手はかまわないというふうに笑っていたが、少女のほうはぺこぺこと頭を下げ続けている。
すると何かに気づいた少女が突然相手の女性をヒョイと担ぎ上げた。どうやら先の戦いで足を捻挫していたようだ。
顔を真っ赤にして恥ずかしがる女性をお姫様だっこしたまま、少女はとことことアリーナを出て行った。
微笑ましい光景に、会場から笑い声と拍手がおこる。
映像はここで終わった。
「なかなかいい子だよね。彼女の名前は
操縦者のほうには興味ない、とでも言うように部屋から出ていこうとするエリスを砕次郎が呼び止める。
「相変わらず人間のほうには関心が持てないかい?」
「……」
エリスは答えず、別の質問を返す。
「……フェアリーは直ってる?」
自身のIS、フェアリア・カタストロフィのことを、エリスは彼女のコードネームと同じく「フェアリー」と呼んでいた。
その呼び方が単なる愛称なのか、それとも自分と何かを重ねて見ているのか、砕次郎にはわからない。
わかっているのは今この時、エリスがフェアリア・カタストロフィを必要としていることだけだ。
「ああ、ティターニアの設備のおかげでほとんど元通りだよ。あとは自己修復に任せても問題ないだろう」
「そう……じゃあちょっと、動かしてくる」
あの映像から、エリスも
ISを憎み、ISを破壊すると誓う彼女が、そのISにすがるしかないという矛盾。
――なんて意地の悪い皮肉なんだろうね
部屋を出るエリスの背中を見ながら、砕次郎は静かに息を吐いた。
◇
数時間後、ティターニアのAIがモニターに短い文章を表示した。
〔――まもなく中華人民共和国の領海内。事前の命令に従い、ステルスモードでの航行に移行します〕
次の戦いが、もう目前に迫っていた。
次回「